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Colombia

街をながめる。 – Bogota, Colombia

今日も朝食にクリームチーズと苺ジャムののったパンをほおばり、コーヒーミルクを飲んでから、支度をして外出する。

街にでかけるころにはすっかり12時をまわった昼食時間で、列ができているかわいらしいカフェのようなメキシコ料理屋も、隣の数軒の食堂もほぼ満席である。

Madrigalというレストランの窓際に一席あいており、日替わり定食を注文する。ここもしばらくすると満席になり、仕事中とおぼしき人々もちらちらといる。

今日の日替わり定食は、ライスやじゃがいも、野菜の入ったご飯スープ、フライドチキンにトマトとキャベツのサラダ、yucaという芋に、verduras colombianaという野菜、そしてオレンジジュースである。

子どもも働いており、店は慌ただしく動いていく。

アグアス教会の背景に見える、モンセラーテの丘とその上にある教会に、ロープーウェーで上がることにする。昨晩は黒い丘の上にライトアップされた教会が浮かんでいたのが、今日は緑の丘の上に白い教会がくっきりと見える。

空は晴れ、近くアンデス大学の学生が芝生や道路にずらりと座り、おしゃべりをしたり、ハンバーガーをほうばっていたりする。

ジーンズ姿に茶色のブーツ、薄いジャケットをはおったりする学生たちは、モダンにおしゃれを楽しんでいる。

オレンジ色のロープーウェーは、標高2600mのボゴタからさらに500m上がった丘の上へと、5分ほどで乗客を運んでいく。

丘の上は肌寒く、心なしかさらに空気がうすいように感じられる。

東には大きな山がそびえたち、西には広がるボゴタの大都会が広がっている。高層ビルの集まるセントロインターナショナル、平らな高原に伸びていく大通り、そしてはるかかなたには山がうっすらと見える。

雲が大都会に影を落とし、太陽が明るく街を照らす。

教会にはPASION DE CRISTO CONFORTANOSと扉の上に書かれ、中には倒れたキリスト像があり、幾人かが祈りを捧げている。

そのうちに雨がぱらぱらと降り始め、レストランCasa San Isidroや、Hacienda Veneciaのコーヒー豆を置くカフェCasa Santa Claraのまわりの草花の香りが、増していく。

街に戻り歩いていると、いよいよ雨が本降りになり、近くの建物に入る。そこでは、アンデス大学准教授fernando uhiaの「READYZOMBIE」と題された展示が行われていた。

そして隣にはCentro Colombo Americano Bogota図書館もあり、小規模ながら、READYZOMBIEの書籍も、更には英語版の「NARUTO -ナルト-」や「ドラゴンボール」、そして「魔法先生ネギま!」まで入口入ってすぐの場所に目立つかたちでたてかけられている。インターネットの使えるパソコンも、並んでいる。

ボゴタには、2001年に開通した、トランスミレニオという名の公共バスがある。改札口も設けられ、一部の地域以外は専用の通路があり、さながら電車のように利用するのである。停車駅をとばす急行もあれば、各駅停車も、ある。

降り続く強い雨と17時過ぎという時間帯でLas Aguas駅は大変に混雑している。紺色やグレーのスーツを着込んだ人々もいる。磁気カードを購入して改札を通り、ようやく路線B74のバスに乗り込む。2車両のバスは満員である。

目的地はCentro Cultural Biblioteca Publica Juli Mario Santo Domingoという、図書館である。

1時間ほどで図書館にほど近いPortal del Norte駅に到着する。いくつもの道路が並行する複雑な駅を20分ほどかけてようやく抜け出て、屋台でチーズ入りArepaを買う。

外はかりっとして中はもちっとしたArepaをほおばりながら、幹線道路でもあるサン・ホセ通りを西へと歩くこと30分。

車ばかりが通る暗い通りに突如、日曜日以外は20時までオープンしている洗練された建物が、明るい室内の光をもらしながら、現れる。辺りとのギャップが甚だしい。

メデジンもそうであったように、ボゴタも、図書館が文化の中心拠点としての役割を果たしている。この図書館も、35,000冊の蔵書があるのみならず、インターネットが使えるパソコンがずらりと並べられ、さらには芝生に面した会議室もギャラリーもシアターも、併設の本屋には北米出版の「KUMON」の書籍だってあるのだ。

そんな文化拠点が街のあちらこちらにある。それでも、メデジンのそれとは、少し違う。ボゴタは以前からもっていた影や混沌を持ち続け、図書館「Biblioteca」の明るさや洗練さはそれを打ち消すことができずにいる。

図書館の裏手には、高層マンションが立ち並んでおり、サン・ホセ通りと比べると、雰囲気が良い。

2ブロックほど歩いて大通りに出てからバスをつかまえて、最寄りのトランスミレニオの駅である Suba Av. Boyacaまで連れて行ってもらう。

駅から各駅停車のH4バスでまずEsc. Militar駅に行き、急行のJ24バスに乗り換えて、宿から最寄りのMuseo del Oro駅に向かう。

ボゴタという街は大きく、駅に着くころには22時ころになり、今夜もまた辺りはバーやパブ、ファストフード屋ばかりに明かりがついている。Empanadas Mexicanasという名のファストフード店で、チキンやライスと牛肉のエンパナーダ、チーズ入りタコスを買って宿に持ち帰り、ケチャップやタルタルソース、パイナップルソースやピンクソースと合わせて、コーヒーミルクとともにいただく。

いよいよボゴタは冷え込んで、息まで白い。

軍人と黄金 – Bogota, Colombia

バスに乗り込んですぐに、黒い袋が乗客に渡される。
「酔ったときのためです。」
バスはそれなりの曲線を描いていく。

思っていたより車内は寒くない。

夜中の2時半ころ、がさごそという音で目覚める。男性の乗客が、荷物を車内に置いてぞくぞくと降りていく。

長細い銃を背中に抱えた、迷彩服に帽子を被った軍人5人ほどが、男性一人一人をバスの脇に立たせて、ボディチェックをしていくのだった。

そのうちに車内には子どもだけが残り、銃を抱えたままの軍人が荷物置場を入念に手で確認していく。身体の角度を変えるときに、銃口がふとこちらに向けられる。

バス後方のトランクも開けて、黙々と点検していく。それを乗客はただじっと、見る。

15分ほどの確認が終わって、軍人がありがとうございます、と言うと、みな安堵したかのように、声を揃えて、ありがとうございます、とお礼を返す。

こうしてバスはまた暗闇の中をボゴタに向けて進んでいく。6時ころ、辺りが明るくなってきたボゴタにバスは到着した。

「ようこそ、ボゴタへ。警察がお護りします。」と大きく書かれた垂れ幕に、黄色の蛍光色のジャケットを着た男女の警察官の写真が笑顔を浮かべ、掌には赤いハートマークが描かれている。

バスターミナルには、その通り、警察と大きく書かれたジャケットを着ている男性が大勢いる。彼らはバス案内役をかってでる。熱心な警察官や、ぼんやりしている警察官が入り混じっている。

旧市街のペリオディスタス公園へ行く、黒い車体に「20 DE JULIO / GERMANIA」と掲げられたバスの始発が7時だというので、声をかけられた韓国人リーさんと、それを待って乗車する。大きな荷物を抱えたわたしたちを見て、乗客が手を貸してくれたり、席を譲ってくれたりする。

30分ほどでペリオディスタス公園に到着し、満室の宿もある中、リーさんとHostal Aventureros De La Candelariaに部屋をとる。ここでも温かなコーヒーとパンにクリームチーズ、苺ジャムが用意されている。

ボゴタという大都会は、今までに訪れたコロンビアの街とは、違った。あちらこちらでお金が欲しいと掌を差し出され、道のはしで眠っている人々がところどころにいる。

サンタンデール公園近くの黄金博物館は良いというので、見に行くことにする。

道すがら、屋台でホットドッグを注文する。ごまの乗ったパンを開いて、ピンク色のソーセージをはさみ、チーズとフライチップをふりかけ、ケチャップや甘酸っぱいパイナップルソースにピンクソースをかけて、最後に小さな卵をちょこりとのせて、できあがる。

公園のベンチに座って食べていると、お金をください、と言われ、それから犬が近づいてくる。

黄金博物館という大そうな名前から、やや腰がひけていたものの、入ってみると思いがけずシンプルで落ち着いた雰囲気を保っている。2階では、コロンビアの各地の金製品を展示し、歴史と重ねて、解説をする。3階には、国宝でもある精巧な「黄金の筏」がある。

鳥人間の黄金から、宗教儀式にシャーマンが使用していた黄金の品々、死者につける黄金のマスク、愛嬌のある黄金細工、更にはミイラもある。

「黄金の部屋」という場所もあり、アトラクションとして、金製品の数々が壁一面にかけられ、また足元にも金製品が並べられ、そして半ば強引な音響展開が、なんとも楽しい。

2005年に大きく改修されたこの博物館は34,000もの金製品を展示し、各展示物をくるくると回転させて見ることのできるスクリーンや、洗練されたショップまであって、地元の若いカップルもデートをしている。

そこからほど近い1640年設立のサン・フランシスコ教会に入る。中ではミサが行われていたものの、壁には落書きがしてあり、扉に缶をもった男性が座っている。

サンタンデール広場では、映像を使った商品販売に人々が集まり、そこからCarrera7を北に歩いていったLas Nieves教会前の広場では、艶めかしい女性の人形と踊るおじさんの姿があった。

茶色がかったウェーブの髪に白いブラウス、ピンクのニットに茶色に赤い花柄のスカートをはいたその人形の女性の靴をまずおじさんは丁寧に磨く。

そして音楽をかけて観客を集め、それから女性と自身をくくりつけて、ゆっくりとダンスの一歩を踏み出す。時に女性の身体を引き寄せながら、時にキスをしながら、小刻みにステップを踏む。取り巻く観客のところへ時折近づいては女性のお尻を男性にすりよせたり、スカートをめくってみせたりする。その度に、歓声がわく。

その観客の周りで風船が売られ、お菓子売りが練り歩く。

歩道では、針金に写真をクリップで留めた、反戦争、反貧困、反差別、反政府、反グローバリゼーションの写真展も行われている。人々が足を止めて、見入っている。くたびれた服装の男性も、ボブ・マーリーの服を着た男性も、車いすの男性も、じっくりとみていく。

METROPOLの前にはフィンランドのApocalypticaのライブを待つ人々が長い列をつくり、その周りを多くの警察官が囲んでいる。インディペンデンシア公園近くのColpatriaの高層ビルは赤や青や黄色に外観の光の色を変えていく。

ボゴタでは、夜になると、多くのレストランが店を閉め、開いているほとんどがバーやパブといった飲み屋か、ハンバーガー屋といったファストフード屋になる。

地元の人に尋ねて教えてもらった、石畳の小道を抜けた先の、チャペルもあるPlazoleta del Chorro de Quevedoに面したレストラン、Rositaをなんとか見つける。なかなかに雰囲気の良い空間で、店内には暖炉もあり、ソファがそなえられたテーブルには、ランプも灯される。Cazuela de Frijolesというセットを注文し、ドリンクは、コロンビアのCostenaビールにする。

フリホーレスや肉と野菜の煮込みに、チョリソー、アボガドとライスはどれも作りこみすぎず、やさしい。

帰りがけに売店で、アーモンドやナッツの入ったジャンボという名のチョコレートバーを買って、宿であたたかなコーヒーといただく。

朝晩は特に冷え込む大都会、ボゴタの街で、コーヒーが身体を温めてくれる。

コロンビア、コーヒーノキ – San Peregrino / Manizales, Colombia

朝食も、ランチョンマットが敷かれている大きな木のテーブルをみなで囲んでいただく。すりつぶしたとうもろこしを焼いたArepaにチーズ、ハムの入ったスクランブルエッグ、マンゴーにパパイヤ、そしてコーヒーである。

今日は朝からこの地域では珍しく停電しており、エスプレッソマシーンは使えない。宿の壁には「コーヒーをできるかぎり飲むことを忘れずに」と大きくうたわれている。

でも、コロンビアでは朝食にはコーヒーよりもチョコレートを飲むことが多いのだという。

日本の株式会社ニチロがつくる「珈琲園ブラック」は「どこの農園で育ったコーヒー豆かわかるそんな今までになかった缶コーヒーを提案します。」と題して、農園名にここ、ベネチア農園を表記している。そんなわけで、この農園には日本人がビジネスで訪ねてくることがあるのだという。

今日は朝からコーヒーについて学び、農園をぐるりと巡る。ガイドをしてくれるのは、英語とフランス語を勉強していて大学教授を目指している24歳、細身のRuben君である。

コーヒーの歴史、世界のコーヒーについて、アラビカ種やロブスタ種といったコーヒーの種類、質の高いコーヒー豆と虫などに食われたコーヒー豆の選別方法、北から始まったコロンビアのプランテーションの歴史について、次々と語ってくれる。

この農園では、一度ローストすると時間がたつにつれてアロマを失うのでローストせずに輸出すること、UTZの認定を受けていること、赤道の北と南5度の地域で可能な年2度の収穫が可能であること、手作業で収穫を行っていることを、そしてマーケティングが成功した事例としても取り上げられるDDB WorldwideによるCafe de Colombiaのロゴに描かれていたJuan Valdez氏について、丁寧に語る。

収穫された質の高いコーヒー豆はほとんど海外に輸出され、国内で流通するほとんどが比較的低品質の豆なのだという。

それでもここ15年ほどで高品質の豆がずいぶんと国内市場に出回るようになったのだそう。コロンビアのコーヒー豆輸出量はトップ5以内に入る。

コーヒーにもワインと同様に香りがあります、と言って、Ruben君は、木の箱を取り出し、数字の振られたガラス瓶をテーブルの上に並べる。中に入った液体は濃い茶色から薄い黄色まで様々で、鼻を近づけると、キャラメルやチョコレート、バニラやピーナッツ、アーモンドやバター、メープルシロップやペッパー、葉巻、コーヒーの花やレモン、アプリコット、林檎、革などそれぞれの香りがする。

室内講義が終わると、Ruben君はみなを広大な農園と作業場へと連れ出す。

種を植えて50日後芽が伸びて10日で葉が開き、黒い袋に植え替えて10ヶ月間を待ってから、質の良い苗の実を選んで、プランテーションに再び植え替えるのだという。この際に背が伸びすぎているものはコーヒーの実を多くつけないので、はじかれる。

そして、1年半後に初めての収穫が行われ、その後5年間の収穫を経ると、伐採されて、2つのコーヒーの木の間に新たな苗を植える。

収穫は昼間に行われ、夜に作業場の大きなタンクや機械を使って選別や乾燥などが行われる。

農園には、築100年を超す母屋がある。コロンビアの国花であるラン、カトレヤや、蚊を避けるための赤い花々が鉢に植わり、家を飾っている。白い壁に赤色の柱がたつその家はカラフルに色を増し、庭には首の青いくじゃくやピンク色をした七面鳥がいる。

ところどころに見られる竹林は、フェンスや家、ベッドなど使われ、重宝されている。赤に緑の葉をつけるヘリコニアが、木々の中で鮮やかに垂れ下がっている。

昼食は宿に戻り、じゃがいもやとうもろこしにチキンのスープ、Ajiacoと、とうもろこしとアボガド、Arepa、パッションフルーツのジュースにバニラアイスクリームとuchuvaの実をいただく。

Ruben君と昼食後に話をしていると、見せたい景色があると言って、わたしたちをまた広大な農園へと連れ出してくれる。今度はわたしたちだけなので険しいところも歩けると山にぎっしりと植わるコーヒーの木の間を登り、辺りを見渡せる場所へと向かう。

Hacienda Veneciaでは年間を通じて50人から70人が働き、収穫時には400人が働く。1年に2度の収穫時期があるため、収穫時期が1度の他の農園から人を集めたりするのだという。

敷地内には9軒の家がコーヒーの植わる山に点々と建てられ、9人のマネージャーの家族がそれぞれに住み、その一帯を管理している。マネージャーはオーナーから支払いを受け、更に各マネージャーが一帯の農園を管理する。

労働者は収穫時期には1kgで400ペソといった具合に重量で収入が決まり、収穫の時期以外には1日8時間8ドルの給料が支払われている。

コロンビア国立コーヒー生産者連合会が農家から買い取る平均金額は80kgでおよそ150ドルだという。

鳥がグアバやマンゴー、マンダリンやプラタノの種をつばみ、それをあちらこちらにばらまくため、農園内には意図しない木々が生えている。歩きながらグアバを木からとって食べたり、Corozoという名の実を砕いてナッツをつまむ。

黒いコンドルが木に遠くとまっている。

オーナー息子さんの1949年製ジープで宿に戻る。18時ころ、Hacienda Venecia近くの橋からManizales行きの公共ジープにぎゅうぎゅうと乗りこんで、砂利道を越えて、山間に広がるコーヒー農園を眺めていると、30分ほどで突如目の前に町が広がり、Manizalesの町に着く。

この町はメイン通りが峰の上に位置しており、両側が長い下り坂になっている。ボリバール広場にある、Catedral de Manizalesという106mで国内で最も高さのある教会を通り、次の目的地であるボゴタへのバスが出るバスターミナルまで、新しいケーブルカーに乗っていく。

同じ車両で一緒になった男性が、クリームの入ったチョコレートバー、Gansitoをわたしたちに差し出して、辺りの魅力を熱弁してくれる。

大きく新しいバスターミナルで入ったレストラン、Criollitaでは、店員のおじさんがあれやこれやと教えてくれ、コロンビア人は良い人たちでしょう?と言う。

確かに、この国では、立ち止まると、誰かが声をかけてくる。そして、驚くほど、優しいのだ。

サンドイッチとチーズ風味のBanueloをオーダーして、10時のバスを待つ。
ボゴタは標高が2640mで寒いと聞いたので、あたたかな格好をして、乗り込む。定刻を10分ほど遅れて、バスは出発する。

おしゃれ植物園のある町 – Medellin / San Peregrino, Colombia

メデジンで宿泊していた宿はCalle 10 Hostelといい、まだできて半年の宿である。コロンビア人と米国人の2人がオーナーだという。まだ人々に知られていないためか、客は少ない。

オーナーはほぼ宿にはおらず、代わりに2人の男性が代わる代わる受付を担当している。そのうちのルイスくんというメデジン出身の男の子は、他に物流企業でアルバイトをし、またフリーランスとしてグラフィック・デザインをしているのだという。

彼が小さかったころと比べ、メデジンは特にこの15年ほど、治安の改善も含めて大きく変化した。建築物にも力をいれている。安全になったことも、新しい建物ができることも良いことでメデジンの人々は満足しているよ、とルイスくんは身体をくねらせながら、言う。

今朝は、木苺のヨーグルトとココナッツのグラノーラ、コーヒーとチョコチップ入りのパンを食べてから、Universidad駅前にある、評判の良いメデジン植物園Joaquin Antonio Uribeに散歩に行く。

この植物園も2007年までメデジン市長を務め大改革を行ったSergio Fajardoの手がかかっている。

14ヘクターの植物園はロゴデザインから洗練されており、入口入ってすぐにはベネズエラの写真家Vasco Szinetarのモノクロ写真が、円形状の壁に展示されている。そして、国際的な賞も受賞している中央のOrquideorama Jose Jeronimo Trianaでは、そのオーガニックなフォームが周りの植物たちを優しく包んでいる。

そして、この植物園は無料で人々に開かれているのである。

カメレオンやリス、カルガモなどが園内にひょっこりと現れる。
池のベンチや芝生のうえではカップルは寄り添いあっている。

In Situという、ラテン語でIn Cityという名の洗練されたレストランもあり、木材をつかった建築は、目をひくのである。

知的好奇心をくすぐる仕掛けがあちらこちらにある。
ここの主な仕掛け人はMUMA、である。

帰り際、園内のCafe del Bosqueで植物を眺めながら、コーヒーをいただく。ここコロンビアではコーヒーをTintoと呼び、町中やスタンドでよく飲まれている。カフェでは2.5オンスのTinticoがあったので、それを注文する。さらりと飲むのに良いサイズなのである。

お昼はPoblado駅近くの屋台ricas calienticasで売られていた、甘いパンのボール、Bunuelosと、じゃがいもと鶏肉をまるめて揚げたPastel de Pollo、チーズを入れて揚げたPalitos de Quesoを買ってコーラとともに食べる。

今日は、Manizalesから10キロほど手前の、コーヒー農園のあるSan Peregrinoまで行くことにする。宿の隣に位置する修道院から出てきた修道女が次々とタクシーに乗っていく。わたしたちも小さくて黄色いKIA車のタクシーをつかまえて、バスの出る南ターミナルへと向かう。

San Peregrino経由Manizales行きのバスを出している会社のうち、Empresa Autolegal S.A.社の14時半発のチケットを買う。バスといっても、Manizalesと行き先が掲げられている小さなバンである。

南ターミナルもまたいくつも食堂のある大きなターミナルであったが、チケット購入からバス乗車まで、どこからともなく現れた男性が、あちらこちらへと案内してくれる。

発車したバスは、大型スーパーマーケット、カリフールの横を通り過ぎ、メデジンの渋滞につまりながら川沿いに行く。

濁った川にはトレーラーがじゃぶじゃぶと入り、砂利をうごかしている。雲間に光が差し、山々には牛や馬がのんびりとしている。道路脇の屋台では真っ赤なコーヒーの実が房になって売られている。

道中、道路が工事中で30分以上バスは停車した。日が沈み、辺りはどんどんと暗くなっていくものの、客は一向に騒ぐ様子もなく、ただじっと座っている。隣に座った若い男性はわたしたちに話かけ、爪のきれいな女性は携帯液晶画面を器用に触れてメールを送っている。

コロンビアのコーヒー農園では滞在可能なところも多く、フィンカと呼ばれる家々があちらこちらに見られる。今回はHacienda Veneciaというコーヒー農園の宿に泊まらせてもらうことにした。

San Peregrinoには19時半ころに到着し、辺りはすっかり暗くなっていた。Las Palmasというレストランに入り、宿に電話をして車で迎えに来てもらうことにする。レストランのおじさんも、どうぞどうぞ席にかけなさいと招き入れてくれる。

ほどなくして迎えの車が来て、10分ほど舗装されていないコーヒー農園の小道を走ると、宿の灯りが見えてくる。

到着するとシャワーを浴びてから食事のほうが良いでしょう、と言って食事のタイミングを合わせて夕食を用意してくれる。宿は温かな匂いで満たされている。こうして、ミートソースにたっぷりとパルメザンチーズをかけて、メデジンから持ってきたラム瓶にさきほどLas Palmasで買ったコーラでラムコークを作って合わせる。

食後には、この地で作られたコーヒー豆を挽いてRancilio製エスプレッソマシーンでコーヒーをいれていただく。

この宿は各部屋に世界のコーヒーの銘柄がつけられている。わたしたちの部屋の名前はエチオピアのSidamoである。

辺りには、虫の声がする。

巨大岩とカラフルな町 – Piedra de Penol / Guatape / Medellin, Colombia

メデジンに行ったら、「岩はどこだ」と周りの人に聞いて、そこに行ったほうが良い –
カルタヘナで出会ったアメリカ人女性に、そう言われていた。

その「岩」とは、高さ220mの一枚岩、Piedra de Penolのことである。

今日もココナッツの入ったグラノーラとコーヒーをいただいてから、出かけることにする。Piedra de Penol経由Guatape行きのバスが北バスターミナルから出るので、メトロに乗って最寄りのCaribe駅へ行く。

駅近くには、現在のメトロの路線と並行して、かつて使われていたのだろう線路が雑草に覆われ、駅舎が黒く放置されている。

バスカウンターがずらりと並ぶ中から、Guatape行きのバスを出しているSotrasanvicente & Guatape La Piedra社を探し、チケットを購入する。

定刻9時半を5分ほど過ぎて、バスは出発する。途中、豚の積まれたトラックと走りながら、山道を進むこと2時間ほど、湖の向こうに突如、GIと大きく白字で書かれた巨大な黒い岩が現れる。

黒く見える岩も近寄ってみてみると、岩肌に、白い線がうっすらと入ったり、草花や苔が生えていたりする。

岩は花崗岩、石英、長石などで構成されていて、火山噴火によってできたという説もあるという。それを今から25年ほど前に造られた湖が囲んでいる。岩には、じぐざぐにこしらえられた659段の石の階段が設置されている。

半分ほど登ったところに、マリア像と、サンタ・ベルナルディタ像が向かい合わせに置かれている。階段から針金がぴょこりと飛び出していたり、今日も岩に金属を埋めて工事をしている男性がいるなど、おっかないのも30分ほど、岩の上にたどり着く。

岩の上には思いがけずレストランや土産物屋があり、音楽まで流れている。さらに上に設けられた展望台を上がると、360度、はるかかなたまで辺りを見渡すことができる。オレンジ色の蝶々が舞い、鳥は下を飛んでいく。

木々があふれる緑の土地に湖が入り込み、島々が浮かんでいる。それを橋がつないでいく。時折通る船が湖に曲線を描き、町に影をおとす雲が動いていく。

岩の上ではボゴタで司祭をしているという男性と女性二人に一緒に写真を撮りたいと話しかけられ、また階段途中でも同じように話しかけられる。こちらが日本人だと分かると、絶賛の嵐である。マンゴーまでごちそうになり、岩から降りる。

岩から歩いて1時間ほどいったところにあるGuatapeという町へ、ヒッチハイクをして行く。Guatape在住の男性が、かつてのトヨタのクラウン車でわたしたちを運んでくれた。

Guatapeに着いてまもなく、ホテルEl CastilloのレストランでBandeja Paisaをオーダーする。困ったら、セットのBandeja。目玉焼き、フリホーレスにライス、フライドポテト、薄切りバナナ揚げにサラダのセット、そして今回はお勧めされた豚肉グリルにする。

町の中心の教会とそれに面した公園を眺めながら、食事をいただいていると、食べ終わるころに雨がぱらりぱらりと降ってきた。どうやらここ最近は、午後に雨が降る。

そのうちにざあざあと本降りになる。

Guatapeの町の家々は、ピンク、茶色、水色、オレンジに黄色と色があふれている。市の建物でも、ピンクや黄色、青色や緑なのだ。家々にはそれぞれ羊や楽器、インディアンや鳩、キリンやパン屋、教会や花や壺、車などが描かれている。ダムを描いて水の流れを書いた家もある。

それぞれ好きな柄を壁に描くのだという。ある家庭にとっては、それが名前からのモチーフであり、ある人にとっては職業からのモチーフ、ある家庭にとっては、好みによるモチーフである。Zocaloと呼ばれるそのモチーフは、粗雑に書かれたものもあれば、繊細に描かれたものもあって、とてもかわいらしいのだ。

すっかり雨も止んだ。

17時半に再びバスに乗り込んで、メデジンに向かう。2時間ほどで、広く橙色の灯りが散らばるメデジンの夜景に戻ってくる。

宿の近くの9時半まで開いているスーパー、exitoをすっかり気に入り、ソーセージやきゅうり、トマトとチーズ、ナッツとパンを買う。飲み物は、メデジンのラム、Ron Medellin Anejo3年もののボトルとコーラを買って、ラムコークを作ることにする。

Poblado駅から丘に向かっては、高層ビルがいくつもそびえている。そこから放たれる光は、橙色ではなく、白いのだった。