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Argentina

黒い液体と新しい法律 – Buenos Aires, Argentina

今日も宿でミルクコーヒーとパンを食べた後、昨日買えなかったノートや手帳を買いに街へ出る。

今日は聖金曜日、店は昨日より更にそのシャッターを閉じている。開いていたスーパー、COTOにはノートが売られていない。アルゼンチンでノートを売っているのはどうやら文房具店といった専門店のようで、スーパーにはことごとくノートが売られていないのだ。

祝日でも店を開けているのは中華系のお店で、街のところどころにある中国人店員の店を次々と訪ねていく。それでも、商品の品ぞろえだけでなく配置まで似通っていて、結局、ノートが見つからなかった。ワインは幾種類も並んでいるが、ノートを売っているスーパーが、ない。

フライトが18時10分発で、3時間前には空港に来るように言われている。宿から空港までは、一度インディペンデンシア通りとペルー通りの交わるところまで歩いて、そこから2時間ほどバス8番に乗っていく必要がある。

ブエノス・アイレスの晴れた静かな祝日に、人気の少ない道を、やや急ぎ足で歩く。途中、若い男女とすれ違った直後、ふと後方から黒い液体をかけられたことが分かったので、そのまま振り返らずに歩みを速める。すると相手は諦めたのか、追ってこなかった。

ブエノス・アイレスの初日と最終日、大きな鞄を背負っているときに、黒い液体をかけられたということになる。

ブエノス・アイレスの治安は近頃、やはりとても悪いらしい。銃で脅され金銭を取られるというのが、旅行者だけでなく、現地の人も経験しているところらしい。

なにやら物騒なことである。

鞄や服にかけられた黒い液体からは、前回と同じ酸っぱい匂いがする。とにもかくにも無事にバスが来たので、乗り込む。

しばらく都会の街並みが続いた後、緑のあふれる平地が続き、広々とした家が点在して落ち着いた雰囲気を醸し出している。

2時間ほどでブエノス・アイレスのエセイサ国際空港に到着する。中南米最後の空気を吸い込んだ後、その新しい空港のターミナルAへ入る。

チェックインカウンターには長蛇の列ができていて、思いのほか、中華系の人々が大変に多い。それに、スーツケースや荷物をBAG PROTECTIONと書かれたカラーのビニールで包んでいる乗客が多い。

残ったアルゼンチン・ペソをUSドルに両替しようと、空港の両替所に向かう。すると、「アルゼンチン・ペソに両替した際の、サイン入りの証明書が必要です。」と言う。

銀行のATMからアルゼンチン・ペソを引き出したので、両替した際の、サイン入りの証明書は持っていない。手元には、ATMから出てきたカードの下4桁だけが表示されている紙ぺらがあるだけだ。

結局、両替はできなかった。

チェックインを行う際に、黄熱病のイエローカードを持っているか確認される。日本でとっておいたイエローカードを提出する。出国ゲートに行き、荷物検査を受け、イミグレーションに進む。

陸路のイミグレーション・オフィスは、なにやらガードがゆるい気がするが、空港のイミグレーションとなると、とたんにかっちりとしたかたちになる。パタゴニアでアルゼンチンとチリを行き来して、入出国スタンプがややこしくなったようで、担当の女性が、パスポートを幾度もめくりながら、ええと、と確認をしている。

こうして、中南米の旅を終え、アフリカへと飛び立つときが来た。

南アフリカ航空の機内には、白い制服を着た白人パイロット、体格の良い黒人の男性添乗員や、きれいに髪をまとめた黒人、白人女性添乗員が姿勢正しく迎えてくれる。

安全上の注意を促す、かわいらしいアニメが各座席前のディスプレイに流れる。

アニメには、柔和そうな少しとぼけたかんじの白人サラリーマン、仕事ができるふうの黒人サラリーマン、サングラスをかけ髭をはやした白人男性、肌の濃い、ほっそりとして眼鏡をかけた女性ややんちゃふうの男の子、襟をたてて音楽を聴くノリノリな白人男性、白人の赤ちゃん、衣装を着て本を読む黒人女性など、登場人物がさまざまに描かれている。

歯磨きセットやアイマスク、靴下のセットが入った、オレンジと茶色を基調としたポーチが配られる。

そして、添乗員がシューシューと機内にスプレーをかけて、離陸となる。平地にぎっしりと建てられた建物に高層ビルが建つブエノス・アイレスを眺める。街の向こうにはゆるやかな海岸線がひかれている。

空には明るい月が浮かび、うっすらと空はピンク色に染まっていく。

離陸後1時間半ほどで、夕食が配られる。チキンやグリーンピース、じゃがいものクリーム煮、チーズとオリーブとチキンのサラダにチョコレートムース、それにクラッカーやキャラメルDulce de lecheの入ったチョコパイが添えられている。そして、パンにクリームチーズやバターを塗ってほおばる。ドリンクは、南アフリカ産のSTONE CROSSの白ワインを合わせる。

こうして南太平洋を東へと進んでいく。

アルゼンチン-南アフリカ航空券情報

アルゼンチンのブエノスアイレスから、南アフリカのヨハネスブルグへの航空券の情報です。

1.大きく分けて、2種類の航空券があります。
①直行便 南アフリカ航空
→ケープタウン他の都市への乗り換えもスムーズです。
直前に購入したので、13万円ほどかかりました。

②ブラジルのサンパウロを経由する便 TAM航空 他
→経由だけなので、基本的にはブラジルビザは不要だと思うのですが、
 トランジットに8時間以上要する
 or
 ブエノスアイレスからの便が、サンパウロの国内線ターミナルに到着する場合、
 ターミナル間の移動が必要になるため、ブラジルビザが必要になるようです。
 ブラジルビザが必要かどうか、各航空会社によく確認してください。

2.南アフリカへの入国の際、帰りの航空券の提示は求められませんでした。ビザは不要です。

◎両替
 ブエノスアイレスの空港では、アルゼンチンペソから南アフリカランドへの両替ができません。
 また、南アフリカ(そしてアフリカ全土)では、アルゼンチンペソの両替は受け付けられていません。
 また、アルゼンチンペソから他通貨への両替には、アルゼンチンペソを入手した際の、アルゼンチンペソ所持者の名前・サイン入りのレシート(例えば、他の通貨からアルゼンチンペソへ両替した際のレシートです。)が必要になります。
 つまり、アルゼンチンペソを、国際キャッシュカード等を使ってATMから引き出して入手した場合、レシートには名前・サインが記載されませんので、そのレシートを両替所に提出しても、アルゼンチンぺソから他通貨へ両替ができません。
 対策としては、余らないように使いきるか、闇の両替屋に両替してもらうしか手はないようです。

天は、人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。

人間は、平等に扱われるべきだ。
平等に機会が与えられるべきだ。

学校に行く、病院に行く、農業をする、スポーツをする。
生まれた場所によって差がない。
誰にでも、機会がある。

でも現実には、機会が与えられない人がいる。

これからの社会が目指すところは、
誰にでも、平等に、機会が与えられる社会をつくることだと、僕は思う。

最後の晩餐と、肉。 – Buenos Aires, Argentina

アフリカについて、いろいろな噂を聞く。アルゼンチンでは主に脅しに使われている銃だが、アフリカでは実際に撃たれてしまうとか、ヨハネスブルグの治安の悪さに関する話も絶えない。アフリカの店では、どれくらい商品が揃っているのだろう。

そんな不安を抱えたつつ、いつものパンの盛り合わせにミルクコーヒーをとった後、買い出しに出かけることにする。

宿の裏のインターネットカフェに入って航空券のEチケットを印刷した後、サン・テルモ地区を歩く。

今日はイースター連休の中の聖木曜日でもあり、多くの店が閉まっている。それでも宿の近くのパン屋には列ができ、パイ屋では女性客が店の女性と会話を交わしていて、カフェのテラスでは食事を楽しむ人々がいる。

バスに乗って5月広場前にあるカテドラルを再度訪ねる。カテドラル前では19時から始まるミサの準備などで白い服を着た神父が慌ただしくしている。

19時になると、ろうそくや聖書、杖を手にした、白い服を着た神父が列を成して煙をあげながら、一度カテドラルから退場し、続いて軍服を着た護衛兵が退場する。そしてそのまま神父が再度入口から入場してきて、ミサが始まる。

今日、聖木曜日はイエス・キリストが亡くなる前日に使徒たちと最後の晩餐を行ったことを記念する日であるそうで、ミサも最後の晩餐についてを中心に行われている。

カテドラルには大勢の人々で席が埋まっている。

外に出てみると、明るく輝く月の下、大統領府カサ・ロサーダは蛍光ピンクに、広場の中心にそびえる5月の塔は、蛍光の青色にぎらぎらとイルミネーションが施されている。

その後もフロリダ通りのMUSIMUNDOや郊外のやや大きなスーパー、DISCOで買い出しを済ませてから、夕食をとりに行く。

今日はアルゼンチンらしい肉料理を食べに、ラバージェ通りにあるレストラン、La Estanciaへ行く。店先で、ガウチョ姿の男性がぶ厚い肉を焼いている。

名物の、肉の塩焼き盛り合わせのパリジャーダを2人前、注文する。子豚のレチョン、子山羊、ローストリブ、鶏肉、牛肉のmatambre、チョリソがたっぷりと鉄の皿に乗せられてくる。それに、パンの盛り合わせとエンパナーダ、バターに、ビネガーソースのチミチュリが添えられる。ドリンクは、メンドーサ産のESTANCIA MENDOZAをオーダーする。

ローストリブから始め、チョリソ、子山羊、子豚のレチョンと続け、気休めに比較的あっさりとした鶏肉の後、ローストリブと牛肉のmatambreといこうかと思ったが、限界だった。

肉の塊はどれもジューシーで柔らかく、旨みがあって美味しいのだが、積極的に攻めてくる。お腹がぽんぽこりんだ。

アルゼンチン風に23時ころから食事を始めたが、同じころに隣のテーブルではほっそりとしたきれいな身なりの女性たちが4名入店し、奥さま会のようなものを開き始める。休日の夜、肉の塊の盛り合わせをオーダーし、ワインを片手に話を始めるのである。

アルゼンチン人は、ほんとうに22時か23時ころから夕食をとっている。そして昼食と夕食の間にパンなどの間食をするのである。

24時半ころに店を出て、散歩がてらに7月9日大通りにそびえるオベリスコと、世界第二の大きさで、世界三大劇場の一つとされるコロン劇場に立ち寄る。

お洒落な街で、肉とワインですっかり満たされた身体を抱えて、バスに乗って宿へ戻ることにする。

大通りの向こうが、遠い。 – Buenos Aires, Argentina

無事にアルゼンチンへの入国スタンプも押され、乗船場まで向かっていると、雷がぴかりと空に線を描き、そのうちに大雨が降りはじめた。

船内のカフェバーの女性も仕事をしている。20時45分の出発を席に座って待つ。ウルグアイの土産物などを手にした乗客たちでにぎやかな船が出発をしたのは、結局21時半を回ったころだった。

ブエノス・アイレスに向かう間に降っていた大雨も、到着するころには止んだ。港の向こうにあるCASINOの文字が赤や緑に点滅し、時計は23時を指している。

ターミナルが面している大通りは既に静まり返り、車はほとんど通っておらず、タクシーはさらにまれにしか通らない。

船を降りた乗客で、タクシーを待つ長蛇の列ができた。バスの乗り場は、大通りを渡った向かい側にある。そこで焚火をして暖をとる男性たちがいる。通りの向かいは薄暗く、雰囲気は殺伐としている。

それでもタクシーを待っていればそのまま朝を迎えそうだったので、向かい側にバスが停まったときに急ぎ足で走って寄っていき、行き先を伝える。

無事に乗ることができた。運転手の男性は今日は17時から24時までの担当で、交代勤務制だという。近くて遠かった大通りの向こう側で、男性は日々働いている。