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Israel & the Palestinian Territories

イスラエル-ヨルダン国境情報

イスラエルのエルサレムから、ヨルダンのアンマンまで抜けるルートです。

1.エルサレムのダマスカス門近くから、キングフセイン橋行きのバスに乗る。
 (※所要1時間。NIS 38.00)
2.イスラエル側で出国手続。パスポート及び入国時にスタンプが押された別紙を提出。
3.ヨルダン側へ行くバスへ乗る。(※所要10分。JOD 5.30)
4.ヨルダン側にて、入国手続。パスポートを提出。
5.アンマン行きのタクシーに乗る。(※所要1時間。1台 JOD 25.00)

◎両替
 ヨルダン側に銀行があります。
 NIS 1.00 = JOD 0.15

イブラヒムさんの家を出る。 – Jerusalem / Border with Jordan, Israel & the Palestinian Territories

今日はイブラヒムさんの家を出て、ヨルダンへ戻る。

パンに苺ジャムやバターを塗り、じゃがいもスープやコーヒーと、定番になった冷えたアーモンドジュースをいただいて出発することにする。

オリーブ山の頂上付近にあるイブラヒムさん家の屋上からは、朝日に照らされた街並みが見える。家の壁にはイブラヒムさんについての新聞記事やイブラヒムさんを描いた肖像画、家族との写真などが貼られている。

名残惜しい。

バスに乗ってダマスカス門まで行き、Al Nijmeh Taxi Companyという会社のシェルートに乗ってヨルダン国境へ向かう。ぼくはパレスチナ人だよと、こちらが尋ねないうちに会社の男性は言った。滞在期間中、イスラエルという国名を口に出すのがなかなかに憚られるようになった。

この辺りの車の運転手たちは、よく歩行者に道を譲る。

シェルートに乗り込み、死海に近づくにつれ標高が下がり、再びペットボトルが凹む。乾いた土地を眺めること約50分ほどでヨルダンとの国境に到着する。パスポートを運転手に預けた後しばらくすると、乗り込んできた男性がそのパスポートを確認してそれぞれ乗客に「武器を持っていますか。」とあからさまな質問を投げかける。質問に答えれば、パスポートは返却される。

入国時とは違う建物で、入国時と比べて格段にスムーズな出国手続きが行われる。大きな荷物を預けて、出国税を支払えば、問題なく「別紙」に出国スタンプが押される。それから荷物検査を終えた大きな荷物をピックアップして、出国税の支払い確認が行われる。

そうすれば、あとはキング・フセイン橋を渡るバスに乗って、ボン・ボヤージュとうたわれながら、橋を渡るだけだ。

渡ったところでパスポートを回収され、下車前にバス料金を支払う。料金は既にヨルダン通貨しか受け取ってもらえない。ヨルダンに戻ってきたのである。

浮かぶ死海と、ユダヤ教ラビの家でのシャバット・ディナー – Jerusalem / Dead Sea, Israel & the Palestinian Territories

今日はコーヒーやアーモンドジュース、それにパンをいただいてから、死海に行く。家からダマスカス門までバスに乗り、そこからトラムに乗り継いで、死海行きバスの出ているセントラルバスステーションへ向かう。

新市街に位置するセントラルバスステーションの本屋にはアラビア語は見つからず、書籍はヘブライ語で埋めつくされ、トーラーも置かれている。

朝の9時ちょうどにきちんと出発したバスは、ユダヤ人住宅地を通り抜けて、死海へと向かう。

死海は海面下約420mに位置していて、塩分が通常の10倍、30パーセントほどあるという。死海から水の流れる出口がなく、高温で乾燥した気温によって水がどんどんと蒸発し、水の中の塩分が凝縮される。

標高マイナス300mと書かれた看板の横を通り過ぎる。窓の外に死海が見え、ペットボトルはぺこりと凹み、耳がつんとする。10時にはエン・ゲディ・パブリック・ビーチに到着する。アフリカのボツワナから来ているという3人も同じように降りた。

ここは整備されたリゾート地だった。ヘブライ語、英語、アラビア語で、注意書きが書かれている。飛び込むなといった他に、頭を沈めないように、水を自分や他人にとばさないように、水を飲みこまないように、といった注意がなされている。

すでに幾人かがぷかりぷかりと浮いている。

海は透明に輝き、海岸には塩がごつごつと塊をつくっている。

脚をそっと浸してみる。海との違いがまだ分からない。目に水が入るととんでもなく痛いというので、気をつけながらおそるおそる入ってみると、水がややとろりと重たいことが分かる。そして浮かんでみると、ひょいと身体が浮く。脚が自然に浮くものだから、平泳ぎができない。立ってみると、肩がちょうど出るくらいまで浮き、脚をくるくると回すこともできる。雑誌を手にしながら、読むことだってできる。

気づかなかったほどの小さな傷口がしみる。口の周りの水が、苦い。

全身を黒とグレーで覆った肌の白い初老の女性が、洋服と黒い靴のまま、じゃぶじゃぶと海に入っていく。そしてそのまま浮かび、波の向かうままに、流されていく。

パブリック・ビーチには、張られた金網の少し先に泥があるらしい。泥を探しに行くと、イスラエルの男性がビニール袋を手にやってきて、掘り始めた。そのうちに、泥があったと、わたしたちに差し出す。灰色でとろりとしていたその泥を肌に塗ると、泥は肌の上でよくすべった。

温度計は40度以上を示している。隣に座った男性が、西瓜をどうぞと差し出してくれる。パラソルの下でパンをつまむ。死海の向こうにはヨルダンが見えている。

この近くにはキブツの経営しているスパもある。キブツというのはイスラエルの集産主義的共同体のことだが、ここ10年でその姿を大きく変えたという。かつては集団生活をしていたものが、今では村のようになってしまったという。このスパも宿泊施設を併設し、一企業のようになっている。

今日は金曜日なので、日没から安息日シャバットが始まる。午後に向けて徐々にバスの便数が減っていく。14時45分の最終便をつかまえて、エルサレムに戻る。

16時15分ころにエルサレムのセントラルバスステーションに戻ってくる。安息日の間、ユダヤ人は家事も一切行わないこととしていて、その準備のために安息日前にみなどっさりと買い物を終わらせる。

先日は行き交う人で賑わっていたメア・シェアリームも、ほとんどの店は閉まっている。その中でも開いていたスーパーマーケット、Express Marketに立ち寄る。ワインが並び、アイスクリームもある。黒い帽子に黒い服を着た人々がちらほらと品選びをしている。店員の男性は日本人が好きだと言って、お菓子やチョコレートのアイスをわたしたちに持たせてくれた。

金曜日の夕方は先日と同じように嘆きの壁に向かう人々がいる。シャバットでは車を一切使わないというので、多くの人々が歩いていく。

先日はきらきらとしていたMamilla Mallも、店は閉まり、がらりとしている。太陽の沈む前、トランペットの音が街に響き渡る。シャバットが始まったことを意味するのだと言う。

メア・シェアリーム地区を抜けてアラブ人の多い地区に入ると、途端に道ばたに野菜や果物が売られ、賑やかになっていく。

安息日にいただく夕食をシャバット・ディナーと呼び、晩餐が行われる。イブラヒムさんもユダヤのラビに誘われ、シャバット・ディナーに出かけるという。わたしたちも、息子さんがユダヤ教徒に改宗したという友人に、息子さんが師事するラビの家で大きなシャバット・ディナーがあるからとお誘いをいただく。

そのラビの家では金曜日の夕食1回と土曜日に2回、無料でみなに食事をふるまっていて、だれにでもその門は開かれている。ラビには14人の子どもがいる。ラビの家を訪ねるにあたり、友人は、オランダでしか売っていないという髪の毛を覆う布をプレゼントしてくれた。

シャバット・シャロームと言って挨拶をし合う。

友人であるインドネシア出身の男性はキリスト教徒だ。スカルノの時代にインドネシアを逃れ、オランダへと渡った。一度の離婚を経て、インドネシア人の女性と再婚をする。そしてユダヤの血をひく前妻との間の息子さんである彼が、ユダヤ教に改宗して17歳にエルサレムに渡ってからYeshivaに通い始め、今もその生活が続いている。

現在、24歳。

47歳だというお父さんは、サッカーのコーチをしているともいい、見た目が若く、はつらつとしている。それに対して、恥ずかしがり屋だという息子は、おどおどとしているように最初見えた。

超正統派のユダヤ人は、仕事をしない。収入源は国からの補助金に頼ったり、サポーターをつけたりすることが多く、低所得者である人々も少なくないとも聞く。息子さんは今、世話人となってくれているユダヤ人一家の家に居候している。

「スポンサーの見つけられない息子はお金がなくて、先日も、新しいテフィリンのバンドを買うために500ユーロ必要だと言われたんだ。だから、僕はお金を送ったよ。でも、そろそろちゃんとサポーターを見つけないといけない。」父親である友人は、大好きなサッカーだけでなく、今は新聞配達もしているのだという。

父親はキリスト教だが、息子が突然にユダヤ教徒に改宗したいと言い出した。当初はずいぶんと反対をしたといい、最近でも息子さんと離れるのが寂しくて、ずっと泣いていたという。

21時半ころ、ラビの家の中からは食事の良い香りがしてくる。扉が開かれ、待っていた人々が次々と家の中に入っていく。中央の部屋にはテーブルとイスがぎっしりと配置され、それを囲うように本棚には本が並べられている。

男性と女性は分かれて席に着く。女性は男性と握手をしてはならない、目を合わせてはならないという決まりがあるので、それを守りながら、着席する。

キッチンでは女性たちがせっせと食事の準備をしている。そのうちにラビが葡萄酒とパンに祈りを捧げる。大きくふっくらとしたパンにラビがナイフをいれる。テーブルにはグレープジュースや、コカコーラなどの炭酸飲料、それにピーチティーなどのペットボトルが置かれている。

ラビが挨拶をして、食事が始まる。所狭しとテーブルを並べた部屋には、50人を超えている人々が席についている。ラビが話を続けながら、そのうちにAyshes Cha-yilといった歌を歌い、時に手拍子をつけ始める。

にんじんやきゅうり、ビーツ、ホムスとともに、切られたパンが回される。それからしばらくするとはんぺんのような魚のすり身、続いてスナックをのせる肉団子のスープ、それにチキンのトマト煮とトマトライス、最後にシナモンケーキやチョコパンにウエハースなどのスイーツが次々と出されてくる。

しばらくすると、ラビが、発言したい人に手を挙げて話をさせる。そのうちの一人に、息子さんがいた。そこにいた息子さんは、大きく自信のある声でユダヤ教についての話を語っていた。さきほどとは別人のようである。まず、父親が好きなサッカーは僕は嫌いです、と言って会場を笑わせる。

食事を終えて、友人は、息子さんと話をする機会を作ってくれた。いくつかの質問をすると、それに目を見開いてはきはきと答えてくれる。

ユダヤの教えを学ぶには最低120年必要だと言われているので学校には生涯通い続けること、トーラーは生きるための水のようなもので欠かせないものであること、祈りの際に前後左右に揺れるのはキャンドルが揺れるように神とつながるためであること、カールされたもみあげは自分たちのアイデンティティとして保っていること。

ユダヤ人は世界で一つなんです。だから、世界の裏側に住んでいるユダヤ人が悪いことをしたら自分に責任があるんです、と静かに、でも力強く言う。

友人は、お父さんと離れて寂しくないのかと、息子に問うた。息子はその問いにはっきりとは応えないまま、でも、神がここに自分を運んできたんです、と照れたように笑った。

キリスト教では十個の戒律があるが、ユダヤ教では613もの戒律があるという。大変なんだよ、と友人は言う。ユダヤ教にはカシュルートと呼ばれる食事規定が戒律としてある。それを完全にオランダで守ることは難しいし、息子はここにきて幸せそうにしているから、オランダに戻ることはないだろうとまた寂しそうに言った。

ユダヤ教の教えで、食事後6時間はミルクを飲まないように伝えられる。

こうしてすっかりお腹もいっぱいになり、お話を聞いている間に夜の12時半を回っていた。タクシーに乗って、家に帰ることにする。

ユダヤ教徒の朝と、宗教を越えたハグ – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

フルヴァ・シナゴーグで7時45分からミサが行われるというので、バナナストロベリージュースとピラフをいただいてから、オリーブ山を下って、旧市街ユダヤ人街にあるそのシナゴーグへと向かう。

男性は1階、女性は2階とに分かれ、それぞれ祈りを捧げる。圧倒的に男性のほうが多い。多くは黒いスーツに白いシャツ、黒い帽子といった服装で、タリートというショールを羽織ったりしいる。だが、中にはブルーのチェックのシャツやカラフルな帽子キッパを身につけている男性もいる。女性のほうは、黒い服装を着ている人もいれば、ピンクや水色といった服を着ている人もいて、さまざまだ。

各座席の後ろには聖書が置かれている。男性は、おでこに四角い黒い箱をのせて、腕に黒革を巻いている。この道具はテフィリンと呼ばれていて、13歳から男性が朝のお祈りのときに使うものだそう。箱の中にはトーラーの書かれた紙が入っていて、それをおでこにのせて、あるいは腕にのせて革ひもで巻く。巻き方にも細かい決まりがあるという。

聖書を手に前後左右にゆらゆらと身体を揺らしながら、祈り始める。子どもたちも同じように揺れる。それぞれにトーラーを読み、そして時折声を合わせて「アーメン」と言う。

8時を5分ほど過ぎたころ、テーブルが叩かれる。前方にいる聖職者が黙って斜めにおじぎをするようなかっこうで、身体を揺らす。そして各自が勝手に着席にする。子どもたちはおしゃべりを始めたりする。

また15分ほど経ったころ、ラビが現れ、みなが歌い始める。最初にばらばらだったのが、じょじょにそのうち一つになっていく。

ラビが、聖櫃に引かれていた幕を開き、観音開きの木の扉を開ける。そして中に納められていた丸まった大きなトーラーをおもむろに出す。銀の冠がつき、ビロードの布にくるまれている。それを囲むように人々が集まり、触れようと近づく。

中央にある聖所までトーラーを持っていき、冠や布をとってくるくると広げて、身体を揺らしながらそれを朗読する。5分もしたところで、トーラーを3方向に見せるように掲げる。そしてまたそれをバンドで巻き、ビロードの布にくるみ、銀の冠をつけ、集まる人々が触れ、あるいは口づけをしながら、再び聖櫃に戻される。

8時50分をまわるころ、人々はすくっと立ち、おでこにのせていたテフィリンや腕に巻いていたバンドを外し始める。ラビがテーブルを叩く音がすると、またみな静かに身体をゆさゆさと揺らし、トーラーを朗読する。

帰宅する人もちらりほらりと出たりしながら、9時過ぎに歌を歌ってミサが終わった。

そこから、シオン門を出たところにあるシオンの丘に赴く。細かなモザイクの残る聖母マリアを祀ったマリア永眠教会や、イエスが最後の晩餐を行ったといわれる部屋がここにある。

近くにはダビデ王の墓もあり、ここも入口が男女に分かれている。信者たちは入口にある大きなメズーザ―に手をあてて祈りながら中へと入っていく。内部のダビデ王のものと伝えられる柩に向かって、ユダヤ教徒が聖書の詩篇を唱えている。

また少し歩けば、ユダヤ人の虐殺に関するホロコースト博物館、メモリアルがある。そこには、血のついたトーラー、ユダヤ人を侮辱するためにナチスが着用していたトーラーから作ったジャケット、首つりや飢餓で亡くなった人々の白黒写真、裏地にトーラーが貼られたジャケットや鞄、手書きのトーラー、「1933年から1945年の間にドイツのナチスによって殺された600万人の殉死者へのメモリアル」が展示されていて、重々しい。

さらにその地区には、ユダヤ人1200人を虐殺から救ったオスカー・シンドラーの墓がある。墓には十字架が刻まれ、いくつかのコインが置かれていた。丘の上には鶏鳴教会がある。イエスが裁きを受ける前の最後の一晩を過ごした場所であり、ペテロがイエスのことを知らないと3度嘘をついたのもこの場所だといわれている。

ダビデの町とオリーブ山の間には、ケデロンの谷が広がっている。最後の審判の日にはここで死者がよみがえると信じられている。

夕方16時から、Jerusalem Hug 2012が始まった。Hutzot Hayotzerの芝生に人々が集まり、配られたハートを胸につける。

主催者の一人、イブラヒムさんは取材を受けていた。取材であろうと、相手が誰であろうと、イブラヒムさんはお構いなく、同じ調子で同じ声の大きさで同じことを伝えている。

人に愛を尽くすということは両親が教えてくれた。誰の額にもその人がユダヤなのかキリスト教徒なのかイスラム教徒なのかは書かれていない。わたしたちは一つである。だから、宗教や言葉の間にある壁を飛び越え、あるいは壁をうち壊せるように努力をする必要がある。アラブもユダヤも兄弟で、同じ種から生まれてきた。

いまだイスラエルが建設途中のパレスチナとの分離壁は過ちであり、すぐにでも壊されるだろうと言った。土地は神様のものだ。

隣人の赤ちゃんの口にはミルクを与えてやらないといけない。人には母親やマザー・テレサが必要なのだ。

イブラヒムさんは、頭にかぶっていたカフィーヤを取りはずして、続ける。もう私は髪の毛もないし、文字だって読みづらい。だから新しい世代のリーダー、土地を愛するリーダーが必要だ。

「家に遊びに来なさい。」そう言ってインタビューを終える。

配られた西瓜をかじりながら、そのうちに芝生に輪になって手をつなぎ始める。真ん中では音楽をゆるりと奏でる若者たちがいる。中にはイブラヒムさんもユダヤのラビもいる。時にその輪を二重にして、中と外にそれぞれ向かい合わせになり、一人一人の顔を見ながら、回っていく。

19時になるころ、ヤッフォ門に移動して、壁を囲うように手をつなぐ。その周りで人々は踊り、歌い始める。

この様子に黒帽子黒服の幾人かのユダヤ人もやや興味をもつようで、ちらりほらりと遠巻きに覘く人がいたかと思えば、全く眼中に入っていないようすのユダヤ人もいる。一緒に手をつなぐように声をかけられても、彼らは恥ずかしそうに散っていった。

20時を過ぎて日も暮れるころ、イベントは終わりに近づいていった。それでもイブラヒムさんは痛いという脚をひきづりながら、「わたしは主催者なんだから、みんなの世話をしなくちゃいけない」とつぶやきながら、出くわした友人とともにイベントへと戻っていく。周りが何か手伝いましょうか、と言っても、大丈夫だ、早く帰りなさい、と言うばかりだ。

キリスト教の鐘にイスラム教のアザーンが重なる。そして、帰りのバスの後ろの席の男性は、父親はキリスト教徒で母親がイスラム教徒だといった。全く問題ない、とそう言った。

家に帰って、じゃがいもや玉ねぎのトマト煮込みやピラフ、それにアーモンドジュースを合わせていただく。

さかいめ – Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

朝はたまねぎの炒め物にパンやコーヒー、それにお気に入りのアーモンドジュースをいただく。

昨日、ラマラという街の近くで、モスクがユダヤ人過激派によって放火されたという。

今日も、家の近くを通るUNのマークをでかでかとつけた車や、ファック・イスラエルと書かれたごみ箱を横目に、オリーブ山を下り、旧市街へと歩いていく。

岩のドームを出たところのムスリム地区で、イスラム教徒だという男性二人にイスラムに関する本を突然に手渡される。ピザ屋には、メッカの画像が流れている。

そんなムスリム地区で、ユダヤ人のおじさんがユダヤグッズ店を営んでいた。水色のポロシャツを着ている、笑顔のやわらかいおじさんだ。店頭にはイスラエルの国旗が並べられ、トーラを幾言語にも翻訳した小冊子などを土産物として売っている。

ユダヤ教徒であるその男性も、悲しみを表す黒い服を着て黒い帽子をかぶる超正統派の人々は、自分の文化とは違った考えをもっている、と言った。それでも同時に、神殿の丘にあった第一、第ニ神殿が破壊されたことを嘆き、そこに第三の神殿がいつの日にか建てられることを信じている。

日本からも新宗教、幕屋の人々がエルサレムに団体で訪ねて来るんだと言った。ユダヤ人を選ばれた民族だと信じて、特別な服を着て来てくれるんだ、と嬉しそうだ。

ムスリム地区にユダヤの店を開くというと、なにやら危ないような気がするが、その男性は、キリスト人街の半分くらいはイスラム教徒だったりするものだから、明確な区分けはないんだよ、と言った。土産物屋の品物は確かにどうにも混ざっていて、ダビデの星をあしらった帽子やユダヤのろうそく立ての横に十字架が売られていたりする。

そして猫は地区の境目をするりと抜けて出没する。

ユダヤ人地区にある、4つのシナゴーグが地下に建てられた集合体や女性トーラー協会を訪ねる。ユダヤ人地区は比較的もの静かなようすだった。でも、フルヴァ・シナゴーグの前に腰掛けていると、若い男性4人グループが黒スーツに黒帽子のいでたちでラップ風の音楽のPV撮影をし始めた。ノリノリにジャンプをして、手を前にかざしてカメラに寄っていく。そのうちに太鼓をたたいて歌を歌うユダヤ人の別の集団が通り過ぎて行った。

キリスト教アルメニア人地区の教会から鳴る鐘を聞き、カラフルなアルメニアの陶磁器、キリスト教用品を眺めつつ、西のヤッフォ門から城壁を抜ける。

辺りは静かな高級住宅地が広がり、赤や紫、オレンジ色の花が咲き乱れ、シナゴーグがある。

米国人がオーナーであるJerusalem Global Management,LLCは、その物件を貸し出してもいる。1軒家には、広々としたキッチンやリビング、ダイニングルームが備えられ、たいていテラスがついている。その上、ゴージャスな浴槽やビジネスルームが備えられていたりする家や、ガラスケースにトーラーが納められた家もあり、一日500ドルから1000ドル以上でレンタルしている。インドや中国、それからドイツなどのヨーロッパの家族などが借りることが多いという。

その他、エルサレムには、個人宅を改造して各部屋にキッチンをつけたような宿泊場所もある。向かいに旧市街のダビデの塔を望めたりする。

明日、エルサレムではJerusalem hug 2012というイベントが行われる。国籍や宗教を超えて人々がハグをし合い、手をつなぎ合う、というイベントだ。イブラヒムさんも主催者の一人として携わっていて、その前夜祭にお誘いをもらう。

一度イブラヒムさんの家に帰って、バナナストロベリージュースとピラフをいただいてから、会場へ向かう。手配をしてもらったワゴン車に乗り込み、30分ほど、一軒の家に到着する。イブラヒムさんは、携帯の着信音を消すにはどうしたら良いのかと3台の携帯をわたしたちに差し出す。

その家は、広くて清潔な家だった。部屋の真ん中に大きなグランドピアノが置かれ、ダライ・ラマの「Never Give Up」が壁にかかっている。庭の草むらにはプラスチックの椅子が並べられ、既に50人ほどの人々が集まっていた。前に立っている女性がパソコンをいじりながら、ゆったりとした音楽を流す。

ワン・トゥー・ワン・トゥー・ワン・トゥー。
チャクラを感じてください。
ジーザス。

女性のわきには車いすに座る男性がいる。音楽が進むにつれ、男性はある時は音楽に合わせて首を動かし、ある時は顔をゆがめ、ある時は笑いだす。そのうちに辺りが声をあげて大きな笑い声に包まれていく。

草の香りがして、風が吹き抜ける。

両手を上に挙げる人もいれば、口を大きく開けて空を見上げる人も、あー、あーと声を漏らす人もいて、それぞれに快楽状態に入っていく。イブラヒムさんは、時折首を動かしながら、観客席でそれを静かに眺めている。曲が終わるころ、前に座っていた女性は抱えられるように退場する。

最後に車いすに座った男性がイブラヒムさんを呼んで言う。彼にはお金の面で支援をしてもらっているんです。

そして、みなで手をつなぎ、そこここでハグが始まる。後は庭のわきにクッキーなどのスイーツやフルーツが広げられ、お茶を飲みながらの軽食時間になる。

22時を過ぎたころ、バンに乗って家に帰る。旧市街の空に花火があがった。