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Sudan

スーダン(ハルツーム)各種申請、エジプトへのフェリーチケット

◎滞在登録(REGISTRATION) 
 場 所:”Aliens Affairs Department”(※金曜日休み。土曜日は窓口は開いている。)
 行き方:アラビバスターミナルからバス。
 (※所要30分、スーダン大学の近く。緑の大きな建物。地元の人はみんな知っているようです。)
 必要書類:パスポート、パスポートコピー(顔写真のページ)、顔写真2枚、
      ホテルに書いてもらった滞在証明書
      (※たいていのホテルは、書類を書けるようです。)、
      ホテルの従業員のID(パスポートでも可)のコピー1通
 費 用:SDG 198.00 + 印紙代 SDG 10.00 = SDG 208.00
 +窓口で申請用紙を記入。
 

◎旅行・撮影許可書(TRAVEL PERMISSION)
 場 所:MINISTRY OF TOURIST(※金曜日・土曜日は休み。)
 行き方:アラビバスターミナルから、MESHFER STREET(※現地では有名な通り)行き。
 必要書類:パスポートコピー、顔写真1枚
 +窓口で申請用紙を記入。無料。 
 
◎エジプトへの船のチケット
 場 所:NORTH KHARTOUM駅(カダロフ・アルバリ)。
 行き方:アラビバスターミナルから、NORTH KHARTOUM駅(カダロフ・アルバリ)行きのバス。
     降りて、すぐ右手のNORTH KHARTOUM RAILWAY STATION(黄色い建物)の1階。 
    (※建物はガランとしていて、窓口がポツンとある感じです。)
 費 用:2等 SDG 104.00、毎週水曜日 17時出航
 
◎カラマ行きのバスのチケット売り場
 会社名 Sajana
 アラビバスターミナルから、ミナ・アル・バリ・バスターミナルへ行く途中。
 ターミナルがあるわけではなく、1社が運行している。
 出発前には、ちょっとした茶店が出る。

◎エジプトへの船のチケットのやるべき手続き(ワディ・ハルファ)
 1.船会社Nile Navigation companyで出発当日に確認をもらう(チケットにスタンプを押してくれます)。
 2.イミグレーションで出国手続。(※SDP 20.50)
 3.ナイルホテルNile hotelの前から、バスに乗車。

スーダン-エジプト国境情報

スーダンのワディハルファから、エジプトのアスワンへ、船で入国するルートです。

1.ハルツームの北ハルツーム駅近くのチケットオフィスで、チケットを購入する。
  毎週 水曜日 17時発
2.出発までに、ワディハルファのチケットオフィスで確認をしてもらう。
  (※チケットにスタンプを押してもらいます。)
3.ワディハルファのイミグレーションオフィスで出国手続。パスポート・出国申請用紙を記入して提出。
4.ナイルホテル前から、港行きバスが出ているので、乗る。
5.バスを降りたところにあるオフィスで、パスポート・出国申請用紙を提出。回収される。
6.船まで行くバスが出ているので乗る。
7.客室はほぼ地元の人で埋まっているので、甲板の場所を確保。
8.到着までにパスポートが返却される。
 (※名前が呼ばれます。眠っていて気がつかないと、翌朝船員室に行く必要があります。)
9.港からすぐの鉄道駅のホームを歩いて抜けたところから、
  アスワン市内までのミニバスが出ているので、乗車する。

◎両替
 スーダンのワディハルファで両替ができます。
 イミグレーションオフィスの向かい側の建物。
 SDG 1.00 = EGP 1.05 で両替しました。

スーダンの出国 – Wadi Halfa, Sudan

朝にひょこりとテントから顔を出すと、宿の客たちはすでにホテルから出発しつつあるようすだ。

とにかく朝が早い。午前中は暑さがまだ柔らかなので、そのうちに行動をしたほうが良いのだ。

今日の午後、アスワン・ハイ・ダムによってつくられた人造湖、ナセル湖を北に進んでエジプト、アスワンに向かうフェリーに乗る。

フェリー会社のオフィスに立ち寄り、ハルツームで買ってきたチケットを差し出し、スタンプを押してもらう手続きをする。

国をまたぐフェリーということになるが、英語を話せる人はいない。「ぼくはイスラム教徒だから、アラビア語しか話せないよ。」と優しく笑いながら、係の男性は言う。

その後、町中にあるイミグレーション・オフィスに立ち寄る。そこで、昨日食堂で出くわした英語の達者なスーダン人の男性に再び遭遇する。イミグレーション・オフィスは人々でごったがえしていたものの、その男性の誘導で、出国税を支払い、オフィスの裏のほうから入って出国カードを受け取り、なにやらスタンプを押してもらって、あっさりと手続きが終了する。

近道を知るその男性についていけば、長蛇の列を横にさくさくと手続きが済んでしまう。

こうして一通りの手続きを終え、朝食を取りに、昨日と同じ食堂に入る。同じ宿に泊まっていたスーダン人の男性がそこで食事をしていた。

その男性はかつてスーダン軍で働いた後退職をし、現在は自身の会社を立ち上げているのだという。

幾度もエジプトには行ったことがあるが、いつもは飛行機で行くものだから、フェリーで行くのは初めてだという。2週間のエジプト旅行、新しいルートで行きたかったから、今回はフェリーで行くことにしたんだ、と、このスーダン人男性も珍しく流暢な英語で話す。

ドンゴラで知り合った男性も、また同じ時期にエジプト旅行を予定していた。スーダン人にとって、エジプトというのはメジャーな旅先のようである。

スーダンの主な食事の一つであるfuulは、さまざまな種類があるようで、今日のfuulは、豆に香草とオイルを合わせたものだった。それと共に、スーダンで一種類しかないのかと思えるほどの、いつもの平たいパンを合わせる。食堂のわきで女性が作っていたシャイをオーダーする。

用事を済ませた後に、いつもの平たいパン、にくるくる回る肉の塊を削いでピーマンやトマトなどと合わせたシュワルマをほおばる。両替も済ませ、大きな水のペットボトルも買いこむ。

Alneelホテルの前から、港に向かうバスが出ている。太陽の照りつける中、風が吹いて砂が舞い、頭から砂をかぶる。目を開けるのもやっとなくらいだ。

そこに、杉山幼稚園とでかでかと書かれたミニバスが、やってくる。杉山幼稚園は、ナイル川の港に向かって、ワディ・ハルファの町からまっすぐな道を進んでいく。

15分ほど走ると、イミグレーション・オフィスがある。パスポートやビザ情報など、ほとんど同じ項目を、3度も別の用紙に記入する。一枚は、出国カード、もうあと2枚は、おおざっぱに切られた白い用紙で、何のための用紙なのか知る由もない。それを左から右へと担当者をつなぎながら、渡していく。係員は、ときおり何かを探るかのようにこちらの顔をじっと覗き込む。数秒して、にこりと笑って、スーダンにまた来てください、と言う。

取得をしておいた旅行許可書と撮影許可書を提示することは、結局一度もなかった。

いつものように喉がからからに渇くので、売店でmirindaの炭酸オレンジジュースを買い求め、ぐびぐびとする。

イミグレーション・オフィスから、三菱のトラックの荷台に乗り込んで、船着き場に向けて乾いた道をさらに進んでいく。

フェリーは既にそこに停車をしている。入口で夕食のチケットを手渡されて乗船し、座っていた係員にパスポートを手渡す。すると、係員はパスポートを段ボール箱にひょいとほおりこみ、「明日返します」と言う。

船には1等と2等があり、わたしたちがチケットを購入したときには、既に1等はいっぱいで、2等のチケットを買い求めた。

1等は、冷房の効いた個室があてがわれる。
2等は冷房の効いた共同部屋で、男女分かれた大部屋がある。家族であれば一緒にいていいらしい。この共同部屋は、既にわたしたちがフェリーに乗ったときには混乱を極めていて、満席状態だった。

どこからともなく現れた男性が、こちらに来なさい、と言って、わたしたちを甲板の一角へと連れ出す。甲板が今夜の寝床になる。

出港予定時刻と聞いていた16時を過ぎても、まだ乗客が続々とトヨタの荷台に乗せられて到着してくる。ときどきアラビア語でアナウンスが流れるも、なんのことだかさっぱり分からない。18時を過ぎたころ、ようやくボボーと大きな音を立てて、船が陸から離れた。両わきには渇いた土地が続いていく。

船はほとんど揺れない。

周りには、カイロの大学で学ぶスーダン人の学生、スウェーデンに発つというスーダンの男の子、それに農業関連の貿易をしているというハルツーム在住の男性、リビアに仕事をしに行くスーダン夫婦、かつてハルツームで翻訳を勉強して今は二児の母となった女性などがいる。

女性の中には、ヌビア人ふうに、指先と足先や足の裏に黒い色を塗り、細かな模様を描いている人もいる。

スーダンとエジプトはかつて一つの国だったこともあり、言葉も食べものも似ているのだと言う人もいる。

もうフェリーはエジプトに入ってきているはずだ。

暑さと喉のかわきで、もうろうとする。 – Dongola / Wadi Halfa, Sudan

朝は、昨日もらったグワバとオレンジをほおばる。

ハルツームは午前中はまだしのげる暑さだったものの、ドンゴラにいたっては、朝から気温が上がっている。

半年ほど前に韓国人家族がこの街でヌビア様式のゲストハウスを開業したと地元の人から聞いたので、訪ねてみることにする。

聞いた話によると、伝統とモダンを組み合わせた建築は大変なもので、建設に1年半かかったという。

ご夫婦には3人の子どもがいて、スーダンで育つ子どもたちに韓国の文化にも触れさせるため、夏は韓国に帰国しているという。だから、今は不在。

ゲストハウスは、街の中心から歩いて5分ほどのところにある。アスファルトの道から逸れてろばに乗った男性二人についていったところに新しい建物が見えた。

留守番係であるらしい男性はたどたどしいようすで、オーナーのいない宿は、がらんどうとしていた。

スーダンの安宿、ロカンダの客には、スーダン人が多い。より高級なホテルになると、中国人やインド人ビジネスマンたちも現れてくる。それほど、この国に旅行をする外国人は、多くない。

スーダン人で英語を話したり、読んだりする人に出会うと、思わず声をあげるくらい、たいていのひとはアラビア語しか理解をしない。

ビザ取得から滞在届に旅行許可書、撮影許可書。滞在期間のほとんどをこういった届けの手続きで追われてしまう。

しかも、それぞれの申請についてのまともな情報が、一体どこにあるのか分からないことも多い。

それでも、韓国人の男性が北スーダンを気にいり、外国人旅行客を主なターゲットにした、英語表記のゲストハウスを開こうと思い立ち、奥さんや家族を連れてここに移り住んできたのだった。

昼前にはトゥクトゥクに乗って、バスターミナルへと向かい、次の目的地ワディ・ハルファまでのミニバスを探す。ドンゴラからワディ・ハルファまでは頻繁にミニバスが出ているようで、「ハルファ」と言えば、たいてい乗り場まで誰かが連れていってくれる。

ミニバスに荷物を置いたところで、近くの食堂で、KesrabとWeakaをオーダーする。インジェラの酸味を抜いたようなKesrabに、ややねっとりとした柔らかいカレーのような味のWeakaをかける。これに辛くない生のたまねぎとチリを添えていただくのである。

朝食、昼食時によく食べられているというKesrabとWeakaをほおばっていると、昨日のミニバスで一緒だった人々が店の前を通り過ぎ、挨拶を交わす。
小さな町なのである。

満席になったミニバスは、ワディ・ハルファに向けて出発する。

「今日はどのミニバスにも冷房はつかない」ということで、ぎゅうぎゅうになった車内の気温は上がり続ける。外には砂漠が広がり、時折ナイル川が近づくと、川沿いにだけ緑が生え、家がぽつりぽつりと並んでいる。

水がすでにお湯にかわってしまった1.5リットルのペットボトルをぐびぐびと幾度も傾ける。それでも途端にのどが渇いていく。

どうにも頭がもうろうとしてくる。

窓を開けると、熱風が肌にあたって、いたい。それを見越してか、ドライバーは、暑い車内であっても、窓を閉めたがった。

途中に砂漠の中で人の降りた場所があった。目の前に商店があったので、駆け寄り、ファンタ・オレンジを買い求める。それをぐびぐびと飲み干す。

ハルツームとワディ・ハルファを結ぶ極楽快適大型バスが横をすいすいと通り、わたしたちのワゴンを追い抜いていく。

17時半を過ぎたころ、ワディ・ハルファに到着した。乗客たちが手を左右に動かし、「もう終わりだよ、着いたよ。ハラース。」と合図をする。

スーダン、ワディ・ハルファからエジプト、アスワンまでのフェリーは週に一便しか出ていないこともあって、火曜夜のワディ・ハルファの宿は、たいてい満室となるのである。

こうして、Kilopatraホテルの広間にテントをたてて寝ることにする。広間には、既にベッドが幾床も置かれて、そこで寝そべっている人たちがいる。

宿からほど近い場所に数軒食堂が並ぶところがあり、そのうちのジューススタンドでオレンジジュースをいただくことにする。オレンジをミキサーで混ぜ、それにたっぷりと砂糖を入れる。砂糖を入れないほうがフレッシュで美味しそうなものだが、とにもかくにも人々は飲み物にたくさんの砂糖を入れるのである。

夕食はその近くの食堂でfuulをオーダーする。豆をつぶしたものに、ゆで卵をつぶしたもの、それにたまねぎのみじんぎりに豆を揚げたTa’amiyaを混ぜて、最後にゼット・シムシムというオイルをどばどばとかける。

ここで、今日エジプトからのフェリーでスーダンに着いたというロシア人の男性と同じテーブルを囲む。久しぶりに外国人旅行客に会う。

帰り際に近くの商店でStimという炭酸の林檎ジュースを買い求めて、飲み干す。

宿に帰ると、広間ではテレビを見ている男性たちがいて、ベッドで眠りこける男性、それに祈りをささげる男性たちが、いる。

ふいに宿の電気が停まる。5分待てば復旧しますよと誰も慌てるようすがない。
確かに、すぐに電気は復旧をした。

乾いた土地に流れるナイル川 – Khartoum / Karima / Dongola, Sudan

今日はハルツームを離れて、カリマという町まで向かう。バスは6時半集合7時発なので、それに合わせてミニバスをつかまえてターミナルに向かう。

数台バスが停車できる程度のターミナルに、Wodkaboush社のカリマ行きバスが停車している。

バスの周りには、シャイやコーヒーを淹れる女性たちが数名セットを構えて、揚げパンも置かれている。他の乗客に倣って、ミルクティーをすすりながら、発車を待つ。

立派なバスで、冷房完備、座席も小さなフットレストがつき、窓は大きく開かない構造、クッションも一般的な柔らかさをもち、右側に2席、左側に2席のふつうの造り。

車内は、シルキーな赤の生地にオレンジ色のフリンジや金色のスパンコールのついた布で装飾され、天井は赤いもこもこの布で覆われ、ピンクのシャンデリアがいくつか揺れている。

荷物は、バスの下の荷物入れに収納することができるから、どこからともなく現れて勝手に荷物をバスの上に運びチップを要求する人々もいなければ、かばんが落ちたり雨にぬれたりすることもない。

座席だって、口頭ではあるが、指定された座席を言い渡される。ここには雨漏りの心配も、砂埃が入ってくる心配もないのである。

出発時間も7時だから、4時に起きてまだ日の上がらないうちに宿を出て暗いターミナルでバスを探す必要もないのである。

しかも発車して2時間ほどでフルーツキャンディーと水のサービスまでつく。さらに10時ころには、包装された、パンと豆のフライ、Ta’amiyaにスポンジケーキやウエハースのセットまで、無愛想な添乗員の男性によって無言のうちに配られる。

ハルツームの街をぬけると、葉のない乾いた低木がぽつりぽつりとたつ砂漠を走っていくことになる。

殺風景な砂漠の中で、道路は舗装されている。

テレビから流れるトーク番組に、乗客は手をたたいて、大笑いする。

スーダン大型バス、極楽だ。

ROAD MONITORED BY RADARと書かれた看板がたち、銃を構えて座る軍人がいる。ろばが歩き、くずれた煉瓦造りの建物があるかと思えば、ふいに新しいコンクリートの建物が佇んだりしている。

そのうちに、外気の暑さで車内の冷房の効きが弱まってくる。

屋根もなくまるで朽ち果てた遺跡のような建物が並ぶ、ただ広く乾ききった土地に、人々が一人二人と歩いていく。

ろばの荷台に乗って通り過ぎる人がいて、トヨタのピックアップトラックが停まっていたりする。そのうえ不釣り合いな具合のアスファルト道がすっと伸びていたりする。

それから、突然に上部が平らな乾いたJebel Barkal山が現れる。18王朝ファラオの時代にエジプト人にとって聖なる土地であった場所である。

その近くには、小ぶりではあるものの、すらりとした輪郭を残したピラミッドがオレンジ色の大地の上で天に向かっている。

13時半前には、カリマの町へ到着する。人の住んでいるのかいないのか分からない乾いた家が立ち並んでいた中、ようやく人が実際に行き来している場所にたどり着いた。

快適だったバスから、むわりと暑いカリマの町に降り立つやいなや、シャイを飲んでいきなさい、とごちそうになってしまう。スパイスのさほど入っていないあっさりとしたシャイだ。

カリマからドンゴラという町までミニバンがまだ出ているというので、その乗り場である場所を探して向かう。

すると、ついてきなさいと、案内役を買って出てくれる人に出会う。案内をしてくれたり、ごちそうをしてくれたりするのは、ハルツームを出ても、変わらなかった。

バンは、満席になるまで出発しないと言うので、近くの食堂に入り、昼食をいただくことにする。

パンをちぎったものに肉のはしきれやスパイスをごちゃまぜにした、見た目には素敵とは言えない、それでも暑い中ぱくぱくと食べれる食事をいただく。

気温は容赦なく上がり続け、空気は乾燥を極めている。そこで、やはりオレンジが食べたいと、フルーツをぶらさげた店に立ち寄り、オレンジ、2つください、と言う。すると、オレンジをもう一つ、それにバナナやグアバまでビニールにほいと入れて、どうぞと言われる。

カリマ付近ではBallahaが名物だということで、乾燥Ballahaをいただこうと店に立ち寄ると、今度は支払いはいりませんよ、と差し出された。

Ballahaはキャラメルのようにねっとりとしていて甘いドライフルーツだ。ともにDongola行きバンの発車を待つスーダン人乗客たちと、いただいたBallahaを分かち合う。

乗客たちは、その後も携帯電話をかちかちいじりながら、出発を待つ。そのうちに、わたしたちに次の行き先を尋ねてきた男性がいた。

どうやら、わたしたちの乗るバンの会社の商売敵だったようで、罵りあいが始まり、やがてバンの会社の男性は棒を持ち出し、もう一人の男性はナタを持ち出す始末である。

ただぽかんとするばかりだ。

カリマからドンゴラまでは、ただ平らな赤い土の砂漠が続く。二度ほど検問があり、運転手がバンを降りてなにやら手続きを済ませる。

ナイル川が見えてくれば、ドンゴラの町も近い。

ドンゴラのバスターミナルからトゥクトゥクに乗って、殺伐とした砂漠の道を抜け、町の中心地へと向かう。数本の道に食堂や商店、宿が並んでいる。

商店の前では大勢の男性が集まり、商店の方向に向けて祈りが捧げられている。

宿の前に屋台ふうの店が並んでいたので、そのうちの一軒で豆を煮たフールをオーダーする。ルッコラやたまねぎ、トマトといったサラダといつものパンがついてくるメニューである。

ナイル川も近く、魚がとれるようで、魚のフライが大量に積まれている。屋台の男性が身のたっぷりついた二匹の魚にライムとパンをつけて、新聞紙にくるんで持たせてくれた。

魚は、不自然なほどにぼってりと柔らかい身がつき、脂がのっている。それがかりっと揚げられているのである。

乾燥したこの土地は、ナイル川の恩恵で、魚を食べることもできれば、飲む水もシャワーの水もある。

店のそばで、珍しく男性がシャイを淹れていた。ムスリムの白い服を着たその男性に淹れてもらうことにする。大きな身体でおおらかに茶を淹れて、そこにミントの葉を浮かべる。そこには、いつも入れられているスパイスもなく、ただ、茶とミントの味がした。

スーダンの宿は、一部屋に3つか4つのベッドが並べられていることが少なくない。スーダン版ドミトリーである。わたしたち外国人を見ると、その3つか4つのベッドの部屋を貸し切り状態にして勧められる。

スーダン人たちは、暑い部屋のなかよりも、ベッドを外に出して、寝ることがお気に入りのようだ。こうして、宿の外のスペースは、男性スーダン人たちの寝床と化していく。