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Armenia

アルメニア-イラン国境情報

アルメニアのイェレバンから、イランのテヘランまで国際バスで抜けるルートです。

1.イェレバンのバスターミナルで切符を購入。乗車。
 (※朝10時発 所要24時間、AMD 22,000-.)
2.17時頃アルメニア側国境に到着。荷物を全部降ろして、X線検査に通す。パスポートを提出。
 (※窓口が一つしかないので、時間がかかりました。)
3.バスが待っていてくれるので、乗ってイラン側国境へ。
4.18時頃イラン側国境に到着。荷物を全部降ろして、X線検査に通す。パスポートを提出。
5.日本人のみ、別室へ通される。
6.別室にて、簡単な質問及びコンピュータにて指紋を採取。
7.さらに入国審査にて簡単な質問を受け、答えた後、スタンプが押される。
 (※日本人のみ、ものすごく時間がかかります。1時間ほどかかってしまい、他の乗客を待たせてしまいました。
  イラン側に入った途端、バスの中で音楽が流れ、楽しげな雰囲気になりました。)
8.テヘランの西バスターミナルに到着。

◎両替
 イラン側の建物に両替屋があります。
 AMD 1000 = IRL 2820 で両替しました。

アルメニアからイランへの道 – Yerevan / Border with Iran, Armenia

宿泊しているセルゲイさんの家にはWifiがないので、滞在者は近くのエレバン駅にとんでいるWifiを使いに行くというのが定番になる。今朝もお気に入りのパン屋で昨日と同じハチャプリをオーダーして、それを商店で買ってきたフルーツジュースと合わせていただいた後、駅に出向いてインターネットをする。

セルゲイ家のリダさんはいつも柔らかい笑みを浮かべ、ささやかに気を配ってくれる。孫の男の子たちは元気いっぱいにいたずらもしでかす。おじいちゃんは無口で、よくソファに座ってぼんやりとテレビを眺めている。娘さんは、庭で料理をしたりと、働きものだ。

今日はこれからアルメニアを出て、国際バス、Vaspurakan International Transport社でイランのテヘランに向かう。バスが10時発というので、9時過ぎには宿を出て、ミニバスに乗り、ターミナルへと向かう。

定刻を15分ほど過ぎて発車したバスにはイランの人々もたくさん乗車している。Scania製のバスの横の座席は3列しかなく、ゆったりとしたつくりになっている。ぐねりぐねりと山道をバスは進み、気分の悪くなる乗客もいて、それぞれの座席に取り付けられたビニール袋が役に立つのである。

途中の休憩場所でアプリコットやミニリンゴ、それにスモモを買い求めて再びバスに乗る。休憩時間が長いものだから、みなのんびりと食事を楽しんでいる。朝に駅の近くで買っておいたパンやフルーツ、それに近くの座席のイラン人の男性からいただいた棗などをほおばる。

19時ころにはアルメニア側のイミグレーションに到着する。

大きな鞄をバスの荷物置き場から降ろして検査にかけるものの、全く見ていない。一つしかない窓口には行列ができていて、なかなかに進まない。ようやく順番がくれば、無愛想な担当職員が何も聞かずにぽんと出国スタンプを押した。

そして、停車しているバスに荷物をのせて乗り込む。荷物検査に持っていかずに座席の背にあった網に入れたままにしていたものはさっぱりと無くなっていた。各座席に取り付けられたビニール袋のごみも捨てられている。ほとんどの乗客はそのまま歩いてイラン側のイミグレーションに進むが、バスの運転手はわたしたちにはバスで連れて行くから待ちなさい、と言う。

ずいぶんと待った後、ようやくバスは動き出し、軍人がわたしたちのパスポートを確認する。1分も進んだところで、今度はイラン側の担当が乗車してきてパスポートを確認する。こうして川を渡れば、そこにはイランのイミグレーション・オフィスが待っている。

コニャックのくらくらと、大虐殺メモリアルと、アルメニアの夜 – Yerevan, Armenia

朝は宿の近くのパン屋で食事をいただく。できたてあつあつのハチャプリはさくっとしたパイにもっちりとしたチーズがはさまっていて、コーヒーはどろりとしている。

路上では市場が開かれ、さくらんぼやらアプリコットや木イチゴ、チーズやじゃがいも、とうもろこしになすやペッパーなどが所狭しと売られている。

アルメニアはコニャックが有名らしいというので、今日は朝からコニャックを飲みに行く。まずは、お勧めをしてもらったブルーモスク前のGrand Candyというスイーツ店で、アイスコーヒーとチョコレートケーキを買い求めていただく。アイスコーヒーはとても久しぶりで、甘いケーキとよく合う。

どでんと構えられたエレバンブランデー社の敷地内には白ぶどうが植えられ、樽の置かれた部屋に入ると、良い香りがする。

ここのブランド、アララトは、ロシアや旧ソ連諸国以外にも中国や日本など25カ国に輸出をされている。平和になったら開かれるという樽や、1902年の樽、個人所有の樽などがずらりと並んでいる。それぞれの樽には総重量、樽の重量、コニャックの実量が白い文字で書かれている。

見学を終えると、試飲室に入る。テーブルには三脚のグラスにそれぞれ3年もの、10年もの、20年もののコニャックがたっぷりと注がれている。三杯が幸福で、四杯になると狂気。

グラスをそれぞれゆっくりと回して、色や透明度などを見ながらいただく。3年ものはまだアルコールの香りがつんとするものの、20年ものになると色も深みを増し、もたりとして樽の香りが漂う。それをアルメニアのチョコレートとともにいただく。アルメニアの人たちはチョコレートの他にドライ・ピーチを合わせることも多いのだそう。

同じテーブルにイラン人のグループ、隣のテーブルにベルギー人のグループがいる。イランでは法律でアルコールを禁止されていて、表向きイラン人はお酒を飲んだことがないことになっている。秘密で飲んでいるけどね、と茶目っけのある顔をして言う。対してお酒に強いベルギー人は、コニャック瓶を土産物にとどっさりと買い込んでいく。

こうして確実に頭はふわふわとしていく。

それでも、ここから近くの大虐殺メモリアルまで、歩いていく。途中、女性二人が話しかけてきて、日本語の冊子をこちらに見せる。そこには私はエホバの証人です、と書かれていた。

大虐殺メモリアルでは、オスマン帝国領土内で起きたアルメニア人の強制移住、虐殺についてを語っている。暗いメモリアル内に、十字に切られた窓から外の光が差しこんでくる。

アルメニアのキリスト教徒に対するトルコ人の残虐性について、とか、アルメニア人大虐殺とトルコの暴虐行為といったタイトルの本が展示されている。そして、首を吊るされたアルメニアの医師たちや砂漠に佇む痩せた孤児、黒海に沈められたアルメニア人の写真やトルコ人によって破壊された教会の十字の破片などが並ぶ。それに、大虐殺前の1914年のアルメニア人と1922年のアルメニア人の人口を比較するパネルが掲げられている。

近くには先の尖ったモニュメントと、中央に火の灯され、花が捧げられているモニュメントがある。祖父母の時代にアルメニアからフランスに移住をしたという男性に話しかけられた。

アルメニア人にとってトルコの虐殺は未だ記憶に新しいのだという。トルコは偽りの教育をしていると言った。その男性は少しアルメニア語を話せると言うが、子どもはもう話すことができない。自分の世代で途切れたのだと言った。

そこでエチオピアでも出会った韓国人親子の旅行者に遭遇し、ビールをごちそうするよとバスに乗って町の中心に向かう。ビールや塩けのあるヨーグルトジュース、それにミートパイやらバターののったヒンカリ、フライドポテトなどがテーブルに広げられる。

韓国のお父さんは、次世代は韓国と日本がひっぱっていくのだと力説していた。他人の気持ちを推し量り、人のために自分の時間を惜しまず働く韓国人と日本人ならそれができると、ビールジョッキを何杯もぐびぐびとしながら、語り続けた。

宿への帰りにスーパーマーケットに立ち寄る。ザリガニやアララトなども売られる中、再びgrand candyのアイスコーヒーを買い求めてそれを飲みながら、歩く。今日は水かけ祭りもないので、シャワー屋の帰りもゆっくりと歩きながら、今度はgrand candyのチョコレートナッツのアイスをほおばる。

夜は昨日出会った、国連機関でボランティアをしているローラさんと、ローラさんのお友だちで、イランに住む離散アルメニア人の研究をされている日本人の方とお会いする。アルメニアを含むコーカサス地方では男児を好む傾向にあって、女児を妊娠したと分かると中絶をするケースも少なくないといい、ローラさんはその研究をしている。

共和国広場の前では噴水ショーが行われて、地元の人たちで賑わっていて、道にはニセモノミッキー、ミニーのカップルも歩いている。アルメニア人は見栄っ張りだから、失業率高さも感じさせないきれいな格好をしているとも聞く。

近くのカフェに入って、Kotayakビールやざくろアイスティー、アルメニアコーヒーを飲んでピスタチオをつまむ。アルメニアコーヒーはトルココーヒーと変わらないというが、トルコとの関係が良くないために、ここではアルメニアコーヒーと呼ぶべきらしい。

ここにきてグルジアよりもアルメニアではアジア人蔑視が激しいのだと知るようになった。ミニバスの中で、日本人を見たアルメニアの若い男性たちがくすくすと笑い始めた。教育水準の高い人々は、そうしたことが少ないという。旧ソ連時代はアルメニアにも中央アジアの人々がまだ多くいたが、今は日本人でアルメニア在住が5人しかいないということからも分かるように、アジア人を見ることが珍しいようで、こうしてくすくすと笑われたりすることもあるらしい。

それでも二人にとてもお世話になって、ほんの少しのアルメニアのナイトライフを垣間見る。

明るい景色と暗い井戸の教会 – Yerevan / Khor Virap, Armenia

朝にアルメニアの有名コニャックブランド、エレバンブランデー社の明日の工場見学を予約しに行く。ノアの箱舟が流れついたとされているアララト山がてっぺんに雪をかぶってよく見える。

エレバン駅近くの地下道で、薄いパンを広げて、そこにもっちりとした鶏に香草をまぶして、きゅうりやトマトを切って置き、ソースをかけてまるめていただく。

今日はバスに乗って、ホル・ヴィラップ修道院まで向かう。バスは混雑を極めていて、席は空いておらず、床に座り込む。50分ほどで修道院の近くの分岐点に到着する。

アララト山が変わらずに雄大で、空は青く、ひまわりが咲き、菜の花には白い紋白蝶が舞い、おじさんが畑を耕している。畑には煙がもくもくとあがり、トラクターがのんびりと走っていく。

分岐点から遠くにみえる丘の上の修道院まで歩いていく。道なりには墓地があり、それぞれの墓に眠る人々が彫られた石が置かれている。お墓参りをしに来ていた家族があり、そばを通るわたしたちを手招きして、一緒に写真を撮りましょう、と言う。お墓に眠っているのは女性の旦那さんで、息子さんも来ていた。男性は、アルメニアとアゼルバイジャン間のカラバフ戦争で亡くなったのだと、声のトーンを変えないままに言った。

こうして歩いていくこと40分ほどで丘のふもとにたどり着く。

17世紀のスルプ・アストヴァツァツィン教会もまた小さな石造りの教会の中で、ドームにあいた窓から光が差し込み、シャンデリアの淡い光とともに教会内を照らしている。座席はなく、人々がろうそくを灯し、祈りを捧げていく。軒には白い鳩がとまっている。

ここには、アルサケス朝のトゥルダト3世が、聖人グリゴル・ルサヴォルチを危険視して10年以上も井戸に閉じ込めていたという伝説がある。地下に直角の階段を下がって入っていくと、そこはどんよりと湿気ていて薄暗い。

外に出れば、丘の上からは、あたかも明るくゆるやかな光景がはるか遠くまで広がっている。でもそこには伝説がひそんでいて、戦争で亡くなった人のお墓がある。

先ほどの井戸の中で知り合ったドイツ人のローラさんが雇っているタクシードライバーが、バス乗り場まで送ってくれるというのでお言葉に甘える。アプリコットをかじりながら、タクシーを飛ばしていると、間に合わないと思っていたエレバン行きバスに間に合った。帰りも満席のバスに揺られること40分でエレバンに戻ってくる。グルジアもアルメニアも国が小さいので、移動時間が短い。

エレバンのティグラン・メッツ通りの食堂に入って昼食をとることにする。ここのヒンカリは大小を選ぶことができる。ヒンカリにはバターがのせられていて、あつあつのヒンカリの上でバターがとけてからまりあう。あふれる肉汁はなく、ぷるりとしている。それに苦みのあるGyumriビールをいただく。ふんわりとしたパンが添えられて、ヒンカリの器にとけたバターとよく合う。

噴水の前は昨日とはうって変わって、水のバケツを持つ人はおらず、落ち着いて街を歩くことができる。St. Geigor Lusavoritchの近くで売られていたアプリコットと桃を500グラムずつ買い求めて、それをかじりながら街を歩く。暑い街中で人々はアイスクリームをかじり、テレビからは日本の原発反対運動の映像が流れてくる。

Northern通りにはアルマーニからバーバリー、クラークスといったブランドの店舗が並び、オープンテラスのカフェには人々が午後を楽しんでいる。この街には、そんな高級ブランド街もあれば、古びたつくりの民家やアパートの一室を貸し出す宿もある。

自由広場の前にはボテロやJaume Plensa、Barry Flanaganなどの彫刻がつらなり、その背後に巨大な階段状のモニュメント、カスカードがある。階段にはデートをする若者や、モデルふうのポーズをとって写真撮影をする人々がいる。

階段をのぼりきれば、エレバンの街を見渡すことができる。ところどころに共産時代ような角ばった建物が見え、白や茶色の新しい家も少なくない。向こうの丘には、スターリン像から置き換えられた母なるアルメニア像がたっている。

アルメニア人は国内には300万人程度しか住んでいないが、海外には800万人いると聞く。そして、またこの国の商売はマフィアが牛耳っているのだと幾人かの人々が話してくれた。

カスカードの上からバスに乗って宿に戻り、夜は商店でキリキア・ビールとチーズセット、パンにバナナを買ってきて、宿のテラスでいただく。宿の奥さんはもう薄暗くなっている庭で、ケーキをつくっていた。チョコレートのケーキを少しいただく。

アルメニア教会と、日本の太陽 – Yerevan / Echimiadzin, Armenia

夜中の12時半すぎに列車は停車し、ビザが必要な人々は下車するように指示されてホームに降り立つと、パスポートが回収される。駅の中央には煌々と明かりをつけた建物があり、そこに乗客10人程度が列をつくっている。

順番に呼び出され、アルメニア語で書かれたビザ代のレシートだという紙の2か所にサインをするよう求められた。人によっては滞在期間を再確認されているが、わたしたちは何も聞かれずに、ただその用紙にサインをするように言われる。

パスポートを読み込み、パソコンで数か所を記入して、その場でブランクのビザシールをはがして印刷機に入れて、印刷ボタンを押すと、ピーとビザが出来上がる。

ビザ代を支払うと、今度は別室に行くように指示される。そこにはパソコンが何台も並び、テレビからは派手なMVが流れていて、インターネットカフェのような雰囲気だ。一人の職員が座り、更にパソコンで何かを記入し、さきほどのビザの上にボンとスタンプを押して手続き終了。

手続きが終われば各自それぞれ列車に戻る。列車の中でもビザ不要の人々の入国手続きが小さなパソコンを使って行われていた。

こうして1時を過ぎて列車はまたガタリゴトリと進んでいく。

朝にゴンゴンと扉が叩かれて起こされる。辺りは緑に包まれていて、7時半にもなるころ、アルメニアのエレバンに到着した。駅のターミナルにはWifiもとんでいる。待ち合い室に座って、昨夜トビリシ駅の近くのパン屋で買った砂糖をまぶしたもっちりパンとピロシキをほおばる。

今日、アルメニアは水かけ祭りで、民泊をさせてもらうセルゲイさん家の子どもたちもおおはしゃぎで水をかけてくる。

ううう。

今日が水かけ祭りだなんて知らなかった。

こうして水かけから逃れるべく、そそくさと首都のエレバンを抜けだし、エチミアジンの町へ行くことにする。びくびくしながら、バケツを持つ子どもたちの合間を歩き、ミニバスでエチミアジン行きバスの発着するターミナルへ向かう。

今日ばかりは無差別水かけが許される日らしいので、こちらとしてはたまったものではない。常に水をかけられないか、きょろきょろとしていたのにもかかわらず、バスのターミナルでチン・チャン・チョンと遠くのほうで言われたかと思うと、ばしゃりと背後からバケツいっぱいの水をかけられた。びしょぬれだ。

ううう。

バスに乗り込んだ隣の男性が「フクシマ」「サムライ」、そして「ジュードー」と声をかけてくる。バスの中でも開いた窓の向こうから水鉄砲をしかけてくるものだから、心は一向に休まらない。

エチミアジンの町には、アルメニア教会の総本山、エチミアジン大聖堂がある。濡れたままにバスに乗ること40分ほどでエチミアジンに到着する。

大聖堂からは、賛美歌が漏れ聞こえている。中に入ると、前方には聖職者が赤や黒の衣装をまとっていて、脇には聖歌隊がいる。信者たちが太い列を成して前を向き、その後ろにろうそくを手にしている人々がいる。辺りは香炉の煙に包まれ、ちょうどミサが終わりを迎えようとしているところで、神父たちが中央を通って後ろの出口から退場をしていく。そのときに聖水を人々にかけていくものだから、また服は濡れるのである。

人々は聖書と十字架にキスをして額をつけていく。そして黄色のろうそくに次々と火を灯して祈りを捧げていく。

黒い聖職衣を着て、とんがり帽子をかぶった神父たちはどうにもフレンドリーなようすで、さながら街の相談役のように見える。美人を交替に肩を組んで写真撮影をして、人々の話しに耳を傾け、話をする。

大聖堂には宝物館もあり、古い聖書や杖、十字架に帽子や衣装、そしてキリストの脇を刺したといわれているロンギヌスの槍などが展示されている。ノアの箱船の破片といわれているものは現在別の場所で展示中のため、宝物館には写真が置かれている。

敷地内にはカトリコス座や本屋、神学校もあり、グレーや黒の長い丈のコートを着た男性たちが建物内から一斉に出てくる。

町の商店でクッキーとはちみつパンを買ってそれをつまみながら、バスに乗ってエレバンまで帰る。

今日までエレバンでは、ゴールデン・アプリコット・エレバン国際映画祭が開かれていて、15時からは映画「太陽」が上映されるという。日本での公開が難しいといわれていた昭和天皇を描いた映画で、エレバンに到着してすぐにバスに乗ってバタバタとモスクワシネマへ向かってみる。

大きな映画館に観客はわずかにしかいない。地元の人々がほとんどだ。エレバンの映画館に、昭和天皇の心の揺らぎが広がっている。上映が終わると、ぱらりぱらりと拍手がおこった。

映画館前や共和国広場の噴水の周りには、バケツを持った若者たちが集まり、多くの人々がびしょぬれで歩いている。大きく迂回をしながら、おそるおそるきょろりきょろりと道を歩く。

エレバンの地下鉄もグルジアのトビリシと同じようなつくりだ。3列のエスカレーターで地下まで下がり、やや冷房の効いた薄暗いプラットフォームがある。それでも、グルジアの地下鉄にある陽気な雰囲気がアルメニアの地下鉄には感じられない。駅の表記にはロシア語が併記されている。グルジアは本気でヨーロッパに近づこうとしていたのだろう。

グルジア、アルメニアと、なかなか手ごろなホテルが不足しているものだから、民泊という選択肢が出てくる。アルメニアのエレバンでも、セルゲイさんの家にお邪魔をしている。家にはシャワーがないので、近くのシャワー屋まで15分ほどかけて歩いていく。古びた建物がややおどろおどろしい雰囲気を作り出しているものの、中はそれぞれ鍵のかかる個室になっていて、脱衣所とシャワールームが分かれ、広々としていて悪くない。

こうしてすっきりシャワーを浴びた帰りがけに、ビルの上からまたバケツの水をぶっかけられて、水浸しになった。寒い。

そんな寒いままの身体で、近くの食堂にビールを飲みに行って、ザリガニをつまむことにする。ザリガニを鍋に入れてローリエとともにゆがいているのだという。おかげで小ぶりで真っ赤な殻をつけたザリガニが、香り高い。あまり身のないそのザリガニをミソまでちゅーちゅーと吸いながら、合わせて注文した生ビールをぐびぐびとする。

その後セルゲイさんの家に戻り、野菜の魚のトマトソースパスタと、カマンベールにザクロワインをいただく。美味しいお酒の夜。