Top > ブログ

China

中国と北朝鮮 – Dangdong, China











昨晩20時40分に列車は出発し、丹東へと向かう。新空調硬座で、99元。
丹東へ向かった理由はただ一つ、北朝鮮を見に行くということだった。
駅に到着したのは朝の9時になろうとしている頃だ。

大きなバックパックを預け、外に出ると、毛沢東の大きな像が現れ、右手を空に向けている。

街を歩いてみると、朝鮮冷麺の店や、朝韓風情街という街路がある。
店舗には中国語の他に、韓国語も併記されているところ、韓国語しか書かれていない看板、
平壌の文字などが溢れている。

そのうちに、全長946.2mの長さ、鴨緑江大橋が見えてきて、河の向こうには、北朝鮮があるのだ。
煙突、建物、クレーン車、朝鮮語のみが書かれた建物、民家、バス、それから、
青赤黄緑といったかわいらしいカラフルな観覧車も見える。
人々が歩いているのも、自転車に乗っているのも見える。
その前の川には、小型のボートに乗った人の姿もある。
手漕ぎボートなど何隻かのボートが川に浮かんでいる。
網を手に持つ人もいる。
また、港のような設えの場所に舟が停泊し、
車も通っている。地べたに座る人たちもいる。

鴨緑江と書かれた石碑の前で、肩を組み、笑顔で写真撮影をする人たちがいる。
一大観光地なのである。

鴨緑江断橋と書かれたこれもまた大きな石碑もある。
朝鮮戦争の際に国連軍の爆撃によって破壊され不通になっている。

橋を途中まで進むと、北朝鮮側もより見えるようになる。
緑が多く、背の低い建物が見える一方、振り返ると、
中国側丹東の、高いビルが何棟もそびえているのが見える。

こちら側から北朝鮮を覗く望遠鏡で観光客たちは向こうの生活を覗いて行く。

街の中へと戻ると、朝韓百貨と書かれた建物の中に、
民族衣装や韓国語が書かれたジュースやお菓子が売られていた。

高くそびえるテレビ塔の上から、もっと街を眺めてみるため、タクシーに乗り込み
テレビ塔へ向かう。

そこからは、丹東という街にも、いかに高いビルと建物がそびえ立ち、乱立しているのかを目の当たりにすることができる。
緑の丘のへりに沿うかたちで、見渡す限り、建物が続いて行く。

一方、川の向こうの北朝鮮サイドは、川縁には、建物が並び、煙突も立っているが、建物は低層で、
その群の向こうには、広大な緑の平野が広がっている。

川一つはさんで、それは全く別の世界だった。

丹東の街へ戻る。
そこは、他の街でも見られるように、
自転車に乗る人々がいて、
道ばたに戯れる人々がいる。

せっかくなので、朝鮮料理を食べようと、レストランに入って、冷麺をいただく。

そして、14:50、ついに大連へと向かうバスへと乗り込む。
出発すぐには煙突やら建物が見えていたものの、すぐに緑豊かな土地になり、
川を渡り、バスは走り続ける。

そして、19:10には、大連へ到着した。
そこはまぎれもなく、大きな大きな都会だった。
ネオンが輝き、真新しいビルがにょきにょきとそびえ、
多くの車が行き交い、人々がネオンの下を歩く。

私たちは裏道にある食堂に入り、大棒ビールや、炒め物にごはんをオーダーする。

ロシアと中国、新と旧。– Harbin, China

二段ベッドの宿を出て、街に出る。ネコがするりと通り、道ばたではおばちゃん、おじちゃんがゲームボードを楽しんでいる。

ハルビンの魅力は、そのミックス感。旧ハルビンユダヤ新会堂(新ユダヤシナゴーグ)は美しいカーブを描いている。
尚志幼稚園の建物を見ながら、散歩を続ける。
ごみを捨てないでと灰色の壁に赤いペンキで殴り書きされている。空は濃く青い。

中央大街を歩いて行くと、「釣魚島は中国のものだ!」と店頭に書かれているのが見え、
中国国旗が至る所で掲げられている。

歴史的な建物のそばに、真新しいモダンなビルがにょきっと建っている。
普通のかたちをした建物の上に、タマネギのかたちをした天井がついていたりする。











ハルビンといえば餃子ということで、昼食をとりに、
1929年創業の老都一処に入り、水餃子と焼き餃子をオーダーする。
有名な店といえども華美なところはない。

てくてくと歩みを進めると、突然に、深く、こっくりとした緑色の天井をした
ソフィスカヤ寺院が輝き、広場に人々が集まっている。
もともとは帝政ロシア兵士のための教会として建てられた、ロシア正教の教会である。











そこから「教会通り」へと進み、
カトリックの教会、ハルビン聖心天主教堂、
生神女庇護祭を記憶する聖堂、ハルビン聖母守護教堂(ウクライナ教会)や
プロテスタント教会であるハルビン南崗キリスト教会を見て回る。












道ばたに停車された日本車のロゴは中国国旗で隠されているものもあれば、
「釣魚島は中国のもの」と書かれたステッカーを貼っているもの、
国旗を車からかざして走るもの、それぞれだ。











ずいぶん長いこと歩いて行くと、龍の像が見えてきて、
道ばたで何やら焼いている人たちがいて、
さらに進んで行くと、
「北方で有名な僧侶と知られる天台宗の第四十三代弟子である倓虚法師によって創立された」という寺院、極楽寺に到着する。











中に入ると、煙の中で熱心に祈りを捧げる人々がいる。
楽しそうに雑談をする人々もいる。











近くにはハルビン遊園地もあり、大きな観覧車が一目をひく。ロシアと中国と、昔と今が混在する。
そこから、バスに乗って、西の方へと戻り、アールヌーヴォー様式の旧東清鉄道本社と、鉄道職員社宅が残る周辺を散策する。
本社の前には毛沢東がそびえたっている。

再びバスで街中へと戻る。「町田寿司店」と煌煌と灯りをつけた店があった。
この時期に、その名を隠すことなく、営業中と看板を掲げて店を開けていた。

これから丹東への列車に乗り込むので、大きくて丸いロシアパンやらエッグタルト、
スーパーに入って、ハルビンビールやソーセージ、おかゆ缶やらカップラーメンを買い込む。

反日メッセージの街 – Harbin, China

列車は、夜中の2時25分に長春を発った。真夜中だが、乗り込む客がある。朝の5時半にはハルピンに到着した。

長春よりもここハルピンで、ずっと多くの反日のメッセージをあちらこちらに目のあたりにすることになった。
駅をおりれば、「釣魚島は中国のものだ。小さな日本は出て行け」とうたい、関連新聞記事が所狭しと貼られたプレートが置かれている。街を歩いていても、工事現場に同じ文言の垂れ幕がかかっている。

バスに乗れば、30代と思われる男性と運転手が「日本なんて叩きのめせば良い。」「でも、そういう事態になったらアメリカが日本を守るんだよ」と会話をしていて、公安局と思われる男性がそれに口をはさんでいる。











ハルピンは、シベリア鉄道でモスクワへと通じる交通の要として、欧風建築が数多く建っている。ロシア語もあるものの、やはり街は漢字に溢れ、松花江に面したスターリン公園には「毛主席万歳」というレリーフがたてられている。メイン通りでも、店頭に反日のメッセージをうたう店がある。日の丸にバツがつけられて、日本製を買うな、自分たちから始めよう。愛国心をもって魚釣島を守ろう、日本鬼子は出て行け、国の恥を忘れるな。国産のものを支持しよう。











昼は、有名店だという老昌春餅に入り、春餅や筋餅に、魚香肉絲や炒土豆絲をつつんでいただく。

侵華日軍第七三一部隊遺跡を訪ねる。

”「人間を食う魔窟」と呼ばれていた基地において、「731部隊」は残虐な手段で人体実験を行い、細菌兵器の研究の開発に取り組んでいた。”

”大量の未使用の化学兵器は、敗戦の際、旧日本軍によって中国領内に遺棄されたまま、いまなお中国人民の生命、財産、安全及び生存環境を脅かし続けています。”











地図や年表、統計などのパネルとともに、防毒マスクをした日本軍や実験の被害者の写真、旧日本軍遺棄毒ガス剤による被害者の写真も掲載されている。

”中国領内における日本の遺棄化学兵器の廃棄事業は始まったばかり”

屋外には、細菌試験室や病理試験室、結核実験室、凍傷実験室、小動物地下飼養室、黄鼠飼養室などが時を経た状態で保存されている。そんな中にぽつりと、2010年に日本ABC企画委員会一同による、ぴかぴかの真っ黒な「謝罪と不戦平和の誓い」という石碑がたてられていた。











敷地の内外では、畑が青々とした葉っぱをつけ、地元の人々が遊んでいた。小さな女の子もいる。どこから来たのだと尋ねられたので、韓国人だと答えようか迷ったものの、正直に日本人だと言った。そうすると、大声で「日本人か」と言うので、慌てて私たちはしーっと宥めると、笑われた。
日本人であることを隠さなければならないと思うほどに、ハルピンの反日感情は強いように思えたのだ。

こう、言われた。
「こうして会えたのもご縁です。一人一人それぞれ考え方は違います。何かあれば警察が守ってくれます。またお越しください」











ハルピン駅までバスで戻る頃には日も暮れていた。
大きなホテルであるKunlunホテルの入り口は「日本人の宿泊を拒絶する。理性愛国、拒絶暴力」と電子掲示板に流していく。駅の電子掲示板にも、「国の恥を忘れるな。中華復興。釣魚島は中国固有の領土である」と大きく流される。
北京を含めた他のどの都市よりも、ハルピンで反日のメッセージをよく目の当たりにする。











ハルピンには、雰囲気の良いロシア料理屋がいくつかある。その内のTATOCという店に入る。冬が寒いからだろう、地下に潜り込んでいった先にぬくもりのあるスペースが広がっている。ボルシチにマッシュルームのクリームスープ、それに壺焼、そしてパン。歴史ある店内に、さほど愛想のないスタッフがいて、それがどことなくロシアらしくて良い。

帰りに、小さな店で月餅を買って、それをほおばりながら帰る。

満州への想い – Changchun, China











今日は長春の、旧満州国の跡を見て回る。旧首都警察庁(長春市公安局)、旧満洲国(偽満州)電信電話株式会社跡、旧満洲国・中央銀行(現在は中国人民銀行)、満州政府総理大臣張景恵旧宅(現吉林省軍区徳恵路招待所)、旧満州国国務院跡など。

途中、シャングリラホテルで道を尋ねたが、コンシェルジュは物腰柔らかで、反日運動最中に旧満州の跡地を巡る気持ちとはかけ離れた雰囲気を醸し出していた。

地元で人気のもっちりとした水餃子をいただり、スーパーで買い求めたチョコアイスバーをほおばったりして、歩みを進める。











北朝鮮のレストラン、仁風閣に入って、食事をとる。外観、内観ともに立派で、スタッフは民族衣装を着ている。店の前には高級車がずらりと並んでいる。客もぽつりぽつりといて、どの客も大変な数の皿をテーブルに並べている。真っ白いクロスをかけられた堀りテーブルに腰をかける。平壌冷麺に、朝鮮式炸醤麺、珍しいからオーダーした犬の脳。犬の脳は、ねっとりと甘く、少しレバーのようだった。朝鮮料理は甘い韓国料理と比べて比較的辛いのだという。











満州国の国家機関の中で現存する8つの建物を偽満州国八大部といい、経済部や交通部、文教部、などのそれらや総合法衛も見て回る。

お父様が偽満州の日本軍は礼儀があると言っていた、という門番のおじさんもいた。
中国と日本の国民は友達同士だ – 友好 – 何か言われたら、この一言を言えば良い。
日本から観光バスで来る人々は、よく勉強していて、知識もある。

泣きそうになる。

その他、こんなふうにも言われた。
中国人は友好的だから、こわがらなくて良い。
魚釣島のことは政府間の問題だ。一般の人たちは毎日仕事をして、ごはんを食べて過ごしている。
そもそも魚釣島だって、温暖化で海面が上昇したら、そのうちになくなってしまうんじゃないか。
長春の人たちは怒っていない、大丈夫だ。
韓国にも日本の影響がある建物があるが爆破してしまった。中国はそれを保護している。頑張って、勉強を続けなさい。
トップの観点と国民一人一人の考え方は違う。











文化広場では空高く、たくさんの凧がまっている。











友人が通っていた東北師範大学に立ち寄っていたりしたら、日が暮れてきたので、バスに乗って、旧関東軍総司令本部(現中国共産党吉林省委員会)に向かう。ガードマンがじろりと睨みをきかせている。

旧満州国皇宮博物院も訪ねる。月が浮かび、市民たちが、涼しい夜を満喫している。鞠を蹴るものもいれば、バドミントンを楽しむものも、踊りを踊ったり、犬の散歩をするものもいる。決してうまいとはいえない歌や楽器を爆音で流すものもいる。敷地内には、きらきらとした海鮮レストランがあり、辺りは大規模な工事が行われているようで、大きなクレーンがたち、背後には、ぽつりぽつりと灯りのついた高層ビルがそびえていた。

夕食は、店舗が並ぶ長江路歩行街で済ませる。今日は夜中の2時25分の列車でハルピンに向かうことになっている。それまで、駅近くの24時間営業のケンタッキーに入って、コーヒーを飲む。近くにはカルフールだって、ある。

九一八と朝鮮街と路地裏 – Shenyang / Changchun, China

朝は、屋台で卵とソーセージを小麦粉で焼いた手抓餅を調達してほおばりながら、昨日の続きを見に再び九一八歴史博物館へ戻る。

戦争当時の斬られた首や、血まみれの像が展示されていた後、中日友好の往来として、福田首相と胡錦濤国家主席が握手をしている写真などを掲載。そして、日本軍国主義の復活を警戒として小泉首相の靖国神社参拝阻止といった写真を見せていく。

”歴史を鑑として平和を待ち望み日本軍国主義の復活を警戒する”
”我々は世界の人々の美しい平和を願っている”

建物を出ると、小学生の見学の団体が続々と博物館へと入っていった。











瀋陽には、コリアンタウンがあるというので、足を向けてみる。平壌館と朝鮮語で書かれた建物やホテルの入り口には、美女が民族服を着て二人立っている。

平壌友好東明館と書かれた店には、北朝鮮と韓国国旗の両方が隣り合わせで掲げられている。

日本人入店拒絶と掲げられた店もある。

昼食は、宿の方にオススメしてもらった満宝で、ワンタンスープを食べた。

今日は、瀋陽を離れて硬座で長春に向かう。夕方の16時過ぎに出発をして、到着するのが20時過ぎ。夕日が沈んでいく。硬い椅子に揺られながら、さほど混雑をしていない列車。長春の駅も、場所によっては、あまり人が見られない。

駅を出て、ぶらりと安い宿を探す。ここ数年で中国の宿事情が変わったのか、安い宿が見つからない。以前は招待所などに一泊数百円ほどで泊まれたものだけれど、今はそういったところに出向いても、外国人は泊められないと断られてしまう。だから、必然的に外国人を受け入れられる比較的しっかりしたホテルに宿泊となってしまうことも増えてしまいかねない。











でも、ここ長春では、薄暗い路地に入った、怪しげな招待所を訪ねてみると、宿泊を受け入れてもらえるという。決して衛生的とはいえない小さな宿に小さな部屋が並んでいる。真ん中には蛍光ピンクに照らされた仏像が置かれている、なんとも不思議な雰囲気の宿だった。私たちを受け入れるのが良いのかどうかは、分からない。

夕食をとりに街に繰り出すも、すでに23時をまわり夜も更けていて、路地はしんとしている。なんとか開いていた店に入り込み、紅焼日本豆腐と魚香肉絲をオーダーする。

中国のこういった薄暗さが、中国らしくて、良い。