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2014年12月

大晦日の沖縄と、偶然の再会 – Okinawa, Japan











朝は、宿からほど近い牧志公設市場へ。今年最後の開場日だったからか、活気づいている。
変わった色をしたぎらぎらの魚や豚の顔がくしゃとつぶれたのや、もずくなどが並び、年越しそば用に、沖縄そば店には行列ができている。

いろいろな味をしたサーターアンダギーを買って、それをもぐもぐとする。いろいろな種類のアンダギーを買ってみたものの、なかなか違いは分からない。

今日もレンタカーを借りて、島を北へと向かう。おすすめをしてもらっていた金武にあるタコスライス屋、King Tacosに立ち寄る。ここは、タコライスの発祥のお店とのことで、メニューもタコライスかタコスがメインで、店内ほとんどの客がそれを食べているといった具合だ。どちらもボリュームいっぱいで、タコライスは、ごはんの上にたっぷりとタコミートやら、レタスにチーズ、トマトがのっている。タコスだって、口におさまらないぐらいで、満席の店内で、みんなが幸せそうに、むしゃむしゃと食べている。












この町には、キャンプハンセンが近くにあり、街全体がレトロなアメリカンムードが漂っている。






















今夜は、年越しなので、特別な宿に泊まれればと見つけ出した宿が古宇利島にあり、快晴の空の下、車の窓を開けて走りながら、そこまで一気に車で向かう。

島に向かうのに渡る古宇利大橋は、きらきらとしていて、橋のたもとには小さな砂浜もある。しかも、大晦日だというのに、爽やか。やっぱり南の島はとっても良い。












泊まる宿、hotel cavaは、そんな橋から入って、古宇利島をくるりとまわった、さとうきび畑の中にぽつりとある宿。
3部屋しか、ない。

車を宿の前に停めると、奥さんが宿から出てきて、迎えてくれた。











3部屋それぞれが離れになっていて、それぞれが池でつながり、カフェ棟へと通じている。
部屋はきちんと清潔に保たれていて、隅々まで心が込められていて、微かに良い香りがする。












今日は、大晦日なものだから、年越しそばも食べに行きたい。

一度宿を出て、備瀬のフクギ並木に立ち寄る。防風林としてフクギが路地に並んでいる。強い風にあたりながら、徐々に陽が沈もうとしている。

日の入りを見ようと、再び車に乗り込み、エメラルドビーチに車を停めて、
今年最後の陽が沈んでいくのを砂浜に座って眺める。












周りにほとんど、人はいない。

すがすがしい風が吹く中、太陽は海の中に真っ赤に沈んでいった。

来年がとても楽しみになる日の入りだった。

太陽が姿を消してから、月を空にあおぎながら、年越しそばを食べに沖縄そばのお店の並ぶ県道84号の、きしもと食堂八重岳店に入る。私たちと同じように年越し蕎麦を食べに来る人たちで混雑しているだろうと思っていたら、店はさほど混んでおらず、地元の人が一人でそばをすすっていたりする。

だいたいメニューは岸本そばの、サイズ違いで、それをオーダーする。灰汁を練り込んだもちもちの麺に、カツオだしのスープでいただく。

店を出る頃、ふとしたことから、今晩泊まる宿、hotel cavaのオーナーが、もしかすると、昔からの友だちで沖縄で宿を開いたというノブさんかもしれないと思い立った。宿に戻ってから、オーナーであるご主人にご挨拶をしにいくと、確かにノブさんだった。

かわいい娘さんと息子さんがパタパタと歩き回り、東京に住んでいたときよりも、大変だけれど、精神的にはすごく良い、移ってきてよかったという。周りの方々はお年を召された方が多いけれど、リスペクトしあってやっている。家具は、猫脚のバスタブ含め、あちらこちらから集めてきた。設計は沖縄の方にお願いをして、細かいところは自分たちでつめていった、など、話がつきない。
かかった費用は東京でマンションを買うのと同じくらいだったから、こんなふうに夢を追って生活ができたらいい。

奄美大島に行けなくなって、沖縄に来たのも、この再会のためだったのかもしれない。

辺野古の今と神のいるところ - Okinawa, Japan

宿には、「沖縄古語大辞典」や「時の眼ー沖縄―復帰40年の軌跡」 などの本がどっさりと積まれていて、棚には、酒やらやちむんが並んでいた。

シークワーサーをかじった後、車に乗って、ジュゴンの見える丘に向かう。宿で教えてもらっていなければ辿り着けない場所にあった。














車で入れなくなる場所から、車を降りて、すすきやらが生い茂る小径を歩いていく。足元は両脇、遥か下まで、崖であったりする。15分ほど歩いたところで、とたんに芝生の広場に出て、そこから、ぱっとエメラルドグリーンの海が広がっていた。












見渡す限りの海は太陽の光をきらきらと浴びていて、きっとここには神様がいるのだろう。12月とは思えない暖かな日差しだ。草むらに寝そべり、風と海の音を感じる。

この辺野古への基地の移転が検討をされている。












辺野古への基地移転問題に対して、座り込みをしている場所があるとのことを宿で伺って、車で向かってみる。辺野古のメイン通りから集落を越えて、海沿いにいったところに、テントはあった。泊まった宿は、基地移転反対派の活動拠点にもなっていたようだが、年末年始は人々は帰省していて、座り込みも少ないだろうと聞いていた。

集落とキャンプシュワブの間には、網格子がそびえたっている。
そこには、「子どもたちに平和な未来を」「沖縄は屈しない!」といった布が張られていて、その合間に、物を取り付けたり貼り出したりすれば、日本国警察に通報するといった内容を英語と日本語で書いた看板が貼られている。











年末は座り込みもないかもしれませんね、と聞いていたものの、一つのテントには、女性たちがいて、来訪者に熱心に説明をしていた。壁には新聞の切り抜きや、チラシなどが所狭しと貼られている。











夏にも巡回船を出して抗議活動をおこなっていたという女性が、私たちに丁寧に説明をしてくれる。

沖縄知事に安倍首相が面会しようとしなかった、
ジュゴンの食べ物である海草の生えている場所や珊瑚礁を壊して、埋め立てを行い、滑走路を作ろうとしていること。
普天間から辺野古に移す目的の一つは、普天間が市内地にあり、世界一危ない基地だと言われていたからなんです、と加えた。

テントの前には、座り込みが3908日目だと書かれている。

自分たちの運動が、沖縄の民意を変化させ、それが県知事選の結果にもあらわれ、政治を変えていったこと、基地があることによる経済効果は、ほとんど見込まれないということ。

わたしたちにできることはないですか、と聞いたら、この現状を多くの方に伝えてくださいと言った。

わたしたちは、辺野古から一気に那覇に車で戻った。

車を戻した後、国際通りにあるブルーシールに入る。

おすすめをしてもらった、ウベと塩ちんすこうのアイスクリームをシングルでオーダーして、食べ歩きをしながら、駅まで向かう。モノレールとバスで、琉球最高の聖地だと言われる斎場御嶽を訪ねる。

先ほどの辺野古周辺とはうってかわり、
観光地と化した世界遺産の聖地は観光客がたくさんいた。

琉球創世の神、アマミキヨが国始めに造った七御嶽の一つといわれているという。















自然の中に、神様がいる。人の流れが途切れると、そこには確かに静かな時間が流れていた。

夜ご飯は、以前の沖縄旅行でも訪ねたまんじゅまいで、ふーちゃんぷるーと、じーまーみ豆腐、グルクンの唐揚げをほおばる。

閉店すれば、移動をして、近くのお食事処三笠で、おすすめの沖縄風チャンポンをいただく。三笠は、全員男性客で、いかにも地元に愛されているお店だった。














青い海とひっそりとした島と泡盛の夜 – Okinawa, Japan











朝は宿で、パンケーキとスパム、スクランブルエッグを出してもらったうえ、レンタカーの空きまで調べてもらい、行き先もままならない中で、とにもかくにもレンタカーを借りてみる。

本島を北へ向かい、アメリカのチェーンハンバーガー店、A&Wに入り、モッツァバーガーとフライドポテト、それにルートビアをオーダーする。モッツァバーガーはボリュームがあり、マッシュポテトを揚げたというフライドポテトはもっちりとした食感で、ルートビアは薬草の味がして、アメリカンなセットだ。

今日のルートをおおまかに決める。












海にかかった橋、海中道路を渡る。爽やかな風が強く吹き、海は青々としている。両手を大きく広げて、息をたっぷり吸い込む。

橋を渡った先の浜比嘉島には、琉球の国造り神話が残っている。琉球創世神話の神であるアマミチューの墓やアマミチュー、シルミチューが住んでいたという洞穴がある。それは島の中に、ひっそりとたたずみ、洞穴にはしっかりと鍵がかかり、外からしか中の様子を伺えない。











おじいさんやおばあさんが畑を耕し、石垣や瓦屋根が並ぶ集落では、地元のおじさんたちが外で作業をしている。この島は、元の橙色の瓦屋根に、白いペイントを施してある家が多い。私たちに話しかけてくれた地元のおじさんにその理由を尋ねてみると、防水のためだと教えてくれた。屋根が古くなってきているから、こうしているのだという。











浜比嘉島は、橋で平安座時間、宮城島、伊計島につながっている。どんどんと先の方まで車を飛ばしていく。











そこは、ひっそりとしていて、人はほとんどおらず、ただひたすらに畑が広がっていた。ところどころに沖縄風の墓が点在している。なんだか、懐かしいかんじのする風景だ。











夕焼けを見ながら、また車を飛ばして、本島まで戻り、JIJI CAFEに入る。そこは、戦後、駐留米軍のために作られた平屋住宅で、かたちの違う家具たちが並んでいるのに、カフェ全体に統一した雰囲気が流れている。チャイとプレミアム・アールグレイをオーダーする。ゆっくりした時間。










外に出てみると、すっかり日は暮れていた。辺野古まで行こうということで、ネットで見つけた海と風の宿という宿に電話をしてみると、バスルームを改装したお部屋でしたら空いています、とのことで、他にあてがあるはずもなく、そこにお邪魔する。

辺野古基地移転問題でも活動をされているというオーナーさんが現在入院中とのことだったけれど、そのぬくもりが宿のあちらこちらに残っている。

時間は21時を回っていた。近所でどこか食事ができるところはありますか、と尋ねると、近くの商店にチキンがあったなと宿泊客の間でも話題になる。近所の商店のチキンが話題になるくらいの場所なのだ。その商店を訪ねてみると、乾きものがメインのそこで、確かにそのチキンは輝いて見えたけれど、それにしては冷えすぎていそうだった。











やんばる料理の店 あぶという店が開いているかもしれないとのことで、車で向かう。「この近所で灯りがついているのは飲食店くらいだから、分かりますよ」という言葉を励みに、暗闇を向かう。

確かに、灯りがともった店があぶだった。店内からは、沖縄音楽が聞こえてくる。店内には有名人の色紙も貼ってある。他に客はなく、店主と奥様の二人が迎えてくれた。ソーメンチャンプルーや、海ぶどう、島豚てびち煮付、それに、名物だというセーイカのバター炒め定食をオーダーする。定食には、セーイカのキムチ和えやもずく、パイナップルを切ったのがついている。

食べ終わるころには、ご主人も、テーブルについて、オリオンビールを飲み始めた。わたしたちが、そろそろ店を出ようとすると、ゆんたくしていかないかと、わたしたちを誘った。

ゆんたくって、なんですか、と聞くと、交流、と少し酔っぱらった顔で言った。

そこから、泡盛を並々と注がれること3杯、さっきまで生きていたというサザエをどっさりと持ってきて、ご主人にとってはきっと日課なのだろう、仕事の後の宴会が始まった。フィリピンの奥さんを娶って、とても支えられているという話、最近経営が難しい話、それから信頼と愛情についてをとうとうと説いた。訛が激しいからか、話がほとんど理解できない。でも、言わんとすることをそのニュアンスで感じ取れた。

ふいに辺野古と基地の話になると、おじさんは、国のためなら仕方がないと思うと言った。かつて、おじさんが小さかった頃はまだまだ貧しくて、米軍に向かって、チョコレートをちょうだいと言っては、チョコレートをもらっていたのだという。あのときの美味しさは忘れられない。キャンプシュワブの大将の話もしてくれた。

酔ったおじさんは、目がすわってきたけれど、帰りが近づくと、何度も握手を交わした。おじさんの手はあたたかかった。また来てくださいと何度も言った。











奄美大島のつもりが、沖縄へ。- Okinawa, Japan











今年の年末年始は、奄美大島で過ごそうということになった。なにしろ東京よりは暖かいし、国内なので何かあったときにも安心だ。珍しく、いくつかの宿を予約したり、おおよそのルートを決めたりして、家を出た。

LCCのバニラエアで飛行機をとったため、羽田ではなく、成田空港へ向かう。LCCのターミナルは、空港の端のほうに追いやられて、一度外に出て、冷たい空気を吸い込みながら、ようやくバニラエアのターミナルに辿り着くという流れになっている。小さな売店がひっそりとあるのみだ。

でも、時間通りに呼び出され、バスで空港内をぐるりと回って、ようやく機体に到着して、乗り込む。

すべてが通常通りのはずで、うとうととしていたところだった。
機体は少し動き出したところだった。

機長がアナウンスをする。

「左のエンジンから液体が漏れているので、調査をします。しばらくお待ちください。」

そこから、時間だけはとくとくと過ぎて、またアナウンスが入る。

「より詳しく調査をしますので、一度機体を降りてください。機体の左側には、消防車や救急車が集まってきており、物々しい雰囲気になっていますが、念のためのものですので、ご安心ください。」











機体を降りてみれば、確かに数多くの消防車や救急車が集まり、ホースを機体に向けている隊員もいる。

バスに乗って、先ほど来た道をまたぐるりと戻る。

出発予定だった10時を2時間以上過ぎたところでアナウンスが入った。

「奄美大島行き、JW823は欠航いたします。」

そこから先のアナウンスが、ない。

だから、おずおずと、スタッフに聞きにいく。

そこからまたしばらく待ってカウンターに戻ると、振替か、返金の決断を迫られた。

奄美大島の振替は、次は1月2日のみ空いております、と言う。

周りには、秋田からわざわざ来て、ここまで3万円ほどかかったという人もいたようだが、バニラエアは、「申し訳ございません、振替か返金のみ対応が可能です。空港までの交通費は補償いたしかねます」と繰り返すのみだ。

奄美大島に里帰りしようとしていた女性は、特に里帰りできないことを気にかけるふうもなく、私たちに、「これに懲りずにぜひいらしてくださいね」と言った。奄美はお金がないんですよ、と付け加えた。「南はお金がないの。」

こうなったら、どこでも良いから、行けるところを探そうと思ったものの、バニラエアはぎりぎりの機体数で運行をしていて、それぞれの行き先の本数も少ないので、当分先まで空きがなさそうだった。

困ったものだと私たちは、空港のそじ坊に入り、かつとじ丼とおそばをやけ食いする。既に、13時半をまわっていた。
他に空いている飛行機はどこだろうか。どこか北の方の温泉に行くか…。

携帯で調べていると、夕方のJALの沖縄那覇行きがまだ空いていることに気づく。とにかくどこかへ行こう、暖かいのなら、なおさら良い、ということで、沖縄に行くことにした。羽田から出発ということで、成田から羽田へ移動する。

JALは私たちに、端のほうではない、通常のターミナルを使わせてくれ、無事に時間通りに羽田を発ち、私たちを沖縄那覇へと運んでくれた。

「めんそ〜れ おきなわ」と、沖縄空港は私たちを迎えてくれた。
外に出てみると、とても暖かい。これだけで、本当に十分だ。来たかいがあった。

空港で宿を探して、キャンセルが入ったからと受け入れてくれた宿へモノレールで向かう。
牧志駅から近い、国際通り上にある宿で、荷物をようやく降ろした。

時刻は既に23時を過ぎていたものの、夜遅くまで開いている食堂、まきし食堂に入り、ゴーヤーチャンプルーにラフテー、それに豆腐ようをオーダーする。

こうして、なぜか沖縄で、旅が始まった。

冬のロシア料理

家の近くのお店巡りをしようと、リストアップ。寒さも深まるこの時期、今回はその中から、ロシア料理店を選びました。古びた入り口も気になっていたサラファンへ。ボルシチやらピロシキやら壷焼きやらロールキャベツやら。

冬は、こんなふうに、籠ったお店で、ぬくぬくと寒い国のお料理をいただくのが良い。