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Georgia

グルジア-アルメニア国境情報

グルジアのトビリシから、アルメニアのイェレバンまで列車で移動するルートです。

1.トビリシ駅で、切符を購入。乗車。
  (※13番窓口。窓口の女性は、少し英語が話せました。
    列車は毎日あるようです。22:16発、2等4人コンパートメント GL 43.21)
2.国境付近で、グルジア側の係員が来て、パスポートを回収。
3.スタンプを押したあと、返却。
4.アルメニアビザ取得のための用紙が配られるので、記入する。
5.アルメニア側国境で、先頭の車両に移動するように指示される。
  (※荷物検査はありません。)
6.先頭の車両からホームに降り、建物に入る。
7.ビザ代 US$10.00を支払う。
8.別室に行き、簡単な質問を受け、答えると、スタンプが押される。
9.建物を出て、先頭の車両から乗車。
10.翌朝7時前に、イェレバンに到着。

◎両替
 国境では両替はできませんでした。
 イェレバン駅の地下に、両替屋があります。

古いたくさんの教会と、シナゴーグとモスクに雨が降る。 – Tbilisi, Georgia

朝は宿の近くにあるGold Cafeという看板を掲げる店で、アチャルリ・ハチャプリをオーダーする。もっちりとしたあつあつのパンに、ふんわり卵とバター、それにややとろりとしたチーズがかけられて出てくる。ボリュームたっぷりおいしい朝ごはん。

今日は19世紀の町並みが残ると言うトビリシを歩いてみることにする。宿の最寄りの地下鉄駅、ステーション・スクエアからいつもの通りに高速エスカレーターに飛び乗り、地下深いプラットフォームへ下りていく。

金色の像の建つタヴィスプレバ広場のそばのグルジア国立博物館内にはソビエト占領博物館という博物館もあり、1921年から1991年のソビエト占領を振り返る展示が常設で行われている。道にはUNHCRやEUグルジア監視団のロゴをつけた車が停まっている。

バニラのジュースを飲みながら、キリスト教グッズの並ぶ石畳のリセリゼ通りを歩いていくと、右手にノラシェン教会やジュヴァリス・ママ教会が現れる。ジュヴァリス・ママ教会内はカラフルな壁画でおおわれ、ドーム状の天井にはグルジア国旗にみられるような白と赤の十字がひかれている。

グルジアは周りの多くの国がイスラム教国の中、キリスト教中心の国。そんなキリスト教色の強い町の中にもすぐそばにはシナゴーグやスニト・モスク、それにハマムもあり、イスラム教徒が多く住む地域もある。

町からもよく見える丘をてくてくと登っていくと、ナリカラ城塞にたどり着き、城内には聖ニコロズ教会がある。カラフルな絵が壁面やドームにびっしりと描かれているこの教会では、ちょうど結婚式が挙げられていた。

赤いマントを身にまとい、金の十字架を首にぶらさげた神父が前に立ち、その後ろに新郎新婦、そして二人をはさむように若い男女がそれぞれ立っている。新郎は半袖の白シャツに黒いパンツ、新婦は純白のウェディングドレス。そのうちに神父から頭に真珠のついた冠をのせられる。

教会のそばにはグルジアの母、カルトゥリス・デダ像がどんと立っている。母像は、かつてのソ連で国を母になぞらえ、ナショナリズムを高揚させるためによく建てられたのだそう。

城塞からはトビリシの街が一望できる。赤い屋根に白の壁の家々が立ち並び、あちらこちらにとんがり屋根の趣深い石造りの教会が建っている。街の真ん中にムトゥクヴァリ川が流れていて、そこには平和橋と名付けられた近代的なデザインの橋がかけられている。

丘から下り、川を渡って、向かいの小高い丘の上にあるメテヒ教会に向かう。ここでもまた結婚式が行われ、続いてミサが行われた。グルジアの教会はそのおおよそがこじんまりとしていて、ずらりと並ぶ椅子も、ない。だからミサの間もみなドームの下に立ち、神父のほうを向く。神父は人々の合間をぬって、香炉をしゃかしゃかと振りながら、教会内を歩き、参列者はそれに合わせて自由に動いていく。

女性はだいたい頭にスカーフをかぶせている。先日話をした神父の話では、髪を隠すかどうかはどちらでも良く、神との関係の中で決めるべきだと言った。

かつてバザールのあったゴルガサリ広場を抜けて、お洒落なキリスト教の装飾品を売るPokanyを眺めながら、グルジア正教の総本山スィオニ大聖堂に入る。

大聖堂でもまたミサが行われ、緑に金の刺繍があしらわれた衣装を着た神父が香炉を振りながら、練り歩き、わきで聖書が読まれる。ドームの窓から光が差し込み、シャンデリアの灯りとともに室内を照らしている。

グルジアはワインが有名で、街中にもワイン屋が少なくない。甘口のキンズマラウリや優良銘柄といわれているムクザニの赤ワイン、それに白のツィナンダリなどを試す。これもややバニラのような味がしないわけでもないが、いずれにしてもどうも薄くて水っぽい。これくらいのほうが、日常生活にぐいぐいと飲めるのかもしれない。勧められたコンドリの白ワインが、日本でのテーブルワインらしい味。ワインはフルボトルで500円程度から買えてしまい、多くのワインが1000円以下で買えてしまうのだから、安くてぐびぐび日常づかいなのだ。

ほんわかしてきたところで、近くの食堂でパンを食べる。ハチャプリといってもいろいろあるようで、ここにあったのはパイ生地。それにやや塩けのあるチーズがはさまっている。もう一つはドライフルーツの入ったさっくりしっとりとしたパンをいただく。 

さらに歩けば、5世紀に建てられたアンチスハティ教会にたどり着く。古びた趣の教会に入れば、そこもまた人々で溢れ、ろうそくがあちらこちらに灯っている。

そのうちにぽつぽつざあざあと大雨が降り始めた。雨宿りをするも止みそうにない。ざあざあと止まない雨を眺めながら、行ってみたかった近くのサメバ大聖堂まで雨の中を走って訪ねてみる。

雨の中、教会には大勢の人が集まり、赤い聖職衣を着た男性が前を歩き、規模の大きく天井の高い教会に賛美歌が響いていた。橙色に照らされた雨の中の大聖堂を犬が一匹眺めている。

そこからバスに乗ってメトロに乗り継ぎ、宿へと向かう。車内はどことなくアルコールの匂いが漂っている。

トビリシ駅近くの宿の周りは下町ふうで、味のしないようなパンを並べた店や惣菜屋もある。男性たちが集まってペットボトルに入れたウォッカを飲む店があり、灯りをつけた惣菜屋はテーブルに鍋やフライパン、プラスチック容器などを並べて、それぞれ惣菜を売り、ワインなどは量り売りもしている。

今日はこれから国際列車でアルメニアに向かう。トビリシ駅は大きく、予約のときもパスポートを見せれば、はきはきとした発音の英語でチケットを発券してくれた。そしてパスポートを投げて返却されれば、チケットが手渡された。

明るい駅の様子とは打って変わって、プラットフォームは薄暗い。既に寝台列車は停車していて、指定された車両に乗りこむも、手にしていたチケットとは違うベッド番号へと通される。いいからここだと車掌は苛立つように言って、乗客を押し込む。一つのコンパートメントに2段ベッドが2列並んでいる。アルメニア人の女性と中華系米国人の男性とわたしたち。

その中華系米国人男性は、ここの職員たちは馬鹿なのだ、と吐き捨てるように言った。そして、2等寝台のわたしたちよりも3等のほうが逆に空いていて楽にしていられるよと小さく笑った。

車両によっては客のいない車両もあり、客はかためて詰められているのである。

アルメニアの入国用紙を配られたあと、グルジアの警察官がパスポートを回収しにくるので、それに手渡すだけだ。そうすれば、10分ほどしたところで出国スタンプの押されたパスポートが返却される。硬い表情をしたままの警察官が、わたしたちが日本人だと分かると「ブルース・リー」と言った。

列車はタサラ鉄道と比べて新しくて清潔に整えられている。水道からも適度な圧力で水が出て、シーツや布団も配られる。そのうちに冷房がつき、車内は冷えていく。

グルジアにいたスターリンが消えた – Tbilisi / Gori, Georgia

朝ごはんにパンと紅茶をいただきながら、身支度を整え、スターリンの生誕の地、ゴリへ向かう。

昨日会った神父は、スターリンはグルジア出身なのにロシアに行ってグルジアに侵攻したのだから裏切り者だと言っていた。そして、ロシアの信仰はグルジアの信仰に比べると狂信的だとも加えた。一方、グルジアで、スターリンを今も偉人だと考える人も少なくない。

昨日と同じディドゥベ駅からバスに乗ってゴリの街へと進んでいく。道の途中、古びたエメラルドグリーンの色をしたベンツのバスが故障して、がたりと停まる。すると、運転手と車掌の二人のおじいちゃんがバスから降りて、とんかちこと慣れた手つきで直し始める。再び走りだしてもまだ調子ののらないバスは、ゆっくりコトコトと走っていく。こうして2時間と少しでゴリのターミナルに到着した。目の前の丘の上には、ゴリ城塞が見える。

ローカルバスに乗り換えて、7世紀に建てられたアテニ・スィオニ教会に向かう。道には牛が通り、あちらこちらにぶどうがぶらさがっている。このバスの運転手もまたおじいちゃん。途中でぎーっとバスを停めて、無言で一人バスを降り、商店からどでかいファンタのボトルを手に運転席に戻ってまたブルンとエンジンをつけて動き出す。

教会は修復中のようで、中には足場が組まれ、女性が二人座って、色あせつつある壁画を模写している。足場だらけの教会内にも、シャンデリアがぽつりとぶら下がり、ドームからはその長い歴史を感じさせられる。窓から太陽の光が淡く降り注ぎ、教会内を照らしている。

周辺の山々には家がぽつりぽつりとあり、荷台に若者を乗せたトラックやにわとりが疾走していく。山の上に城塞のようなものを眺めながら、少し歩けば、今も使われている教会がまた現れる。中には顔だけを出して全身黒い服を着た修道女が洗濯物を山のように手にもち、ひげを生やして帽子も服も黒ずくめの神父と会話を交わしている。修道女はどうぞと教会の扉を開けて誘ってくれる。

ゴリの町への帰りのバスがなかなかないので、ヒッチハイクをして戻ることにする。停まってくれたバンは、1列目より後ろが取り払われ、酒を片手に男性たちが数人座りこんでいた。バンには爆音のノリノリ音楽がかかっていて、乗り込んだ途端にアルコールの匂いがした。男性たちはウォッカを片手に、手を挙げ、踊りだす。そのうちの2人が手にしていた酒とパンの袋は酒で濡れている。そんな袋を片手に、おぼつく足でバンを降りていった。

20分ほど走ればゴリの町に到着し、てくてくとスターリン博物館を訪ねる。博物館前には、スターリンがポツダム会議に向かうのに使ったという緑色の列車が置かれている。

正面階段にはどんとスターリンの肖像が佇み、右手の土産物屋には、スターリンのカレンダーやキーホルダー、ライターやコインに時計、ボトルワインにコップやTシャツなどが売られている。

大粛清を行った独裁者のイメージをもつスターリンも、ここではアイドルふうだ。

レーニンの新聞記事、社会主義労働英雄の称号を与えられた判決文、レーニンや作家ゴーリキーと一緒に写っている写真、それに農業共同体の農民や赤軍の写真、そしてファシストの旗を投げるソビエト軍の写真。

1905年血の日曜日事件やメーデーの写真、10月革命の地図、中国語や韓国語など各国の言葉に翻訳されたスターリン選集の書籍。

奥にスターリンのデスマスクがぽつりと置かれている。さらに進むと、中国やロシア、イタリア、ウズベキスタン、レバノン、タジキスタンなどからの贈り物である磁器や木彫り、ワイン樽などがずらりと並ぶ。所持品であったスーツケースや文房具や葉巻やパイプに刀も、置かれている。

博物館を出ると、そばには復元されたスターリンの生家もあり、スターリン通りという街道がまっすぐに太く伸びている。道沿いに歩いていくと大祖国戦争博物館、さらに歩けばスターリン広場にたどり着く。広場にはスターリン像がそびえているはずだったが、どう見ても、それらしいものがない。

どうもスターリン像は2年ほど前に撤去されたらしい。今その場所はただの芝生になっていた。あとから聞いたところによると、今の大統領が米国寄りで、グルジアがヨーロッパになることを望んでいるらしい。で、スターリン像を撤去しようと考えたものの、周辺のお年寄りの反対にあったため、夜中にこっそり撤去したらしい。

その隠された像を、政治的な意味をもってしまうスターリン広場から、スターリン博物館の前に移動する計画もあるらしいが、未だにその像はどこかにしまわれたままになっているそう。

道ばたでハチャプリという、チーズのたっぷりのったもちもちのパンを買ってほおばりながら、トビリシへ帰る乗り合いタクシーをつかまえる。

帰りは1時間ほどでトビリシに到着する。スーパーマーケットに並ぶワインとビールから、よく飲まれているNatakhtariの大きなビールのペットボトルを買い求める。そして、駅からほど近い食堂に入って、そのビールをグラスに注ぎながら、爆音ライブとともに、グルジアの水餃子、ヒンカリをつまむ。大きなヒンカリに肉汁がたっぷりとつまっていて、こぼれ出す。

夜の1時を過ぎてもなおがたりがたりと鉄道の走る音がした。

グルジアの石造り教会と、出会った神父 – Tbilisi / Mtskheta, Georgia

朝5時ころにコーヒーが配られ、目が覚める。窓の外は霧に包まれた森だった。緑が深くて濃く、川がゆたりゆたりと流れている。そこに屋根のとんがった煉瓦づくりの古びた趣のある家が点々としていて、時折可愛らしい教会がひょっこりと佇んでいるのだから、グルジア人が自分たちをヨーロッパ人だと定義するのもなるほどとうなづけてしまう。

パトカーがずらりと列をつくるところがあり、その前方にはぐにゃりと壊れた車が横たわっていた。

首都トビリシに入ると、高層ビルががぜん増え、今までの田舎の風景とは違ったようすをみせる。山の上に観覧車があり、工事現場ではオレンジ色のジャケットを着た人々が建物を作っている。トビリシ最大のクラブの広告が貼り出され、近代的なデザインの橋や建築物、それにマクドナルドも現れる。その合間には石づくりの歴史ある教会や城塞がうまく融けあって点在している。

グルジアは宿の数がさほど多くないが、民家に泊まることもできる。トビリシで名の知られたネリ・ダリさんの家に泊まらせてもらうことにする。到着すると、テーブルに紅茶とバケットにバターが置かれ、どうぞ食べてください、とジェスチャーで伝えられる。バターの容器やナイフなどが、アンティークふうでとてもかわいらしい。それでもネリ・ダリさんにとってはあくまで普段使いのものなのだろう。聞くところによると、この一家には子どもが捕まったり、亡くなったりと悲しい出来事もおきているようで、ソファで女性がしくしくと泣いていた。

今日は紀元前3世紀から5世紀に古代イベリア王国の都で、4世紀からグルジア正教の総本山であったムツヘタの街へ行くことにする。宿の近くで窯で焼いた長く伸びたパン、プーリーが売られている。やや塩けがきいていて、もっちりとしている。

最寄りの地下鉄の駅、ステーション・スクエアから、ムツヘタ行きのバスが出ているディドゥベ駅前のターミナルへ向かう。地下深く掘られた地下鉄のホームまで、大変な速さで動くエスカレーターにぴょんと飛び乗り下っていく。

電車の中できちんとした服を着た若い女性が、容器をもって膝まづいた。頭を下げたまま十字をきる。そしてそのうちにすくっと立ちあがり、容器に入ったお金を勘定する。その様子を見ていた近くの中年の女性が口を出して、辺りが嘲笑った。

ディドゥベ駅から乗ったムツヘタ行きのバス内でも、教会が近づくと十字をきる人々、友だちと話しながらところどころで十字をきる人々がいる。バスに揺られること30分ほどでムツヘタに到着する。

11世紀に建てられ、聖ニノも周辺に住んでいたというサムタヴロ教会を訪ねる。人々は柱にキスをして額をつけて中に入るものだから、その辺りが黒ずんでいる。重厚な石造りの教会内では、黒い服を着た修道女が箒で床を掃いたり、絵画を布で拭いたりしている。ろうそくがともされ、ろうの香りに包まれている。

近くに建つ、かつてのグルジア正教の総本山、スヴェティ・ツホヴェり大聖堂も訪ねる。大聖堂の壁にはかつての色鮮やかさを想わせる絵が描かれ、崩れかけた壁からは、建物が二重のつくりになっていたのが見てとれる。ちょうどそこでは結婚式が行われていた。

教会を出ると司祭が首にぶらさげた金色の十字架にキスをしていた。そして信者の頭に手を置く。するとその司祭に、日本人ですか、と話しかけられた。日本から輸入したトヨタのエスティマについているモニターの表示が全て日本語なものだから、それを英語に変えてほしい、と言う。

こうしてトヨタ車に乗りこんで、わんやわんやとやった後、司祭はわたしたちを丘の上にたつ教会、ジュヴァリ大聖堂まで車で送りますと言う。白髪に長い髭、黒い聖職衣に首からは金色の十字架、といかにも厳粛な司祭かと思いきや、がんがんと車を飛ばし、クラクションをぶーぶーと鳴らして丘の上まで駆け抜ける。

ジュヴァリ大聖堂はグルジア初期の教会建築を代表する6世紀の教会で、中はさほど大きくない。石造りのドーム型の天井の窓から光が射しこんでいる。木の十字架がたてられ、人々はろうそくに火を灯す。丘の上からは、川や山に森、ムツヘタの新旧の街が見渡せる。この大聖堂はコミュニスト時代には閉ざされていたんです、と司祭が言った。

丘からまた豪快な速度で町まで送ってもらった後、ファンタを飲みながら、アンティオキア教会にも足を運ぶ。ここもこじんまりとした教会で、背後の丘にはジュヴァリ大聖堂が建っている。周辺の石畳の道には新郎新婦や馬車が通っていく。ウェディングパーティーの若い参列者たちは、高いヒールにミニスカート、背中の開いたセクシードレスを身にまとう。

その後、神父さんはわたしたちをトビリシにほど近いご自宅に招いてくれた。車を運転しながら、街に並ぶ無機質なビルを指して、コミュニスト時代の建物で、美しくない、と言う。今のほうが良い時代です、と繰り返した。今のグルジアでは、年齢の高い人々はロシア語が話せるが、若い人はあまり話せないという。

神父はパンを買ったり、ヨーグルトを隣の家で買ったりしながら自宅に向かう。ヨーグルトはその家で作った自然のものだという。静かな田舎が好きだから、8年前に丘の上の古民家を購入し、改装をしたのだそう。舗装道から1キロほど砂利道を入る。趣味の無線のアンテナも立てていて、うれしそうだ。

家に到着すると、奥さんが出迎えてくれた。1972年生まれの奥さんがいて、神父さんは1958年生まれ、13歳差のカップルで、教会で出会ったのだと言う。庭でいちじくやアプリコット、ブラックベリーをもぎとり、かじる。とてもジューシー。神父さんと奥さんはベジタリアンだという。砂糖も摂らない。代わりにコーヒーにははちみつを入れる。

丘の下にはトビリシの街が広がっている。神父は、一週間は教会に出向き、一週間は家で仕事をしている。教会には10時ころから17時ころまでいるが、その時間は特に決まっていない。

室内では飼い犬のロンダが走り回る。メロンに桃にバナナ、いちじく、アプリコット、それに奥さんが作ったきのこやビーツを料理してくれたものにオリーブやパンなどが山盛りになってテーブルに並べられる。それに、神父たちは食べませんが、どうぞとチョコレートのお菓子も手渡される。最後には天然素材のヨーグルトやコーヒー。

1978年から2年間、入隊が国民の義務になっていて、神父も軍隊としてシベリアに行っていたという。1988年から神父を務め、今に至る。

食事でお腹がいっぱいになったころ、こだわりの音響機器で音楽を聞こうと隣の部屋に移動する。東芝のパソコン、ヤマハの機材にCerwin-vegaのスピーカー。

Bee GeesのSaturday Night Fever、イギリスのトレメローズやProcol Harum、F.R. DavidのDon’t Come Easy、ビートルズのライブ、Shania Twainが真っ赤な口紅でヒョウ柄を着たThat Don’t Impress Me Muchのミュージックビデオなどを次から次へと流す。特にギリシャの音楽が好きだといいDemis Roussosは繰り返し流れる。 ソファが震えるほどの音響だ。しかも周りに家がないので、爆音で聞くことができるのである。

アルメニアに行ったら、グルジアはスパイの国で、アルメニアの領土を奪ったのだと言ってくるだろう、とインターネットも駆使する神父は言った。

すっかりと夜も更け、トビリシの街が丘のふもとできらきらとしている。23時ころになって神父は車で送ります、とトビリシ駅まで送ってくれた。

ガラが悪いと思っていたグルジアが、違って見えた。

Welcome to Georgia – Border with Turkey / Batumi, Georgia

グルジア人は自分たちをヨーロッパ人だと理解していて、それがアジア人蔑視にもつながっているのだとも聞いた。同時にグルジアを含めてコーカサス地方はとてもきれいな場所で人が優しいという人もいる。

トルコのオフィスから歩いていくと、可愛らしいロゴをあしらった白くて洒落た建物にグルジア国旗がはためているのが目の前に見えてくる。そのわきにあるグレーの通路を歩いていくと、がらりとした荷物検査台があり、その奥に広々とした窓口が並んでいる。

窓数が多いからか、さきほどよりがぜん列が短い。すぐに順番が来て、担当女性の前に立つ。それでは一歩引いてください、と言われてカメラで無音のうちに写真を撮られる。そしてWelcome to Georgiaと低くもよくとおる声で言われて、スタンプが押され、横の仕切りが開けられる。

グルジアに入った途端に英語表記の下ににょろにょろとしたグルジア語が出現する。数軒あるうちの1軒で手持ちのトルコリラの一部を両替しておく。

そのうちにバスも国境を越えてやってくる。するとバス会社添乗員の女性がわたしたちの大きな荷物を荷台に載せて運んできた。

どうやらバスの下につめている荷物置き場の荷物をどこかで荷物検査にかけなければいけなかったらしい。そんなことは知りもせず、ひょいひょいと通過してきてしまったので、いつの間にやらバスの荷物置き場から添乗員たちがわたしたちの鞄を出して荷物検査にかけ、それを運んできてくれたのだった。

添乗員の女性はグルジア出身で、バスに乗っている若いグルジア女性たちと知り合いのふうでもあった。

再びバスに乗って先へと進む。道沿いにホテルが並んでいる。しばらく行くとSOCARというガソリンスタンドがあり、そこにバスが停車した。そして乗客数人が降りて、手慣れたふうに近くにある両替所で両替をし始める。こちらのほうが国境よりもレートが良いのである。倣ってそこで残りのトルコリラを両替する。

トルコとの間には時差が一時間ほどあり、1時半になるころ、バトゥーミの町に到着する。左には港があり、大きな船も停まっている。街にはやしの木が植わり、イルミネーションのついた大層な建物もある。