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フィリピン最終日の朝 – Cebu, Philippines











今日は、フィリピン滞在最終日。
この滞在期間中で、一番気持ちよく晴れ上がっている。

ホテルの朝バイキングをいただく。

いろいろな種類のパンに、オムレツ、ベーコン、ウインナーといった定番欧米朝食だけでなく、ダンギットやバングスのフライもきちんと置いてある。

食事をしていると、ウェイターがマンゴーやパイナップルなどのフルートを持ってきてくれ、
最後に珈琲。











青空でビーチもプールもきらきらと陽射しを浴びている。
ジムもスパもあって、人それぞれの楽しみ方があって、しかも、みな、リゾート気分。

流れる空気も気持ちが良い。

日本へ戻る便が12時過ぎの便だったので、部屋を片付け、カートに乗って、ロビーに行き、タクシーの手配をしてもらう。

1泊だけのリゾートで、まだまだゆっくりしたいと思う。











ほとんどの客が朝ごはんのビュッフェを楽しみすぎたのだろう。
トイレには長蛇の列ができ、その列が短くなる気配もなかった。

みんな一同、長いお正月休みを終えようとしていた。

セブの町から、リゾートホテルへ。 – Cebu, Philippines











最初からの予定通り、今日はマクタン島のリゾートへ。その前に、大好きなセブ・シティとの別れを惜しむかのように、宿の近くのローカル市場を訪ねて、バナナとマンゴー、それにキャッサバ・ケーキを買い求める。

カラフルなフルーツが売られ、子どもたちも接客をしていて、肉がぶらさがり、魚や海藻も並べられている。

近くのセブンイレブンで、ひたすらにピンク色をしたナタデココ入り苺味ジュース、MOGU MOGUと、ココナッツジュースを買い求め、それを宿で朝ごはんとして食べようと思っていた。

ビニール袋に入ったそれらを大切に、小雨の降る中、宿に戻ろうとしていたら、お昼時のせいか、人々の集まる食堂がちらりほらり。











そんなお店をのぞいていたら、どうにも食べたくなって、食堂入り。ピリ辛のチキンやビーフの煮込みにライスと、サービスのスープ。陽気な女性たち。

お腹がいっぱいになったのに、宿に帰って、バナナとMOGU MOGU。このバナナは、色も濃く、味も甘みもぎゅっと詰まっていた。

一泊だけのリゾートに、なかなかたどり着けなかったものの、こうして、ようやくセブ・シティから脱出することになる。

リゾートに行くというのに、やっぱりお気に入りのジプニーに乗っていきたいと思い、大きなバックパックを背負い、ぎゅうと身体をジプニーに押し込んで、その後一度乗り継ぎをして、SM Cityまで行き、そこからタクシーに乗る。

行き先がクリムゾン・リゾート&スパ・マクタンだというと、今までふっかけられることはほとんどなかったこのフィリピンで、ふっかけられた。行き先が違うと、見られ方も変わるのである。

その場でタクシーを降りて、別のタクシーを捕まえ、ホテルに到着する。











ウェルカムドリンクに、カートでの客室へのお見送り、ぴしりと整えられた広々とした客室、プライベートビーチと、それを目の前に広がるプール。そして、スパ。

ザ・リゾート。

ビーチでひと泳ぎをして、その後、プールに移動して、
一息ついたら、ふかふかほかほかのタオルに身を包む。
ビーチのそばで、本を読む人もいれば、エクソサイズに勤しむ人もいる。

最後の夜だって、リゾートホテルにいたって、フィリピン料理を食べたい。リゾート敷地内にはフィリピン料理を提供しているところがないということで、コンシェルジュに教えてもらったレストラン、Maribago Grillまでタクシーで向かう。

そのレストランは、ほとんどの客が日本人だった。

またガイドブックをひっぱり出してきて、鶏肉を炒めたチキン・アドボや魚のマリネ、それに、野菜炒めにエビの塩辛を加えて煮たピナクベット、そしてやはりサンミゲルとライスをオーダーする。

帰り道。店の前に、大好きなジプニーが通っているのを発見し、ホテルの近くまでいけるかもしれないと言って、のりこんでみた。道をまっすぐだから、行けるところまで行こう。

乗り込んだら、同乗者の男の子が鶏を手にしていた。きっとこれから食べるのだろう。
分かれ道のところで降ろしてもらい、そこから、その辺にいた男の子の自転車トライシクルに乗せてもらって、えっちらおっちらホテルに向かう。

最後にお金を渡すと、嬉しそうにした。











こうして、外部世界と隔離されたリゾートホテルに戻ってきた。

部屋で朝に買ったマンゴーを食べ、
その後、ホテル内のバーに向かう。

ビーチに沿って、ソファが置かれている。
マンゴーシェイクとバナナシェイクをオーダーして、
本を読んだり、これからのことを考えたり。

贅沢な最後の夜。

ダイビングと屋台とマッサージ – Cebu, Philippines

今日はダイビングをしようということで、朝の7時に一軒のダイビングショップに電話をすると、申し訳ございません、1日100名ほどのお問い合わせがあって、現場もてんやわんやなんですと言われる。

この時期に、当日になってダイビングをしたいなどと電話をかけるのは無謀だったのかもしれないと思いつつ、もう一軒、Aqua Worldというショップに電話をしてみると、8時には宿まで迎えに来てくれるという、あっけない返答。

なぜこれほど集客に違いがあるのか分からないけれど、とにもかくにも良かった。

8時に車の迎えが来て、昨日の豪雨で水の溢れる道路を走り、橋を渡ってセブ・シティからマクタン島へ移動して、ショップに到着する。

日本語の話せるセブ人イドイさんご夫婦でやっているショップということだが、顧客も常連客が中心のようで、和気あいあいとしていて、のんびりとしている。

1時間半ほど、説明を受けたり、常連客さんから、どのスポットがよいかなどといった話やイドイさんが、お客さん想いの人なのだという話を聞いていたりしたら、海まで送ってくれるトラックが迎えに来た。

セブ・マクタン島の海は、それほど綺麗な色をしているわけではない。

更に、昨日の大雨で、海は濁っているという。
でも、マクタン近くはそれはそれで、
小さな魚が多くて面白いものだというベテランダイバーもいる。

子どもや犬が遊ぶ海から、ボートに乗って、
沖まで出ていく。

それから、ダイビングの身支度を整える。

フィリピンのダイビングは
殿様ダイビングと呼ばれていて、
とにかく何から何までしてくれる。

カタコトの日本語の話せるインストラクターさんについて、潜る。
簡単なサインと、
耳抜きやマスククリアのこつ、
レギュレーターの戻し方などを教わった後は、
ボートから飛び込む。

鮮やかな魚が泳ぐ中、私たちのペースで泳いでいく。











40分ほど潜った後は、船の上で、BBQをした串焼きと、葉で包んだ米、プソや、コカ・コーラをいただく。冷えた身体と空きっ腹に、じんわりと染みる。

お客さんたちも陽気な人が多くて、本当は4本潜らないともらえないライセンスを、あと2本潜って合計3本潜ればライセンスがもらえるように、交渉してあげるなどと言う。ボートからショップに戻ってきた後も、待ちわびたように、ビールを客が配り、どこかから仕入れてきたレチョンとともにいただく。温かなシャワーも浴びて、なんとも心地が良い。

セブに来るときには、また来よう。

明日はセブ・シティを離れて、マクタン島のリゾートホテルに最後のご褒美をするつもりだったので、今夜はセブ・シティを存分に味わっておくことにする。

Robinsonsのスーパーでお土産物を買って、近くの屋台村で、春巻きやら野菜の煮物、スパークルという炭酸飲料、それにライス、そしてサービスのスープをいただく。

屋台は、衛生的とはいえなくて、カバンを置くスペースにも困るし、ひったくられないように、用心をする必要はあるものの、やっぱり明るい地元の人たちと話すにはぴったりの場所だ。

Julie’sでパンを買って、Nuat Thaiでマッサージを受けて、ジプニーで宿へ戻る。

長いチョコレートヒルへの道 – Cebu / Bohol, Philippines

フィリピン時間で12時を過ぎても静かなままだったので、そうか、フエンテ・オスメニャで「何かが起きるかも知れない」は違ったのかもしれないと思っていたら、そのうちに、パンパンと花火が打ち上がり、歓声があがる。

どんどん打ち上がる花火を見ながら、アイスをほおばる。20分ほど満喫したところで、24時間運行していると聞いていたジプニーに乗って、宿に戻ろうと思った。

ジプニーを待てどもなかなかに来ないということで、
夜中も外では爆竹がどかんと鳴り響き続け
どこかの地面に大きな穴があいているのではないかと思ったほどだ。

来るジプニーは全て、違う方向へと向かうジプニーだったもので、タクシーに乗ろうとするもどれも満車。そのうちに、夜中の1時近くになる。

そこで、一台の車が止まった。車体にはタクシーと書かれているが、中にはドライバーの家族が乗っている。宿の名前を言うと、乗せて行ってあげるよと言う。有難く車に揺られていると、「お二人がいたあの場所は、危ない場所なんだ。あんなところに立っていたら、バイクに乗った若者にやられるよ。だから、君たちを乗せたんだ。」

宿に到着して、支払おうとしても、お金はいらないよ、と言う。











私たちは翌朝5時に宿を出て、ボホール島への船が出る港に向かおうとしていた。港までジプニーで行くのはなかなかに大変だというから、タクシーで迎えに来てもらうことにする。

数時間眠ったあと、そのタクシーのおじさんは、ぴったりの時間に迎えに来てくれた。15分ほどでまだ暗い港に到着し、ボホール島のタグビラランへ向かうOcean Jet社のカウンターに降ろしてもらう。「7時ころに出港予定だ。」その辺にいた男性が言う。

ちょうど良い、とタクシーの運転手にお礼を言って、別れる。

まだカウンターは開いていない。
すると、別の男が「今日は正月だから、7時の船は出ない。」と言い出す。
他のメジャーな船会社のカウンターは、また遠くの場所にあり、他の船会社を探すのなら、またタクシーに乗らなければならない。

困ったものだと近くにいた青年につぶやくと、「僕もボホール島に行く。トゥビゴン着のフェリーは、6時半に出航する。タグビラランではなくて、トゥビゴン経由でチョコレートヒルに行くのなら、その船に乗れば良い」と教えてくれた。











こうして、私たちは無事にチケットを手にして、その青年と、トゥビゴンへ向かう。さして波も揺れず、2時間すれば、ボホール島だ。その青年に教わるままにトライシクルに乗り、指し示してくれた、チョコレート・ヒルに最も近い町、カルメン行きのバンに乗り込む。仕事でボディガードをしているというその青年は、私たちの代わりに運転手たちと交渉するときの目は鋭いが、私たちには優しい顔を向けた。トライシクルの料金も、払ったから大丈夫だといい、煙草を吸った。











こんなふうに、年明けからお世話になりっぱなしで、10時前に、カルメンに到着する。

少しお腹がへっていたので、市場の隅に佇む、崩れ落ちそうな木の小屋でパンと珈琲を提供するカフェに座る。静かで上品な笑みを湛えたおばあさんが、珈琲を淹れてくれる。

淹れるといっても、珈琲の粉に缶に入ったミルクを注ぎ、ヤカンのお湯を継ぎ足すだけだ。そして、ガラスに入った、パサリとしたパンを取り出す。

一つ一つの動作がとても丁寧に行われる。その珈琲もパンも、じんわりと身体に染みる。
おばあさんは、流暢ではないが、きちんとした英語を話した。

ここから、チョコレート・ヒルに向かうことにする。

私たちを客になると狙いを定めて、
はるばるトゥビゴンからバンと並走してきたバイクマンが、私たちに声をかける。

サングラスをかけた、いかにも怪しげな雰囲気だが、
眼鏡をとると、優しそうな2児のパパの顔だった。











そのバイクに乗り、10分ほど走ったところにある、チョコレート・ヒルの展望台がある。展望台の上まで歩いていくと、地震で崩れた跡があり、そこからぽこぽこと膨らむ丘を眺める。全部で1200個ほどの丘が広がっているのだという。

ぼんやりとその様子を眺めていると、フィリピン男性と結婚をして、今東京に住んでいるといううスイス人女性に話しかけられた。お互いの両親を連れて、旅をしているのだという。

両手をぐんと伸ばして、風を感じる。











1時間ほどのんびりとした後、再びバイクにまたがり、田舎町を走り、カルメンに戻る。ちょうどボホール島最大の街、タグビラランまでのバスが出るところで、それに乗り込む。

まだ乗客はあまりおらず、窓を開け放して、伝統的なフィリピンの家屋がぽつりぽつりと緑の中に建つのを眺め、川を渡り、進む。 











風が心地良い。

途中、雨が降り、雨が止み、バスが壊れたので別のバスに乗り換えたりしたものの、2時間弱でダグビラランに到着をする。

バス停から港のあるところまで、トライシクルに乗って進む。

港に到着したのは、14時ころ。

セブへ戻る船は何時に出ているだろうか。

雨が再び降る中、港に並ぶ船会社のカウンターを回る。
お正月だからだろう、閉まっているカウンターがほとんどだ。
静かな港でもなんとか客が集まっているカウンターを見つけると、そこには、10:30 PM DAILYとある。
しかも、カウンターに人は不在なので、今夜出航されるかわからない。

一軒、今日運行しているという船会社は、普通席が満席で、その上のランクの席が、想定額の5倍ほどするもので、しかもあと2席しか空いておらず、17時出航です、という。

どうしようかと思っていたところ、ちょうど同じように困っていた韓国の若い男女が、バンをチャーターして、一か八かでトゥビゴンに戻るというところだった。

便乗をさせてもらい、くるり、トゥビゴンに戻ることにする。ざあざあと大雨が降ったものの、1時間少しでトゥビゴンに戻ってきた。











到着したところには、長蛇の列。何かと思ったら、Sea Highway Carrier社のセブ行きボートへのチケットを買い求める人々だった。1時間と少し待つが、1時間おきに今日も船が出ているようで、いずれにしてもセブに帰れそうだ。

先ほど一緒にバンに乗ってきた韓国の若い男女は、いつの間にやら、闇チケットを手に入れたようで、先に行ってしまった。

Peanut Kissesという、キスチョコのかたちのピーナツ版が周りの商店でよく売られていたので、それをほおばりながら、雨の降る中、待つ。

ようやくチケットを手に入れて、トライシクルに乗り、港へ向かう。私たちが手に入れられたのは17時45分の船だったが、港に泊まっていた17時発の船に乗せてもらえないかと尋ねると、「屋外のシートだったら良い」ということだったので、乗り込ませてもらう。

こうして、ようやく17時にボホール島を離れ、セブへと向かい始める。
が、出航してすぐに、屋外には空気を引き裂くようなエンジンの爆音が鳴り続けるということを知る。

スタッフのお兄さんは、ごっついイヤーマフを手にしていて、それを小さな子供に当てたりしている。テッシュペーパーを耳に入れている乗客もいたので、それを真似て、ティッシュペーパーを小さく切り取り、丸めて耳に詰めると、心なしか爆音が小さくなった。こうして18時半前にセブに到着する。











てくてくと港を歩いていると、地元の人々の暮らす家が並ぶエリアがあり、その後、また暗くなったりして、治安に不安を覚えたので、ジプニーに乗り、近くのサンペドロ要塞まで向かう。

ここはスペイン統治時代に、イスラムの海賊などからの防御のために造られたというが、今となっては、芝生に憩う人々の集まる場所になっていて、暗い港から来た私たちに、陽気なイルミネーションが安らぎを与えてくれる。

ここからジプニーを乗り換えて、セブ・シティ最大のショッピングモール、アヤラ・センター・セブに向かう。ここには、無印良品もダイソーも、世界的ブランドがずらりと店舗を構えている。

フィリピン料理を食べたい私たちは、広大な敷地の中でフィリピン料理店、Max’s restaurantを見つけ出す。このショッピングモール内レストランの価格帯は、他のセブ・シティの食堂の価格帯と別次元にある。例えば、セブ・シティの食堂で100円のところが、ここだと、その10倍といった具合だ。

きれいな格好をした人々が多く、あとで聞いたところ、こういったモールに来られる地元の人々は限られた人々なのだという。

ガイドブックにフィリピン料理だと書かれているものが、必ずしもフィリピンの食堂でよく見つかるものだとは限らないものだから、こういった場所で「ガイドブックにフィリピン料理だと書かれているフィリピン料理」をオーダーする。











炭火で焼いた刻んだ豚肉をガーリックなどと炒めたシジリン・シシグ、ココナッツミルクと唐辛子で豚肉を煮込んだたビコール・エクスプレス、フィリピン風生春巻きルンピア・ウボットにライス。そして、Mountain Dewにミリンダ。きちんと、バナナでできたケチャップも添えられている。

フィリピンの地元の食堂のフィリピン料理は、日本でも食べたことのような味がするものだが、こんなふうに、専門店で「フィリピン料理」をいただくと、その特徴がきちんと輪郭としてとらえられて、そのどうにも不思議な味覚が浮き出てくる。

そうこうしている間に、外は豪雨となり、ジプニー乗り場には、再び長蛇の列。この雨では、ジプニーが来るかもわからないし、どれくらい並ばなければ良いかも分からないので、タクシーに乗って帰ることにする。

宿では、台風で被害にあったといわれているレイテ島で、スキューバの店を運営しているという日本人男性に会い、現地の状況と、フィリピンの話を聞き入る。

年越しの日 – Palawan / Cebu, Philippines











プエルト・プリンセサからセブへと戻るフライトを昼の12時半にとっていたので、静かな朝に海辺を歩き、バンに乗り込み、プエルト・プリンセサへと向かう。ジプニーと違って、バンはすいすいと進む。

前の方の席では、白人の中年を越えた男性が、若いフィリピン女性に
花びらを差し出している。











1時間半ほどで、プエルト・プリンセサに到着して、バスターミナルのすぐそばにある、
掘っ建て小屋に、明るい女性たちが働く屋外食堂で、朝ごはんをいただくことにする。

ライスに、チキンとポークの煮込み。こんなカジュアルな食事が、良い味をみせてくる。
ささっといただいた後にトライシクルに乗り込み、空港へと向かう。











空港の待合室に座り、かりかりブレッドパンをほおばり、日本から持ってきた「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を捲る。

空から見る、緑広がるセブの島、それをとりまく真っ青な海が広がってきたら、もう着陸。

フィリピンに来て数日目、ようやくセブの街へと繰り出すことになる。

ホワイトタクシーの乗り場には長蛇の列ができている。

泊まろうと向かった宿は、空港からタクシーで40分ほど。

空港もリゾートホテルもあるマクタン島から橋を渡り、セブ・シティの中心地へと入っていく。











宿の近くには、Jollibeeというフィリピン人が大好きなファストフード店がある。セブにはマクドナルドもあるけれど、地元の人たちは誇らしげに「Jollibeeのほうが美味しい!」と言う。

スタンダードなハンバーガーにチーズをはさんだものと、フライドポテト、それにSarsiコーラをオーダーする。ハンバーガーもポテトもひんやりとしていて、ハンバーガーはぺちゃんこで、ポテトもしんなり、Sarsiコーラも薬の味、でも、レジには長い列で、客たちも楽しげで、悪くない。











今日は、2013年の最後の日なものだから、フィリピン最古の教会の一つという、サント・ニーニョ教会に向かう。昨年の大地震で一部崩壊しているが、多くの人々が集まっていて、神父が人々に水をかけている。数字の書かれたキャンドルホルダーに多くの赤い蝋燭がたてられ、人々が祈りを捧げている。教会内には、キリスト教の伝道師が上陸したときの様子なども描かれている。

マゼランが太平洋横断中にフィリピンに上陸し、造ったという十字架が納められているマゼラン・クロスを眺め、セブ・シティの繁華街であるオスメニャ通りとコロン通りの交差点へと歩く。

多くの屋台も出ていて、カラフルなフルーツが売られている。道端で玩具を売っているおじさんもいて、なにやらドンチャン騒ぎである。ただ、食堂のあちらこちらが大晦日の営業時間短縮で閉まり始めていることに気づき、セント・ニーニョのずらりと並ぶデパートに入り、食堂を探すも、やはり閉まっている。

年越しヌードルを食べたい一心で、ジプニーをつかまえ、セブ・シティのもう一つの中心地、フエンテ・オスメニャに向かう。開いている食堂を探していると、The Villa Pilipino Restaurantに、煌々と灯りがついていることが分かり、そそくさと入店する。

望み通りに、中華風焼きそばのパンシット・カントン、それに、中国から伝わったという、とろみのある汁にひたった煮込み麺、ロミをオーダーする。シンプルな味で、優しい味がするのを、ロイヤルのオレンジソーダとマンゴージュースとともにいただく。

夜の9時から、さきほどのサント・ニーニョ教会で深夜のミサがあるというので、レストランでゆっくりとするのもそこそこに、再びジプニーに乗って、教会に戻る。教会の外にも蝋燭がたてられ、既にミサが始まっていた。

舞台上では、神父がマイクを手に説教をしながら、時折、どっと人々を笑わせる。そのうちに、まるで一人カラオケのように爆音量での、独唱が始まる。みんなの心をすっかりキャッチしているのである。

そのうちに、どこかしらから、きゃしゃな肩を出したワンピース姿の女性が、私たちの前に立つ女性たちに話しかけ、そのジーンズの後ろのポケットに何かを入れた。女性は、とてもしなやかで、その振る舞いも、とてもしおらしい。

ミサが終わり、神父が再び、水をふりまきにまわる。皆は両手を挙げて、受ける。そこで、振り返った女性たちの顔は男性たちの顔だった。

花火があがる。

私たちは、年越しを迎えに、「何かが起きるかも知れない」と聞いたフエンテ・オスメニャにまたジプニーで向かう。フィリピンと日本は時差が1時間なので、まずは、ミニ・ストップで買ったレッド・ホース・ビールで日本の正月を祝う。

あちらこちらで花火や爆竹の音がするものの、フエンテ・オスメニャからは何も見えない。花火の見える場所を探しに、高くそびえる皇冠大酒店を上の方に上がってみる。中にカジノがあるようで、そこに向かう人々が数多くいる。花火があちらこちらであがっているのが見える。

12時が近づいてきたので、フエンテ・オスメニャに戻り、再びミニ・ストップで、今度はマグナム・アーモンド・アイスクリームを購入して、時を待つ。