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Kyrgyzstan

キルギス-カザフスタン国境情報

キルギスのビシュケクから、カザフスタンのアルマトゥに抜けるルートです。

1.タクシーで国境まで行く。
 (※西バスターミナルからアルマティ行きのミニバス、
   又はツム百貨店前から、285番のマルシュルートカで国境まで行けるようです。)
2.キルギス側にて、出国手続き。パスポートを提出。
3.徒歩で200m程度のカザフスタン側国境へ。
4.入国カードを記入。パスポートと一緒に提出。
5.入国カードが返却されるので、カザフスタン出国まで大事にとっておく。
6.アルマティ行きのミニバス乗り場まで、タクシーで移動。(※KZT 200.00)
7.アルマティ行きのミニバスに乗る。(※所要2時間、KZT 1350.00)

◎両替
 カザフスタン側国境に両替屋があります。
 1 KGC = 3.1 KZT で両替しました。

キルギスを離れる日 – Bishkek / Border with Kazakhstan, Kyrgyzstan

今日はキルギスのビシュケクを離れて、カザフスタンのアルマティに向かう。友だちの従兄弟のアリくんがちょうどアルマティに行くと言うので、一緒に行かせてもらうことにする。

朝ごはんは、目玉焼きやラグマンの麺をあげたもの、それにパンにバターや杏ジャムを塗ってほおばり、チャイをすする。それから、アリくんが食べるからと友だちが作った韓国インスタントラーメン卵とじ、それにシュロも合わせていただく。ラーメンはぴりりと辛く、シュロも発酵していてずしりとくる。キルギスの人たちのお腹は朝から元気だ。

友だちと別れを告げる。またしばらく会えない。

タクシーに荷物を詰め込み、国境まで走ること、約30分。ビシュケクからカザフスタンの国境までは、とても近いのだ。

ずらりと車が並んでいる。国境を渡り、税関を通る車が多いので、ビシュケクからアルマティまでは、直通で行くよりも、国境で乗り換えて行った方が早いとアリくんは言っていた。以前は自分の車を運転して往復していたのを止めたらしい。

グリーン・チャネルとレッド・チャネルで分かれている通路を、アリくんに倣ってグリーン・チャネルを進む。カザフスタンの国籍を持ち、カザフスタンで働きながら、家賃の安いキルギスに住むアリくんは、パスポートではなく、身分証明書を窓口で見せたら通れてしまう。

わたしたちも窓口に行こうとしていると、職員にパスポートを貸してください、と言われて手渡すと、その職員は隣の部屋にパスポートとともに入っていた。そして1分も経たないうちに部屋から出てきてどうぞとパスポートを返される。そこにはビシュケクの出国スタンプが押されていた。とても簡単な出国だ。

ビシュケク宴会 – Bishkek, Kyrgyzstan

朝はスクランブルエッグにパン、それにバターにジャム。

ビシュケクの街をのんびりと歩く。今日もウェディングドレスを着た新婦がいて、新郎とともに写真撮影をしている。そのわきにはリムジンが停まっている。

街には中国の商店が点々とある。そこには大きな瓜も麺も調味料も、石鹸も洗剤もあって、商店の中では中国語が飛び交っている。

今日はカザフスタンビザを取りに行く。バスに乗って30分ほど。18時半からビザの受け取りができると聞いていた。でも、どうやら5分で作業が終われば18時35分にはその門を閉じてしまうこともあると聞いていたので、慌ただしい。

大きなホテルのわきを通ってぐんぐんと歩くと、大使館前に人だかりができているのが見える。到着したのは18時半を10分ほど過ぎてしまっていたが、まだ門は開いていなかった。そのまま待つこと30分ほど。ようやくその扉が開かれる。

申請者の多い中国人の人々には、まだビザの紙をパスポートに手貼りする作業が間に合っていないようで、それ以外の国籍の人々がまず窓口に並ぶ。これだけの人数がいるものの、受け取り書などはなく、ただ窓口で、国籍と氏名を告げるだけだ。

受け取りは申請のときとはうって変わってスムーズに行われた。

こうして無事にビザを取得した後で、友だちが弟さんや従兄弟と、車で私たちを迎えに来てくれる。

車は林を抜けて、進んでいく。いくつかの伝統的な家屋の並ぶレストランに予約をしておいてくれた。昨日と同じ顔に新しいお友だちも来てくれていた。日本語を片言で話す女性もいる。

いかにも外国人旅行客を狙っているふうのレストランかと思えば、友だちは友人たちと何度か来たこともあると言う。

噴水が噴きあげられているわきには、ひき臼、洗濯板、ミシンなど昔から使われていた古道具が置かれている。それは中国のものとほとんど変わらない。キルギスタンは中国とやはり近いアジアだった。でもイスラム教であり、旧ソ連国であり、アジアであって、それがミックスされて、どの要素も薄まっているのがキルギスだった。

旧ソ連で良かったところはロシア語を話せるということだけ。あとは、目上の人を敬うという伝統も薄れ、イスラム教の宗教も薄れて、それにお酒を飲む習慣もロシアから入ってきたのよとイスラム教徒である友だちは言う。

キルギスの伝統料理をコースで頼んでくれていた。ボルソという揚げパンにカイマというチーズをつけてほおばる。レタスやトマト、チーズにオリーブのサラダ、とろりとした馬肉やその腸詰め。そして羊肉のスープ、ナリン。

飲み物は、発酵飲料でぴりりとくるショロにチャラップや、アルコールのボゾ。ショロとチャラップを混ぜ合わせて飲んだりもする。

キルギスでは馬肉は高価なものなので、普段は羊や牛肉を食べているが、来客があったときには馬肉を食べるのだそう。

最後に、庭にあるブランコに乗ってぐらんぐらんと揺れる。

その後、18歳従兄弟の誕生日パーティが行われているカジュアルなクラブに行く。入口で荷物検査を受けて中に入る。のりのり音楽に合わせて若者が身体を揺らしている。その横で、ピザなどのカジュアルフードにコカコーラを飲む従兄弟と友だちたち。

挨拶をした後、再び車に乗り込んで家に帰る。

ビシュケクはとても小さい町だから、それぞれの人がそれぞれを知っているの、キルギス人は親戚間の絆がとても強いの、ほら、あそこにも別の従兄弟がいたと友だちは言って、走る車の窓の外を指す。

従兄弟5人、一緒に育ってきたの、と窓の外を見ながら、続けて言う。

今日は夜に停電が時折訪れる。2カ月前に引っ越してきてから、初めての停電だと言った。

贅沢なキルギスバカンス。 – Bishkek, Issyk Kul, Kyrgyzstan

朝は早くに起きて、友だちと、乗り合いタクシーでイシク・クル湖に向かう。
外からはアザーンが聞こえてくる。

朝の5時半過ぎのまだ暗闇の中、友だちの弟さんが車を出してくれ、乗り合いタクシーの乗り場まで車を飛ばしてくれる。

乗り合いタクシー乗り場といっても、20分ほど車で走ったところにある、普通のバンが数台停車しているところで、運転手に値段を聞いて乗り込むだけだ。あとは乗客が集まるのを待つ。

途中、スーパーマーケットに立ち寄る。Mitasu Japan、と壁に書かれ、ミタスと片仮名もふられている。そして下にはquality. always.と謳われている。

買っておいたヨーグルトやパンを車の中でほおばる。

遠くの山にちらりと雪がかぶっているのが見える道を走ること3時間ほど、イシク・クル湖のほとりにある贅沢な別荘地、ラドゥガに到着する。ここはこの5年ほどで建てられたほぼ全てが新しい家だ。

友だち従兄弟の友人の両親が持っているという別荘にお邪魔する。別荘地エリアの入口までベンツで迎えに来てくれるのだから、快適そのものである。

別荘には、いくつもの広々とした部屋があって、庭にもテーブルがあり、昨晩水たばこやらお酒を飲んだ跡がある。ガレージには白くて大きなBMWにリボンがかけられている。

この家は、仮に借りるとなれば、一日700ドルするらしい。

この辺りの家で借りれる部屋も一日170ドル程度。
夏の間の別荘地である。

緑が色濃く、欧米ふうのそれぞれの家に備えられてた広い庭の芝生は鮮やかだ。整えられた歩道を歩き、湖へ向かうと、砂浜に洒落たオープンレストラン、ラドゥーナ・マリナ・クラブが広がっている。濡れても大丈夫なよう、ビニールでしつらえられた真っ白なソファに、頭上には薄いベージュの布がはためている。

澄んだ湖の裏には、雪山が見えている。

カールスバーグのビールに、グリルをした牛肉やたまねぎ、トマトや瓜、サラダ、フライドポテトにそれにスープ、ニョッキにマントゥの入ったスープ。どれも清潔な白い皿にのせられて、どうにも明るく、ファッショナブルな食事である。

箸が出てくる。キルギスでも中華をよく食べるからか、キルギスの人々は箸はだいたい使えるらしい。

価格も3500ソム、約7000円というから、友だちたちはなかなか裕福な遊びをしているのである。

友だちは、イスク・クル湖にいると、とても快適で心地が良いけれど、ビシュケクに戻ると頭が痛くて、吐き気がすることすらあるのだと言った。

ビールを飲んで、明るい洋食を食べ、冷たい湖に脚を浸して、きゃきゃとする。

昨日の18時から朝の7時までお酒を楽しんでいたという従兄弟二人は、体力もまだあるようで、けたけたと笑いながら、はしゃいでいる。カールスバーグをぐびぐびとして、ひんやりとした湖にじゃぶじゃぶと入っていく。

湖らしく、さっぱりとした水で、ひんやりと冷たい。外もからりとしていて暑くはないけれど、湖から出てもそれほど寒さを感じない。

心地良いことこの上ないが、友だちは、夏はとても心地よいけれど、それ以外はだめ。ビシュケクのことも好きじゃないから、イギリスに留学に行くのだと言う。キルギス人は英国ビザに500ドルをかけるというが、それでも英語を勉強したいと言う。

帰りにグリーンパブというレストランで食事をとる。みなよく食べる。

友だち同士でも男の子と女の子がぎゅっと抱き合うこともあれば、男の子が男の子の肩に寄りかかり、くねりくねりと身体を寄せることもある。

桃などのフルーツミックスジュースを飲み、パンを赤く辛いたれにつけてほおばる。いよいよ中華圏が近づいてきたことを感じる。

卵やきのこと肉のサラダやチーズにクルトン、トマトなどのサラダ、ラーメンや野菜のグリル、それに牛肉の煮込みにライスとマッシュドポテトのセット、そしてクレープに練乳やらチーズやらのっけたものとボリューム満点である。

さっきまでわいわい騒いでいた従兄弟のお友だちも、疲れているはずなのに、あるいは疲れているせいか、ものすごいスピードを出して車を運転し、ビシュケクへと向かう。

牛がのろりのろりと歩き、がんがんと飛ばす車はそれを避けるために時折ぐらりと車体を揺らす。

道ばたでは、フルーツや蜂蜜を入れた壺が置かれている。

こうして4時間ほどでビシュケクに戻ってきて、家に帰ってコカコーラ。

ビシュケクの夜の祭り – Bishkek, Kyrgyzstan

泊まらせてもらっている部屋はWifiもとんでいる。マンションは一か月に8万円ほどの賃料だというが、部屋は5部屋あり、それぞれが広々として、お手洗いもシャワーも2か所ずつある。ビシュケクの平均月収は4、500ドルというから大変に贅沢だ。

朝食は、朝日の入るリビングルームで、スクランブルエッグにナン、それに紅茶にコーヒー。いつものバターにお母さんのいちごジャム。

晴れ渡る空の下、家を出ると、広場にはスーツ姿の新郎と純白のウェディングドレスを着た新婦が、友人や親せきに囲まれている。

そして、すぐそばの道ばたには、そこで亡くなったのであろう人に向けた花束が捧げられている。

噴水があちらこちらに噴き上がる広場を抜け、迷彩服にブルーのベレー帽をかぶった軍人とすれ違いながら、食事をする場所を探しに行く。

洒落た雰囲気のレストランの向かいにある、地元のふうのシンプルな食堂に入る。

トマトスープに小さな水餃子を入れたチュチュヴァラに、玉葱やセロリに肉などの炒め物と麺をこちらもまたトマト風味のスープに入れたラグマン、それにナンと緑茶を合わせてオーダーする。食堂内は、それほど客がおらず、静かなままだ。

この辺りは、24時間営業の店も少なくない。コーラのロゴを表にはったファーストフード店が並び、キルギス料理を味わえる店よりも目立っている。

Betaスーパーに入って、ラスクやコーラのボトル、それにヨーグルトなどを買い求める。水パイプからはじまり、スーパーはずらりと品物が揃っていて、申し分ない。

歴史博物館の前の国旗には変わらずに守衛がついていて、その前の噴水はイルミネーションとともに豪華ショーが行われていて、地元の人々がたくさん集まっている。大きなステレオからライブさながらの音楽が爆音で流れてくる。

煌々とライトをつけた車両が人を乗せ、飛べない鳥はしっぽに飾りをつけられ、写真撮影用にぐるぐる回っている。ウサギやくじゃくもいて、その横に人々はずらりと並び、シャッターが切られるのを笑顔で待つ。 

懸垂機の周りに男性たちが集まり、号令もなく、ただ淡々と次から次へともの静かに懸垂機にぶら下がっていく。

そばのムエタイと書かれた機械にもまた男性たちが並び、自らの力を計測していく。

薄暗い通路に幾台ものテレビが並ぶところではそれぞれにカラオケが行われていて、その大体がテクノ系。隣のテレビに向かう人のカラオケの音など気にすることなく、踊りはしゃいでいるものだから、辺りはわいわいがやがやと騒がしい。

綿あめにポップコーンにおもちゃ。

夜になると気温は下がり、秋の訪れを感じさせる。のんびりとした祭りの雰囲気のメイン通りから一本横に入ると、暗い場所もあるので、用心しながら歩く。

暗い道ばたで、中華料理屋は灯りを放ち続けている。

家に帰ってくると、弟さんが友だちと車に腰掛け、お酒を飲んでいた。わたしたちも家でウイスキーとペプシを合わせて飲む。
夜遅くまで家の外ではバンバンと花火のあがる音がし続けた。