Top > ブログ

Costa Rica

コスタリカ – パナマ国境情報

①バスにてPaso Canoas到着後、コスタリカの出国手続。
(※Tracopa社のバスで到着した場合、少し戻る感じになります。)
出国窓口にツーリストカードが置いてあるので、記入して、
パスポートと一緒に差し出せば、ハンコがもらえる。

②200mほど歩いて、パナマの入国手続。
US$1.00の入国税を支払う。
(※窓口の手前に係りの人がいます。パスポートにシールを貼られるので、
  貼った人に支払います。コスタリカ・コロンは使えません。)

■必要書類・・・パナマを出国するための航空券orバスのチケット
(※無いと入国できません。厳しいです。)

→出国日・方法が決まっていない人は、
「パナマのDavidからコスタリカのSan Jose」へ行くTracopa社の
バスチケットを買うのが最安の方法のようです。(US$18.00、パスポート必要)

①で到着した場所の近くに、チケット売り場があります。
要は、パナマのどこかから、パナマ以外の国のどこかへ行くチケットが必要になります。
但し、パナマ以外の国のどこかは、国際バスor国際飛行機が飛んでいる都市である必要
があるようで、最寄りはコスタリカのSan Joseになるようです。
というわけで、バスチケットの窓口にパナマ入国用の「David-San Jose」のチケットが
売られています。(3か月のオープンチケットなので、日付の指定は不要です。)

■両替
コスタリカの出国窓口の側に、両替所があります。
US$1.00=c518.00なので、街中より、かなりレートが悪くなります。
(※パナマ側の両替屋ではUS$1.00=c550.00になってしまうので、
コスタリカ側で両替した方が良いようです。)

コスタリカとパナマを行き来する親子 – Sierpe / Palmar Norte / Paso Canoas, Costa Rica

鳥のビービー、ピピピピ、プルプルルという声と、羽を動かすばたばたという音とともに、目覚める。
今日も宿のマリクサさんは、明るく姿勢が良い。

今日はパナマへと向かう。まずはパルマル・ノルテに向かい、そこから国境へのバスへと乗り換える。

シエルパのバス停近くには、明るく強いピンク色の花びらが公園の地面に広がっている。
9時に出発したバスには、昨日コルコバード国立公園を一緒に歩いた女性二人がいた。二人は、60歳くらいであるが、昨日も服を着たまま川にざぶりと入り、元気そのものである。

1時間ほどでパルマル・ノルテに到着し、二人と何度も別れの挨拶をする。

Tracopa社のバスが、10時半に国境に向けて出発する。隣に座った、パルマル・ノルテ出身の親子、CarmenさんとJudithさんに話しかけられた。Judithさんがパナマの大学に通っており、パナマとコスタリカをよく行き来している。パナマとコスタリカの関係は近いのだという。「たった4時間だから近いのよ。」

Judithさんは日本の化粧方法を手本にしているといい、和装をした携帯の写真を見せてくれた。日本の映画はコスタリカでもよく放映されているらしい。

パルマル・ノルテは小さな町だったが、中国人も黒人も多いのだという。

バスに乗り込んでくる商人からJudithさんはミルクとココナッツ、ミルクとお米のCajetaを買って、わたしたちに差し出してくれた。甘くて喉の奥があつくなるようなお菓子だった。

その後も、窓の外に売りにきた商人から、窓越しに塩とレモンをふりかけたバナナのフライや、ミルクとパイナップル、パパイヤ、ミルクを凍らせたナッティ・フルティといったものを次々と渡してくれる。

Rio Claroという川を通りながら、バスは国境へと進む。「次パルマル・ノルテに来るときは泊まりに来てね」とCarmenさんは言った。

二人と別れて、コスタリカの出国手続きをする。
バス停からほど近い場所にあるイミグレーションには、黒に黄色、紫に黄色、赤に黄色、青にピンクといった縁取りのしてあるワンピースをきた女性が数多くいた。

並ぶ列は短い。
ただ簡単な申告書類を作って出国した。

これで、無事にダビ経由でパナマ・シティに向かうはずだった。

Pura Vidaと動物 – Sierpe / Parque Nacional Corcovado, Costa Rica

今日は、シエルペからコルコバード国立公園へ、JorgeさんのLa Perla Del Sur社が出しているボートに乗って、向かうことにする。

朝食は、昨日スーパーで買っておいた「赤パン」なるパンをほおばる。大きくふかふかとしたパンに、その名のとおり赤い線がいくつかつけられているのだが、この赤色の正体は店の人でも知らない謎の物体である。赤い色からは、何の味もしてこない。

マングローブの生い茂る細い川を通り抜ける。細い木々の根っこが網の目のように張り巡らされている。木には、白に黒と茶色の太い蛇がグネリとかかっている。

深い緑色であった川の色が、徐々に青い色へと変化していき、やがて太平洋のドラケ湾に出る。

日に焼けたボートの運転手は、表情を変えずに、サングラスをかけてただ前をじっと見て、操縦している。

時折他のボートと行き交いながら、1時間半ほどボートは走ると、コルコバード国立公園に到着する。ボートを橋代わりにして、岸から岸へと渡って、降り立つ。

そこでは子どもを抱えたミユビ・ナマケモノが木に座り、すやすやと眠っている。
数匹のクモザルが長い手をだらりとぶら下げ、互いにやりとりをしている。
黒い身体に喉の赤いカンムリシャッケイが木に数羽とまり、首を動かしている。

毒をもつストライプ・ロケットガエルが小さく岩の上に佇んでいる。
茶色の身体に耳の中の赤いアグーチが、せわしなくジャングルの中を走り回る。
トケイソウは、その命を閉じようとしている。

木にとまる鮮やかな赤と黄、青の身体をしたコンゴウインコがモモタマナの実をつつき、
それをぽろぽろと地面に落としている。

ある木は、細い幹から長いとげを出している。
ある木は、その根を長く張り巡らせている。
ある木は、他の木にまとわりついている。

あちらこちらに落ちている椰子の実からはにょきにょきと新たな芽が生えている。
大きな貝からは「海の音」がする。

ガイドをしてくれたフェルナンドくんは、コスタリカ南部の出身であり、小さな頃から野生の動物と遊んでいたのだという。

大学を中退し、スキューバダイビングの学校に入り直したフェルナンドくんの英語は独学で、観光客との会話の中で「耳で覚えた」らしい。

コルコバード国立公園はコスタリカの中でも最後の秘境と呼ばれる場所で、中継地点となるシエルペも、小さな小さな町である。

この辺りにくるのは80%程度がヨーロッパ人だとフェルナンドくんは言った。米国人は、都会的娯楽の少ないこの場所にはなかなか来ない、と言う。

この仕事は友だちの紹介で得たというが、始めてからもう6年。ジャングルでは目だけではなく、音を聞いて動物を見つけだしたりするのだという。

黒い鳥がまっすぐに列を成して飛んでいく。
フェルナンドくんはそれを指し、「コスタリカの空軍だよ」という。コスタリカは永世非武装中立を宣言しているのである。

お昼はサン・ペドリージョのレンジャーステーションで海を眺めながらいただく。炒めご飯と、チーズやハム、レタスやトマト、きゅうりのサンドイッチとパイナップル、西瓜にクッキーという品揃えだ。

長いくちばしをもったカッショクペリカンが岩に立ち、海のほうを眺めている。
わたしたちはハンモックに身体をゆだねる。

再びボートに乗り込み、シエルペへ帰る途中、無表情だったボートの運転手が、ザトウクジラを海の向こうに見つける。

「遠くのほうにいた」とつぶやいた後、急速にスピードをあげ、ボートを浮かしながら、クジラのほうへと向かう。

クジラは潮をふきあげた。ボートがそれを追う。
太陽の日差しが輝く水面で、クジラが2頭、そのつやつやと黒く光る背中を見せ、そしてすぐさま尾をまっすぐと立てて、水中に潜っていった。

シエルペへ戻る川には、大きな口をもつワニもいた。
黒い身体に黄色の嘴をもつオオハシは木の上で目を見開いている。

夜はまたレストラン・ラスベガスで、海老と米を炒めたArroz con Camaronにサラダとポテトフライのセットを注文する。地元の男性を真似て、Rock Iceビールを氷のグラスに入れて飲む。爽やかな飲み口が、コロナのそれと似ている。

最後に、サービスだとケーキを出してくれた。
Jorgeさんの小さな驚きサービス術が、ここにも展開されている。

カウンターでビールを飲んでいたフェルナンドくんは最後に、Pura Vidaと言って、その親指をたてた。

鐘と花火と爆竹の年明け – San Jose / Palmar Norte / Sierpe, Costa Rica

文化広場にある時計に「1-01 0:00 +21C」と表示される。
そして人気のないサン・ホセの街の真ん中が、鳴りやまない鐘と花火や爆竹の音に包まれた。

次の目的地であるコルコバード国立公園への入り口の町シエルペまでの経由地点、パルマル・ノルテの始発まで、時間を過ごせるレストランを探そうと、サン・ホセの街をそぞろ歩く。

歩いても開いている店らしきものはなく、歩いている人さえわずかだ。それでも、そのわずかな人たちは、明けましておめでとう、と挨拶を互いに交わす。

中心街の東側の民主広場の裏手に、イルミネーションのついた中国語の文字が見えた。行ってみると、2時まで開いているという中華料理店、皇朝だった。

中に入り、年越しそばの代わりに海老のワンタンスープ麺を注文し、餅の代わりにチャーシューの入ったCrepa Blancaを注文する。香港系の人々がそこで料理を作っていることもあり、味は本場のものだった。最後にはメロンとパパイヤがふるまわれる。久しぶりの中華料理は、味がやわらかく、繊細だった。

それでもやがて閉店時間が来て、わたしたちは路頭に迷うはずだった。

ちょうどお会計をとったアルフレドくんが、同僚であるルイス・フェルナンドさんがバスターミナルまで車で送るから、バスの時間を見てくるといい、と言った。バスがないなら、また車で送り戻してあげるから、と付け加える。

くるくるとした髪の毛、大きな身体に大声で笑いながら話すルイスさんは、街にあるいくつものバスターミナルを回り、そしてあちらこちらの人々に突如「アミーゴ(友だち)!」と話しかけながら、どのターミナルに行けばよいのかを尋ねる。

あるときは車の窓を開けて隣の車の運転手に、あるときはわたしたちを車内に残したまま下車してターミナルの中にずんずんと歩いて行き、始発のバスを尋ねる。

バスは、朝の7時までなかった。

バスの始発時間が分かってからも、ルイスさんはわたしたちにつき合い、同性愛者が多いという道を通りながら、24時間開いているディスコテカ併設のカフェに連れて行ってくれた。

そこで、ルイスさんは今日6杯目だというインペリア・ビールを、氷を入れたグラスにトクトクと注ぎ込む。
わたしたちには、温かなコーヒーミルクをごちそうしてくれた。

ルイスさんは現在42歳、二人のお子さんはすでに独立しているという。奥さんが家で待っているけれど、大丈夫、大丈夫、と変わらない様子で大きな口で豪快に笑いながら、言う。

時折、コスタリカはPura Vida(Pure Life)だと手を左右に動かしながら、訴える。それでも、最近は麻薬や窃盗が増えていると眉をひそめながら、言う。プンタレスの出身であり、近くのモンテベルデと同様に、プンタレスは人も優しいし、場所もすばらしいと、また笑う。

奥のディスコテカでは、若い女性も年上の男性も、腰をふって踊っている。ルイスさんも左胸に手をあてて、時に目をつむって陶酔した様子で踊る。

始発の時間が近づくと、車を見張るように頼んでいた交通整理のおじさんにコインを握らせ、再びわたしたちをバスターミナルに送ってくれた。

こうして、新しい1年が始まった。

ターミナルでは、テレビでドラえもんが流れている。「空中シューズ」という日本語字幕が流れ、ドラえもんものび太も、流暢なスペイン語を話している。

Tracopa社のバスは定刻に出発し、快適な走りをみせる。途中ブエノス・アイレスで林檎と洋梨を齧り、再び眠りにおちるわたしたちを、パルマル・ノルテまで川を越え、山を眺めながら、運んでいく。

5時間程でパルマル・ノルテに到着する。ここからシエルペまでのバスは明日にならないと来ないという。フィンランドからのカップルが同じようにシエルペに向かおうとしていたので、タクシーをシェアすることにする。

フィンランドとコスタリカの気候などについて話をしていたら、 20分程でシエルペに到着する。今日はここで宿をとり、明日コルコバード国立公園に向かう。

夕食は、川の見えるレストラン・ラスベガスで、チキンとサラダ、ライス、フリホーレス、フライドポテトのセット、Casado con Polloをいただく。ビールは、お気に入りのインペリアル・ビールにする。

オーナーのJorge Uribeさんは、コロンビア出身らしい。シエルペという町で、コルコバード国立公園へのツアーから、ホテル紹介、レストランの経営など、この町の商売の多くをつかさどっている。レストランは繁盛していて、他のレストランは、それに到底及ばない。

宿を探していたわたしたちに幾つかの適した宿の情報を提供したうえで、宿マルガリータまで、車を出して運んでくれた。

期待を上回るサービスを常に提供し続ける。シンプルだ。
シエルペに来て既に10年以上というコロンビア人Jorgeさんは、地元の人には見えなかったものを、この地に見出したのかもしれない。

鳥のなく声が聞こえるだけの、静かな町の夜を迎える。

コスタリカの大みそか - Tamarindo / Liberia / San Jose, Costa Rica

朝は宿の近くでスイス人が経営しているというホテルに併設されているSarita’s Bakeryで、蜂蜜と麦のパンを買い、それを宿に持ち帰る。

その上にピーナツバターをぬり、温かいミルクコーヒーとともに食べる。

今日は、大みそかだ。

日本との時差が15時間なので、こちらの朝9時に、日本は先に年を越す。
ネットで紅白歌合戦の様子や除夜の鐘の映像などをみながら、朝の9時を迎える。

日本の一人一人が、昨年の年越しとは全く違う年越しを迎えている。
わたしたちも、そうだ。
日本のみなの顔を思い浮かべる。

今日は、そんなふうに、気持ちがずっと日本にある一日だった。

タマリンドの宿は今夜はどこもいっぱいで、やはり1月の3日か4日まではいっぱいのままだという。そしてサン・ホセまでの直行バスも3日まで満席だと分かったので、まずはリベリアに戻ってそのままサン・ホセに向かうことにする。

リベリアに戻る前に、ビーチに腰かけて、Super2001で買ったピルセン・ビールの缶をあける。
甘みと苦みが強いビールだ。
家族連れやカップルが強い日差しの中、砂浜のうえで身体を晒している。

3時過ぎに来たリベリア行きのバスに乗り込む。バスは、それから2時間ほど、タマリンドの辺りをくるくると同じ道を回り、一向にリベリアの方向に進む気配がみえなかった。

ようやくリベリアの方向へ向かう頃には、店先のペプシの看板の蛍光灯がつき、しばらくしたら夕焼けが見えてきた。

とっぷりと日が暮れた空港のわきを通り、リベリアに到着したのは18時半になっていた。辺りにはマクドナルドやサブウェイ、Papa Jone’sやバーガーキングにガソリンスタンドなどがあるが、年越しをするために、首都のサン・ホセに向かいたい。

サン・ホセ行きの最終バスは20時発。
「サン・ホセまでは4時間から4時間半かかります。」
窓口の女性は淡々と答える。

どうやら年越しはバスの中になりそうだ。

それでもバスは定刻にきちんと発車し、きちんとサン・ホセの方向へと向かってくれている。

青と赤色の光をチカチカと放つ車が数台と警察が列を成している。バスがそれを横目に見ながら、進む。先頭にいたのは、車にひかれたのであろう、倒れて血が地面にまで広がっている、大きな茶色の牛であった。目が見開かれている。

バスは暗い道を進み、空には星が輝いている。

3時間ほどすると、丘にちらばる灯りが見えてくる。
それが、サン・ホセだった。
こうして予定時刻よりも早い23時半、サン・ホセに到着した。

どうやら年越しをバスで過ごさずにすみそうだ。

降り立つと、そこは途端にひやりとしていた。サン・ホセは標高1150メートルの高原都市なのだ。年越しまであと30分弱。まずは街の中心に行こう。

タクシーに乗り込み、街の中心である文化広場に向かってもらう。中心でなら、人々が集まっているかもしれない。

年越しまであと7分。白く輝く国立劇場と、それに隣接する文化広場に到着する。

そこは確かに街の中心ではあったが、予想に反して人はおらず、がらりんとしていた。

コスタリカでは、お正月はみな家で過ごすのであった。

とにもかくにも、12時を迎えるために、どこかレストランにでも入りたい。
通常であれば24時間営業である国立劇場隣のカフェテリア1930に入るも、今日は休みだと言われる。

年越しまであと3分。カフェに入れないのであれば、なにかドリンクだけでも買いたいと、大きな鞄をしょいながら、少し彷徨うも、店はどこも閉まっている。

12時。

カランコロンカランコロンという鐘の音が鳴り、それに呼応するかのように辺りの丘一帯あちらこちらに花火や爆竹がうちあがり、音が共鳴し合う。

大きな鞄をしょいながら、こうして新年を迎えた。