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ホンジュラスの男性たち – Trujillo / Tegucigalpa / Choluteca / Guasaule, Honduras

テグシガルパ行きの大きなバスは、出発当初に幾度か止まり、幾人かの乗客を乗せ、席が満席になると、一気に夜の道を首都、テグシガルパへと南下していく。

窓の外も明るくなり、丘の上にカラフルな家が立ち並んでいるのが見えてきて、9時半過ぎにはターミナルへと到着した。

テグシガルパからこのままニカラグアのレオンに向かいたい。国際バスを運行しているというTICA社まで、林檎を買って齧りながら、30分程歩いて向かう。話しかけられた男性に、この辺りは治安が悪いから、気をつけよう忠告を受ける。

無事にTICA社にたどり着くと、中では銀の十字架のネックレスをつけたシスターたちが、国際バスに乗ろうと手続きをしていたところだった。

レオンまでのバスは1日1便9時半発のみであるというので、バスなどを乗り継いで、レオンまで向かうことにする。ここで、また注意を促される。「この辺りは危ないから、移動をするなら、タクシーを使ったほうが良い。」

まずは、チョルテカという南の町までのバスを運行しているUlua社のオフィスまで行かなければならない。わたしたちは忠告通りにタクシーに乗り、Ulua社のバスターミナルまで向かう。気性のやや激しい運転手だった。

ターミナルに到着すると、ちょうどチョルテカ行きのバスが出るというので、そのまま乗り込む。

サブウェイやチェーン店のDespensa Familiar、Pollo Camperoも、もれなくある。治安の悪いと言われた大きな首都を抜け、空港を通り過ぎ、そのうちに緑と茶色の土地に真っ白な風車がいくつも並んでいるのが見えてくる。バスにはキリスト像が貼られている。英語も堪能な心優しいチケット売りのお兄さんのもと、3時半にはチョルテカに到着した。バスから降りると、途端に今までより暑い風がそこに吹いていた。

そこから、今度は国境の町、グアサウレまで別のバスに乗ることになる。そのバスのターミナルが歩いて2ブロック先だという。心優しいチケット売りのお兄さんは、チップを少年に渡し、わたしたちをそこまで連れて行ってあげなさい、と言った。

少年は、クリスチャンくんといい、15歳の男の子である。朝の5時から夕方の6時まで、毎日働いているのだという。スナックを片手に、もう片方の手に、水の入った袋をたくさん抱えている。周りには同じようなかたちで働いている友だちがいるようで、友だちに会うと、笑顔を見せた。

クリスチャンくんに連れられてたどり着いたターミナルでは、その日の最終便だというグアサウレ行きのバンがもうすぐに発車するところであった。

バンは既に満席であり、運転席と助手席の座席背後の、ささやかな敷物が敷かれたスペースに後ろ向きに座って、出発することになる。

向かい合わせに膝を合わせるように座っていた男性はエルサルバドル出身で、エルサルバドルも中国も日本も、よく働くから兄弟のようなものだと言う。

1時間弱走ったバンが国境に到着し、そこを降りると、両替商やらそこから先のニカラグア国境、そのさらに先のバスターミナルまで運転する自転車タクシーの人たちが大勢押し寄せてくる。

ホンジュラス出国の建物は簡素な作りで、出国手続きも同様にシンプル極まりなく終了する。

両替商の一人に両替をお願いし、自転車タクシーの一人にニカラグアの国境、さらに先のバスターミナルまで乗せて行ってもらうことにした。

ホンジュラス―ニカラグア国境情報

ホンジュラス側の国境の最寄りの町は、チョルテカ(Choluteca)。

チョルテカから、国境の町グアサウレ(Guasaule)まではバスで移動。(45分、L31.00)
(※ULUA社のバスでチョルテカに着いた場合、歩いて5分程の所にバス乗り場があります。)

◎グアサウレでの国境の越え方
※ホンジュラス側の建物と、ニカラグア側の建物は、かなり離れています。
 また、ニカラグア側の建物から、バス乗り場までも、かなり離れています。
 自転車タクシーを使うと、L40.00くらいかかります。
(※ホンジュラスの出国窓口まで自力で歩いていったら、その後を
   二人でL50.00にしてくれました。)
①ホンジュラスの出国窓口で、パスポートを提出
②日本が協力して架けた橋を渡り、ニカラグア側で入国手続
 →パスポートを提出し、US$12.00を支払う。
③バス乗り場へ行き、バスに乗る

◎両替
両替屋がいます。
L1.00=C$1.05で両替しました。

そこはかとなく、味わい深い海辺の町 – Trujillo, Honduras

朝起きてみると、昨日の大騒ぎはいつの間にか落ちつきをみせており、鳥のなく声が聞こえてくる。あとは宿のオーナーの部屋から流れてくるサッカー中継が聞こえてくるだけだ。

身体を休めながらも、せっかくのクリスマスでもあるので、外に出てみる。宿からまっすぐに続く道はひっそりと静まり返っている。

中央公園を抜けて、海に出る。波は穏やかだが、濁っていた。椰子の木が点々と植えられている間にごみは散らかり、豚がそれをもくもくと食べていたりする。

それでも、地元の人たちはオーディオ機器を砂浜に置き、明るい音楽をかけている。暑くない中、泳いでいる人たちがいる。犬があちらこちらにいて、ある犬は、飼い主とともに、走っていく。

水色の格子のワンピースを着て、頭にはピンク色のタオルを巻き、その上に大きな黄色のプラスチックの器を乗せているガリフナ族のおばちゃんがいた。本人が作ったというパン・デ・ココを買って、砂浜に座り、少しずつ、齧る。パンそのものは、気取りがなく、手をあげて美味しいと言えるものではない。

でも、それがこの町やビーチと同じように、そこはかとなく、味わい深い雰囲気をかもし出している。

ガリフナ族の主な居住地区は分かれているようで、ガリフナ族の食事が食べられるレストランはあちらだとそのおばちゃんは口をへの字にしたまま教えてくれる。

次第に町は肌の色の濃い、ガリフナ族の人々がほとんどとなった。

言われる方向に歩いて、また軒先でおしゃべりを楽しんでいた女性にどこか食事のできるレストランはないかと聞くと、Cocopandoに行けばよいと言う。

Cocopandoでは、食べたかったMachuca con Pescadoがあった。ココナッツのスープに揚げられた魚が入れられている。そしてバナナをすりつぶしたものが大きな団子状になって、ぽんと皿に置かれている。ココナッツのスープは、甘く濃厚で、あたたかなスープが、具合の悪い胃腸を優しく満たしてくれる。

バナナの団子は、そのままでは格別な味はないのだが、それをココナッツスープに入れると途端にまったりとした味わいとなる。

店を出ると、おっかないマスクをかぶった男性がぴーぴーと笛を吹き、周りを騒がせ始めた。オイルを塗った黒く輝く身体に金のネックレスをつけたガリフナ族の男性で、Indio Barbaroというらしい。笛を吹きながら、お金をせびるのだが、周りの人だかりはそれを嬉しそうにきゃきゃと眺めている。

そうこうしている内に雨が降り始め、中央公園とカテドラル、そばにあるサンタ・バルバラ要塞を見に行く。要塞の前に広がる草を馬が雨に打たれながら、かまわずに食んでいる。

宿に戻ってみると、昨日の爆音ライブの会場からは、再び、でも昨日のクリスマスソングとは変わり、Unchained MelodyやらHotel Californiaといった有名どころの曲が大音量で流れている。オーナーは、のんびりとハンモックに横になりながら、それを聞いている。

わたしたちの宿のオーナーも負けず劣らず見かけに迫力のあるおじさんだが、それでもその大音量に文句ひとつ言わず、テレビの音を消して画面をじっと見ている。

そんなトルヒーリョから首都テグシガルパまでの夜行バスが出ているという話を町の人に聞いた。聞いた中央公園付近という漠然とした場所で、聞いた12時から12時半ころという漠然とした時間に、バスを待ってみることにする。

橙色の灯りがついた公園を、若者たちが数組横切っていく。
近づいてきたタクシー運転手は、ここにはバスは停まらないから、ターミナルまで自分が運転するので、乗りなさい、と言う。

でも、わたしたちは聞いていた町の人の話を信じることにした。漠然とした場所で待っていると、確信に満ちたふうの地元の3人が歩いてきて、同じ場所でバスを待っていることが分かる。

こうして、夜中の12時20分頃、テグシガルパ行きのバスが海辺のほうから前照灯をつけて、近づいてきた。

クリスマスイブの爆音ライブと爆竹 – Copan / San Pedro Sula / Trujillo, Honduras

気候のおだやかな、クリスマスイブである。

バスが停まる曲がり角近くで開いていた商店で甘いともいえないパンを買い込み、ちょうど日が昇り始めた6時発のサン・ペドロ・スーラ行きバスに乗り込む。小さなバスに人が大勢乗ってくるようなバスの想像は裏切られ、そのバスは大きく清潔で、乗客がまだらにしかいないバスであった。

窓は数か所開け放たれ、外から、ぎゅっとつまった木々の香りが、さわやかな風とともに入ってくる。牛が草をはみ、人々がお墓を詣で、ところどころ道の脇に大きな看板広告がたっており、ペプシ広告を塗った店が見られる。

10時にはサン・ペドロ・スーラに到着する。ここはホンジュラスの第二の都市であり、工業、商業の中心でもあるこの街のバスターミナルは、巨大ショッピングモールになっていた。中国製の洋服店もあり、フードコートにはこの辺りの定番メニュー、Pollo(鶏肉)のお店がずらりと軒を並べている。

今日の目的地であるトルヒーリョまでのバスが出ているCotraipbal社のカウンターに行くと、ちょうどあと5分程で出発します、と言う。そのままチケットを買い、バス乗り場へと急ぐ。

そのバスはスクールバスを改造したもので、地元の人たちで満席だった。定刻より5分遅れで出発をしてからも、いろいろな所で停車をしながら、地元に人を乗せたり、降ろしたりしながら進む。

ホンジュラスに広がるバナナ農園を、19世紀末に進出してきた米国資本のフルーツ会社が管理運営しているそうで、バナナを運搬するためにインフラを整えたという。ホンジュラスの社会資本の基礎は米国の数社が築いたともいえるらしい。

そんな話が思い浮かぶほど、バスが通る幹線道路は、どこか米国の郊外と似た雰囲気で、大型チェーン店が大きな看板をたてている。ピザハットもバーガーキングもKFCもウェンディーズも、ある。コカコーラ社とペプシ社はこの辺りでは拮抗している。

雨が降ったりやんだりしながら、バスはトラックとバイクの事故のそばを通りつつ、ぴょこぴょこと道を飛び跳ねながら、進んでいく。

バスには様々な物売りの人たちが乗り込んできて、熱心に精神世界の話をしてアクセサリーを販売している美しい女性もいて、それを購入する、髪の毛をがっちりと固めたお兄さんも、いる。

トルヒーリョに近づくと、そこに多く住んでいるガリフナ族の人たちが幾人か乗車してくる。

予定到着時刻の16時を過ぎ、うっすらと雲が赤くそまり、延々と続く椰子の木と、土の色にそまった濁流を包んでいく。

そうしてとっぷりと日が暮れた18時頃、バスはトルヒーリョに到着した。

このスクールバスの旅中で、すっかり体調を崩してしまったので、今日はゆっくりと宿で休むことにする。バスターミナルから市内に向かうタクシーの運転手が教えてくれたMar de Plataという宿に部屋をとる。

近くの商店で林檎とバナナとパパイヤを買って、それを切り分け部屋で食べる。
さて、ゆっくり休もうかと思ったところ、裏手のレストランから爆音クリスマスソングが歌われ始め、辺りの空気をがんがんと響かせる。そこに時折爆竹が重なるように、音を増す。

結局そのクリスマスライブは、真夜中を過ぎても盛り上がり続けた。

コパン遺跡のキャラクター - Copan Ruinas, Honduras

ホンジュラスへの入国は、25ケツァルを支払い、渡航目的や滞在場所など基本的な項目の書かれた1枚の紙ぺらに記入すれば、すんなりと手続きが終わる。

辺りに両替商は大勢いる。耳の大きく尖ったお兄さんに両替をお願いして、再びバスに乗り込む。そしてバスが、黄色の長いホースから出る洗浄剤に洗われれば、無事にそのまま再出発である。

バスの到着地点は、「コパン遺跡」という名のコパン・ルイナスの街である。国境を越えると、くねくねとした山道に点々と家々が建っているが、それも30分程したら無事にコパン・ルイナスに到着する。

コパン遺跡観光のための町、という肩書きから、観光グッズが町中に売られ、ほぼ欧米人の観光客が街を歩いている様子かと思っていたら、地元で生活しているのだろう人々がほとんどだった。

若い女の子は高いピンヒールを履き、肌を出した格好をして、さくさくと歩いていく。中央公園には小さなクリスマスツリーが飾られている。

まずは、公園に座って、鞄に入れておいたバナナパウンドケーキとCancheおばあちゃんからもらったメレンゲのケーキをほおばる。

町自体は確かに小さいので、歩いてすぐのポサダ・ホンジュラスに部屋をとり、橋を渡ってまた30分も歩けばコパン遺跡に到着する。

遺跡に入る前から、細やかな彫刻が施された石碑がたっている。入口には、ホンジュラスと日本との間に「文化遺産無償資金協力」の調印式が執り行われ、コパン遺跡アクロポリスおよび周辺地域の保存活動に必要な機材などの無償供与、技術協力が開始されたと書かれた碑がたっている。

コパン遺跡も、マヤ文明の主な都市遺跡の一つである。

入口すぐのところに赤と黄、青色の身体に目の周りが白い鮮やかなコウゴウインコがたくさんいて、嘴を手でいじったりしている。

遺跡に見学客がほとんどおらず、夕刻となるとそこにいるのは、グアグア、ピコピコ、もしくはプヒョプヒョ、ブルルルとなく鳥たちとわたしたちだけとなった。「天文台」、「閲兵台」ともいわれる石段の上で、人気のないグラン・プラサやアクロポリスを眺める。

コパン遺跡は、精緻にほどこされたマヤ文字の石碑群でも名が知られており、また「神聖文字の階段」は、階段を構成するブロックのすべてにマヤ文字が刻まれている。

華麗な彫刻やマヤ文字中にもロボット風のキャラクターや、キン肉マン風のキャラクターもいて、なんとも愛らしい。

夕食は、ホンジュラスの名物であるという肉の串焼きピンチョスが食べられるというAsados Copanというレストランでいただくことにする。

ピンチョスミックスという、鶏と牛肉、トマトや玉葱、チリの炭火焼きに、フリホーレス、トマトと玉葱や香草とチリを和えたChimol、こんがりと焼かれた葱、チーズ、ガーリックトーストとトルティーヤが添えられている。ドリンクはホンジュラスのビール、Salva Vidaをオーダーする。ピンチョスの一つ一つの肉はぽってりと大きくジューシーで、炭焼きの香りが口を満たす。

明日の朝食の買い出しをしようと商店を回るものの、宿の近くでは爆竹だけが屋台で販売されていた。