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2013年12月

年越しの日 – Palawan / Cebu, Philippines











プエルト・プリンセサからセブへと戻るフライトを昼の12時半にとっていたので、静かな朝に海辺を歩き、バンに乗り込み、プエルト・プリンセサへと向かう。ジプニーと違って、バンはすいすいと進む。

前の方の席では、白人の中年を越えた男性が、若いフィリピン女性に
花びらを差し出している。











1時間半ほどで、プエルト・プリンセサに到着して、バスターミナルのすぐそばにある、
掘っ建て小屋に、明るい女性たちが働く屋外食堂で、朝ごはんをいただくことにする。

ライスに、チキンとポークの煮込み。こんなカジュアルな食事が、良い味をみせてくる。
ささっといただいた後にトライシクルに乗り込み、空港へと向かう。











空港の待合室に座り、かりかりブレッドパンをほおばり、日本から持ってきた「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を捲る。

空から見る、緑広がるセブの島、それをとりまく真っ青な海が広がってきたら、もう着陸。

フィリピンに来て数日目、ようやくセブの街へと繰り出すことになる。

ホワイトタクシーの乗り場には長蛇の列ができている。

泊まろうと向かった宿は、空港からタクシーで40分ほど。

空港もリゾートホテルもあるマクタン島から橋を渡り、セブ・シティの中心地へと入っていく。











宿の近くには、Jollibeeというフィリピン人が大好きなファストフード店がある。セブにはマクドナルドもあるけれど、地元の人たちは誇らしげに「Jollibeeのほうが美味しい!」と言う。

スタンダードなハンバーガーにチーズをはさんだものと、フライドポテト、それにSarsiコーラをオーダーする。ハンバーガーもポテトもひんやりとしていて、ハンバーガーはぺちゃんこで、ポテトもしんなり、Sarsiコーラも薬の味、でも、レジには長い列で、客たちも楽しげで、悪くない。











今日は、2013年の最後の日なものだから、フィリピン最古の教会の一つという、サント・ニーニョ教会に向かう。昨年の大地震で一部崩壊しているが、多くの人々が集まっていて、神父が人々に水をかけている。数字の書かれたキャンドルホルダーに多くの赤い蝋燭がたてられ、人々が祈りを捧げている。教会内には、キリスト教の伝道師が上陸したときの様子なども描かれている。

マゼランが太平洋横断中にフィリピンに上陸し、造ったという十字架が納められているマゼラン・クロスを眺め、セブ・シティの繁華街であるオスメニャ通りとコロン通りの交差点へと歩く。

多くの屋台も出ていて、カラフルなフルーツが売られている。道端で玩具を売っているおじさんもいて、なにやらドンチャン騒ぎである。ただ、食堂のあちらこちらが大晦日の営業時間短縮で閉まり始めていることに気づき、セント・ニーニョのずらりと並ぶデパートに入り、食堂を探すも、やはり閉まっている。

年越しヌードルを食べたい一心で、ジプニーをつかまえ、セブ・シティのもう一つの中心地、フエンテ・オスメニャに向かう。開いている食堂を探していると、The Villa Pilipino Restaurantに、煌々と灯りがついていることが分かり、そそくさと入店する。

望み通りに、中華風焼きそばのパンシット・カントン、それに、中国から伝わったという、とろみのある汁にひたった煮込み麺、ロミをオーダーする。シンプルな味で、優しい味がするのを、ロイヤルのオレンジソーダとマンゴージュースとともにいただく。

夜の9時から、さきほどのサント・ニーニョ教会で深夜のミサがあるというので、レストランでゆっくりとするのもそこそこに、再びジプニーに乗って、教会に戻る。教会の外にも蝋燭がたてられ、既にミサが始まっていた。

舞台上では、神父がマイクを手に説教をしながら、時折、どっと人々を笑わせる。そのうちに、まるで一人カラオケのように爆音量での、独唱が始まる。みんなの心をすっかりキャッチしているのである。

そのうちに、どこかしらから、きゃしゃな肩を出したワンピース姿の女性が、私たちの前に立つ女性たちに話しかけ、そのジーンズの後ろのポケットに何かを入れた。女性は、とてもしなやかで、その振る舞いも、とてもしおらしい。

ミサが終わり、神父が再び、水をふりまきにまわる。皆は両手を挙げて、受ける。そこで、振り返った女性たちの顔は男性たちの顔だった。

花火があがる。

私たちは、年越しを迎えに、「何かが起きるかも知れない」と聞いたフエンテ・オスメニャにまたジプニーで向かう。フィリピンと日本は時差が1時間なので、まずは、ミニ・ストップで買ったレッド・ホース・ビールで日本の正月を祝う。

あちらこちらで花火や爆竹の音がするものの、フエンテ・オスメニャからは何も見えない。花火の見える場所を探しに、高くそびえる皇冠大酒店を上の方に上がってみる。中にカジノがあるようで、そこに向かう人々が数多くいる。花火があちらこちらであがっているのが見える。

12時が近づいてきたので、フエンテ・オスメニャに戻り、再びミニ・ストップで、今度はマグナム・アーモンド・アイスクリームを購入して、時を待つ。

やっとの思いの地下河川。 – Sabang, Philippines











昨日、宿へ連れてきてくれたおじさんと、朝は6時半に待ち合わせをして、
許可書の取得に同行してくれるというので、6時には起床し、準備をし始める。
セブへのフライトチケットも持ったし、身分証明書も一応持った。

6時半。やはり、来ると言っていたおじさんは来なかった。

気を取り直して、7時には開くという案内所に向かい始める。
案内所に近づいていくにつれ、その周りに人だかりができているのが分かる。
大変な混雑ぶりだ。
既に案内所に、待ち合わせをしていたおじさんは到着していた。
待ち合わせをしたことはなかったかのように、大きな笑顔で迎え入れられる。

案内所も大混雑だった。
どうやら、この3日程悪天候で午後の船がキャンセルされたことで、
その間に膨れ上がった旅行客を処理するのに必死なのである。











そんなこともつゆしらず、
いきなりサバンの案内所に朝来て、
その日に河川に行きたいという私たちのことは当然後回しにされるのである。

とにかく午後にまた来たら、どうするかを考えましょう。
あとは天気に祈りましょうよ、と興奮気味に言われるのみである。

3日も待ったという外国人が、もみくちゃになりながら案内所でようやく河川への許可書を得ている様子を見ながら、全てが手動で、手書きの紙にスタンプやらホチキスやらでやりとりしている様子を見ながら、この調子では、午後に来ても、きっともう今日中に乗せてもらうのは難しいだろうと思った。

許可書の申請書だけでも書かせて欲しいといっても、午後にまた来てくださいが決まり言葉のようになった。他の客たちは諦めてどこかへ行ってしまうが、私たちは粘り強く案内所に交渉を願った。

外の天候は雨が降ったり止んだり。
これ以上悪くならないことを祈るばかりである。











こうして1時間ばかり過ぎた頃、案内所の若いスタッフが、これに記入してくださいと、突然に、
許可書の紙を私たちの前に差し出した。

思わずぽかんとしてしまうが、なんとも有難いとそそくさと記入をし、提出をする。
なぜ突然に申請を受けてくれたのかは分からないままだが、
とにもかくにも、これで少し進んだのだ。

お金を支払い、案内所の外に出て、港に向かう。
日本人らしき洒落た初老の男性と、フィリピンの若い女性。
欧米らしきすらりとした中年の男性と、フィリピンの若い女性。
こういう組み合わせは、とても多い。

天候が悪くなって、出航が取りやめにならないことを願いつつ更に待つこと4時間。
順番が回ってきた。
海はなかなかに荒れている中、木のボートに乗り込み、進んでいく。











20分ほど走ったところ、地下河川へのボートへと乗り換えるポイントへと到着する。
大きなとかげがちゃんと出迎えてくれる。
そこは、波の高い海から洞窟のほうへと少し入ったところで、
途端に波もなく、静かな緑色の水面を湛えている。

緑に囲まれたその砂浜で人々は思い思いにボートに乗り込む時間を待つ。
猿がそれを冷やかしに来る。











待つこと約1時間。いよいよボートに乗る順番が回ってきた。
それから地下河川に穏やかに入っていく。洞穴には、きのこやとうもろこし、カテドラル、キリスト像、マリア様、鳥。こうもりがチューチューと高い声をあげている。ガイドさんが英語と現地語を交えながら解説をする。フィリピンの家族も、英語もしっかり理解している様子。

40分ほど経ったところで、前の方に光が見えてきた。
また荒々しい海に揺られて、小さな地下河川への旅は終了する。
日本語が少し話せるガイドさんともお別れ。
マニラから来たというその女性ガイドさんは、
マニラより、ここのほうがずっと良い、いろいろな人とも出会えるし、と言った。

GUSTO GRILL & RESTOというレストランが良いとガイドさんに聞いたので、
そのままレストランに入り、バイキングの昼食。
ナスの煮込みや野菜の炒め物、春巻、春雨にライスなど、
それにピンクのプディングにコーラ。
たらふくフィリピン料理をいただいたあとは、
サバンの村を歩き、日が暮れたら、
TARA RESTO BARでラムコーク。











ちびりとし終えたら、村の商店の奥の方から取り出してもらった
冷えたコカ・コーラとスプライト(店の中の冷蔵庫のドリンクはたいてい冷え切っていない)、
それにバニラクッキーを携え、
Sheridan Beach Resort & Spaのプールの脇でいただく。
小さな村の、ぜいたく時間。

それから、また、私たちは23時に灯りが消えてしまう宿へとそそくさと戻る。

ぐるぐるの許可書取得への道 – Cebu / Palawan, Philippines

椅子の突起に身体を痛めながらも十分な眠りにつき、起きてみたら、カフェも開いていて、人の出入りも増えていた。

昨日買い求めたチケットを手に、チェックインを行う。
持っているすべての荷物をX線にかける。

無事にチェックインも終えたので、空港に並ぶレストランの一つに入る。
ぜひ現地の食べ物をいただきたいものだと思い、現地の人々で賑わうZubu Lechonというお店に入り、Lechon with riceをオーダーする。
空港レストランらしく、そのレチョンは冷えていたものの、他の外国製レストランよりも地元の人たちに人気で、ほぼ満席だ。
朝からなかなかにオイリーなものだが、
地元の人達はなんてことないようである。

レチョン・ライスにミネラルウォーター。
レチョンには、醤油とビネガー、それにチリソースがついていて、
それに浸しながら、ほおばる。

真っ青な空の下、再びCEBU PACIFIC AIRの飛行機に乗り込む。
二つの席を並べただけのシンプルな造りをした飛行機で、
離陸も軽々しいものだった。
ドリンクなどのサービスもないが、
美人CAが途中でゲームを開いた。

1時間ほどで、パラワン島の州都、プエルト・プリンセサに到着をする。
ここからすぐに世界遺産の地下河川のあるサバンという村へ移動したい。

空港の観光案内所にサバンへの行き方を尋ねてみると、「地下河川に行くなら、その入場許可書をプエルト・プリンセサで取っていかなければ入れませんよ」

どうやら地下河川に行くには、許可書が必要で、それはサバンでは取れないらしい。
ここで尋ねて良かった。

言われるままに、その許可書を発行してくれるという州政府庁舎へ向かうことにする。空港を出ると、トライシクルの客引きが大勢近づいてきて、あれやこれやと声をかけてくる。

韓国人か、中国人か?
日本人だと答えると意外な顔をされる。

その中の一人が、まともな値段を提示してきたので、それに乗り込む。

州庁舎に連れて行ってもらい、許可書を得たら、そのままサバンへのバスターミナルへ連れて行ってもらおう。

15分ほどトライシクルが走ったところで、12時前に地下河川予約所に到着をすると、「今日は休みだ、明日来なさい」と言う。いや、日曜日の今日だって、8時-12時、13時-16時で開いているって書いているじゃないかと粘る。セブまでの帰りのチケットだってもう取ってしまったのだから、明日地下河川に行けなければ困るのだ。

しばらくわんやわんやとやっていると、「今スタッフはお昼ご飯に行っているから1時に戻ってくると良い」と言い出す。

なんだそうか。

気の抜けた私たちは、トライシクル運転手のところに戻り、あと1時間待たなければならなくなったと伝えると、その運転手は、それでは1時間待ちますよと笑顔で言う。ありがたいことである。

お礼に、近所の店で買ったややぬるいコーラを渡して、商店に行き、
私たちは、少し離れた商店まで歩き、やや溶けてべっとりとしたCornettoのアイスクリームをほおばる。そこにはwifiがとんでいるらしい。

1時になり、勇み足で事務局に乗り込み、地下河川の許可書が欲しい、と言うと、
「明日の分はもう売れ切れています。明日、また来てください」と言う。

「明日はもう来られないんです。帰りのフライトも決まっています」
「でももう売れ切れています。」

「じゃあ、サバン村では取れないのですか。」
ダメモトで、尋ねてみる。

「サバン村ではとれるかもしれません」
「サバン村ではとれるかもしれませんって、
サバンで許可書を発行するところがあるってことですか。」
「ゲストハウスなどで手伝ってくれるところもあります」

やれやれ。

それでは、とにもかくにもサバン村に言ってみようということで、
トライシクルの運転手お兄さんにお願いをして、サバン村までのバスターミナルへと向かう。

バスターミナルには、既に車内のぎゅうぎゅうになったジプニーが停まっていて、
車体の上には、タイヤやらカバンやらダンボールやら水のボトルやらタライやらが積まれていて、私たちもバックパックを載せる。

13時半には出発するという言葉には偽りなかったようで、少し待てばそのうちにジプニーが動き出した。ただでさえ、ぎゅうぎゅう詰めの車内で、背中に出っ張った鉄柱があたって、なんとも座り心地が芳しくない。

子どもたちもぎゅうぎゅうとしていて、若い母親たちとともに、私たちのほうを見て、にっこりとする。

ジプニーに、竹やなにやら色々なものが積み込まれたかと思えば、うとうととしかけて起きてみると、たいていジプニーは停まっていて、動いていない。運転手や客が買い出しをしたり、竹の積み下ろしをしていたりして、時間が流れていく。

ようやくサバンに着いた頃には、17時を過ぎていた。普通に走れば1時間のところを、3時間半、故障することもなく、みなでサバン村まで揺られてきたのである。

到着する頃には、雨が降り出していて、
許可書をもらえるはずの観光所も既に営業を終了している時間だった。

どこに泊まろうかとうろうろとしていると、男性から声をかけられて、
ついていくことにする。

いくつか紹介された中で、タロー・ビスタ・ロッジ・アンド・レストランを選び、荷物を置く。
許可書の話をすると、「明日、朝、案内所に行けば良いと思う。帰りのフライトチケットを持って行って、あと、私の名前を提示してみなさい。7時に開くから、一緒に行きましょう。6時半に迎えに来ます」と言った。

もはや何を信用してよいものか分からなかったが、
ここで急いでも何か事態が変わりそうもない。

信じることにしよう。

サバンという村は、海岸に沿って、コテージなどの並ぶのどかな田舎町であるものの、外国人向けの観光に頼っているからか、フィリピン料理を食べられるレストランは、Heramis Lechon位だ。

シニガン・バンガスという白身魚のスープとバーベキュー・リエンポ、それにライスにサンミゲル・ライトをオーダーする。

ミルク・フィッシュともいわれるというバンガスは、地元の水を使ったスープに入れられ、どことなく危険な香りもするものの、ここは気にせず、口に入れてみる。

隣に座った、スイスから来たというむっくりとした初老の男性に話しかけられる。
このサバンという村が気に入って、毎年のように妻と来るのだと言って、
隣の若いフィリピン女性がにこりとする。
足元には野良犬があちらこちらと歩き、それを気に留める者はいない。

宿の灯りは夜の6時から23時までしか点灯しないということだから、
遅くならないうちに宿へ戻り、眠る支度を整えることにする。
星が瞬いていた。

フィリピンへ旅立つ – Tokyo, Japan / Cebu, Philippines

今年の年末年始は、フィリピンへ行くことにしました。
長いお休みだから、スリランカ辺りに行こうと思って、
航空券を調べてみると、どうやらどこももう満席。

そんなものだから空いているところがあれば、そこへ行きます!と宣言して、
じっと待つこと、数週間。

「12月15日よりセブ往復便の増便が発表されました。」とのことで、
とりあえず、セブ往復チケットを購入。

19時半頃の便なものだから、朝から荷造りをして、成田へ。
久しぶりの大きなバックパック。
でも、今回は、身体の前にもバックパックということはなく、少し、楽。

混雑していたカウンターでもチェックインを終え、
書店で 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を購入し、
少し予定時間を遅れるものの、無事に日本を経ち、
こってりとしたビーフののったライスとビールに、
アイスクリームを食べていたら、セブへ到着。
たった5時間半。

そんな時間であの寒い日本から、急に暑くなるものかと思っていたら、ちゃんと暑くて感動。時差が1時間で、降り立ったのが夜中の12時半頃。

そんな時間にもかかわらず、入国審査に長蛇の列。
韓国語の表示があちらこちらにあり、韓国語があちらこちらから聞こえてくる。
1時間ほど待って、ようやくなんの問題もない入国手続きが完了。
もう夜中の2時。

空港を出ると、韓国語のカードを持った人々がずらり。

セブまでの飛行機の中で、このフィリピン旅の中で、どこに行こうか検討をした結果、
まずはパラワン島に行ってみよう、となった。
船はないので、飛行機で行くことになる。

空港で両替をするとともに、尋ねてみる。
「空港は24時間開いているのでしょうか?」「はい。」

セブ市内に泊まろうと思っていたものの、
チケットもとらなければならないし、
初っぱなだけど、空港泊にしてみようか。

パラワンの都市、プエルト・プリンセサまでのフライトが予約できるか尋ねに、
出発ロビーにある、CEBU PACIFIC AIRのカウンターへ。
ここも24時間空いているといい、きれいなお姉さんが流暢な英語で対応をしてくれる。

こうして無事にチケットもとれたので、
空港の隅のベンチに居場所を確保する。
仲間は、いっぱいいる。

おそるおそるのクリスマスチキン。

はじめて、チキンをまるまると焼いてみました。
つるりとした冷たい肌をさらす鶏をおそるおそる触って、ひねって、持ち上げて、
詰め物をして、オーブンへ。

次は、もう少しリラックスして、できたらいいな。