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Bolivia

ボリビア―チリ国境情報

ボリビアのウユニから、チリのサンペドロ・デ・アタカマへ抜けるルートです。
※ウユニ塩湖からの2泊3日ツアーに参加して、チリのサン・ペドロ・デ・アタカマ
 へ抜けるルートです。
※ボリビアのウユニの街から、国境のアバロア経由カラマ行きのバスは、毎日出ているわけではなく、
 月・水・日の早朝(AM3:30~AM4:00)出発になります。(現地で確認してください。)    

1.ボリビア側国境にて、出国手続。無料。
  ※ツアーの車が、連れて行ってくれます。ウユニへ戻る人達とは、
   ここでお別れになります。
2.チリのサンペドロ・デ・アタカマ行きのバスが近くに停まっているので、
  乗る。
3.チリ側国境にて、入国手続。パスポート及びバスの中で配られたツーリストカード
  を提出。無料。
4.バスから荷物を降ろし、同じ建物内で荷物検査(X線)。
  バスの中で配れた税関申告書を提出。無料。
5.再びバスに乗り、サンペドロ・デ・アタカマへ。

◎両替
 ボリビア側、チリ側共に国境では両替する場所はありません。
 サンペドロ・デ・アタカマのToconao通りで両替ができます。
 BS1.00=C$75 でした。

標高4400mの温泉 – Uyuni Circuit, Bolivia

朝はまだ暗い5時半前に宿を出て、車に乗り込む。車の調子がおかしいようで、古びたランド・クルーザーはゆっくりと霜のおりる道を進んでいく。

少しずつ日の上がるころ、標高4850mにある間欠泉、Sol de Mananaに到着する。あちらこちらで大地から白い煙が勢いよく噴き上げ、辺りは硫黄の匂いがする。

そばの4400m地点にはTermas de Polquesの温泉もあり、湯けむりがたっている。朝食に、車に積んであったパンケーキにたっぷりのバターと苺ジャムやキャラメルを塗って、温かいチョコラテを飲む。リャマがそばを歩くのを眺めながら、温泉に身を浸す。丁度よい温度の温泉、手の先がじんじんとする。

身体をあたためたところで、再び車に乗り、重金属や硫黄、砒素などにより緑の色をした湖、Laguna Verdeと隣のLaguna Blancoへと向かう。湖には強い風が常に吹き、水が撹拌し、泡ができる。雪山が湖に映っている。

そこからすぐそばのチリとの国境へと向かう。大統領Evo Morales氏の写真の貼られたイミグレーション・オフィスで簡単な手続きをすればボリビア出国となる。

乾いた大地と雪山と、湖のフラミンゴ – Uyuni Circuit, Bolivia

朝起きてみると、宿の近くではうっすらと明るくなった空に淡く白い月が浮かび、雪山の麓で羊たちがめえめえと声をあげながら一列を成して、歩いていく。

朝食は、パンにバターを塗って、ふんわりとしたいり卵をのせたり、苺ジャムをぬったりして、温かいチョコラテやオレンジジュースとともにいただく。宿の女性たちは、話しかけたときにほんのかすかな笑みを一度浮かべた他は、昨晩と同じように、ひたすら口をへの字に曲げている。

9時前には宿を出る。リャマがあちらこちらにいて、黄色地に黒の、リャマ通行注意標識も道のわきにたてられている。

乾いた大地にうっすらとところどころ緑の生えていたのが、やがて赤いごつごつとした岩が散らばるValle de Rocasにたどり着く。鷲のような形の岩もある。

既に高度4300mあたりまで上り、周りの6000m近い雪山も近く、低く見える。やがて右手にOllague火山が見えてくる。手前がボリビアでその先はチリだという。舗装のされていない道には水たまりがあちらこちらに溜まり、それを避けて走っていく。

この辺りには湖が数多く点在する。フラミンゴの浮かぶ湖、Laguna Hedionda、Pastos Grandesを通り、Laguna Charcotaに到着する。湖に雪山が映っている。

昼食は湖を眺めながら、パスタにハンバーグ、じゃがいもに野菜をいただく。飲み物はコーラに、デザートは苺のゼリーがついている。岩に腰をかけていただくものの、あちらこちらから小さな虫が飛んできては、パスタにぴとりとくっつき、そこで命を終えていく。ハンバーグやじゃがいもは気にいらないのか、ただあまり味のしないパスタにばかり、虫が寄っていく。

再びランド・クルーザーに乗り、Laguna Hondaに向かう。既に道のような道はなく、赤い大地にかつて通った轍の線が何本か引かれているだけだ。乾いた土地にも、岩に黄色や紫の花がほんの少し花ひらいている。

そこから、砂漠の中に、木の形をしている岩、Arbol de Piedraへと向かう。長い時間をかけて風雨で浸食されたのだといい、辺りには犬のような形の岩など、いびつな形の岩がごろりごろりとある。晴れ渡った暖かな昼間でも、日陰にはまだ雪が残っている。

15分ほど走ったところにある、深い赤色をした湖、Laguna Coloradaに向かう。ここは国立公園となっており、ゲートを通過して中に入る。

標高4278m、60km2、深さは80cm程度の湖で、ナトリウムやマグネシウムなどが濃いため、それを栄養とする珪藻やプランクトンが多く、赤い色をしているのだという。そしてそれを餌にするフラミンゴが集まっている。

赤くて細い脚、白い羽にうっすらとピンクの線が引かれ、先が黒い。嘴を水につけて何かをつまんでは顔をあげて、飲み込み、また嘴を水につける。だいたいそれを繰り返している。

時折思い立ったように飛び立つときは、脚をパタパタと動かして助走してから飛び立ち、着陸するときもまた、脚をパタパタと動かしてスピードを落としていく。わたしたちのほんのわずかな動きにも反応をして、一斉に羽をわたわたと動かして一歩退く。

雪山のふもとの湖に、ぐあぐあ、ぐえぐえと声を出して一列を成すフラミンゴ、飛んでいくフラミンゴが映し出される。

そこから少し進んだところにある宿の集まる場所へと向かう。どうやら予約をしていないらしく、コロナリオくんはどこもいっぱいだと笑う。最終的に、まだ新しいと思われる宿に部屋を見つけ、そこに宿泊することになる。

カモミールティーにビスケットをつまんでいるうちに、夜が更けていく。

夕食は、ボリビアのOportoというワインボトルに、トマトパスタにチーズをのせて、パンとともにいただく。ドイツ人の仲間たちはボリビアの甘すぎるワインをひどい味だと言って、口にしない。「Kniffel」というサイコロを使ったゲームを教わり、しばらく遊ぶ。

この宿も高地に位置しており、明日は更に高い5000m近くまであがっていく。少しワインを口にするだけで、頭がかすかに痛む。

電源などは夜に3時間ほど使えるだけで、突然にぱたりと消えてしまう。外に出てみると、ひやりとした暗闇に満月を終えたばかりの月が浮かび、星が瞬いていた。

機関車の墓場と鏡のウユニ塩湖 - Uyuni Circuit, Bolivia

朝に宿を出てみると、道端で市がたっていた。

朝食はUyuni Toursでいただく。温かなミルクコーヒーにぎゅっと絞ったオレンジジュース、ハムとチーズにいり卵、それにパンとバターとマーマレードがそえられている。プロじゃないけれど、うちの料理なのよとふるまわれた。

やがて、2泊3日のツアーが始まる。コロナリオくんというドライバーに、4人のドイツ人とわたしたちが共にトヨタのランド・クルーザーに乗って、塩の湖であるウユニ湖周辺を、進んでいく。

まずはじめにCementerio de Trenesという、ウユニの街からわずか3kmのところにある、機関車の墓場へと向かう。鉄道は1888年から1892年にかけて造られ、ウユニ周辺から採掘された鉱石を太平洋まで運んでいたのだというが、1940年に鉱山が閉鎖され、鉄道も運行されなくなった。そして機関車がここに放置されている。

長く続く線路のわきに、錆びれた機関車がそのままにある。列車にはあちらこちらに落書きが施され、ある列車にはアインシュタインの計算式が書かれている。ぽつんと残された機関車の先頭は、まっすぐに雪山のほうを向いている。

そこから一度ウユニの街へ戻り、食料を積みこみ、ウユニ塩湖のそばにあるColchaniという村へと向かう。ここは塩の生産拠点となっており、倉庫や家が塩でできている建物もある。

この辺りはアドべで作った家が一般的なのであって、この辺りの塩で作った建物というのはまだ新しく観光業用に建てられたのだとコロナリオくんは少し笑う。小さな博物館まであり、塩でできた動物たちが立っている。

大きな倉庫には女性が一人座り、大量の塩の山を前に、ただひたすらに手作業で袋づめをしている。この村の家の門の上にも、2月のカルナバルの名残の飾りつけがかけられている。

それから、ウユニ塩湖へと向かっていく。リャマやビクーニャがあちらこちらに歩いている。はるか遠くに見える山々は、湖の上に浮かんでいるように見える。辺りには雪をかぶったChita山やJaruma山がそびえたっている。

やがてウユニ塩湖に到着する。ちょうど水の溜まった際に、2008年5月1日の事故の石碑がたてられ、日本人の5人の名前もきざまれている。その日、酒酔い運転をしていた車2台が衝突し、そのうち一台に乗っていたみなが亡くなったという。

そこからじゃぶじゃぶと水の中にランド・クルーザーは入っていく。塩をスコップで掘る男性がいて、あちらこちらに塩の山ができ、トラックが走っている。約20億トンの塩があるという湖の塩の採掘がここでは手作業で行われている。

雨期のウユニは、聞いていたとおりに、鏡のようだった。ピンクのフラミンゴが空中を列になって飛んでいく。Thunupa山をはじめとした山々や雲、鳥が湖にそのまま映し出されている。

湖の中ほどにあるIsla del Pescadoという島は、大量の水がたまっていて、1月に乗り込んだクルーザー2台が遭難し、ヘリコプターで救助されたという。そんなわけで、今は島へ行くことは禁止されている。

最初に建設された塩でできたホテル、Hotel Playa Blanca Uyuniに立ち寄る。このホテルは、テーブルも椅子もベッドも塩でできていて、塩でできた動物たちもいる。

昼食は、車に積んであった、キヌアのご飯にハンバーグ、きゅうりとトマトとピーマン、にんじんをプレートにのせてコーラとともにいただく。

夜はずいぶんと冷え込むというが、昼はずいぶんと暖かい。ビーチサンダルに履き替えて、ぱしゃりぱしゃりと塩湖の中に入っていく。そのうちに脚が塩まみれになる。

こうして塩湖を離れ、今夜泊まる、Villa Alotaへと向かっていく。真っ白だった塩湖は、やがて乾燥した土地へと変わる。砂道を走り続けること、1時間半ほど、車が停まった。コロナリオくんは「パンクはいつものことだ」と言って、手慣れたようすで15分ほどでタイヤを交換する。

コカの葉を噛みながら、時にリャマが道を横断するのを待ちながら、宿泊先へと向かう。

道のそばには、栄養価が高い穀物であるキヌアが植わり、赤く色をつけている。石で造られた教会のあるサン・クリストバルの小さな町を通り、さらに進む。リャマやビクーニャの群れや、淡い紫いろの水たまり、塩がうっすらとかかった大地、その向こうの雪山を眺めながら、やがて夕日の沈むころ、Villa Alotaにたどりつく。

Trimateのティーバックにコカの葉を加えたお茶を飲みながら、クラッカーをかじり、みなで夕飯の時間まで話をする。

夕食は最初に野菜スープとパン、続いてチキンにじゃがいも、トマトのスライスとバナナ揚げがテーブルに運ばれてくる。

同じ部屋になった女性は、Graceという、16歳からガイドをしているボリビア人、チリ在住の女性だった。彼女はボリビアの中でこの辺りの地域は政府によって忘れられ、警察もほとんどいない、と嘆いた。最後に、日本で芸者として働きたいと冗談めかして、言った。

サムイという、人気のウユニ – Sucre / Potosi / Uyuni, Bolivia

朝起きると、夜中から朝方にかけて降っていた雨も止んだ。

朝食は宿で温かなコーヒーとオレンジジュース、バターや苺ジャムをぬったパンを急いでかきこみ、ウユニ行きバスターミナルへと向かう。

「A(あ)」のミニバスに乗り、ターミナルに向かうものの、運転手のおじさんは客集めのため、ゆっくりゆっくりと、世間話をわたしたちにしながら、進んでいく。

バスで隣に座った女性に「ウユニに行く」と伝えると、「ウユニ、サムイヨ」と教えてくれる。ウユニに向かうことをボリビア人に伝えると、たいてい、とっさに「寒いよ」と告げられる。

珍しく時間ぴったりにターミナルを発車するウユニ行きバスに、「急げ急げ」とTrans 6 de Octubre社のおじさんが誘導してくれ、ぎりぎり乗車する。

コカコーラのトラックの前方には黒字に黄色の「危」のマークが貼られ、「東名厚木健康センター」や「あおもりようちえん」のトラックが通り過ぎていく。日本の中古車は今日もせっせとスクレの町を走っている。

ここから標高4070mの町、ポトシを経由し、寒さでも知られたウユニまでの道を行く。サンタ・クルスで買い足しておいた(高山病の)薬を口に放りいれる。

ゆるやかな丘に煉瓦造りの家が点々としている。道端にはゴミが散乱し、それを狙った野良犬が徘徊している。

ポトシは鉱山の町であり、16世紀に銀やスズなどが鉱山がら発見されて繁栄を極め、ポトシ鉱山は”Cerro Rico(富の山)”と呼ばれるほどになった。一度銀鉱脈がつきて町は枯れ果てたが、再び地下資源が見直され、町は活気を取り戻しているという。

12時半頃、遠くのほうに赤茶けたポトシ鉱山が見えてくると、やがて町に到着する。20分ほどの休憩となったので、道端で売られていた、チーズ入りエンパナーダ・デ・ケソに、この地域の名物であるはちみつドーナツtawatawa、それに揚げパンを昼食用に買い求める。

先日まで高地にいたのがまだ身体の中に記憶されているのか、または先ほど飲んだ薬が効いているのか、想像していたよりも身体が楽だ。

再びバスが出発して、茶色い建物の並ぶポトシの町を一望し、町を離れてもしばらくポトシ鉱山が視界に入りながら、バスは進んでいく。

黄色や紫色の花が咲き、リャマやアルパカ、ロバなどが耳にリボンをつけて歩いているのを女性が追っている。ごつごつとした荒涼とした土地にサボテンがにょろにょろと生えている。

細い線路を時折通り過ぎ、岩山の舗装されていない道をくねくねと進んでいく。どんどんと標高を上げ、やがて4200m近くまでのぼり、雲や空がぐっと近づき、空の色が濃くなっていく。

ブルドーザーがいくつもあり、男性たちが働いている。赤い山、黒い山、茶色い山、緑が点々と生えた白い山。畑があれば、時折かかしが立っている。

やがて地平線のかなたに砂埃と光の中でぼんやりとウユニ塩湖らしい水の線と、浮かんでいるような島が見える。やがて乾いた土地に小さな町が見えてくる。予定されていた17時をわずかに1時間弱遅れただけで、簡易遊園地のあるウユニの町に到着した。想像していたよりも暖かかった。

ウユニから次はチリへと抜けていく予定だが、どうやらチリ行きのバスはflecha社とcentenario社から出ていて、いずれにしても月、水、木、日曜日の早朝にしか出ていないといい、スケジュールが合わない。そこでウユニ湖からチリのサン・ペドロ・デ・アタカマまで抜けるツアーに参加することにする。

数軒の旅行会社を回り、ウユニで一番はじめに開業したというUyuni Toursにお願いすることにする。温かなミルクコーヒーと飴をいただき、息をつく。

雨期のウユニ塩湖は日本人旅行者の間で人気のようで、今の時期にここをめがけてやってくる人々は多いのだという。今日は満月だというが、ウユニで星空を見るために新月まで待つ旅人や、晴天でウユニ塩湖を見るために幾度もツアーに参加したり車をチャーターしたりする人、それぞれにウユニ湖は特別な場所のようなのだ。

夕食は、名もないという小さな食堂でチキンスープをオーダーする。大きなチキンにじゃがいも、乾燥じゃがいものチューニョなどが入っていて、出汁がきいている。それにパンをひたして食べる。

教会のあるアルセ通りを中心とした小さな町には、夜にはもうほとんど人通りはない。

宿をとったHostal Sajamaではシャワーからキチンとテキセツな温度のお湯が出る。この辺りではお湯が出ると聞いていても、水に近いぬるま湯しか出なかったり、水しか出なかったり、熱湯しか出なかったり(熱湯しか出なくても結局きちんと浴びれないので寒い)することが多分にある。だから、お湯がきちんと出る、というのは感激に値する。

そして、今日のんだ薬が、買い求めた高山病の薬ではなく、友だちからもらった頭痛薬をのんでいたことに、はたと気がついた。でも、なぜか、高地でも平気でいる。

こうして、今のところ、想像していたよりもずっと快適なウユニ生活が始まった。