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Belize

ベリーズ国境まで歩く。 - Dangriga / Belmopan / Benque, Belize

朝から犬も吠え、鳥も鳴いている。

今日はベリーズを発ち、グアテマラに向かう。バスはベリーズの首都、ベルモパンに向けて定刻の7時に出発した。昨日Norman’s Bakeryで買った、ほんのりと甘くもちもちとしたクレオールパンを口にほおばりながら、オレンジ畑がずっと続いているのを眺める。

のりのり音楽がバスには流れ、徐々に乗客が増えていく。子どもたちが時折道端でバスを待っているのが、見える。

8時半にはベルモパンに到着する。バスを降りると、国境近くの町、Benque行きのバスちょうど出発するから乗りなさいと促され、隣のバスにそそくさと移動する。

カラフルな洒落た店が並ぶサン・イグナシオを通り過ぎて、山をぐんぐんとのぼっていくと、ベルモパンを出発してから1時間半ほどで、モパン川のほとりにあるバスターミナルに到着した。

そこから国境まで、てくてくと歩いていくことにする。途中に公園があり、墓地がある。雨が降ってきた。

背中に大きな荷物をしょって、前にも荷物を抱えているものだから、下が見えずに、すってんころりんと、転ぶ。いたい。

近くにあった家の軒先で休ませてもらっていると、子どもたちがパタパタと家の中と外を走りまわって、犬を連れてにこにこしている。国境の近くでも、子どもたちはこんなに元気だ。

そこからは、ただ、太い幹線道路が国境へ向かって伸びている場所だった。途中でカンクンから2週間かけて自転車で南下してきたという旅人と話をする。

そんなふうに、転んだり、休んだり、雨が降ったり、自転車旅人と話をしたりして、ゆっくり歩くこと約1時間半。ベリーズとグアテマラの国境にたどり着いた。

ベリーズの国境には、Border Management Agencyとその奥にImmigrationがあるり、クリスマスに向けてささやかにイルミネーションがほどこされている。Border Management Agencyでは、出国税の他に、Protected Areas Conservation Trustなる環境税が課せられており、そして観光振興目的のためだというアンケート用紙に書かれたいくつかの質問に答える。

制服を着た、幾人かの学生は、イミグレーションを通らずにベリーズからグアテマラへと通り過ぎて行った。

ベリーズからティカル遺跡への行き方

ベリーズ―グアテマラ間の国境を越えた後、ティカル遺跡へ行く方法です。
※ツアーやシャトルバスを使わない場合。

1.国境からフローレス行きのバスが出ているので、乗る。
  →国境からティカル行きのバスは、ほとんど無いようです。
   運転手・車掌にティカルへ行く旨を伝えると、
   RUENTE IXLUで降りるように言われます。
2.RUENTE IXLUで降りる。
  ※私たちの場合は、Q50.00でした。
3.ここから、考えられる方法は、下記↓
①ティカル遺跡行きのバスが通れば、停まってもらい、乗車
(ティカルへ行くバスは、ほぼ全て午前中に通るので、午後は厳しいと思います。)
②ヒッチハイク
③RUENTE IXLUからティカルの間の街、EL REMATEからコレクティーボが出ている
 (最終14時)ので、EL REMATEまでTAXI又はヒッチハイクで行って、コレクティーボに乗る。
(午後は、ティカル方面へ行く車が少ないので、ヒッチハイクができる可能性は低くなります。)

ベリーズ―グアテマラ国境情報

ベリーズのBENQUE VIEJO DEL CARMEN(現地ではBENQUEと言われます。)から、
グアテマラのMECHOR DE MENCOSへ国境を抜ける際の情報です。

1.バスでBENQUEまで行く。
  (ベリーズシティ、ベルモパンから30分毎に運行)
2.BENQUEから国境へは、TAXI(USD6.00くらい)又は徒歩1時間くらい。
3.ベリーズ出国手続(BZ$30.00 + BZ$7.50)
4.5分ほど歩いてグアテマラの入国手続(USD5.00)
5.入国手続が終わると、両替のおじさん達がいるので、
  必要なお金を両替する。
  (USD1.00=Q7.50くらい。)
6.目的地へのバス・TAXIの客引きがいるので、交渉して決める。
  (BENQUEのセントロまでのタクシー、フローレス行きのバスは多くあります。)

ガリフナ族。 – Dangriga, Belize

ダングリガの街はさほど大きくない。そして海も川も土と混ざってきれいだとは言えないが、それがこの街にそこはかとなく、のんびりとした雰囲気をもたらしている。

川のほとりの船では、男性たちが魚をさばき、それを狙うカッショクペリカンが大きなくちばしをもって集まっている。

昼食を食べに、橋を渡ったところにある市場に行く。洋服、日用品が売られている簡易な小屋を抜けると、Central Dangriga Marketという名の建物に着く。

果物や野菜の売り場のほかに、食堂が数軒並んでいて、そのなかで一番賑わっていたZalene’s kitchenに入る。

日替わり定食から、スプリットピー(細かくした干しえんどう豆)に豚のしっぽ(pigtail)の煮込みとご飯を注文する。ぎゅうぎゅうに混み合っている店内の、前の席に座っていた男性が「良いのを選んだね。」と笑った。

豚のしっぽもぷるんとしており、スプリットピーの煮込みはインドカレーのようで、よく口に合う。地元の人はこれにレストラン備え付けのケチャップやハバネロを思い思いにかけて食べている。

雨がぱらぱらと降ってきた。藁ぶきの家で雨宿りをさせてもらう。藁ぶきの下には大きな木がざっくりと彫られた船が二隻置いてあり、その傍らで女性が二人、鹿の皮とマホガニーの木でできた太鼓を作っていた。

スーパーマーケットに入って、ベリーズ産チョコレートミルクとダングリガ産と書かれていたピーナッツ・パンチという名のドリンクを買う。ピーナッツ・パンチのラベルには「BRINGS OUT THE MAN IN YOU」と記されている。

わたしたちが店を出て、チョコレートミルクの蓋を外そうとしていると、男性が近づいてきて
SHAKE WELL, SHAKE WELLと繰り返し言って、去っていく。
「シェイク・ウェル」。

この街のスーパーの店員の多くが中華系で、広東語がよく聞こえてくる。英語も話せずに移り住んでくる人も多いが、みるみるうちに言葉を習得するのだという。街のいたるところに18歳以下お断りのスロットマシーンセンターも見られ、ここもまた経営中華系ということが多い。

メイン通りを歩いていると、観光客向けにガラオンの太鼓や赤、緑、金、(黒)のラスタカラーの帽子などを売っているViola Jonesさんとその孫Antwain Rhaburnくんに話しかけられた。

ダングリガにはカリブ族と米大陸に奴隷として連れて来られた西アフリカ人との混血によるガリフナ族が数多く住んでいるが、二人はクレオールとよばれるアフロ・ヨーロピアンだという。

Violaさんはジャマイカとスペインの混血だが、話す言葉は英語とクレオール。孫のAntwainくんは学校でガリフナ語を学ぶので、それに加えてガリフナ語ができるという。

Antwainくんは、自分の身体より大きな、チェーンの外れた自転車に上手にまたがり、わたしたちをおすすめのパン屋さん、Norman’s Bakeryへと連れて行ってくれた。Normanさんは、ジャマイカ生まれで、ジャマイカとベリーズの混血なのだそうだ。

宿に戻って、部屋の前にしつらえてあるハンモックに揺れる。日陰に入るととたんに涼しく心地よい。

ゆっくりとしていると、「マヤ人」で、Trinidadというベリーズ内陸の町在住の男性が、作った自分の作品を見ていかないかと声をかけてくる。

夜ご飯を食べる前、焼きあがると聞いていたクレオールパンを買いに再びNorman’s Bakeryへ行く。閉店時間の19時を少し過ぎてしまったが、ちょうどNormanさんが店を出たところだった。わたしたちを見つけると、店の灯りを再度つけてくれ、クレオールパンを売ってくれた。クレオールパンはパンを作る際の水の代わりにココナッツミルクを使ったパンで、ココナッツの質がよいときは鼻を近づけなくてもふわりとココナッツの香りがするのだという。

夜はRiver Side Cafeに入り、Belikinビールと、Rice & Stew Beansに牛肉をオーダーする。

歯の抜けた、顔に苦労の皺をたたえたおじさんがレストランに入ってきて、この町にいるベリーズ人に比べ、中国人はよく働き、そして善良なのだとわたしたちに語り始めた。

長い演説の後に、言う。「ぼくは良い男だから、人からモノを奪ったりはしない。だから、3ドルくれ。」 わたしたちは、丁重にお断りをする。

彼は去り際にこぶしを作ってわたしたちに挨拶を求め、「Yah man(ジャマイカ英語でyes)」と言い残して出て行った。ダングリガはドレッドヘアーやラスタカラーのファッションなどジャマイカの影響を受けているのである。

ダングリガ住民の多くを占める、ガリフナ族の文化は、ユネスコの無形遺産に登録されている。

Vals’s hostelを経営しているご夫婦、DanaさんとSimeoneさんはお二人ともガリフナ族である。

お二人は、英語、クレオール、スペイン語にガリフナ語が話せる。二人で話すときは、クレオールを中心として言葉がミックスするそうで、ガリフナ語は主に他人に知られたくないことを話すときに使うそうだ。「Thank you」が「Seremeine」なのだから、秘密のことも話したい放題である。

ガリフナ族は若者も含め、この文化や言葉を守ろうとする高い意識があるのだという。誇りに思っているのだ。

Danaさんは、ガリフナの旗にも使われている黒、白、黄の色の服と、赤の格子柄の洋服を部屋の奥から引っぱり出して見せてくれた。1年に1度、今月19日の「ガリフナ入植記念日」のときしか着ないという。

Danaさんは「ダングリガをより良くするにはどうしたら良いか、もっと旅行者に来てもらうにはどうしたら良いか」とわたしたちに尋ねた。

ガリフナ料理であるHudutを食べたかったが、街のレストランでは金曜日か土曜日にしか提供されていない。特に伝統的な意味があるわけではなく、ただ週末は家で料理をするのが億劫な人が多いので、レストランが提供するのだという。旅行者はダングリガに来たら、ガリフナ料理を食べたいはずだ。

Danaさんは、他の人がやるのを待っていられない。わたしがやるわ、と少し興奮したように言う。Hudutを作るには、食用バナナを臼に入れて木の棒ですりつぶすのよとソファの横に置いてある臼をさし、重い木の棒をひょいと持ち上げてみせる。

Simeoneさんは空手家でもあり、KARATEと書かれたバッグも家にあった。空手に関わる日本語は知っているといい、わたしたちの去り際に「押忍、先生」と言って、こぶしを作って、肘を広げた。

外では今日も月が海を照らし、犬がわんわんと吠えている。

ベリーズ入国とベリーズのはじめ。 – Corozal / Belize City / Dangriga, Belize

再びバスに乗り込み、川にかかる橋を渡る。
ベリーズは元首が英国女王エリザベス二世であり、公用語は英語である。
国境を越えると看板の文字にスペイン語と英語が混ざるようになり、そのまま進むこと5分。再びゲートが見えてきて、その横にある新しい建物でベリーズ入国手続きをする。

このコロザルでの入国手続きが厄介な場合もあるそうで、メキシコからベリーズ・シティまで直行バスのチケットを購入していても、この手続きに手こずり置いてけぼりになることもあるそうなのだ。だから、わたしたちは、直行バスを選ばずに、メキシコからベリーズ国境までのバスと国境からベリーズ・シティまでのバスを分けてチケットを買うことにしていた。

入国管理の建物の中には「Immigration」と書かれたカウンターとその奥に「Customs」と書かれたカウンターがある。まず、「Immigration」に進むと無表情の女性が、ベリーズ入国後の行き先、滞在予定日数、滞在目的を早口の英語で、抑揚のない調子で聞いてくる。ビザを取得していないと伝えると、このフォームを隣のカウンターで埋めて来てください、とまた口をあまり開けずに言う。

言われたままに記入をして女性に持っていくと、カウンターに座ってピザをぱくぱくと食べていた。そして、照れたように初めて笑顔を見せた。

その後、奥のオフィスに誘導されて、わたしたちはオフィスの一室に入り、肌の色の少し濃いおじさん、Romeo Pattさんに手続きを受ける。政府機関で10年、イミグレーションで8年間も働いているというRomeoさんは、見た目威厳があって最初口をへの字に曲げているも、ベリーズを愛し、ベリーズ人であることに誇りをもっているようで、こちらの問いかけにいろいろと答えてくれた。

お勧め料理は豆やココナッツと炊いたご飯に肉などを添えるRice & Beansであること、お勧めのお酒はスプライトかオレンジジュースと作るココナッツラムのカクテルであること。ココナッツラムはTravellersかCuello’sが有名であること。米国との貿易により、景気は悪くなく、現在カリブ海諸国との関係を強化していること。濃縮オレンジジュースや砂糖の輸出が盛んであること。他の中央アメリカ諸国の平均収入は月150ドルであるのに対して、ベリーズは440ドルであること。

こうして無事にビザのシールをパスポートに貼ってくれたRomeoさんに別れを告げ、次のカウンター、「Customs」に進む。片足を台に置いて、はすに構えてやや顔を近づけて、ベリーズに来た目的とタバコ、酒、植物を持ってきていないか訊ねてくる。そんな威圧的な男性も、かわいらしい金色の指輪をしていたのは、大学卒業のときの指輪なのだと教えてくれた。

入国を果たして、建物のそばで待っていると、ほどなくスペイン語のBELICEに代わり、英語の「BELIZE」と看板をかかげたバスがやってきたので、乗り込む。バスは地元の人たちであふれ、立ったままの人もいて、天井に手をついて身体を支えるひともいるほどだった。

さとうきびややしの木が植えられ、牛や馬や鶏の姿が見える。うち捨てられたスクールバスもある。子どもたちは元気に遊び回っている。緑に溢れる平地の中に木でできた家や高床式の家もところどころに見え、青や緑、ピンク、水色、黄色とカラフルに色が塗られている。店の看板は、やがて英語表記がほとんどになっていく。

明るい音楽に時折英語の広告をはさみながら、マライア・キャリーの「All I Want For Christmas Is You」などが軽快に流れている。 コカコーラのトラック、ベリーズビールの「Belikin」の広告、沼地や草原を通り過ぎて進むこと3.5時間。やがてベリーズ・シティにたどり着く。今日の最終目的地であるダングリガへは17時15分のバスに乗ることにして、それまで街を見て回ることにする。

バスターミナル、Novelo’s Bus Terminalには荷物預かり場所がなかったので、売店でオレンジジュースを買って数時間荷物を置かせてもらうことにした。

細い橋を渡り、細い道を歩きながら、両脇に小さな木造の家が並んでいたり、草の生えた空き地のあるのを見て、日本のようだと思う。売店で豆をトルティーヤで包んだGachoを作ってもらい、歩きながら商店街になっているアルバート通りを歩く。

ヒンズー教寺院を通り過ぎ、セント・ジョンズ・カテドラルへ向かう。バスケットボールのゴールがスプライトの板でできているAnglican Cathedral Collegeの前では、白い制服を着た男女が次々と下校をし、校門前でお兄さんが売っていたCombo Pattiesを次々と買っていく。わたしたちも、つられて鶏とチーズを入れて揚げたCombo Pattiesを買う。

セント・ジョンズ・カテドラルはイギリス建築であり、そのレンガはヨーロッパから運ばれたのだという。中には、親子連れも来ていた。その向かいにある総督官邸もイギリス人建築家設計の木造の建物である。

ベリーズ・シティは、度重なるハリケーンの被害によって、首都がベルモパンへと移された。総督官邸前は整えられた芝生であり、また海に向かっている。波は穏やかだが、堤防らしき堤防はなく、石がいくつか積み上げられているだけだ。幾度となくハリケーンの被害がありながら、防御が極めてゆるやかなのである。

“Making a Positive Difference in a Changing Belize”とベンチには書かれている。街は、コカコーラとスプライトとファンタの看板で溢れ、さながらコカコーラ・タウンのようになっている。

中心のスイング橋を渡り、クイーン通りを抜けて、カリブ海を見る。「ベリーズは昔のアメリカみたいだよ」と以前に友だちが話していたその一端を見た気がする。

ダングリガ行きのバスの時間になり、荷物を預けていた店に行くと、お兄さんが「荷物なんて預かっていたっけ?」と笑みを浮かべながら冗談を言った。

ベリーズ・シティからダングリガまでの道は既に暗く、身体の大きな男性運転手と、大きな口をあけていつも笑っている男性がペアでわたしたちを運んでくれる。風が心地良い。わたしたちは、乗車前に買っておいたチキンとポテトサラダのついたRice & Beansを食べる。道には街灯もなく、空にはオリオン座が低く輝き、たくさんの星が瞬いている。

3時間程走った20時半過ぎにバスはダングリガに到着する。客引きの若者運転手さんたちもいたが、下車した場所にあったハバナ・スーパーマーケットという店から出てきたLizさんという女性が、ちょうど家に帰るところだから、Val’s Hostelという宿まで連れて行ってあげる、と言ってくれた。

ベリーズ南部で最も大きい街というダングリガだが、だれしもがVal’s Hostelを知っているような街であった。宿の前にはカリブ海が広がっており、月が静かにそれを照らしている。