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Iran

イラン-トルクメニスタン国境情報

イランのマシュハドから、陸路でトルクメニスタンのアシュガバードに抜けるルートです。

1.マシュハドのShahed ride station(http://www.mashhadterminal.ir)から、グーチャンGhuchan行きのバスが出ている。(所要2時間、IRR 22,000-.※荷物代として、一人 IRR 5,000-.取られるようです。)
2.バスはグーチャンのバスターミナルに到着するので、そこからフェレスティン広場Maydan-e Ferestin行きのタクシーに乗る。(所要15分 IRR 10,000-.)
3.フェレスティン広場から、バジギランBajgiran行きの乗合タクシーに乗る。
(所要1時間 IRR 35,000-.)
4.イラン側のイミグレーションオフィスに到着。パスポートを提出。
 (※特に問題がなければ15分もあれば終わると思いますが、私達の場合、イラン側のイミグレーションのシステムの調子が悪かったのと、私達の前に、40人の団体がいたおかげで、3時間程かかりました。)
5.徒歩でトルクメニスタン側イミグレーションオフィスへ。(※すぐ近くです。)
6.建物に入って、左側のBANKで一人USD 11.00 を支払い、領収書を受け取る。
7.正面の窓口でパスポートと上記領収書を提出。
8.荷物をX線検査に通す。
9.滞在日数、行き先、所持金について質問がある。
10.建物を出たところに、緩衝地帯を抜ける乗合のバンがある。(所要30分。TMT 20.00又は USD 15.00)
11.緩衝地帯を抜けると、パスポートチェックポイントがあり、そこからタクシーに乗れる。
  (※乗合だと、一人 USD 5.00くらいになるようです。)
   又は
   車で10分又は徒歩30分くらい行った所に、テケバザールTEKKE BAZAAR行きの16番バスの乗り場があるの、そこまでヒッチハイク又は徒歩で行く。(所要30分。 TMT 0.20)
12.SYYAHAT HOTELまでは、テケバザールから21番バス。(所要10分。 TMT 0.20)

※国境を越えた後、パスポートチェックポイントまでの乗合バンは、高いので、ヒッチハイクできる車があれば、試してみた方がいいと思います。

◎両替
 イラン側国境に、個人の両替屋がいるようです。

イランからトルクメニスタンへ向かう – Mashhad / Ghuchan / Bajgiran / Border with Turkmenistan, Iran

今日はイランからトルクメニスタンに向かう。トルクメニスタンは破天荒な前大統領、ニヤゾフ大統領の独裁激しい国、といったイメージで、どきどきとしながら朝の支度をする。

温かいコーヒーを家でいただきながら、バーさんの奥さんがトルクメニスタン国境までの中継地点、Ghuchanまでのバスが出ている大通りまで車で送ってくれると言うので、お言葉に甘える。最後までとても心優しい。

バスが走ること2時間ほど。Ghuchanの街は宗教的に保守的だと聞いていたので、ヒジャブが頭から外れないように気をつけながら、国境Bajgiranまで向かう乗り合いタクシーの乗り場まで、タクシーに乗っていく。

近くの商店でオレンジのスポンジケーキやチョコ、バニラのクッキーにヘーゼルナッツのウエハース、それに棗などを買い求め、乗り合いタクシーに乗ってトルクメニスタンとの国境へと車を飛ばす。

辺りは乾いた丘が連なっている。助手席に乗った男性は運転手に向かってずっと何かを語りかけ続けている。

1時間ほどでイミグレーション・オフィスにたどり着く。中には、やはりエマーム・ホメイニとアリ・ハメネイ師の肖像画がかけられている。

もうずっとイミグレーションのパソコンが壊れているといって、多くの人々が窓口で待っている。その多くがどうやらフランスのglobe trotterという団体が主催している車での横断旅行者で、既にかれこれ3時間ほど待っているのだと言う。

ようやくパソコンが復旧すると、担当者は束になった一つ一つのパスポートを見ながら、パソコンにゆっくりと情報を入力していく。

わたしたちも2時間半ほど待ってようやく順番が来ると、何も聞かれずにただボンとスタンプを押されて出国となる。

イランのイミグレーション・オフィスを出ると、もう目の前にトルクメニスタンのイミグレーション・オフィスが見えている。てくてくと歩いていくと、トルクメニスタンとの国境のゲートでパスポートチェックが行われている。いかにも人の良さそうなイランの若者担当男性は、わたしたちが日本人であることが分かると、日本は良い、あと10メートルでトルクメニスタンです、とにこにこしながら言った。

祈りのバザール – Mashhad, Iran

今朝も出勤に合わせて車で会社の近くまで連れて行ってもらい、そこからヒッチハイクをしようとしていたら、ある男性が近づいてきて手伝ってくれたうえに、メロンミルクジュースとスポンジケーキをどうぞと差し出してくれた。こうして無事にTaleghani駅にたどり着き、いつものように売店で切符を買って乗車する。

今日もラマダンの昼の間は、のんびりとできるカフェもレストランも開いていないので、Darvishi Royalホテルというなにやら高級ホテルに入る。

きらきらのシャンデリアの下、裕福そうなイスラム服姿の人々がゆったりとソファに腰かけ、最新式Hyundai製のエレベーターが動いている。ビジネスセンターもあり、Wifiも飛んでいる。そしてこんなホテルのロビーにもエマーム・ホメイニとアリ・ハメネイ師の肖像画。

ホテルを出てもやはり買える食料はお菓子程度しかなく、昨日と似たようなスパイスの効いたもっちりクッキーと、やはりそれに味の似たクッキーを買い求めてほおばる。

近くにバザールがあるので、訪ねてみる。聖地マシュハドらしく、数珠や石やペンのセット、祈りのためのマットや布、メッカのほうを示す方位磁石などが売られている。祈りの際に頭をつける石がプッシュ式になっているものもあり、頭をつけて石がプッシュされると、カチャカチャと動き、次の祈りの動作が示されるものもある。

そのほかにもサフランや、コーヒーやチャイにかきまぜるナバット、スパイス、ギャズ、チャドル、香水、そして赤毛のアンやキャプテン翼、牧場の少女カトリに南の虹のルーシーなどと日本語で書かれたDVDも売られている。

行き交う女性の中には目の部分まで黒い布ですっぽりと覆う人もいる。

そこからバスに乗ってメトロの駅まで行き、家の最寄り駅まで帰る。西瓜を買って帰ろうと、まんまると大きい西瓜やメロンばかりが山積みになっているフルーツ屋に立ち寄って支払いをしようとすると、店の男性が、支払いは良いから持っていきなさいとジェスチャーをする。

こうして大きなまんまる西瓜を抱えて家までヒッチハイクをする。ちょうど仕事から帰宅をする男性が乗せてくれた。彼はラマダン中は、人々は優しいんです、と言った。

家のテレビからはオリンピックが流れている。イランの選手は個人競技は強いけれど、団体になると弱いんだ、とバーさんは笑う。そしてイランの人々はアラブの人々に良い感情を持っていない人もいるという話にもなった。

今日は、バーさんと奥さんが、ほうれん草のヨーグルト、ツナ、ツナのトマト煮にライス、目玉焼きにバターライスをつくってくれた。それにチャイとギャズにパイナップルのケーキ。絨毯の上にビニールを敷いてその上に広げる。十分にテーブルを置けるスペースはあるのだが、テーブルを置くには狭いので絨毯の上で食事をするのだとバーさんは言った。

イランでは社会的、そして経済的レベルが重要な意味をもっているようだった。バーさんのご両親の家は裕福で、かつては20人が座れるテーブルがご自宅にあるのだそう。

イランには手づくりのビールもあって、モルトの味のほかにアルコールの匂いがつんとする。

自発的ラマダン中のイスラム教徒と、元気なラマダンの夜 – Mashhad, Iran

今朝はバーさんの出勤に合わせてタクシーに乗り、勤務先近くのメトロTeleghani駅まで向かう。この駅もまた新しく、中国の、CCTVカメラが動いています、と注意書きがしてある。

ハニーミルクを飲み、ココナッツクリームクッキーをかじりながら、今日もハラムへと向かう。

今日は、昨夜ハラムで知り合った男性と待ち合わせをして中に入る。カーシャーン出身だというその男性は、親戚一同マシュハドに10日間巡礼に来ているという。

地元から24キロ以上離れた旅行者は基本的にラマダン中でも断食を免除されるというが、それも一か所に10日間以上滞在すると旅行者とはみなされず、ラマダン・ルールにのっとらなくてはならない。男性一家は、ラマダン・ルールをあえて守るために、10日間以上マシュハドに滞在することにしたのだという。つまり、自らすすんで、断食を実行中。

ハラムの中では、子どもたちが集まってコーランを読んでいる。

ここにはペルシア語を理解しない外国人巡礼者のためのアースターネ・ゴドゥス・ラザヴィー国際関係局という部署がある。わたしたちもそこに通されると、聖職者が接待をしてくれ、イスラム教に関する冊子をどっさりと持たせてくれる。そして英語を話すガイドの男性もついて、一緒にコーラン博物館や絨毯博物館、それに中央博物館を回ることにする。

古いコーランや、エマーム・レザーの書いたコーラン、金や青の鮮やかなコーラン、米国在住のイラン画家Farshchian氏の宗教画、祈りの巻物、Doaa、イランの書道の道具、絨毯をつくる織機、メッカを描いた絨毯、細かくてもはや絵にしか見えない絨毯、400年ほど前の絹でできた絨毯などがずらりと展示されている。中央博物館には、絵画に武器や陶器、天文学の展示が続く。

昨年メッカを訪ねたという男性は、入口で専用の衣服を着て入るのだといって、中の様子を興奮気味に話してくれた。カーバ神殿の周りを7回まわり、爪と毛を少し切る。

彼らはわたしたちにイスラム教徒だよねと目で訴えてくる。断食も厳守し、ムッラーのことを珍しく悪くも言わない二人に、わたしたちももはや違うとも言えずにいると、イスラム教徒はみな友だちだという歓迎ぶりを示した。そして、イスラム教徒なら色々と覚えると良いと、あれやこれやと教えてくれる。

そして、イランがかつて親米であったことやYouTube、GoogleやeBay社のトップ層にイラン人たちがいるといった話をする。そしてイラン人はネットをよく使うと言い、VPNを駆使してfacebookアカウントだって持つ人々がいて、ネットが世界と通じる道だと考えている。

最後に二人は、わたしたちがメッカに行けるように上層部の聖職者にかけあってくれた。

ハラムを出て、やはりお腹のへってしまったわたしたちは近くの商店でPRIMAの濃厚なチョコナッツアイスクリームとスパイスの効いたもちりとしたクッキーをほおばる。

イランのマシュハドからトルクメニスタンの国境近くまでのバスチケットを予約しようと二つのターミナルへ行き、炎天下で英語が通じない中、右往左往してへとりとなっていると、ターミナルのおじさんが、ひんやりと凍った水のボトルを持たせてくれる。

家の近くの公園で休んで、ヒッチハイクをして帰る。

スイカとともに、レーズンからつくる自家製のアルコール、Aragh Sagiをいただく。アルコールが禁じられているイランでは、こうして人々は自分たちでアルコールを作ったりしているのだという。ちびりと口にいれてヨーグルトと一緒に飲む。アルコール度数45%のそれは喉がじんわりと熱くなる。

夕食は、泊まっている家のバーさんと奥さんが車で食堂に連れて行ってくれる。バーさんの兄弟が今日オーストラリアのシドニーに旅立ったといい、これがもしかすると永遠の別れだと、お母さんは心をひどく痛めていたと言う。

羊の脳みそに頬肉に脚、そして「オリジナル」コーラ。脳みそはややレバーのようなくせがあるものの、とろとろとしている。頬肉もやわらかく、脚はゼラチン質でこれもまた美味しい。特製スープにナンをちぎってひたしながら、口に入れる。

食べ終わったのが既に夜の23時半ころ。そこから奥さんの親戚の家に行こうと、お菓子の詰め合わせを買い求めて、車に乗って向かう。

家では奥さんのおじさん、おばさんに従姉妹の女性たち4人。イランでは珍しい無神論者の奥さんとは違って、みなイスラム教徒。家に着いたのはもう0時を回っているというのに、おじさんはバイオリンやトンバック、テンポといった楽器を取り出して、聴かせてくれる。女性たちはみな音楽にのって身体を揺らしながら、会話をして、そしてがはははと大声で笑う。そして、すいかや砂糖パイ菓子にチャイをどうぞどうぞと勧められる。

お開きになるころには、既に1時を回っていた。イランのラマダンの夜は、とても元気なのだ。

シーア派の大きな聖地、マシュハド – Mashhad, Iran

朝に目が覚めると、列車はきんきんの冷房で冷えていた。7時半には列車がマシュハドの駅に到着する。人々が待ち合い室で垂れ幕をもって記念撮影をするわきで、クッキーをかじり、ミルクを飲んで一息つく。

マシュハドでお世話になる家は、カウチサーフィンというサービスで連絡をとっていた男性、バーさんのご自宅。マシュハド駅に到着をして、バスで30分ほどのメトロのPalestineスクエア駅に行き、そこからメトロに乗り換え、家から最寄りのHaft-e-Tir駅まで向かう。地下鉄は中国のCNR社製で、清潔で静かだ。エレベーターで音楽さえなる。

Haft-e-Tir駅からタクシーに乗って家に到着すると、がちゃりと扉を開けて迎えてくれた。靴を脱いで家にあがると、居間のソファにはラマダン中の木曜夜に家に遊びに来ていた男性二人が腰をかけている。

エスファハーンで買った手土産のギャズを手渡す。絨毯に座ると、バーさんとの結婚を間近に控えた奥さんがつくったというサフランのライスプディング、Sholeh Zardやチャイを出してくれた。サフランや米、砂糖や水でつくったというカラフルなそれをギャズとともにいただく。

マシュハドは、8代目エマーム・レザーが殉教した、シーア派にとってとても大切な聖地だ。その中心、ハラメ・モタッハル広場を訪ねることにする。

バーさんが車で最寄り駅まで送ってくれる。イランでは、SAIPAという国内車を見かけることも少なくないが、バーさんの運転するのはシトロエン車。結婚を前に、古くなった車を売り払って新車を買いたいのだと言った。快適なメトロで、ハラメ・モタッハル広場の最寄り、Basij駅に向かう。

この辺りにはアフガニスタンのKhavariの人々もいるようで、日本人と似た顔立ちをしていると聞く。いつもの黒のマーントーに黒のヒジャブをつけて、てくてくとエマーム・レザー通りを歩いていると、赤や黄、緑に青といったカラフルなはたきをもった男性に、全身を覆うチャドルを着用するように言われる。そこでバーさんの奥さんに借りてきたクリーム色に花の絵があしらわれたチャドルを取り出して頭から全身にかぶせる。

チャドルの着かたの要領が分からずにいると、どこからともなく現れた女性がいつも助けてくれる。ヒジャブから少しでも前髪が出ていると、あちらこちらから隠すようにやわらかい手直しが加えられる。

緑の帽子やマフラー、それに白網の帽子や白ターバンに黒ターバン、さまざまな帽子を頭にかぶった男性たちがいる。女性はそのほとんどが全身黒のチャドル。

ハラメ・モタッハル広場、ハラムにたどり着き、荷物を預けて男女分かれた入口から入ると、広大なラザヴィー広場にでる。ここは8代目エマーム、レザーの聖墓を中心とした、宗教施設の集まる広場。いくつもの建物とその合間の広場が入り組み、その中はまるで迷路のようになっていて、迷子案内所もあるほどだ。、

人々は柱にキスをしながら、建物に入っていく。金や銀のモザイクがきらきらとまばゆい。金曜日の今日は、多くの礼拝者が集まり、ずらりとコーランを前に置いて読み、数珠を片手に、石に頭をつけながら、祈りを捧げる。男性も女性も、一斉に立ち上がり、一斉に頭をつける。

金のドームの中にあるエマーム・レザーの棺に近づいていく。涙を流す人もいれば、アッラーと手を顔の前にかざして叫ぶ人々もいる。エマーム・レザーの棺にみな手をぐいと伸ばし、押し合いへし合いしている。それをはたきを持った人々が誘導していく。

建物内はエスカレーターさえあって、きらきら豪華ホテルのようですらある。地下のホールで涼む。ここではモスクでよく見かけるように寝転がって眠る人はあまりいない。子どもさえ祈りを捧げている。

一度飲み物を飲みに、ハマムの外へと出る。重要な聖地であるマシュハドは、街の中でも厳しくイスラム教の掟が守られているのかと思っていた。ところが、営業している商店で、ざくろのノンアルコールビールを買い求めてごくごくとしていると、メイン通りから外れて同じように隠れてジュースを飲む人がいて、手をあげて乾杯を求められたり、たばこを勧められたりする。どうにもラマダンがゆるい。お菓子屋だって堂々と営業中のところも少なくない。

涼しくなっていく日没の礼拝は、昼間よりも更に多くの人々がハマムへと入っていく。昼間と同じようにチェックを受けて、チャドルを手直ししてくれ、最後には額にキスをされる。異教徒に対しても寛大だ。

広場に敷かれた絨毯には、ずらりと人々が並び始める。そのうちにバナナケーキや棗、ハニー・ミルクを詰めたパッケージが山積みになってわんさかと運ばれてきて、それぞれの信者の前に置かれる。

しばらくすると一斉に祈りが始まる。絨毯に入りきらない人々は、石の上で祈る。圧倒的な人数の人々が一斉に立ち上がり、一斉に手をかざし、一斉に頭を下げて、メッカのほうを向く。多くの信者が他の国のイスラム教徒と同じ時期に断食に向かっている。

月があがりはじめている。

昼間よりも人が増えたエマーム・レザーの聖墓は、熱気に包まれ、女性同士が取っ組み合いの喧嘩を始め、警察、警察と叫び合ったりしている。それをはたきをもった監視員が仲介に入る。そんなぐちゃぐちゃな中でも、みな頭につけたヒジャブは乱れることなく頭の上にあるものだから感心する。

夜も深まり、イルミネーションの灯る中、塔の上ではドラムなどを使った音楽が奏でられ始め、大きなスクリーンからはスピーチが流れてくる。

バスとメトロを乗り継いで、バーさんの家の最寄駅まで戻り、そこからヒッチハイクをして戻る。

家に戻ると、オムレツですと言って卵やたまねぎ、トマトやガーリックを煮込んだものを出してくれた。それにナンをつけていただく。どうぞと香草やサラダを出してくれ、最後にはコーヒーもいただく。

バーさんの奥さんが、イランでは一年間に70%もインフレをするものだから、生活が厳しくて頭が痛いと言った。働いている大学の予算削減によって、近いうちに職を去らなければならなくなったという。

このインフレの原因は、多くの人がアリ・ハメネイ氏にあると考えている。それでも、大統領などのことを批判するのは許されるが、ムッラー、アリ・ハメネイ氏のことを批判するのはとてもキケンだという人もいる。

テレビからは衛星放送が流れている。これもまたイランでは違法なものだから、家に訪ねてきた政府関係者がいれば捕まってしまうのだけれど、これだってなかなかに広まっているのだ。