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Colombia

コロンビア軍と、エクアドル国境にかけて。 – Ipiales, Colombia

カリを発車して1時間ほど、ゆったりとした座席でうとうととしかけた頃、ざわめきで目が覚める。前回同様男性は一人一人軍人にボディチェックを受け、バスの下の荷物置き場は開けられて確認される。

こちらも前回と同じように銃をもった軍人が一人車内に入り、荷物置場を手で触れていく。辺りは木々が生い茂るだけの、しんと静まり返った道の真ん中で、幾人かの軍人が立っている。ぽつりぽつりとついた電灯には虫が集まっている。問題がないと確認がとれると、バスは再び暗闇を走り出す。

朝の9時半前には大きなスタジアムもあるPastoの町を通り過ぎ、その後2時間かけて国境の町、Ipialesに近づいていく。危険だと言われているこの地域にも、家がぽつりぽつりと点在している。こうして、11時半には無事に茶色のれんがに白や黄色、黄緑やオレンジ色の壁でできた家が小さく緩やかな丘に密集しているIpialesの町に到着する。

その新しいターミナルに降り立つと、すぐに国境行きのバンはこちらだと手招きされて、荷物を詰め込むと、間もなくSupertaxisと書かれたその日産のバンは満席になり、発車する。

この小さな町、Ipialesにも、国立銀行による図書館が建っている。それから10分もしないうちにイミグレーションに到着した。

明るい太陽の日差しの入る、新しいつくりのコロンビアのイミグレーションで並ぶこともなく、窓口にたつ。紺のスーツにグレーのベスト、白いシャツを着て短い髪を固めて立てた男性が、スムーズな出国手続きを行う。そしてJapan、とうれしそうに一言つぶやいた。
こうして、コロンビアを離れる時がきた。

コロンビア―エクアドル国境情報

コロンビアのイピアレスから、エクアドルのトゥルカンへ入国する際の国境情報です。

①イピアレスのバスターミナル行きのバスに乗る。
(カリから約10時間、
COP40,000※バス会社は数社あり、値段が違います。
カリのバスターミナルのサイト上で、およその時間と、値段は確認できます。)
②イピアレスのバスターミナルから、国境行きのコレクティーボに乗る。
(イピアレス行きのバスを降りた場所と同じ場所から、
コレクティーボが出ています。COP3,000 所要20分)
③コロンビア側で、出国手続。
(パスポートの提示のみ。無料。)
④徒歩で橋を渡る(約200m)
⑤エクアドル側で、入国手続。
(パスポートの提示のみ。無料。
※入国カードが配られていますが、不要です。)
⑥イミグレを出て、道路を渡った場所から、トゥルカンのバスターミナル行きコレクティーボに乗る。
(所要15分、US$0.75)
(※トゥルカンのバスターミナルからは、キト行きのバスにすぐ乗れます。
  私たちはオタバロまで行きました。オタバロまでUS$3.00)

◎両替・・・COP1930=US$1.00くらいが相場。
      コロンビア側の方が、レートが良い。
      ※COP44,200=US$22.90で両替しました。

◎お手洗い・・・コロンビア側 COP500orUS$0.25
エクアドル側 US$0.25

コロンビアのお医者さん – Cali, Colombia

朝食は、昨日Merced教会近くの台車のおじさんから買ったマンゴーに、Av 6N沿いのMetro Panというパン屋から買ったパンをトーストして、温めたミルクにひたしながらいただく。

山の上に立つ十字架を眺めながらCalle5の歩道橋を渡り、白とクリーム色の市立劇場を通り、国立銀行が管理する黄金博物館や音楽ルームなどの入ったカルチャーエリアを抜けると、Inmaculadaチャペルやサンフランシスコ教会のある広場へと出る。

広場では、太鼓とドラムを背中にしょってギターをひきながら足でリズムをとって熱唱する男性がいて、それを数人が腕を組みながら聴いている。

れんがを主に使用したInmaculadaチャペルは、その外観とは異なり、白と水色を基調としたすっきりとした内装で、中では幾人かが祈りを捧げている。

辺りでは、新しい建物と、ポスターのはがれた古い建物が道をはさんでたっている。その間をスーツ姿の男性が並んで歩き、またある男性は携帯電話を片手に歩いていく。

昨日と同じように、Caycedo広場を通り、薄いグレーの、装飾のほどされたErmita教会を眺めながら茶色に濁ったカリ川を渡り、Av 6Nをまっすぐに進む。

13時半に今日の診察が終わるというカルロス先生に会いに、病院へと急ぐ。

夜はイルミネーションで明るかったAv 6Nも、昼は人通りが少なく、落ち着いている。

先生の働くClinica de Occidenteに到着すると、今日も30人以上を診察した先生が笑顔で迎えてくれた。新しく清潔で、設備の整った診療所である。

先生は、85年からメキシコに住んで歯医者になるための勉強をしていたが、大地震に見舞われ、知り合いであった医者に中国医療について話を聞き、そのまま中国に渡ったのだという。

その後針治療の専門医となり、リハビリや神経科、整形外科の医者とともにClinica de Occidenteの1フロアを購入し、現在は心理科の医者も含めてFundalivioとして治療をしている。

コロンビアの健康保険制度には国民も不満をもっているようで、私立病院の場合にはコネクションのない場合には診察費用を全額負担をしなければならないこともある。

実際に先生の治療を受けるためには初診が100,000ペソ、二度目は40,000ペソと費用がかかる、現地の人々にとっては高価なサービスなのである。カリでの平均月収は550,000ペソで、その内の100,000ペソは住宅費にあてられ、1回の外食が4,500から6,500ペソだとすると、人々の生活は厳しいのだと言う。それでも先生の患者のほとんどはコロンビア人だそう。

そんな話も聞きながら、バスで1時間ほどのBugaで医者をしている奥さんのことも話をしてくれた。その先のTuluaにも先生は診療所をもっており、週の半分はそちらで治療をし、奥さんと会ったりしているのである。

今夜も奥さんに会ってその後Tuluaに行くというのだが、一緒にビールを飲もうと、Club Colombiaに、今日は黒ビールまでごちそうになって、すっかりふらふらしてしまう。

エクアドルのガラパゴス諸島に旅行で行ったことがあるという先生から、エクアドルについてのメールをもらうことにしてお別れをした後、ふらふらのまま、レストランKikiricoに入る。

ここコロンビアにはいたるところにKokorikoという1969年生まれのチェーンファーストフード店があるのだが、その名前と、よく似ている。日替わりメニューであった、揚げバナナにフリホーレス、トマト、ライスといった定番メニューに、ハワイアン風パイナップルをあわせたチキンやとろりととろける牛タンとサンコーチョとレモネードがついてくる。

Caycedo広場には多くの人が集まり、サンペドロ教会ではミサが始まり、先ほどまで扉の閉まっていたサンフランシスコ教会も開いている。

歩道橋のふもとで売られていた、見かけが柿に似たチョンタドゥーロを買い求める。塩と蜂蜜をかけてもらいながら、そのヤシ科の植物について聞いていると、隣にいた男性が文字が書きやすいからと自身のボールペンをわたしたちに手渡して、そのまま人ごみへと消えていってしまった。

宿からほど近い丘の上にあるサン・アントニオ教会に行く。丘からは街を一望することができる。子どもたちも、カップルも、家族連れも、教会を訪ねる人も、犬を連れた人も、丘に集まってくる。教会では一人のシスターがそっとろうそくを立てる。そしてもう一人のシスターは日の暮れゆく丘で女性と話をしている。

丘に座り、カリの町を眺める。
月はほっそりと教会の上に浮かんでいる。
外れた音程でギターをひいて歌う若者たちがいて、犬は元気に駆けてゆく。
街には徐々に明かりがつき、山の上の十字架も光がつき、浮かび上がっている。
チョンタドゥーロはその見かけによらず、芋のようにふかふかとしていた。

これからコロンビアを離れ、エクアドルに向かう。
「唯一のリスクはコロンビアを離れがたくなることだ」 –
その通りだった。

宿から鞄をとり、タクシーに乗り込んでバスターミナルへ向かう。花屋以外は申し合わせたかのようにぴしゃりとシャッターを閉じている。地面に落ちた紙切れが風で舞う。黄色いタクシーが延々と道沿いに並んでいる。そんな殺風景な風景が10分ほど続き、ターミナルに到着する。

Transipiales社の11時半のチケットを買う。乗客一人一人の顔は撮影した後、15分ほど遅れて発車したバスは、警察の力が届かず治安が他地域と比較して良くないといわれる国境付近へと進んでいく。

まだ着かなかったカリ – Armenia / Cali, Colombia

朝目覚めてみると、バスはぴたりと停まっていて、前にはずらりと車が並んでいる。

しんと静まり返っているバスがそのうちに再びエンジンをかけてゆっくりと動き出した。
山にはところどころに広がるコーヒー畑が朝日に照らされているかと思えば、とたんに辺りが霧に包まれる。

そうこうしながらも、予定到着時刻の9時を1時間ほど過ぎたころ、山のはざまにぱっと町がひらけてみえてきた。目的地の、カリにもうすぐ着く。

近くに見える町を手前に、バスは大きな曲線を描いてゆっくりと町に近づき、濁った川を渡り、バスターミナルに到着した。

そわそわとバスを降りる支度をしていると、横に座った乗客から、ここはカリではなく、道半ばほどのアルメニアであることを伝えられる。どうりでコーヒー畑が広がっていたわけなのである。

アルメニアの町を過ぎてからも、道ばたではコーヒーの苗が植えられ、プールをそなえた大きな建物が並んでいる。そのうちに再び丘がゆるやかに続く景色へと戻っていく。

バスに乗り込んできた男性が、薬草や美容にきく食事についての小冊子4冊セットについて流暢に大声で演説しながら乗客に売り歩き、それを買って熱心に読みだす男性がいる。

ようやく実際にカリに着いた時には14時になろうとしていた。バスを降りると、ボゴタと違ってむわりと暑い。

バスターミナルを眺めるレストラン、El MiradorでArepaチョコとチーズを注文する。とうもろこしをすりつぶしたほんのりと甘いチョコレートの味のするArepaにチーズをはさんだものをレンジで温めてくれる。

レストランに併設されたビリヤードでは、昼間から男性たちが台を囲んで熱中している。

カリはサルサで有名な町であり、カリ川をはさんで北側にサルサ街や洒落たレストランがあり、南側に歴史地区、その西側は落ち着いた住宅街、東側は治安が比較的よくない地域になっている。

南西の丘のふもとにある宿に部屋をとるため、近くのメイン通りCalle5行きのバスに乗り込む。入口扉には、「歳御歳暮見舞」と漢字が貼られている。ここでも席をゆずられる。そして、またここでも貴重品には気をつけなさい、と忠告を受ける。

街には肌の色の濃い人、薄い人、東洋系の人々などが入り混じって歩いている。リーさんに聞いていた、白い肌にぽってりとした唇をもつ人、はまだ見当たらない。

一階に落ち着いた雰囲気のカフェを併設しているLa Casa Cafeに部屋をとる。オーナーのPaulaさんは、わたしたちの名前をまず尋ねてそれを復唱した。そしていつもここにいるから、いつでも呼んでくださいという。宿はできて5年、彼女が不在のときは常駐の友だちが代わりに宿をみている。

この仕事が楽しくてたまらないの、とPaulaさんは言った。

宿に泊まっていたフランス人の男性は、コロンビアは、人が優しくて明るくて大好きなんだと口に手をあてて言う。

「フランスではみんなしかめっ面をして歩いてる。でも、ここでは、みな人懐っこくて明るくて幸せに暮らしているんだ。」

支度をしてから、街の北側にあるサルサテカの集まるエリアへ歩いていくことにする。18時半ころのMerced教会前では、ミサを終えた、きちんとした身なりやスーツ姿の人々が会話を楽しんでいる。

街にはカジノもカラオケもGane Serviciosの窓口もある。カリ川を渡り、公園に面した明るく光る市庁舎ビルを通り過ぎ、メイン通りのAv 6Nをまっすぐに進んでいく。

San Judas Tadeo教会を過ぎた辺りからサルサテカが並んで見えてくる。それでも、カリのサルサテカは木金土曜日に盛り上がりをみせるので、水曜日の今日は踊る人は少なく、人々は備え付けの大画面でサッカーの試合をみながらビールを飲んでいる。

リキュール屋でPokerのビール瓶を購入していると、隣でビールを飲んでいた医者であるカルロス先生に話しかけられる。1987年から95年まで中国に住んでいて、上海中医薬大学で中国医療を勉強し、今はカリの病院で針治療を中心として診療しているという。

今でも流暢な中国語を話し、すらすらと漢字を書く先生は、ストライプのシャツをぴしりときれいに着こなしている。いかにも品がある。

コロンビアのメデジンは政府の政策が功を奏しているが、ボゴタやカリではまだ犯罪も多く、カリは依然とほとんど変わっていないと口をまげた。でもカリ川の北側で生活しているから、南にはあまり行かないんだよ、と言った。

果てにはClub Colombiaビールまでごちそうになり、明日カルロス先生の病院へうかがうことを約束してわかれる。

先生はその後もビールをあけている。

近くのPit Burguer Parrillaで、豚肉、鶏肉、牛肉のぶつ切りやチョリソーにポテトフライやトマト、レタスが鉄板にのってソースがかけられたPicadasを注文する。店の女性もにこやかに、洋服に描かれたセクシーな女性の顔をゆらしながら、働いている。

夜遅くなっても、サルサテカは緑や赤、青といった光線を照らすばかりで、がらりとしている。サッカー観戦をしながらビールを飲む人ばかりが増えていく。

夜のカリは歩かない方が良いというPaulaさんのアドバイスを受けて、タクシーに乗って5分ほどで宿にたどり着く。

カルティエボゴタとごみ袋を抱えたボゴタ – Bogota, Colombia

同じ宿に泊まっている韓国人、リーさんは旅を始めて約1年半。今週の金曜日には旅を終えて、韓国へと帰国する。料理が恋しい、リーさんはそう言った。

リーさんが抱えている3つのコーンフレークに、コーヒーとパンを合わせて一緒に朝食をとる。話をしているうちに、共通の友だちがいることが分かる。中南米で旅をしていると、こういうことが起きるのだ。

朝は宿からほど近い旧市街、La Candelaria地区を歩く。

立ち寄ったLuis Angel Arango Libraryは、もはや図書館というくくりにはおさまらない。正面入り口から入っても、書籍は見つからない。本にたどり着くまでに、時間がかかるのである。カフェやコンサート会場、楽器演奏のための個室がある音楽室、特別展示会場が続き、「本はどこですか」と尋ねなければならないほどだ。

向かいには、ボテロ美術館をはじめとする国立銀行管理の美術館や博物館、周りには小さなかわいらしいカフェやチョコレート屋、伝統料理を提供するレストランなども軒を並べている。

1816年開業の老舗La Puerta Falsaカフェに入る。ガラスのショーウィンドーにあったMarquesa ArequipeとGuanavanaとBreva Arequipe、それにArroz con lecheを注文する。

Marquesa ArequipeとGuanavanaは砂糖にぎゅっとキャラメルのようなArequipeとジェリーのような舌触りのフルーツを入れたもので口にいれると甘さでのどがあつくなる。それにいちじくとArequipeのねっとりとした甘みが加わる。

思わず甘いArroz con leche(ライスとミルク)で口直しをするほどだ。冷たいArroz con lecheにはレーズンがのせられ、シナモンがふりかけられている。

Candelaria教会や、キリスト教グッズ店のある通りに、モダンなCentro Cultural Gobriel Garcia Marquezの建物も並ぶCalle 11を抜けると、旧市街の中心、ボリバール広場にぶつかる。

大きな広場中に鳩がぎっしりと集まり、「解放者」と讃えられて広場中央に立っているシモン・ボリバール像の頭の上にも鳩がちょこんとのっている。

ボリバール広場を、1800年代初期完成のPrimada教会、バロック様式のサグラリオ礼拝堂、大司教邸、ネオクラシカル様式の国会議事堂、フレンチ様式の市庁舎、裁判所が囲み、さらにその周りに大統領官邸、16世紀から17世紀に建てられたサン・オースグスティン教会やサンタ・クララ教会博物館、官庁舎もある。

そんな大御所ぞろいのこのエリアは相当に警察官が多くいて、車の下に鏡をかざしてチェックをしたりしている。大統領官邸付近は特に警備が厳しく、迷彩服、犬に、サングラスとスーツ、によって保護されている。

広場では、鳩にえさをやる子どもたちがいて、アイスクリームを売るおじさんがいる。地面にしゃがんでチェスにいそしむおじさんがいて、片手に携帯をもちながらぴしりとスーツを着こなす男性の足元でその靴を磨くおじさんがいて、アルパカは女の子にひかれている。

そこから金やジュエリーの店舗が並ぶ道を抜けて、ペリオディスタス公園近くのホテル・コンチネンタルに入っているEl Corralで昼食をとる。

ここボゴタでは、マクドナルドやバーガーキングの他に、あちらこちらにいろいろなブランドのハンバーガー屋がある。

コロンビア人が夕食に外食するとなると、いつも家で食べていないもの=ハンバーガーやピザといったファストフードになるようで、ファストフード店はごろりとあって夜まで元気に営業しているのである。

そのなかでも成功しているのがEl Corralなのである。
El Corralとは、コロンビアで100店舗以上展開しているハンバーガー中心のファストフード店で、2001年にはより幅広いメニューを提供するCorral Gourmetも開始している。

Corral Quesoバーガーとフライドポテトをオーダーする。ごまののった平らなパンに、100%のジューシーなビーフ、モッツァレラチーズ、フレッシュなトマトとレタスにオニオンがはさまっている。そして、フライドポテトはコレステロールフリーの植物油を使って揚げられている。ハンバーガーのおいしさに国境はなく、世界共通なのである。

Museo del Oro駅からトランスミレニオのB74に乗り、Zona Rosaへと向かう。Zona Rosaは、Calle 79から85、Carreras11 から15辺りの一画を指す、レストランやバー、ショッピング街のある、おしゃれ繁華街である。

金融機関も集まる高層ビル街International Centerをぎゅうぎゅうのバスの窓の外に眺めながら、約30分ほどで近くのCalle 72駅に到着する。

Centro comercial Avenida Chileという巨大ショッピングモールの隣には教会があり、大きな道路をはさんで果物が台車にのせられ売られている。

この付近には、あちらこちらで見かけるスーパーexitoのコンビニ版exito expressや、カルフールのコンビニ版Carrefore express、そしてメキシコではブリトーが並んでいたところがエンパナーダが代わって並ぶコンビニ、OXXOもある。

6時を回るmonasterio de la visitacion de santa martaには人々が中へとはいっていく。山の手前に見えるマンション群に向けて、道は帰宅を急ぐ車で渋滞している。インドネシア大使館と書かれた古い煉瓦づくりの建物のそばに近代的なEAN大学の建物がそびえたつ。

雨がしとしとと降り始めたころ、Zona Rosa地区に到着する。きらきらと輝く通りには、HUGO BOSSもZARAもMNGもブルガリもカルティエもアルマーニもモンブランも、ある。大きなショッピングモール、ANDINOには、FOTO JAPON (Photo Japan)だってある。

1980年創業の、コロンビア発もう一つの成功チェーン、CREPES & WAFFLESもこの辺りに数店舗構えている。海外にも進出しており、甘いクレープやワッフルの他に、食事になるメニューも置かれている。

本屋も併設している店内で、NUTELLAチョコとバナナ、いちごの入ったクレープにクリームとチョコ、それからNUTELLAチョコとバナナにアイスクリームののったワッフルをいただくことにする。壁にはボテロのいくつかのポスターが貼られ、その中には西武美術館のポスターもある。

隣の席では会社帰りと思われる年上の男性と若い女性が食事をし、男性が会計を済ませると、それぞれに携帯電話で話をしながら、レストランを出ていく。

オープンテラスのあるレストランが並ぶ通りでは、人々が音楽とともに食事を楽しみ、白いテーブルクロスのかかったイタリアンレストランではスーツを着た人々がワインを片手に会話を楽しんでいる。

Calle76駅からトランスミレニオJ72に乗って、宿に一度戻る。先ほどの明るいZona Rosaとはうってかわって、窓の外には、人気のない道が伸び、ゴミを抱える人がいて、看板がはがれかけている場所がある。

宿に置いておいた荷物を取り、タクシーで15分ほどのターミナルに行き、次の目的地、カリまでのバスチケットを探す。

いくつものバス会社の窓口が並ぶなか、隣り合わせの二社が互いを笑ってけなしあいながら、営業をかけてくる。物腰のやわらかいVelotax社の男性より、チケットを購入することにした。

座席は大きくとられ、快適そのもの、23時の定刻を15分ほど過ぎて、バスは出発した。