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Peru

ペルー―ボリビア国境情報

ペルーのプーノから、ボリビアのコパガバーナを経由して、ラ・パスへ行くルートです。

プーノのバスターミナルからラ・パス行きの国際バスが4社ほど運行しています。
(7;30発又は14:30発 s/.25~40。)
セントロからターミナルまで、トゥクトゥクでs/.2.00ほど。
※国際バスは、左側の席に座った方が、チチカカ湖が見えてきれいです。

1.ペルー側にて、
①警察の建物(緑色)で、パスポートと、入国時に記入したツーリストカードを提示。
(裏面に、ハンコが押されます。)
②イミグレで、出国手続(パスポート・①のハンコが押されたツーリストカード)
※両替屋がいるので、Bs.に両替してください。下記3,5で、Bs.の細かいお金が
 必要になります。

2.100mほど歩いて、ボリビア側の入国手続
(パスポート・ツーリストカード(国際バスの場合、バスの中で配られることもあります。)を提示。)
※黄熱病の予防接種証明書及びパスポートのコピーは、不要でした。
※国際バスは、エクアドル側で待ってくれています。

3.バスに乗り、コパガバーナへ向かう。コパガバーナにて1時間休憩。
※コパガバーナに入る手前でBs.1.00を車内で払います。
※レストランが多数あります。

4.コパガバーナにてバスを乗り換え、出発。
※国境を越えたバスから、荷物を降ろして、乗り換えます。

5.しばらくすると、バスを降りてボートに乗るよう指示されるので、
  バスを降りボートに乗り換え、チチカカ湖を渡ります。 s/.1.50
※湖を渡る橋がかかってないので、乗客はボートで渡ります。
 バスも船で湖を渡ります。

6.対岸で再びバスに乗り、ラ・パスへ向かう。

◎両替
ペルー側の両替所でs/.をBs.に両替。
s/.1.00=Bs.2.50でした。

ペルーの終わり。 – Puno / Kasani (Border with Bolivia), Peru

今回はボリビアのラパスまで国際バスを使うことにしたので、とても楽な国境越えになりそうだ。そのうえ、朝はバス会社の男性が宿まで迎えに来てくれた。

宿の前につけられたバンに乗り込み、ぼうっとすること5分、もうバスターミナルに到着である。Pan Americano社の窓口で、氏名と年齢、国籍、パスポート番号と職業を紙に書いて、それからひょいと鞄をバスにのせて乗車すると、ボリビアのイミグレーションカードが各自に配られる。

いたって快適な国境までの道だ。

バスは7時半に発車し、ティティカカ湖に沿って大きな曲線を描きながら、湿地の中の平らな道を進んでいく。辺りは畑が広がり、紫や白、黄色の花が咲き乱れている。

プーノのスーパー、Plaza Veaで買っておいたバニラのヨーグルトを飲み、昨晩露店で買っておいたパンをかじる。

ところどころに石組みが残され、人々は畑を耕し、ロバはのんびりとしている。動物市が開かれているところには、辺りから豚や羊を引き連れた人々が集まってくる。

やがて丘を越え、ヨットの浮かぶ湖のほとりに広がる町を眺めながら、10時には国境、Kasaniに到着する。今までのように両替商が集まってくることもなく、Your Small Bankと書かれた黄色い建物の両替所があり、その周りに数人の両替商が席を構えている。

両替所で両替を済ませ、すぐそばの警察署に立ち寄り一度パスポートを見せる。「バケーションか?」という質問に答えた後、その横のイミグレーションオフィスに入り、スムーズに出国手続きは終わる。

辺りには羊が草をはみ、向こうには山頂に雪をかぶる山が見えている。坂を上がったところにある煉瓦の門をくぐれば、もうペルーを離れることになる。

プーノの夜 – Isla Taquile / Puno, Peru

5時半ころ、既に雨は止み、外は明るくなり始めていた。

地元の人々は、実際にはもうトトラ舟ではなく、木でできたボートに乗っている。あるボートは手漕ぎで、あるボートはモーターボートである。

雲から明るい太陽が顔を出し、それが湖に反射して、二つの太陽が眩しく輝いている。徐々に太陽はあがり、暗かった湖の向こうのプーノの町や山を明るく照らし始め、ぽかぽかと暖かくなっていく。

どこかの島に停められていた観光用のトトラ舟が、どんぶらこと湖をどこかへ流れていく。
青く晴れ渡った空に飛行機雲が一本の線を引いていく。

朝食は、朝に練られたタクテの揚げパンと、水鳥の卵のオムレツにフライドポテト、ライスが盛られている。そしてインスタントコーヒーに、缶に入ったミルクを入れて、温かなミルクコーヒーを作る。

食事をしていると、このTupirmarka島にガソリンを買いに来て、そのまま今日はボートで漁をしにいくという男性に話しかけられる。カラチやペペレイといった魚を捕り、16時には戻ってくるという。

今日は、この島のある、ウロス島の南側が観光客を受け入れる日なので、朝からジョバンナさんもルイスさんも、子どもたちもそわそわと慌ただしい様子である。

この島から更に東へいった湖の中ほどにあるタキーレ島へ出る舟が迎えに来る。ルイスさんやジョバンナさんに礼を言って、舟に乗る。

甲板に出て、湖を眺める。風が強く、まだ寒い。すると、アルゼンチンから来たというカップルに、マテ茶をどうぞといただく。苦味のあるマテ茶が身体をじんわりと温めてくれる。

ウロス島もプーノの町も徐々に小さくなっていく。

晴れているところもあれば、局地的に雨の降っている場所もある。
湖は茶色からやがて深い緑、そして明るい緑色へと変化していく。
右手には、チュキート半島、左手にはアマンタニ島をみながら、舟は進む。
湖で洗濯をしている女性もいる。
こうして3時間ほどでタキーレ島に到着する。

この島はユネスコの世界無形遺産に登録されるほどの織物で知られる島である。ただ、近年に入ってから50年ほど前まで政治犯の島流しの地になっていたそうで、今もインカ時代の名残であるシステムが根付く伝統的な生活が守られている。

既婚の男性は赤い帽子、未婚の男性は白と赤の帽子、権力者は黒やカラフルな帽子を頭に載せ、既婚の女性は黒や茶といった落ち着いた色のスカートを、未婚の女性は明るい色のスカートを身につけている。

農業をもとにしたカレンダーの刺繍がほどこされたベルトも身につけている。既婚の男性は、特別な日には奥さんの髪の毛で編んだベルトを巻きつけるのだという。

ボートが桟橋に着いて、そのまま島の頂上まで500段ほど、45分くらいをかけて、のんびりと歩く。石は新しくなっているものの、かつてのインカ道の石畳をなぞって歩く。

女性たちが手先を使って、糸車を回し、じょうずに地面に落下させながら、糸を糸車に巻いていく。辺りにはプレインカの石の土台が残り、薄紫のじゃがいもの花やとうもろこしが湖に向かう段々畑に植えられ、羊がのんびりと暮している。

ひょいひょいと糸車を回しながら歩く年配の女性を追いながら、教会もある頂上へと辿り着く。

昼食は、頂上付近のレストランMy Houseで、湖を眺めながらいただく。ウロス島と同じように、メニューは「マスかオムレツか」ということで、再びマスをいただくことにする。これもいつもと同じく、フライドポテトにライスにサラダがついている。そして、キヌアのスープにコカとミントを合わせたお茶がついてくる。

島の人々が守ってきた伝統は、観光業にとっても魅力のあるものであり、観光業によって伝統がより保護されるようになったのだという。収入源ともなる観光客の訪問は、多くの島の人々に歓迎されていると聞く。

昼食の後は、島の反対側にある桟橋へと階段を下っていく。

この島では、お手洗いは各家に一つ小屋のようにしてある。ウロス島の人々はシャワーにティティカカ湖の水を使っているのに対し、このタキーレ島では湧き出る水を溜めて1週間に1度浴びるのだという。

各家庭はソーラーパネルを使った電気を使っている。かつての政府が各島に10つずつ寄付をした以降、各家庭は自分でパネルを購入しなければならず、それは大変に厳しいのだという。

桟橋に乗りつけていたボートに乗り、プーノへと向かう。昨晩泊まったTupirmarka島近くを通る。もう見えないルイスさんやジョバンナさんたちを想う。プーノに近づくにつれて、底が浅くなり、ボートはときどき止まり、添乗員の男性が底をつついて進む。

豚は変わらず、草を食べ続けている。
徐々に雲が暗くなり、ぱらぱらと雨が降り始める。
もうウロス島もタキーレ島も、見えない。

旅行会社のバンで、バス会社Pan Americano社のオフィスまで連れて行ってもらい、明日のボリビア、ラパス行きのチケットを購入する。

夕食は、メインストリートであるリマ通りのDon Pieroでいただくことにする。茹でたじゃがいもにチーズソースをかけて、ゆで卵やレタス、トマト、オリーブを添えたワンカーヨ・スタイル・ポテト、炭火焼のチキンやバナナフライ、トーストにアボガド、サラダ、目玉焼きにライスまで盛られたボリュームたっぷりのチキン・ア・ラ・ドン・ピエロをオーダーする。それに、ぶどうの蒸留酒ピスコに卵白とレモンを入れてシェイクしたピスコ・サワーを合わせる。

その後、ケーキを食べに、近くのカフェSweet Cafe Restaurantに立ち寄る。ブルーベリーソースのかかったチーズケーキと、チョコレートケーキにカモミールティーを合わせる。

外は冷えているものの、ぽかぽかと心温まるペルー最後の夜だった。

トトラという葦でできた島 – Puno / Isla de Los Uros (Lago Titicaca), Peru

汽船の運航する湖としては世界で最も高地、標高3890mにあるというティティカカ湖は8300km2あって、いくつかの島が点在している。今日はその中のウロス島に泊まらせてもらうことにする。

ウロス島は、自然の島ではなく、トトラという葦でできた65ほどの浮島である。一説には混血を避けるため、一説には敵から逃れるために、ここにたどり着いたのだという。

朝はプーノの宿でパンとバター、苺ジャムにシナモンとクローブのお茶をとって朝食にする。朝の9時に宿に迎えに来てもらい、そのまま桟橋へと向かい、ボートに乗り込む。

前へ進んでいるのが分からないほど、ゆっくりと静かに進み始める。そのうちに、トトラがあちらこちらに生えているのが見え、どうやってそこに辿り着いたのか、湖にできたわずかな土の上でブタたちがそれを食べている。

30分ほどして、最初に訪ねるウロス島、Apu Kaskalli島に到着する。「カミサラキ(お元気ですか?)」とアイマラ語で迎え入れられるので、教わったばかりの「ワリキ(元気です)」と答える。島長であるマルティンさんが、島についてアイマラ語で解説をしてくれる。

ここには4家族、22人が住んでいるのだという。トトラのかすかに甘みのある茎を食べてみたりする。

トトラで家を造る過程も説明してくれる。まずは、トトラの根っこを固めて木を差し込み固定する。そしてそのうえにトトラを重ねて床にし、最後にアンカーをさして、流されないようにする。島には塔がたっていて、そこから辺りを見渡すことができる。

煙草を吸うことはできないし、台所もトトラの上にまず土を敷き、そのうえにかまどをのせて火事を防ぐ。カラチやペペレイ、トゥルチャ(マス)といった魚や水鳥を捕って、食べている。トイレは、水の汚染を防ぐために、一ヶ所にまとめられている。

家々にはソーラーパネルがついており電気はつくものの、床はトトラのままである。雨をしのぐために、屋根にはトトラの下にビニールが敷かれている。

そこから手漕ぎのトトラ舟に乗って、ウロスの北のエリアにある2つの「キャピタル」のうちの一つの島、Hanan Pacha島に向かう。子どもたちも乗り込んで、英語はもとより各国の歌を歌い始める。日本語のチューリップの歌や、お手てつないで、の歌も歌われるくらいである。

Hanan Pacha島は先ほどの島よりも大きく、トトラでできたレストランや土産物店、郵便局や生簀まである。

ウロス島は主に北と南の2エリアに分かれ、1日おきに観光客を受け入れているのだそうで、観光客が来ないときには、手工芸品を作っている。今日は北のエリアが観光客を受け入れる日である。

ここで他の人々と別れ、宿泊をする南のエリアにある最も大きな島、Tupirmarka島にヨットで連れて行ってもらう。ここには6家族、25人ほどが暮らしているのだそう。今日は観光客を受け入れていない日であるので、客はわたしたちのみで、島では子どもたちが遊びまわり、のどかなものである。隣の島は北のエリアに属していて、観光客のボートが何隻も訪ねてくる。

到着すると切り盛りをしているジョバンナさんが迎え入れてくれる。旦那さんはプーノに近い小学校で先生をしていて、夜まで島を離れている。ロナルドくんとダイナちゃん、2人の子どもがいて、まだ結婚をしていないものの、12月に結婚をすることが決まっているのだそう。

この辺り、以前は一家族10人から12人の子どもがいたが、今は2、3人程度が一般的だという。

ジョバンナさんは、ぐったりと死んでいる黒いトキを丁寧になでながら、トトラで作られた小屋をわたしたちにあてがう。電気はなく、シンプルなベッドが置かれているのみだ。

周りで子どもたちが走り回ると、ほんのわずかに島が揺れる。素足になってトトラでできた床を踏む。トトラは柔らかく、少しだけ湿っていて、少しだけ沈む。

昼食は島で養殖をしているというマスのフライをいただくことにする。まずは小さな養殖場から子どもたちが網を使って、マスを取る。餌には湖で捕れるカラチをあげているという。

それをジョバンナさんが手慣れたふうにさばき、フライをして、レモンと水、胡椒に塩とにんにくを混ぜたものをかける。同時に朝に炊いておいたご飯を温め、その横で、手際良くプーノで買ってきたじゃがいもを揚げる。子どもたちは台所でばたばたと遊びまわっている。

この島でもじゃがいもをつくっているが、今の時期は蓄えがないため、プーノまで買いにいくのだという。サラダには、レタスにトマト、きゅうりにレモンが添えられている。水鳥の卵を使ったウロス島の揚げパン、タクテも合わせていただく。

この島には、国際電話がかけられる電話機も教会も小学校もある。すでにみな携帯電話は持っているので、この公衆電話が使われることは今はほとんどない。

小学校には40人ほどの子どもたちが通っているという。ホワイトボードの前には木の椅子と机が並べられ、壁にはアルファベットや数字の書かれたポスターが貼られている。

隣の教会では、午後になると、周りの島の子どもたちが集まり、キリスト教について勉強をし、時に歌ったり踊ったりしている。年長の女性たちが、それを取りしきる。

ジョバンナさんは子どもを連れて、舟を漕いで出かけて行った。ジョバンナさんの弟であり、島長でもあるルイスさんに色々な話を聞く。島長というのは毎年交代で受け持つそうで、住民6家族が集まって話し合いで決めるのだという。

この島の名前Tupirmarkaとはアイマラ語で「浮く村」という意味であること、この島はルイスさんの父親が8年前に住み始めたということ、島は切り離しが可能で、必要に応じて切り離して島ごと別の場所へ移動して住むこともあることなど、ルイスさんは丁寧に話をしてくれる。

もともとは一隻で使われていたトトラ舟が、親戚の舟などと横並びで使われるようになり、それが島へと発展していったのだそう。

島の人々の80%は観光業に従事し、残りの20%は漁業や水鳥の狩猟、舟のタクシー業などに従事している。水鳥であるチョカを取りに、10キロ先の湖まで3、4日かけて出かけることもあるという。一人で出かけ、その間は舟に寝泊りをする。捕れたチョカなどはプーノで4ソルで売るのだという。

トイレは村の一ヶ所にあり、シャワーは湖の水で済ませる。ただ、ボートの排気ガスなどにより、かつて飲むことのできた湖の水はもう飲めない。飲み水は、別の島にある無料の浄水を汲んで、それを飲むのだという。

この村には以前フジモリ大統領も宿泊したことがあり、ソーラーシステムも寄付されたものだという。それを島の人たちは誇りに思っている。ティティカカ湖の島々の公共施設に、外資企業へのプロモーションとしてかつてソーラーパネルが10つずつ寄付されたのだという。

Tupirmarka島の後ろには別の島、24年前にできた、ウロスで最も古いアンティグア島がある。現在は家が沈み、地面に家がついているのだというが、水かさが増せば、また浮くようになる。アンティグア島の家々はトタンでできており、これが観光業にとってマイナスであることは島の人たちも分かっている。そして、トトラでできた家のほうが暖かいのだという。

加えて、この辺りの女性と結婚するのは大変なこともあるのだと話してくれた。例えばタキーレ島の女性と結婚するためには男性は別居をしながら、3年間奉仕しなければならない、とか、ラチョンの女性と結婚するには男性が毎日多くの貢物を持っていかなければならないとか、結婚するときに鞭で打たれる地域もあるのだという。

ルイスさんは、騒がしくて汚染のはげしいプーノよりもこのウロス島が気に入っているといった。多くの若者がそう思っているのだと、笑顔で言う。

辺りも暗くなり、教会にいた子どもたちもそれぞれ舟に乗って家へと帰っていく。

湖の向こうのプーノの町に橙色の灯りが瞬いている。こんなに近い場所であるのに、遠い生活だ。

夜になっても、舟がときおり横切っていく。

夕食も再びマス。ここでの選択肢は「マスかオムレツか」である。暗闇の中で生簀からマスをとってくれる。今回は、塩で味付けして焼いたア・ラ・プランチャでいただく。ライスとフライドポテトのセットは変わらない。昼食同様、生簀の水の青い匂いがしみこんでいる。

島には灯りがなく、細い月の灯りと懐中電灯を頼りに小屋まで戻り、ろうそくを灯す。あえて電気をつけないことが観光業として魅力的なことであるのを島の人も知っているのかもしれない。

風を通さないトトラの小屋は、思いのほか暖かった。
遠くのほうから雷の音が聞こえてくる。

クスコからプーノへの道。 – Cuzco / Puno, Peru

朝早く、犬が町のあちらこちらにいる。サンタ・テレサ教会から鐘ががらんごろんと大きな音で鳴り響く。道を歩く人は少ないものの、カテドラルの前だけは多くの人が出入りをし、幾人かの物乞いの人々が入り口付近に座り、幾人かの人々がお金を渡していく。

そのカテドラルではミサが行われていた。ポトシの銀300トンを使ったという銀の祭壇に向かって祈りをささげる人もいれば、地震の神として崇拝されている褐色のキリスト像に祈りをささげる人もいれば、告解室を待つ人もいる。煙のたつ缶をふりながら、神父が祭壇へと入っていく。

祭壇の裏に掛けられた、メスティソの画家マルコス・サパタの描く「最後の晩餐」の宗教画のテーブルには、クスコ名物のクイ(モルモット)が置かれている。

カテドラルを出て、人のまだ少ない12角の石のあるアトゥンルミヨク通りやクエスタ・サン・ブラス通りの坂道をあがり、サン・ブラス教会へと向かう。精緻な細工の施された金の祭壇や、一本の木をくり抜いて造られたという木彫りの説教壇に囲まれて、ここでもミサが行われていた。

そこからアルマス広場を通り、宿へと戻る途中、サンタ・テレサ教会もまた扉が開いていたので、入ってみることにする。カテドラルやサン・ブラス教会と比べてこじんまりとして、訪ねる人も少ないものの、ここでもまたミサが行われている。

宿から荷物をとり、タクシーに乗ってバスターミナルへと向かう。10分ほどでターミナルへ着き、Nuevo Continente社でのカウンターで手続きを済ませ、ターミナル使用料を支払って、バスへと乗り込む。

市場で買っておいた大きなパンをよいしょと取り出す。直径50cmほどもあるパンはずっしりと重く、表面にはあひるが描かれている。あひるの目にはレーズンが使われた、ほんのりと甘いそのパンを少しずつほおばり、合わせてペルー産だという林檎をかじる。

長いこと町が続いていき、その後ようやく緑の畑の向こうに山がみえるといった景色に変わっていく。牛がのんびりとして、とうもろこし畑が広がっている。湿地帯では山々が水に映ってみえる。時にクスコ、プーノ間を結ぶ豪華鉄道の線路に沿って進む。

ところどころの家に、ペルーの第91代大統領アルベルト・フジモリの長女で、2011年ぺルー大統領選挙に出馬をした藤森 恵子さんをうたう、「PRESIDENTE Keiko」の文字が描かれている。対して、現大統領のOllanta Humala氏の「Ollanta 2011」の文字も描かれている家がある。

やがて、ゆるやかな山の向こうに、雪をかぶった険しい岩山が迫ってくる。時計の高度は4000mを越え、徐々に頭が重くなり、息がやや苦しくなってくる。

11時50分ほど、クスコからプーノへ向かう道の最高地点である標高4335mのラ・ラヤ峠の看板が見えてくる。雪山がそびるものの、辺りには水たまりもあり、滝も流れ、さほど寒くはない。いくつかの露店も広げられている。

石垣だけを残した土台が草むらの上に点在している。両わきを緑の山々、その向こうに雪山が連なりながら、バスはそれでもほとんど平らな道を静かに進んでいく。川沿いに民族衣装を着た女性も歩いている。線路を横断し、バスは走り続ける。

12時10分ころには家々の立ち並ぶ村、サンタ・ロサを通過する。アルパカや馬や羊が歩き、それを追う人々がいる。

黄色い花が辺りに咲き始め、川に向かって十字架がたてられたお墓があちらこちらに見られる。川にかけられた線路には、人々が座り、のんびりとしている。

そのうちに徐々に町らしくなり、バスは Juliacaに到着する。トヨタや三菱自動車、ボルボやヒュンダイ、コカコーラ社の店もある街を通り過ぎ、やがて大きなティティカカ湖が見えてくる。

湖に沿うように家々が立ち並んでいるのを眺めながら、バスは徐々に町へと入っていき、15時過ぎにはプーノのターミナルへと到着する。

そこからトゥクトゥクに乗って、ロス・インカス通りの宿、Embajadorに部屋をとる。近くでは日用雑貨を売る日曜市が開かれている一方、巨大スーパーPlaza Veaも営業をしている。

ピノ広場にあるサン・ファン・バティスタ教会を眺めながら、プーノのメイン通りであるリマ通りを通り、カテドラルのあるアルマス広場へと抜ける。カテドラル前には多くの人が座っているものの、教会の中はほとんど人がいない。片隅で歌の練習をしているグループがいる。

明日からティティカカ湖を回るために、数軒の旅行会社を回る。湖に浮かぶウロス島という島に宿泊し、その後にタキーレ島に行こうとするとパブリックのボートはなかなかにスケジュールが合わなかったため、旅行会社の手配するボートに便乗することにする。

カテドラルから湖の桟橋まで、ティティカカ通りを歩いていく。

道の途中にある大きなスポーツセンターの建物の中で、空手の試合が行われていた。若い男性たちが手にグローブをはめて、空手衣を着て、試合に臨む。それを心配そうに親が眺めている。中にはみつあみをして山高帽を被った人や民族衣装を着た人もいる。

ティティカカ湖には舟もあひるのボートも浮かんでいて、冷たい風の吹く中ダンスを踊る人々もいる。

桟橋近くの、ウロス島出身の一家が切り盛りするUros Travel社に手配をお願いすることにし、再びトゥクトゥクに乗って、町の中心まで夕食をとりにいくことにする。

昼は暖かったものの、夜になると途端に冷え込む。 レストラン、Los Urosに入り、パスタの入ったスープ、ティティカカ湖で捕れたマスのフライ、ライスにフライドポテト、トマトのスライス、そしてカモミールティーのセットをオーダーする。マスは身がしっかりとしていて、魚そのものの味が旨い。温かなカモミールティーのカップを手で包んで暖をとる。

夜にはいよいよ雷がなり、冷たい雨が降り始めた。