Top > ブログ

Ecuador

マカラから真夜中のぺルー国境へ – Macara / Border with Peru, Ecuador

目を覚ますと既に他の乗客はおらず、車内も真っ暗なバスはじっと停まっていた。外でがちゃがちゃと後ろのタイヤを交換する運転手や添乗員の姿があった。

こうして国境の町、Macaraに到着するころには夜中の1時になろうとしていた。雨がしとしとと地面をぬらしている。

国境まで3kmというところだが、店はぴしゃりとシャッターを閉じ、タクシーも通っていない。人のいないひっそりとした町に唯一灯をともしているレストランがあり、その前にはエンジンのかかったシボレーのLUV車も停車してあり、身を寄せる。

その車はちょうどレストランで夜食を食べていた男性客のものだというので、食べ終わるのを待ち、国境まで連れて行ってもらえないか尋ねる。Lojaから機械関係の仕事でMacaraに来ているという男性は、疲れているからムリだと断った。

そこで、友人の「いざとなったら、紙幣と酒とタバコなんだ。あと、笑顔だよ。」という教えを思い出し、鞄につめていたマイルドセブンを取り出し、笑顔で差し出す。

ほどなく、承諾された。

車に乗り込み、人通りのない暗い道を行くこと約5分、夜中の1時半のイミグレーションオフィスへたどり着いた。

小さなブースを設けるだけのオフィスには、女性が一人と、目つきのこわい男性が一人いる。オフィスに座った身体の大きな男性はその見かけによらずパソコンをたたいて作業をしている。

出国は一枚の紙に必要事項を書くだけで、オフィスの男性は「間違えたら20ドル払ってね」と、また見かけによらず、そう冗談を言ってにこりと笑った。

エクアドルとペルーの国境には、暗闇の中、茶色く濁った川が大きな音をたてて流れている。すぐそばには、日本の国旗と「Nippon Koei Co., Ltd. Hazama」と看板に書かれた橋がかかっていた。

エクアドル―ペルー国境情報

エクアドルとペルーの国境情報です。
(エクアドル側MACARAから、ペルー側PIURAへ抜けるルートです。)

クエンカ等から、PIURA行き国際バスが出ていますが、
国際バスではない場合、
①LOJAから、MACARA行きバスに乗る。 US$6.00
②MACARA到着後、TAXIにて国境まで行く。
(あまり夜遅いと、TAXIも走っていませんので、ヒッチハイクくらいしか手段がありません。)
※MACARAの街は、蚊が非常に多いため、虫よけを準備してください。
③国境にて、エクアドル出国手続(ツーリストカード記入)
④橋を渡る(日本の国旗が書いてあります。100mほど歩きます。)
⑤ペルー側にて、ペルー入国手続(ツーリストカード記入、半券を受け取る。)
 ※この半券は、ペルー出国の際必要なので、取っておいてください。
⑥PIURA行きのバスに乗る。
(あまり夜遅いと、ペルー側のバスもありませんので、国境にて夜行の国際バスが通るのを
待ち、乗せてもらいます。 US$4.00)

※国境は、蚊が非常に多いため、虫よけを準備してください。

◎両替
 エクアドル側、ペルー側共に、夜間は国境付近では両替ができません。

エクアドルのクエンカからロハ、マカラ経由でペルー国境へ – Cuenca / Loja / Macara, Ecuador

朝食は木いちごのヨーグルトとグラノーラ、それから市場で買っておいたフルーツ、甘酸っぱいマラクーヤとくせのあるグラナディージャをいただく。フルーツはどちらも中にたくさんの粒が入っていて、とろりとした触感である。

今日はクエンカを発ち、ペルーのトルヒーヨへと向かうことにする。13時ころ宿を出て、2ブロックほど離れたバスターミナル行きのバス停へと歩く。

ある年配の男性に、日本人ですかと声をかけられ、そうですと答えると、バス停まで誘導してくれた。娘さんにお手製の弁当を届けるところなのだという。

ターミナルへ向かうバスは混んでいて、若い女性や制服を着た男の子や女の子が乗っている。こちらが大きな鞄をもっているのを見かねて、空いた席にどうぞと声をかけてもらう。

およそ10分ほどでターミナルに到着をし、ぺルー行きのバスの時刻を調べると、国際バスの発車までにまだずいぶんと時間がある。そこで、1時間ほど待てばバスが出るというViajeros社で、国境までの途中の町Lojaまでまずは向かい、そこからぺルーに向かうことにする。

バスを待つ間に、プラタノと豚肉を揚げた団子のBolonと、とうもろこしからできたHumitaを買い、レンジで温めてもらう。定刻14時を10分ほど遅れて発車するバスには、幾人かの物売りの人々が乗ってくる。歌うように「スモモ、スモモ」と売り歩く女性がいる。

雲のかかった丘の前で、すすきが穂を揺らしている。商船三井のコンテナが、道のわきに置かれていたりする。砂利道に入るとバスはタイヤが空回りし、添乗員などが降りて様子を見ている。

それでも徐々に薄暗くなり始める18時半過ぎにはLojaのターミナルに到着する。LojaからペルーのPiuraまでの直行便は、早くとも夜23時の夜行バスまでないという。そこで、すぐに出発するというUnion Cariamanga社でMacaraまで行き、そこから自分たちで少し行った国境へ向かうことにする。

ところどころ道なりに商店が、山間に家が点在するほかは、ただ川と山の合間をぬっていく。途中のカリアマンガという町でどっと乗客が降り、車内は数名残るのみとなる。町に並ぶ店はシャッターを一様にぴしゃりと閉じ、若者が時折歩いて行くのみである。

電灯の消されたバスはそのまま国境に向かって進む。黒い山々の間にところどころ灯が寄せ合うように町が点在し、光を放つ大きな青い十字架がたてられている。

踊りのうまい着ぐるみのいる街 – Cuenca, Ecuador

珍しく朝から青空が広がっている。

いつもの通りにコルドバ通りを西へと歩き、1509年に建てられたラス・コンセプタスの修道院跡を通り過ぎる。

ベジタリアンのレストラン、Natural Vidで、Chaulafanをいただく。エクアドルには華僑も多く、Chaulafan=チャーハンというメニューを時折見かける。山盛りのライスを、グリーンピース、レタス、ピーマン、たまねぎやとうもろこしなどと醤油味で炒めて、最後にアボガドとトマトのスライスを乗せている。Pilsenerビールを近くの店で買い求め、合わせていただくことにする。

今日もMercado Municipal 10 de Agosto市場に行ってフルーツを買い求める。店の女性は、フジモリは悪い元大統領だったのよ、と笑いながら言う。

それから、サン・フランシスコ教会前にあるナッツなどを売る商店でぶどうやナッツのたっぷり入ったグラノーラを、クエンカにもあるスーパーTIAでヨーグルトを買う。

市場の近くの薬局では、着ぐるみが、腰をふり身体をくねらせ、頭を地面につけて、遊びを知っている、ダンスを見せる。うますぎる。

トメバンバ川から一本北に入ったLargo通りを歩く。コロニアルアートなどを展示している煉瓦造りのRemigio Crespo Toral博物館に入った後、メルセー教会に寄る。

人はおらず、ただ一本のろうそくに火が灯っているばかりである。クエンカにもまた教会がいくつもあり、一つの教会に行けば、その先にある青く尖った別の教会の屋根が見えてくるといった具合である。

一度宿に戻った後、近くの商店でチョコアイスサンド、galletopsyを買ってほおばりながら、Pumapungo遺跡を見に行く。

どこにもその説明が書かれていないその大きなインカ遺跡を眺めながら、トメバンバ川の向こう岸に渡って川沿いに歩くことにする。橋を渡るころ、月は雲に半分だけその姿を隠していたものの、やがてまんまるの姿を雲の合間から現した。

月の明かりに照らされながら、橋を渡ってすぐのところにあるEl Vergel教会に入る。新しいつくりのその教会では讃美歌が歌われており、スクリーンにその歌詞を流しながら、皆が歌っている。

落ち着いた雰囲気をたたえるこの辺りは行き交う人もどこか上品だ。軍人病院や、煉瓦で造られた医学学校などが並んでいる。

夕食は、市場で買っておいたきゅうりのようなサボテンの実のフルーツ、トゥナと、甘く透明がかった白に黒い粒の入ったイエローピタヤに、グラノーラと木イチゴのヨーグルトを合わせていただくことにする。

クエンカの街歩き – Cuenca, Ecuador

テレビから流れるドラゴンボールに続くドラえもんを横目に身支度をととのえて、クエンカの街を歩くことにする。

朝食は、コルドバ通りのレストランAsi es Cuencaで、Tamalesとコーヒーのセットをオーダーする。とうもろこしをひいて練った生地をバナナの葉で包んだTamalesには、豆や卵、レーズン、とうもろこしや鶏肉に人参などが入っている。それを薄く苦みのない国産コーヒーと合わせて食べる。地元の人々が一人で来て、手早く食事をすませて出ていく。中にはスーツ姿の男性もいる。

アブドン・カルデロン広場に面したインフォメーションセンターにいたJohnさんは、日本のアニメをよく観ると言い、NarutoやOne Pieceといった名を挙げて、以前Narutoでラーメンをすするシーンがあったから、キトに行ってラーメン屋に入って食べたら、ものすごく美味しかったんです、と言う。そして、ドラゴンボールは基本中の基本だよと付け加えた。

広場は、青いドームをもった大理石と煉瓦造りのカテドラル、1557年に建設の始まった、かつてのカテドラルである旧大聖堂、政庁、市庁舎で囲まれている。

カテドラルは天井が高く、あちらこちらに設けられた色鮮やかなステンドグラスを通して外の光が入り込み、人々がその中で祈りを捧げている。

教会の隣にある、地元でも有名だというTutto Freddoに入り、アイスクリームを食べることにする。苦みと甘みをもつビール味のアイスクリームなど数ある選択肢から、無難にラムレーズンとバナナ・スプリットを選ぶ。

アイスクリームを食べながらサント・ドミンゴ教会の前を通り、花市場に行く。広場では薔薇や菊、ひまわりなども売られ、アレンジされた花も置かれている。ある店の女性は、花を前にうとうとと眠り、ある女性は新聞を熟読し、ある女性は花のアレンジに精を出している。

サン・フランシスコ教会近くにある土産物市場、サン・フランシスコ教会を見てから、果物、野菜、肉や雑貨が1階に売られ、2階は食堂となっているMercado Municipal 10 de Agostoに向かう。

市場の前にはいくつかの商店が立ち並び、パンを山積みにしたパン屋もある。ざらりとした砂糖がかけられ、中にチーズの入ったふんわりとしたパンを買い、それをかじりながら市場に入る。

この辺りではバナナといっても、小さなバナナから、大きなプラタノ、緑色をした料理用のプラタノなど、さまざまな形がある。市場に山積みにされた果物や野菜から、甘いと言われた小さな房のバナナを買う。

肉市場では、切り落とされた牛の頭が2頭分大きなバケツに入れられて上を向いており、その横では腸がぐるぐると箱につめられている。ふさふさとした黒い毛に包まれた顔の下の部分は皮が剥がされ、目はうつろにまだ光りをもっている。肉屋の女性は、その目に手を差し込み、くるりと頭を動かし、よしと頭をなでる。

買ったバナナを2階の食堂のテーブルでいただくことにする。ややむきづらいそのバナナはとても甘いバナナであった。この市場でも、野菜を前にうとうとと眠る店の女性たちが、いる。

そこから、コロニアル調建物の裏側ものぞける、トメバンバ川沿いの道3 de Noviembre通りを歩く。

Artes Populares博物館では、褐色、クリーム色、緋色といった釉のかけられたエクアドルの陶器、アルパカの毛に包まれた民族衣装、藁で作られた帽子、ボンボやホルン、マデラといった楽器の他、南米各国伝統の手工芸品などを見る。

川沿いを東へ進んでいくと、SAKURAという日本料理屋もある。グアヤキル出身のシェフが開いたレストランで、客の多くが外国人だという。メニューには、寿司、焼き鳥のほか、鉄板焼きなどもある。

川を渡らずに途切れている煉瓦造りのロト橋をのぼりつつ、更に川沿いを歩いて行くと、車の行き交う道の脇にインカの遺跡が見えてくる。遺跡には石組みも残り、建物や水路の跡も残されている。

そばの教会や学生が賑やかなクエンカ・カトリック大学の前を通りながら、夕食のレストランを探しに、サン・ブラス教会前に伸びるシモン・ボリバール通りを西へと歩き、スペイン植民地時代の邸宅をそのままホテルにしたという、サンタ・ルシアを訪ねたりする。

月曜日になれば店が開くという宿のオーナーさんの昨日の言葉に反して、今日もまた多くの店が閉まっていた。

開いているのは、チェーン店ふうの店かバーといった具合だ。街をうろうろと歩き、店先で冷めた焼き物を前にのんびりとしているおばさんがいたので、声をかける。奥には簡単なテーブルがあり、夕食も出しているという。

今日のメニューは何ですかと尋ねると、チョクロの塩ゆでにユカ芋と牛肉のサンコーチョスープ、揚げた豚肉とじゃがいもを丸めたTrutilla de papasやサラダとレンズ豆のご飯、それに甘いAguita de frescoジュースだというので、お願いする。

この辺りの地元の店には、書かれているメニューはなく、今日あるメニューをそのままいただくということも少なくない。Carmitaという名のその小さな食堂は開業20年だといい、犬がうろちょろとしていた。