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2011年12月

コスタリカの大みそか - Tamarindo / Liberia / San Jose, Costa Rica

朝は宿の近くでスイス人が経営しているというホテルに併設されているSarita’s Bakeryで、蜂蜜と麦のパンを買い、それを宿に持ち帰る。

その上にピーナツバターをぬり、温かいミルクコーヒーとともに食べる。

今日は、大みそかだ。

日本との時差が15時間なので、こちらの朝9時に、日本は先に年を越す。
ネットで紅白歌合戦の様子や除夜の鐘の映像などをみながら、朝の9時を迎える。

日本の一人一人が、昨年の年越しとは全く違う年越しを迎えている。
わたしたちも、そうだ。
日本のみなの顔を思い浮かべる。

今日は、そんなふうに、気持ちがずっと日本にある一日だった。

タマリンドの宿は今夜はどこもいっぱいで、やはり1月の3日か4日まではいっぱいのままだという。そしてサン・ホセまでの直行バスも3日まで満席だと分かったので、まずはリベリアに戻ってそのままサン・ホセに向かうことにする。

リベリアに戻る前に、ビーチに腰かけて、Super2001で買ったピルセン・ビールの缶をあける。
甘みと苦みが強いビールだ。
家族連れやカップルが強い日差しの中、砂浜のうえで身体を晒している。

3時過ぎに来たリベリア行きのバスに乗り込む。バスは、それから2時間ほど、タマリンドの辺りをくるくると同じ道を回り、一向にリベリアの方向に進む気配がみえなかった。

ようやくリベリアの方向へ向かう頃には、店先のペプシの看板の蛍光灯がつき、しばらくしたら夕焼けが見えてきた。

とっぷりと日が暮れた空港のわきを通り、リベリアに到着したのは18時半になっていた。辺りにはマクドナルドやサブウェイ、Papa Jone’sやバーガーキングにガソリンスタンドなどがあるが、年越しをするために、首都のサン・ホセに向かいたい。

サン・ホセ行きの最終バスは20時発。
「サン・ホセまでは4時間から4時間半かかります。」
窓口の女性は淡々と答える。

どうやら年越しはバスの中になりそうだ。

それでもバスは定刻にきちんと発車し、きちんとサン・ホセの方向へと向かってくれている。

青と赤色の光をチカチカと放つ車が数台と警察が列を成している。バスがそれを横目に見ながら、進む。先頭にいたのは、車にひかれたのであろう、倒れて血が地面にまで広がっている、大きな茶色の牛であった。目が見開かれている。

バスは暗い道を進み、空には星が輝いている。

3時間ほどすると、丘にちらばる灯りが見えてくる。
それが、サン・ホセだった。
こうして予定時刻よりも早い23時半、サン・ホセに到着した。

どうやら年越しをバスで過ごさずにすみそうだ。

降り立つと、そこは途端にひやりとしていた。サン・ホセは標高1150メートルの高原都市なのだ。年越しまであと30分弱。まずは街の中心に行こう。

タクシーに乗り込み、街の中心である文化広場に向かってもらう。中心でなら、人々が集まっているかもしれない。

年越しまであと7分。白く輝く国立劇場と、それに隣接する文化広場に到着する。

そこは確かに街の中心ではあったが、予想に反して人はおらず、がらりんとしていた。

コスタリカでは、お正月はみな家で過ごすのであった。

とにもかくにも、12時を迎えるために、どこかレストランにでも入りたい。
通常であれば24時間営業である国立劇場隣のカフェテリア1930に入るも、今日は休みだと言われる。

年越しまであと3分。カフェに入れないのであれば、なにかドリンクだけでも買いたいと、大きな鞄をしょいながら、少し彷徨うも、店はどこも閉まっている。

12時。

カランコロンカランコロンという鐘の音が鳴り、それに呼応するかのように辺りの丘一帯あちらこちらに花火や爆竹がうちあがり、音が共鳴し合う。

大きな鞄をしょいながら、こうして新年を迎えた。

年末年始のコスタリカビーチ – Penas Blancas / Liberia / Tamarindo, Costa Rica

ニカラグアのイミグレーションからコスタリカのそれまで、2か所のパスポートチェックポイントがあり、更に奥へと進んでいく。「コスタリカへようこそ」という看板が掲げられ、その横を大きなトラックが砂埃をあげながら、ゲートをくぐっていく。

コスタリカに入国する際、コスタリカ出国後の次の行き先へのチケットがない場合入国にひっかかることがあると聞いていたものの、入国審査はまた基本的な用紙1枚を記入するだけでスムーズなものであった。

入国審査が無事に終わり、首都サン・ホセ行きのバスを待つ長い列を横目に、今日の目的地であるタマリンドへの乗り換え地点であるリベリア行きまでのバスに乗り込む。

バスは、比較的空いている。深い木々に覆われた家がところどころに見える道を進むこと、1時間半、リベリアに到着する。

Transportes La Pampa社のタマリンド行きの次のバスは16時というので、ターミナルでファンタやチョコレートミルクを飲みながら、待つ。

このバスもまた混雑をしていて、立って移動する。
数機の飛行機が停まっている小さな国際空港に立ち寄り、太陽の光で穂の輝いているさとうきび畑を抜ける。

18時半にはタマリンドのバス停に到着した。立ち並ぶホテルはイルミネーションが施され、いかにもおしゃれな様子である。

ここは、年末年始の一大リゾート地であったのだった。
そうとは知らずに、いくつかのホステルに空室の有無を尋ねるも、どこも1月の頭までいっぱいだと首を振る。そして今日はどこもいっぱいだと思う、と口をそろえて言う。

それでも、Pura Vida Hostelにちょうど2ベッドだけ空いていることが分かり、そこに泊まらせてもらうことにする。「タマリンド中で今夜空いているのはこの2ベッドだけだと思うよ」と、宿の男性が言った。

やれやれと荷物を下ろし、隣のレストラン、Dona Lee’sで夕食をいただく。ライスにフリホーレス、Maimaiという魚にサラダのセット。ビールはインペリアル。食べていると、同じ宿の米国人一家がレストランに入ってきたので、一緒にいただくことにする。

レストランを出ると、涼しく甘い香りの風が吹く。乾季であるこの時期は砂埃を防ぐため、道路にmelazaという蜜を塗るのである。それがほのかに甘い香りとなって、あたりを満たしている。

ニカラグア―コスタリカ国境情報

1.グラナダから国境への行き方
①グラナダからRivas行きのバス(C$24.00)
(※市場を過ぎたところを左に入った、ガソリンスタンドの前にバス乗り場があります。)
②Rivasから国境の町Penas Blancas行きのバス(C$20.00)
(※①で到着したバスターミナルから出ます。)

2.国境の越え方
①Penas Blancasに着いたら、国境地域へ入るためのゲートがあるので、
そこに並び、US$1.00を係の人へ支払い、パスポートを見せて入る。
(※ツーリストカードをUS$1.00で売りつけてくる人がいますが、
出国窓口で無料でもらえるので、無視していいと思います。)
②ゲートを入ったら、まっすぐ進んだところにある建物で出国手続。
 窓口でツーリストカードをもらい、記入し、パスポートと一緒に提出。
 US$2.00の手数料を支払う。
③出国手続き後、①のゲートからみて、右方向のコスタリカ側へ歩いて行く。
(約500m。※暑いです。)
(※コスタリカ側に入る時に、パスポートを見せる所が2か所ありますが、
  特に問題ありません。)
(※進行方向右側に、長い列が見えて来ますが、これはSan Joseへのバスチケットを買う
  列ですので、並ばずに、左の建物に入ります。)
④コスタリカの入国手続をする建物でツーリストカードをもらい、
 記入して、パスポートと一緒に提出。

※San Joseへのバスは列に並び、チケットを買う必要があります。
※リベリアまでのバスは、直接バスに乗り支払います。
 すぐに乗れました。空いていました。

◎両替
コスタリカの入国手続をする建物の近くに、両替の人がいます。
1.00コルドバ=22.00コロンくらいで言ってきます。
なんとか頑張ったら、1.00コルドバ=23.00コロンくらいになりました。

ニカラグアからコスタリカへ - Granada / Rivas / Penas Blancas, Nicaragua

宿で今日もガジョ・ピントをいただいてから、コスタリカに向けて出発することにする。昨日の夜はすりすりとその身体を寄せて、ぐっすりと膝のうえで眠っていた猫も、既に起きている。そして、また膝のうえに軽やかに乗る。

果物や野菜、タイヤや金属品などを売っている市場は、朝早くから人々が働いている。

白い鶏と茶色の鶏、それぞれの色に分けられて二つの籠にぎゅうぎゅうと詰め込まれて売られている。

国境行きバスの出るリバスまで、定刻の8時にほぼ満席のバスが出発する。隣に座っていた女性は出発の際に顔の前で小さく十字をきる。

昨日、イスラエル出身のLironくんが言っていた「国境などなくなって、一つの世界にそれぞれ違うカラーの地域ができれば良い」という言葉を反芻する。イスラエルでは、常に次にいつ戦争が起こるのか、という会話が出てきたりするのだという。

そんなイスラエルからLironくんは離れることを決めた。家族は大切だけれど、ぼくは自由なんだ。そしてぼくは地球人だ、と長い睫毛の目を見開いたまま、言った。

バスが到着したリバスにもまたにぎやかな市場がある。

そこから国境のペニャス・ブランカスまでのバスは、より一層混雑をしていて空席はなく、立つ。道路わきには爆竹を売る店舗が並び、その横にネクタイをした人形が置かれていたりする。

茶色の馬が棺をひき、その後に大勢の人が列を成して追っていくのが見える。軍事施設のわきを通り、ずらりと並ぶ風車を眺め、牧場が続いた後、チョコレート色の大きなニカラグア湖が再びその姿をのぞかせる。

1時間ほどで国境に到着し、細いゲートに並んで1ドルのチケットを購入する。
そのゲートをくぐると、明るい音楽が流れる、なにやら公園のような場所があり、そこが入出国管理事務局なのである。

無料であるはずの出国用用紙の束を片手に、それを1枚1ドルで売ろうとする人々がいる。
簡単な用紙に必要事項を記入すれば、ニカラグア出国である。

幸せな街 – Granada, Nicaragua

宿をとったAmigosには朝食がついているので、朝は中庭が見えるテーブルで揺り椅子に揺られながら、いただく。運ばれてきた朝食は、ガジョ・ピントと、目玉焼きにトーストとコーヒーであった。

昨日イサベラ・ビュッフェで注文をした豆ご飯、ガジョ・ピントセットが「朝食メニュー」のリストの中に記されていたとおり、どうやらこのガジョ・ピントというのは、定番朝食メニューだったのである。

宿から東の方向にあるニカラグア湖まで歩いていくことにする。

町の中心であるコロン公園に面したカテドラルは、いくつかの部屋に分けられている。正面すぐの部屋は、クリーム色と水色、天井が若草色に彩られ、ある部屋にはキリスト像が十字架にはりつけられ、ある部屋では、ミサが行われており、ある部屋では岩の作りものに像が置かれている。

黄色く彩られた正面の窓の上にはSAN CANUTOと彫られているものの、窓から覗けるその室内は物置部屋と化しており、窓の外を眺めているのは、SAN CANUTOではなく、ニカラグアで尊敬を受けているSor Maria Romeroの絵であった。

カテドラルの横に置かれている大きなクリスマスツリーには、いくつかのプレゼント箱と、携帯電話会社でもあるClaro社の赤いボールが貼り付けられている。

コロン公園からニカラグア湖までのCalle la Calzadaは真っすぐな道のりで、レストランや家々は、紫色や水色、黄色にピンク、オレンジ色に青色とカラフルに塗られている。

道の途中には、Mombachoという葉巻メーカーの店があり、そこでは葉巻を作る工程を見せていた。聞くと、このMombacho社のオーナーは以前グラナダにスペイン語留学をしに来ていたカナダ人が5年半前に開業したメーカーだという。

店舗はいかにも洗練されていて、販売手法も的確だ。店舗には葉巻の種が置かれており、実際に数本そこで栽培ディスプレイが行われている。

ニカラグア産葉巻は、キューバ産のそれと比べて安価で、また最大の葉巻マーケットである米国がキューバ産の葉巻を輸入しないことが有利にはたらいているのだという。

近頃は中国でも販売を開始したらしい。輸送事情の良いコスタリカに一度運び、そこから空輸で8日間で上海に到着するという。

接客をしてくれたSilvioさんは、以前レストランで覚えたという流暢な英語で、葉巻を作る工程を実演スタッフとともに丁寧に語ってくれる。

そこからさらに東へ進みグアダルーペ教会を過ぎ、子どもたちが野球やサッカー、バスケットをしているのを見つつ、更に歩いていくと、やがてニカラグア湖に到着する。

ある少年は、細長い木の棒でアーモンドの木を小突き、アーモンドの実を採っている。
ゴルドバ像はじっと西の方向を向いている。
カップルは湖のほうを向いて、じっと座っている。

ニカラグア湖は中米最大の湖で、海のように大きく、波が押し寄せてくる。波は高く、ざぶりざぶりと柵を越えてくる。うっすらと遠くのほうに向こう岸が見え、右手には島が見える。

ただ、この湖はチョコレート色だ。それでも子どもたちや犬や鳥たちはじゃぶじゃぶと湖に入っていく。子どもたちは鳥に向かって石を投げる。鳥の群れが湖の水面すれすれに小さな点となって光るように連なり、直線を作って左から右へと飛んでいく。

コロン公園へ引き返す頃には、夕暮れが見え始め、グアダルーペ教会では、ミサが行われていた。

道で遊ぶ子どもたちはお菓子などを入れた玉を天井からつるして棒で割るピニャータを手にしている。その赤や黄、緑に白のふさふさとした玉を持ちながら、嬉しそうにわたしたちに近づいてくる。

そして、この街にも、レオンと同じようにGigantonaとel Pepe Cabezon像を被って踊る子どもたちと鼓笛隊が道を練り歩いていた。

最後に、メルセー教会を見に行った18時半、そこで結婚式が始まった。結婚行進曲とともに後方の扉から新婦と父親が入場する。やがて新婦は新郎に引き渡され、更に前方へと進んでいく。

進行に合わせて、参列者も共に十字をきり、神父の言葉を復唱し、アヴェ・マリアなどを歌う。籠をもった男性が参列者を回り、人々はお金をその籠に入れる。

新婦と新郎に大きな真珠の輪がかけられ、参列者は周りの人々と挨拶を交わす。最後には新郎新婦と神父がハグをし、並んで写真撮影も行われる。

約1時間の式が終わると新郎新婦は退場し、既に人々が待っている入口で再度写真撮影をしたら、白馬がひく馬車に乗って、去っていくのである。

参列者のほとんどはカトリック信者として式に参加をしているので、式の進行が、より生活に密着している。そしてこの教会は誰もが入ることのできるオープンな場所であり、式には誰もが参列できるのである。

こうして新郎新婦を見送った後、夕食の買い出しにスーパーマーケットPaliに行く。段ボールにそれぞれ商品が詰められている。今晩は大事をとって、トマトやチーズ、ソーセージやヌードルを買って宿で食べることにする。大事をとるけれど、ドリンクはビクトリア・ビールだ。

同じ宿に泊まっているオランダの女の子二人と、写真家の卵のイスラエルの男の子と話をしながら、のんびり中庭の横で夜ご飯にする。