Top > ブログ

China

過去の日本と反日 – Shenyang, China











一つのコンパートメントに6つのベッドが敷かれている硬臥で夜を過ごしたら、朝の9時前には瀋陽の駅に到着した。

真新しい瀋陽駅を外に出てみると、真新しいビルが立ち並んでいて、そのうちの一棟には東横インの名が掲げられている。

地下鉄も新しく、それに乗って清瀋陽故宮辺りまで出かけてみる。新しい建物と、昔ながらの街並みと、その過程にある瓦礫の山が混在している街だ。











宿を探しながら、お友だちに北京を去るときに作ってもらったおにぎりと、買ったチョコパイを食べて、空腹を満たす。ようやく宿を見つけて、一息つく。

宿から九一八歴史博物館まではほど近く、KFCや、吉野家、dico’sなどの入った真新しい建物の脇でローカルフードの屋台が並んでいた。ここにも、釣魚島は中国に属しているとの垂れ幕が掲げられている。

東北地方で食べられている烤冷面を屋台で買い求め、つまみ食いをしながら、博物館へと向かう。

反日の新聞が今日も刷られている。











九一八歴史博物館もまた立派な建物だった。日本語でも解説が書かれている。こう、始まる。

”「九・一八」事変は20世紀における世界を震撼させた歴史的大事件である。それは日本帝国主義による中国への侵略戦争の始まりであり、世界史上初めてファシズム国が引き起こした侵略の戦火でもある。”

侵略していく経路や過程を写真や人形などを使って展示している。ここでも、斬り殺された首など、日本軍の残虐性が際立って提示されている。そして、こう締めくくられている。

”なぜ、日本帝国主義は大胆にも堂々たる大国であるわが国に対して凶刃を向けたか?ここにある写真はすべて揺るぎない事実であるのに、なぜ今に至っても歴史を直視せず、ひいてはそれを歪曲し、改ざんしているものがいるのか?”

出口には江沢民の「九一八を忘れるな」の文言が大きく掲げられている。

反日の空気が流れる瀋陽の街中を歩いてみる。

街中の吉野家には、<私的中国心>、当レストランは100%香港資本です、とうたったポスターが中国国旗とともに掲げられている。

ユニクロは煌煌と灯りをつけて、営業をしている。

国美電器店に入ってみる。ソニー、パナソニック、キャノンのブースにも一様に、”国美は我が国の国家主義と領土を守ります”といった内容の掲示がなされ、中国国旗が掲げられている。

街中にも、釣魚島は中国のものだという垂れ幕が掲げられている。

一方で、伊勢丹は通常営業をしていて、特別なメッセージを掲げず、粛々と日本の製品も売り続けていた。

旧藤田洋行であり、日本降伏後は旧ソ連の対外貿易部の下秋林公司となった建物、奉天郵便局跡、旧ヤマトホテル、旧朝鮮銀行といった日本統治期の遺構や中山広場を歩いてみる。

夕食は、宿の近くのイスラム料理屋でいただく。料理店の女将さんたちがあたたかく迎えてくれた。

中国の友だちとの再会 – Beijing, China

今回宿泊させていただいているお友だちとは、もともと北京で習っていた陶芸教室で一緒だった。

朝は、そのお友だちが作った陶器の急須でお茶を淹れていただく。
それにトーストや卵焼きにお野菜。一日一日を楽しそうに暮らすお友だちと一緒にいられるのも今日が最後。

今日はセブンイレブンは開店していたものの、街中には「日本製のものを買うのは止めよう」と大きく掲げた店もある。

北京の動物園駅近くは問屋街が並んでいて、
いくつかの大型の建物に、
衣服や靴やら小物やらが所狭しと並んでいて、
いつだって多くの人で賑わっている。

店員も多く、その多くは商売熱心というよりは、すっかりくたびれている様子だ。

建物をくるりとして、買い物をした後、
待ち合わせをしていた中国人の友だちに会いに行く。











その友だちは中国人では珍しいベジタリアンで、仏教にも関心が高い。護国寺小吃店に入り、棗巻果、爆肚、豆腐湯や豆面丸子面、杏仁豆腐などをオーダーする。互いの近況報告をしたり、漢方の話をしたりした後、やはり釣魚島の話題をふられてしまった。「どうして日本は、中国の領土である釣魚島を自国の領土だと言うの?」やはり日本政府に対して不満をもっているようだった。中国の多くの若者が同じように思っているのだろう。

そんな質問をされながら店を出ると、「日本人と犬は入店お断り」と掲げた店の前を通る。











以前、友だちと訪ねたことのある広済寺を再訪する。寺のお坊さんとも親しい友だちが、私たちのことを紹介してくれる。こちらが日本人だと分かっても、あたたかく迎えてくれた。最近の中日関係に心を痛めていること、先に起こった日本の大地震では、涙をした。中国も、四川で大地震を経験しているのだ。











宿泊させてもらっていた友だちの家に戻り、いつもの心のこもったカレーやサラダや炒め物などをいただいた後、私たちはまた旅に出る。
タクシーで北京駅まで行き、そこから瀋陽へと向かうのだ。

お友だち訪問 – Beijing, China

久しぶりに安心できるベッドに
身体をうずめてぐっすり眠った朝は、
スクランブルエッグやサラダにトーストなど、
料理上手なお友だちの手料理で目覚める。

帰れる家がこんなふうだったら、良い。
今までの旅がなかなかにハードなものだったのだということを、
こんな穏やかな場所に泊まらせてもらうと、つくづく感じるものだ。












お昼は、家の近くにあるオシャレカフェ、MAAN COFFEEに連れて行ってもらう。日本にもありそうな、インテリアや細部にもこだわりが見られるそのお店で、ワッフルのセットやハムサンドイッチのセットをオーダーする。北京のカフェはーすとも洗練されてきていて、心地よい。地元の若者も集まり、パソコンで作業をしている人もいる。











昨日閉まっていた日本料理屋やセブンイレブンは、今日もひっそりと息をひそめて、営業を止めているものの、吉野家は通常営業をしていた。











夜は、かつて北京で同じクラスに通っていたお友だちのご自宅にお招きいただく。外資系で働く旦那様をもつお友だちの家は、北京のやや郊外に位置していて、電車を乗り継ぎ、最寄りの駅からは車で向かう。そこは北京の中心にあるような高層ビルではなく、広々とした敷地をもつ高級邸宅が並ぶレモン湖と呼ばれるエリアだった。

広々としたリビング、ダイニング、キッチン、
地下にはビリヤード台やジム、それにバーまである。

マレーシア出身のお友だちは、
パンやメロンからはじまり、
出身国のカレーやスープ、それにチキン串などでもてなしてくれる。

家族がとても仲睦まじい。

旅も良いし、一つの場所で家族と暮らすのも幸せなものだ。
北京にお友だちがいて、嬉しい。

帰りは家から最寄りの駅まで歩いて帰る。
フェンスには中国国旗がささっていた。
すっかり帰りが遅くなってしまった。

北京に帰ってきた – Beijing, China











列車は、新幹線なみにピカピカで快適なもので、最近の中国の発展を象徴するようだったものの、到着近くの朝の9時前になると、洗面所にはゴミが捨てられて詰まっており、辺りはペットボトルなどが散らかっていた。

ピカピカの北京南駅に到着した。北京に戻ってくると、感慨深いものがあって、この世界一周の旅が大きな最後の一区切りに差し掛かったことを感じた。ここが到達地点の一つだと思った。ほっとした。











私たちは、これから先のルートをまだ決めかねていて、ロシアに行けるかと大使館を訪ねながら、ビザの都合上中国からロシアに入るよりも日本から入るほうがずいぶん入りやすいことを知り、北京に住む友だちの家へと向かう。











北京の街には高層ビルが立ち並び、新しい建物も多い。
迷彩服の軍人が行進をしている。
日本料理屋には「釣魚島は中国固有の領土です」と、中国国旗とともに掲げられ、日本語の店名も国旗で覆われて見えないようになっていた。

友だちご夫婦は、旦那様の仕事の都合で北京に住んでいて、
そのお家はホテルさながらのおもてなしで溢れていた。
この1年弱の大荷物を抱えた私たちをおにぎりやお吸い物、
たくあんといった日本料理でもてなしてくださり、
もうただただ感激しっぱなしだった。

これほど心休まる日は、日本を出発してからなかったのだ。











夕食近くになり、外に買い物に出かけると、セブンイレブンも今日は急遽営業停止していて、中国国旗が掲げられているのを見る。

夕食は旦那様もお帰りになり、またお鍋やグラタンや唐揚げや煮物に、ビールをあわせて、もうこれ以上の幸せはない、といった具合になった。

反日の中の南京 – Nanjing / Beijing, China











朝は宿の近くの市場でビニール袋に入った豆乳と
行列のできた焼餅を買い込んでバスに乗り、
昨日上まで行けなかった孫文の陵墓、
中山陵に再度向かう。

総統府で一度バスを乗り換える。
辺りは戦争当時にはなかったであろう超高層ビルが
あちらこちらにそびえたっている。

孫文の眠る一番奥の祭堂までの長い参道は、
子供からおばあさん、おじいさんまで
大勢の観光客で賑わっている。

深々とおじぎをする者もいれば、
ピースサインをして写真撮影をする者もいれば、
携帯をいじっている者もいる。












階段の上からは、そこが緑に囲まれていることを改めて知ることになる。












そこから、地下鉄に乗って、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館に向かう。最近の反日運動の中で、この記念館に向かうのは、なかなか心穏やかというわけにはいかない。

駅を出てすぐ、赤い旗に黄色や白で反日のメッセージを書いた旗を持つ人々が大勢集まっている。「釣魚島は中国固有の領土である」「小日本は死んでしまえ」「今後、日本製を買うのは止めよう」「祖国統一。釣魚島を守りぬくことが、中国民族を偉大な復興へと向かわせる。」












野田首相の顔写真の鼻には豚鼻が描かれ、その横には日の丸が書かれ、どちらにもバッテンが記されている。

集まっている多くが若者で、ワイワイとメッセージを呼びかける。殺気だった雰囲気はなく、公安も笑みをうかべながら、付き添っている。観客は、携帯電話のカメラでその様子を撮影している。ある子のカメラにはドラえもんのシールが貼られている。












記念館にぞくぞくと人が入っていく。

解説は日本語でも行われていた。
犠牲者総数は30万人。
「この世のものとは思われない大惨事」で「人間地獄」と化した様子を模型と写真、新聞記事や人形などを使って展示している。












日本軍に爆殺された市民、強姦された女性、略奪された財産、大規模な組織的な虐殺、元日本兵の証言、
日本軍に斬られてタバコをくわえさせられた中国人の首。












銃ち殺す、切り殺す、焼き殺す、溺死、生き埋め、毒ガス。
楽しみとしての殺人、細菌部隊によって殺された人々。

百人斬り”超記録”の新聞記事、戦後のこと。












建物を出ると、和平と書かれた像が太陽に照らされていた。












すっかり日が暮れつつある中、超高層ビルの合間を長江まで歩き、そのゆったりとした流れを眺める。
ぐっと暗くなった長江からタクシーで地下鉄の駅まで戻ると、
そこにはユニクロや、宮崎あおいさんを使ったオリンパスの広告が明るく大きく掲示されている。

中国に現存する最大の城門、中華門を訪ね、
繁華街である夫子廟、秦淮河がイルミネーションでかがやいているのを見ながら、最大の「科挙」の試験場だった場所を訪ねる。

夕食は、そのあたりの食堂に入り、鴨血粉絲湯と小龍包をオーダーする。そしてカフェに立ち寄り揚げパンを買い求め、23時48分発の北京南行きの列車に乗る。

いよいよ、北京だ。