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China

南京に来た日 – Nanjing, China

朝起きたら、既に合肥あたりまで進んでいた。

ベッドはなにしろ快適なのだ。
水道の水は出なくなっても、さすが中国、熱湯は出ている。

朝はブルーベリーと苺のヨーグルトに
ジャスミンとカモミールティー、それにパンをほおばる。

時間調整のためか、列車は途中でぴたりと止まったものの、やがてまた走り出す。

南京に到着するまでまだ時間があるようなので、買ってきたカップラーメンに熱湯を注いですする。

隣のベッドに座っていた家族が、わたしたちに日本人でしょう、と言った。

そうだと答えると、おじさんは、言った。

中国のこの大きな景色を観ていってください。日本と中国は今問題が起きていますが、わたしたちふつうの国民は問題が起こることなんて望んでいないんです。

13時に列車は南京駅へと滑り込んでいく。駅を出ると、玄武湖が広がり、その向こう側に高層ビルが並んでいる。戦時中とはずいぶんと景色も違うのだろう。天気はよく、カップルなどが歩いている。

そこからバスに乗り込んで、メールで予約を入れておいたNanjing Fuzimiao Youth Hostelに向かう。

無事に宿に着いてメールを開けてみると、宿からのメールが届いていた。

“i,m writting to suggest you to change your room type,you know the poitical relation between our two country is urgent this time,so for your safty,it woud be better if you can change your booking to a private room.”

わたしたちはそれを聞かずに、ドミトリーを取ったことを変えなかった。

外出する時にも、スタッフの方から声を掛けられた。

「なんと申し上げてよいのか分かりませんが、ほら、あれです、中国と日本の関係のことがありますから、十分気をつけてお出かけください。そして電話は持っていますか、何かあったらすぐにお電話ください。」

ユースホステルの受付には、毛沢東の張り紙が貼られている。

この日は、中国国内で北京や上海、重慶など少なくとも29都市以上で、国有化に抗議する6万人以上とみられる反日デモが発生し、日中国交正常化以来、最大規模になるという。

孫文の陵墓、中山陵に向かう。緑が多くて、湿気のある気持ちの良い涼しい風が吹いている。多くの中国人観光客が訪ねてきており、屋台も並んでいる。写真撮影があちらこちらで行なわれ、かつての歴史とは切り離されているようだった。

到着するのが遅くて、上まであがれなかったため、明日もう一度来ることにする。
夕日がゆっくりと山の向こうへ沈んでいく。

夜は、宿の近くのレストラン、金陵農家菜館に入る。レストラン前では、楽しんでいるのか喧嘩をしているのか半々なふうの女性がスタッフと言い争いをしている。

その後ろでにこにこと顔に笑顔を浮かべた女の子のスタッフがてきぱきとふるまっている。

名物だという金陵塩水鴨と西芹炒百合をオーダーする。四川料理で辛いものばかりを食べていたので、なんとも優しい味。それに雪花ビールを合わせる。

宿のドミトリーに戻る。
なにも被害はなさそうだが、やはり声を出して日本語を話すことが憚られる。

島の事件 – Chengdu / Nanjing, China

【14日午前6時18分頃から20分頃にかけて、沖縄県石垣市の尖閣諸島・大正島の北北東約22キロの領海内に、中国の公船「海監51」と「海監66」が相次いで侵入したのを海上保安庁の巡視船が確認した。】

朝に起きて、チャーリーさん家に別れを告げる。南京へ向かうのだ。今日も成都はうっすらと曇っていて、気温はちょうど良い。

「昨日も同僚と話をしていたんだけど、きちんと調べてみるとやっぱり釣魚島(尖閣諸島)は、日本のものだよ、間違いない。少なくともアメリカ人としてはその見解だよ。だからがんばって。」そう言った。

朝は10時からビザのピックアップができるはずなので、天府広場の近く、入出国サービスセンターに向かう。チャーリーさんの家から地下鉄の駅までてくてくと歩く。人々は朝から元気に動いている。途中、商店に立ち寄り、列車の中で食べるものを買い求める。

チャーリーさんの家から最寄りの倪家橋駅に到着し、荷物検査を済ませて改札を入る。

昨年できたという1路に、今週か来週にもできるという2路。真新しい地下鉄には、トレーニングされているふうの職員が、仕事をこなしている。

天府広場駅で下車をし、15分ほど前に入出国サービスセンターに到着したら、既に事務所は開いていた。
どきどきとして順番を待つ。なにしろ制限されていた成都から別の街への旅行をしてしまって空港で問題になったのだから、今日ビザが取得できないとなったら、また大変だ。日本人は15日間までビザが免除されているものの、その15日目が今日なのだから、ビザは今日取得しなければならない。

3階まで行くと、受付の女性とは顔馴染みになっていた。どうぞとばかりに中に入って順番を少しだけ待つ。預かっていたレシートを提出すると、担当者は並べられたクリアポーチの中からわたしたちのパスポートを取り出して、テーブルに置く。そしてパソコンを眺めて、支払いを済ませるように告げる。

そして、中国各担当者からのビザ取得「合意」のチェックの入った紙にサインをするよう求められる。そこにサインをすれば、ビザの貼られたパスポートが返却された。こうして、わたしたちがビザ取得中に九賽溝に行ってしまったことは問題にならず、ビザを取得することができた。

再び天府広場からメトロに乗り、成都北駅まで向かう。再び荷物検査。水も特に問題にはならない。ただ大きな鞄のほうに入っていた物体が引っ掛かり、再度X線の機械に荷物を通すように求められる。

何が引っ掛かったのかその物体がわたしたちにも分からない。とにもかくにも指示に従う。それでもまだその物体が気がかりのようで、荷物を開封するようにと言うが、それでもわたしたちの大きな鞄を前にして、開封意欲が失せたようで、用紙に名前と電話番号を書けば良いという。

隣のおばさんも、鞄に入れていたアーミーナイフが引っ掛かり、名前と電話番号を記入する。

こうして真新しい地下鉄に再び乗り、成都北駅で下車をし、商店で食べものを買い足し、駅へと入る。まずはパスポートと列車のチケットを見せて、その奥のX線による荷物検査へと進む。それが終われば、今度は人による荷物検査。

それを過ぎれば、あとは待ち合い室で列車を待つばかりだ。中国は食事、特に熱湯に命をかけているようすすらあって、待ち合い室には商店だけではなく、熱湯の蛇口がとりつけられている。人々は、そこで熱湯を水筒に入れたり、あるいはカップラーメンに入れて、食事を始める。

発車1時間ほど前から改札が開いて、人々は長い列をつくって、進む。成都までの無座チケットとは違って、わたしたちが今回手にしているのは硬臥のチケット。1週間ほど前に予約をしたので手に入れることのできた貴重なチケット。無座の混沌ぶりとは違って、なんとものんびりとしている。

それぞれのコンパートメントに扉はなく、3段ベッドが2列並んでいる。

列車はほぼ定刻の12時ころにがたりと進み始めた。明るい遊園地に新しい家々もあるが、たいていは畑が広がっている。人々は畑を耕し、ときおり煙をあげて、古びた家が点在し、あひるが歩いているのどかな風景だ。ここには緑が溢れている。

風景を眺めながら、パンをほおばり、お茶を飲んだ後は、一番上の段のベッドによじのぼり、眠りにつく。

目が覚めたときにはすでに夜だった。7時間ほど寝てしまったようだった。脚を伸ばせるベッドの旅はとても快適だ。列車は既にずいぶんと進んでいた。綺麗な顔立ちなのに、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな若い添乗員が、また不機嫌そうに仕事をしている。

こうして夜の10時ころにのそのそと起きだし、買ってきた、甘い八宝粥の缶を開ける。中国列車の旅で、カップラーメンと並んで中国人に人気のメニューである。

黒い空に、煙突から出た煙が白い線を描いている。

食の四川 – Chengdu, China

今朝はゆっくりと休む。今日になって揉み返しが出てきた。

カウチサーフィンを通して、チャーリーさんとカフェさんの家に泊まらせてもらっているものの、二人が家にいる時間はとても少ない。

今日も変わらずに多くの電気自転車やバイク、自転車が車道のわきを走っていく。

成都のある四川は、食文化の豊かなところ。これはお腹がへっていなくても、がつがつ食べなければとばかりに、食堂を探しに行く。

玉林串串香、昨晩通ったときにほぼ満席に混雑していただけあって、平日の昼間であっても、客で混み合っている。

レストランの一角に、串がトレイにのって置かれているところがある。串には先の太い串と先の尖った串があり、太い串が一本1.5元、尖ったのが2角というふうに決められている。

好みの串を山盛りにトレイにのせて、テーブルに着くと、真ん中の窪んだところに鴛鴦鍋が置かれる。鍋は真ん中で二つに分かれ、きのこやトマト、魚の出汁の効いた、透明のスープと、薬味のたっぷり入った赤いスープが注がれている。

ぐつぐつとしてきたところで、とってきた串を放り込む。蒟蒻に白菜、エビにナスに湯葉、豆腐に海藻、瓜にレンコン、南瓜、それにモツ。

テーブルには、ごま油の入った椀が置かれていて、それにみじん切りのにんにくと香菜をぱらりとのせて、かき混ぜる。好みによってときにはオイスターソースや酢を加えることだってできる。

スープも辛く、ごま油もとろりとしているので、白米を合わせていただく。

もみかえしのためか、肩のあたりが痛む。家からそれほど遠くないケンピンスキーホテルまでぶらりと歩いていく。

洗練されたつくりのロビーには、ほぼ満席のように人々が座って、お茶やコーヒーを飲んでいる。仕事ふうの男性もいれば、着飾った女性もいる。

街には串串香の他に火鍋屋や干鍋の店もあちらこちらに見られ、客で賑わっている。

夜もまた、へらないお腹をかかえて、四川料理を食べに行く。以前通ったときに賑わっていた烤魚部落という店に入ると、店先でちょうど蛙のお腹をぱっくりと包丁で切っていた。蛙や魚を食べる気がすっかりと失せ、鴨翅や豚の排骨の入った干鍋をオーダーする。玉葱や細切りにしたじゃがいも、大蒜などが火のついていない鍋にこんもりと盛られて、ごまがふりかけられている。それにハルピン冰純ビールを合わせる。

辛い物は少しでとオーダーしたものの、まだまだ唐辛子も山椒もたっぷりで、辛く、舌はぴりぴりとする。おかわり自由の白米をほおばり、辛さをやわらげる。

地元の店と盲人按摩 – Chengdu, China

朝は、親が日本から持ってきてくれたお菓子をお茶と一緒に楽しみながら、すっかりチャーリーさん家でゆっくりする。途中で、チャーリーさんの同居人であり、中国でも有名なラッパー、DJ KRUSHさんが起きてきて、会話を交わすものの、またバタバタと家から出ていってしまう。

大きな部屋に大きなソファ。程良い清潔感。家は良い。

夕食は帰宅したチャーリーさんとともに、行きつけだという広東料理屋へと出かける。鴨チャーシュー飯にスープ。中国で仕事を成功させていくこと、中国政府は外資企業にはとても厳しいことなどを聞く。

その後は、チャーリーさんお勧めの盲人按摩を受ける。

最初は仰向けになり頭から始まり、顔、それから首筋から肩にかけて、それからうつ伏せになって、首から肩、それから腰におしり。

ところどころ痛い。

一人おじさんたちがやってきている。右が悪い時には左のマッサージが痛み、左が悪い時には右のマッサージが痛む。血やリンパの流れが滞っていると痛みもあるのだと、東京の過密人口を比喩にしながら説明をする。

高級ブランドの店も、にょきにょきとそびえたつビル群もある成都でも、一本小道に入れば、昔ながらの中国の生活がそこにある。チャイと書かれた建物、崩れかけた煉瓦。非法の尖閣諸島と流れてくるテレビ。串が焼かれ煙がたち、トランプ、テーブルゲームが楽しまれ、道ばたに座り、テレビをみる人々がいる。

再び、バニラと小豆のもなか、緑豆に小豆の入ったアイスやらをいただく。

遅延したフライトと、カウチサーフィン生活 – Chengdu, China

朝はホテルに備えつけのコーヒーにクッキーを口にして、そのまま空港へと親を見送りに向かう。ホテルがタクシーを呼び出してくれていたので、それに乗って、空港へ行き、ANAカウンターでスムーズに手続きを終える。ホテルが朝食をつめてくれていた、サンドイッチやらコカコーラやらマフィンやらを食べながら、時間を待つ。

日本に戻るまでの別れを両親に告げて、空港のラウンジから、飛行機が飛び立つのを待つ。ところが、他の飛行機は次から次へと飛んでいくのに、ANAのフライトがなかなか飛び立たない。

どうやら尖閣諸島問題が影響しているらしい。

“政府は、11日の閣議で、沖縄県の尖閣諸島について、平穏かつ安定的に維持・管理するため、島の購入費用として今年度予算の予備費から20億円余りを支出することを決定し、11日午前、地権者側と契約書を取り交わし、国有化しました。”- NHK ニュース

1時間半ほど遅れで、フライトはようやく飛び立っていった。後から聞いたところによると、9時には着席をしてスタンバイ状態にはいっているのに、それから1時間半待たされたのだという。

リムジンに乗って、市内へと戻る。
あっという間の4人旅だった。

こうして世界旅の残りの日々が続いていく。市場の路上の串串香を食べる。これは火鍋の簡易版で、串に刺したものを鍋につけ、その後、辛味をつけて食べるのである。

決して清潔だとはいえない屋台のそれは、一口サイズのもので、若い女子たちが、おやつがわりにおしゃべりをしながら食べているのである。地面に鞄を置くことさえためらわれるような中で、女子たちは楽しそうだ。

お腹のまだ満たされなかったわたしたちは、商店でチョコアイスやパンを買い求めて、それをほおばりながら、ショッピングモールを散策する。

ここには、服をめくりあげてお腹を出したおじさんも健在である。

今晩から、カウチサーフィンでチャーリーさんのお宅にお邪魔をすることにする。大きなバックパックを背負って、バスに乗り、バスを降り、手土産のお菓子を買って、チャーリーさんの家を探す。

それがなかなかに見つからない。あちらこちらに場所を尋ねて歩く。ある女の子が、一緒に探してくれる。そして、もっちりとした餃子を買ってきたかと思えば、私たちにそれを手渡し、食べていて、と言う。そして商店に入って水のボトルを買い、それを飲んでいて、と言う。そして場所を聞いてくるから、待っていて、と言う。

おかげで、ようやく、チャーリーさんの家を探し出すことができた。チャーリーさんの家は、広々としていて、中国でのビジネスが成功しているのを推測させた。中国の人と組んで、ビジネスをしている。中国では、それがとても大切なのだ。

チャーリーさんは、私たちが遅くなったのを気にするふうでもなく、カウチサーフィンをされることもまた、慣れているふうだった。

こうして、チャーリーさんお勧めの地元中華料理店に行き、宮爆鶏丁や、干[火扁]土豆絲や虎皮青椒にご飯、ビールをオーダーする。