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服を着て、スカーフを巻いて入るカスピ海 – Rasht / Ramsar, Iran

夜中の1時45分ごろにバスは一度停まって休憩をする。こんな時間だというのに、ラマダンで空腹の男性たちはパンやら肉やらを食べていく。

ラシュトに到着したのが4時半ころ、タクシーに乗って宿へと向かう。

日も上がった宿の近くのスイーツ屋に、甘いパンを見つけて買い求める。その店でもスイーツやパンは売るけれど、ジュースメーカーは機械に新聞紙が貼られている。トルコのイラン領事館でラマダンについて尋ねてみたときは、大きな街ではレストランは閉まっているけど、小さな町では大丈夫ですよとほほえみながら言われた。でも、地方に来ても、テヘランと状況は変わりない。

今日は、カスピ海まで泳ぎにラームサルという町に行く。ラームサル行きのバス乗り場を探していると、いろいろな人に話しかけられる。タンカーの船乗員だという男性は、2週間仕事で2週間はこうして休みをとっているのだという。彼はタクシーに乗ってわたしたちをバスターミナルまで送ってくれ、商店に入って冷えた水のボトルを買い、その後にラームサルまでのバスの代金を払うと言った。

バスに乗り込み、さきほど買った甘いふわふわのパンと白い砂糖のついたパンをどうにもこそこそと外を向いて食べる。旅行者はラマダン中に食べても良いと言われても、なんとも申し訳ない気分である。

ラシュトから2時間ほど走って到着したラームサルのバスターミナルからカスピ海まではまだ距離があったので、ヒッチハイクで向かう。二人のおじいさんがわたしたちを運んでくれた。でも、運んでくれた先のカスピ海の沿岸には、さびれた遊園地があり、はたまた日本の田舎にあるような、しんとした、ふぐの置物などを売る店が佇んでいる。その辺りは水が淀んでいて、モーターボート屋があり、釣りをしている人もいるが、泳ぐことはできないという。

そばにあった一軒のホテルの男性に聞くと、ビーチはこの先3キロほどいった、サヘール・タライにあるという。再びヒッチハイクを試みて、運んでもらうことにする。

ビーチには右手と左手に目張りがしてあり、それぞれ杭にビニールシートがかけられていた。右手が女性専用、左手が男性専用ビーチだという。船が浮かび、軍服を着た男性が砂浜を監視していて、どうにもビーチらしくない。

真ん中の共有の砂浜を経て女性専用ビーチに行くと、上下洋服に頭にはヒジャブをしたままの女性たちがカスピ海に浮かんでいる。人によっては靴のまま湖に入っていく。傍から見ても楽しげがない。

それでも海の中に入ってみると、一緒に泳ぎましょうと言いながらじゃぶじゃぶと手を回し始める、なにやらにこにこと元気活発な女性たちがそこにいた。

女性がイランで泳ぐときには着替えが厄介だ。それも全身真っ黒の女性たちが、手慣れたふうに着替えを手伝ってくれる。

左手の男性専用ビーチの海辺には、服を着た女性は入ることができる。あるとっぷりとした男性二人は海に腰掛け貝を拾い、ある男性たちはボール投げをして遊び、ある男性たちはじゃばじゃばと泳いでいく。男性は上半身裸の水着姿。女の子どもたちは服を着たままに男性専用ビーチに入っている。

カスピ海は、海水の3分の1ほどの塩分しかないので、しょっぱくなく、湖を出てもわりあいにさっぱりとしている。

そこから近くのラームサル温泉に浸かりに行くことにする。ビーチから温泉まで、今度はビーチで話しかけられた男性家族が車で連れて行ってくれるという。ラマダン中は地元の人々は海水浴はできないのだけれど、その家族のような旅行者は泳いで良いんです、と言った。35歳と31歳の夫婦に4歳の男の子と3か月の女の子がいる。   

こうして温泉にらくらくと到着する。敷地内に入ると硫黄の香りがして、源泉を湛えた石は緑色に変色している。浴室は入口から男女に分かれ、タイル張りの個室になっている。個室には一つ一つに湯船があり、温泉と水の蛇口があって浴槽にお湯を溜めていく。シャワーもなく、浴槽の淵に桶が二つ置かれている。

空気がこもると危ないので、扉は開けっぱなしにしておいてくださいね、と念を押される。そのうちに個室は、ほとんど無色の温泉が浴槽にひたひたとなり、硫黄の香りに包まれる。温泉を出たら、山に太陽が沈もうとしていた。

温泉からバスターミナルまでも行き方が分からずにいると、パトカーが停まって、途中まで乗っていきなさい、と言う。こうして大きな通りまで送ってくれ、近くにあった商店で、イラン製のトロピカルフルーツ味のノンアルコールのモルト飲料を買い求める。モルト飲料といっても、炭酸ジュースにほど近い。

そこから乗り合いタクシーを乗り継ぎ、ラシュト行きバスが通過すると周りの人々が口々に言う場所で降ろしてもらう。来るかどうか分からないバスを待つことわずかに15分ほどで、確かにラシュト行きバスがやってきた。

冷房ががんがんときいたバスで、水のサービスもある。

バスがラシュトのターミナルに到着すると、一緒にバスに乗っていた大学生の女の子が、迎えに来ていたお父さんの車で送りますといって、街の中心のショハダー広場まで送ってくれた。大学で林業を学んでいるという学生で、将来は学者になりたいのだという。英語が好きで独学で勉強しているというその言葉は発音もとてもきれいなものだった。

ラマダン中は断食をしているそうで、今日も夕ご飯はビスケットで軽くすませたのだといって、どうぞとビスケットをわたしたちに差し出す。

こうしてショハダー広場に到着すると、日の暮れたその場所には、屋台の焼き鳥屋が開かれ、男性たちが集まっていた。街のあちらこちらでこうした焼き鳥屋が繁盛し、昼間は閉まっていたアイスクリームやジューススタンド屋も煌々と明かりをつけて、店先にアイスクリームのコーンをにょきにょきとのばし、ジュースメーカーをぐるぐると回して、元気に営業中だった。

いくつかのレストランはやはりラマダン中は夜になっても扉を閉ざしたままであったものの、マリオの看板を灯したレストランが営業しているというので、早速に入ってみる。

カスピ海はキャビアが有名だというが、それは全て輸出されているというので、この街特有の食事は、地元のオリーブなどを活かしたものなのだそう。

そこで、郷土料理であるというミールザー・ガーセミーやバター・ライス、野菜の塩漬け、ウォルナッツペーストに包まれたオリーブ、舌がややぴりりとするチーズとヨーグルトの中間のようなものにきゅうりをオーダーする。生たまねぎやパンがついてくる。

どれも塩の味がつよかったり、辛かったりするものだからミルキーなバターののったライスやパンがよくすすむ。

12時半を回って外を出ると、さきほど出ていなかった焼き鳥屋台がここにも出現し、男性客で賑わっていた。

イランのテヘランでトルクメニスタンビザの申請をする – Tehran, Iran

金曜日、土曜日と閉まっていたトルクメニスタン大使館が今日ようやく開くので、ビザの申請しに行く。宿から最寄りのエマーム・ホメイニ駅はテヘラン街の中心にあり、メトロはラッシュアワーの真っただ中だった。乗り場も車内も仕切りがしてあり、いくにんかの女性は男性スペースに入り、パートナーの横でちょこりとしているが、男性が女性スペースに入ろうものなら、担当係から注意が入る。  

そんな具合なのに、プラットフォームの女性専用スペースのところに、電車の男性専用スペースへの入口が停車したりするものだから、混乱が増す。みな、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら、電車に乗り込む。電車が郊外に進むにつれ、徐々に人が降りていき、カラフルな色の服を着た男性と、多くが黒や地味な色の服を着て頭にヒジャブをかぶった女性が、透明のしきりにきちりと分けられて座っている風景に変わっていく。時折、鼻の整形をした人々が鼻に白いテープを巻いて歩いているのを見かける。

パン屋で餡のはさまったパンを買い求めて、それを隠しながらかじって歩くことおよそ30分。大使館は金土曜日休みで日曜日は9時半から11時の開館。そんなわけで、今日の大使館のビザセクションは、休み明けの殺到が待っていた。建物の一角に設けられたビザセクションの窓口は限りなく小さく、そして到着したときにはその窓はかたく閉じられていた。

テヘランで宿泊している宿の周りには車の部品店ばかりが並び、食堂や商店などがとても少ない。そんな中でコピー屋を見つけることもできずに、トルクメニスタンのビザ申請に必要な書類のコピーができていなかった。

すると、イラン人の男性が一人、それならコピー屋を探しに車を出しますよ、という。その男性はカウンチサーフィンを使ってオランダ人カップルに寝床を提供している。

男性の車に乗り込み、コピー屋を探しに行く。その男性は運転をしながら、ラマダンは神と近づくから良い月です、でもラマダンの時期に断食をするかどうかは個々に決めればよいことなんですよと言った。ドイツやスイスを旅行したことがあり、来年には韓国や日本にも旅行を予定している。医者というと政府は信じてくれるので、ビザの申請も比較的楽なのだそう。

こうして無事にコピーを終えて、人々の殺到する小さな窓口の向こうにいる大使館職員に、ビザ申請のためのパスポートコピーとウズベキスタンビザのコピーを差し出し入れて、申請用紙も何も求められずに書いていないので、やや不安になりながらもとりあえず申請を終える。

近くの商店でサウジアラビア製レモン味のノンアルコールビールをぐびぐびとしていると、同じようにトルクメニスタンへのビザ申請を終えたイラン人の男性が店に入ってきた。これから米国に留学をする男性で、イランには米国大使館がないので、トルクメニスタンの米国大使館に行く必要があるといい、そのためのビザを申請したのだと言った。実際に渡航するときは、ドバイ経由で向かう。

メトロに乗って宿の近くまで戻り、パンをほおばり、ジューススタンドで隠れてメロンミルクシェークを飲む。日没までジュースを作らないジュース屋や、日没までアイスクリームをつくらないスイーツ屋がほとんどだが、時折蛍光黄色の暖簾の向こうで軽食を作っていたり、道から顔をそむけてちびちびとジュースを飲む人がいるものだ。

その後もバスのチケットを予約したり、両替をしたりとテヘランの街をあちらこちら歩いたり走ったりする。黒のヒジャブに黒のマーントーがどうにも暑い。こんな恰好で走る女性をこの街で見かけることはない。

日の長い夏の日の出から日没までを飲食なしでやり過ごすというのだから、身体を壊しても仕方のない気がするが、多くのイラン人はラマダンが身体に良いことだと信じている。科学的にも証明されているんです、と言う。そして、ラマダンはつらいけれど、神に近づける良い月だと肯定的に考える人も少なくない。

こうしてラマダン中に外出をしていると、とれる食事は売店で買い求められるお菓子かジュースといったところになる。何しろ外では隠れながら食べなければならないので、さくっと食べられるものに限るのだ。

そしてへろへろと宿に帰ってくる。すると、同じ宿に宿泊している韓国人親子が近くの魚屋で買ってきた海老や辛ラーメンの素などを使ってラーメンとスープを作っていて、勧められたので、いただく。宿の中でもロビーなどで食事をするのは咎められるが、部屋の中や人目につかないテラスでは許される。明るいうちにきちんとした食事がとれるというのは、うれしい。

今日はこれからバスに乗って、カスピ海近くの町、ラシュトまで向かう。ホメイニ師やアリ・ハメネイ師の肖像画のかかる地下鉄駅を抜け、Azadi駅からBRTバスに乗り換えてバスターミナルへ向かう。

黒いヒジャブをかぶって、黒いコートを着て大きな鞄をしょっているものだから、むきむきお兄さんが荷物を担ぎましょうかと声をかけてくれた。オーストラリアのメルボルンに6年前に移り住み、オーストラリアパスポートを取得したという。イランのパスポートは使い勝手もわるいし、捨ててしまったよ、と言う。

多くの女性はヒジャブを脱ぎ捨てたいと思っている。男性も髪を派手にたてたり、短パンをかぶったり、短い丈のTシャツはだめ。恋をうたうことや書くことは禁止されている。その男性はそう言った。

薄い月が浮かんでいて、アーザーディー・タワーが赤や水色、黄色と色を変えていく。

日の入りを迎えるころ、バスターミナルの職員たちは、一斉に食べものを片手に仕事をする。もぐもぐとして、飲み物をごくごくとし、時にはもう仕事は終わりにして奥のテーブルで男性職員のお茶会が開かれている。

テヘランではラマダン中21時からたいだいの食堂が開くので、移動が続くと食事を逃してしまう。買っておいたビスケットやパンをもぐもぐと食べるだけだ。

テヘランの都会の風景は途切れることなく続いていく。

ラマダン初日。 – Tehran, Iran

イランではインターネットに制限がかかり、Yahoo!やfacebook、ツイッターなどは通常開くことができない。だから現地の人も普通にVPNを使っている。イラン人はVPNを駆使して他の国よりネットを使いこなしていると豪語する人すらいる。

今日からラマダンが始まる。ラマダン中は食堂が閉まるばかりではなく、仕事をしない人もいるとか、仕事をする時間を短くするとか聞いていたものの、ラマダンだからといって、町がとたんにひっそりとするのではなかった。道路には、変わらず車が走り、その合間に多くのバイクが危なっかしいくらいに疾走し、歩道にもまたバイクが走っていく。水路には、メイド・イン・イランのコカコーラのペットボトルが捨てられてぷかぷかと流れていく。

イスラム教徒のパキスタン人だって、今日は体調が優れないといって、ラマダンは明日から。今日は宿でカレーをつくってノープロブレム。

スイーツ屋だって、魚屋、八百屋に肉屋、キャンディー屋にドライフルーツ屋だって元気に営業中。それでも、食堂は、その扉をかたく閉ざしている。

一軒のスイーツ屋に入って、植物の種が浮いているハークシールのジュースを注文すると、店の奥の隙間を指差して、そこで隠れて飲んで良い、と言う。

だから、黒い服着て、黒いヒジャブを頭にかぶり、身体がぎりぎり入る隙間に身をいれて、壁に向かってジュースを飲む。

ふと後ろを振り返れば、地元の男性二人もジュースを飲みに来ていた。二人は、わたしたちが身を寄せた隙間に入ることもなく、ただ道路に背を向けるだけで、ジュースをぐびぐび飲んでいる。

大きくて派手な黄色い蛍光色の暖簾をかけた店を覗けば、中には発砲の弁当箱が山積みになっている。聞けば、白米とスープのセット。シンプルなものしかもう売られていない。

こうして宿に戻り、昨日買っておいたシュークリームの残りをぱくりとほおばり、紅茶をすする。旅人の間では、韓国の即席ラーメンである辛ラーメンが売られていた店舗の位置情報さえあっという間に貴重な情報として出回る。

ラマダンは本当に始まってしまった。

こうしてイスラム教の色濃い国ではあるものの、街角で布を広げて祈る人がほとんどいない。女性も髪を出してはいけないものの、よく見てみると、髪を半分ほど出したり、あるいは後ろの盛ったところにちょこりとスカーフをひっかけているだけだったり、髪を染めていたり、ヴィトン柄の鞄をもっていたりと、遊び心が垣間見える。男性のファッションも、半袖ぎりぎりのラインがあると聞く。でも、スーダンのようなイスラムの白服を着る男性はテヘランにほとんどいない。

夕暮れ時のバザールは、店側は日没を待つかのようにそわそわと閉店の準備を始める。細い路地では店が続々とシャッターを閉めだし、道はごみで溢れ返る。スイーツやドライフルーツ屋の前には人だかりができている。

そんな様子をよそに、バザールの一角にある、ガージャール朝の寺院マスジェデ・エマーム・ホメイニは、静けさに包まれていた。

いよいよ日も暮れようとしているころ、道のわきでチャイを飲み始める人、ではそろそろ、というかんじで店に入って飲んで良いよと言いだすジューススタンド屋もある。

ずらりとイラン国旗の並ぶゴレスターン宮殿や、定番のホメイニ師とアリ・ハメネイ師のセットの肖像画の飾られた官公庁を歩く。

ひっそりとしていてほとんど人気がない中、開店の準備をする食堂がぽつりと灯りをつけている。20時半ころ、テレビや街に日没の合図が流れる。昼間はひっそりとシャッターを閉めていた食堂が開店し、続々と人々が入っていく。

道ばたでは、地元のコミュニティの人々によってチャイと角砂糖、それに甘いお菓子、Zoolbiaが配られていた。わたしたちもあちらこちらから手招きされる。ラマダン中は毎日日没後にこれを行っているんです、と街の人は言った。「政府はどうしようもないんだけど、人々がこうしてラマダンを自主的に祝うんです。」

政府はダメだけど、ヒトはとても良い。スーダンと同じようにイランでもこう人々が口にする。ロンリープラネットにも載っているというドライバーのおじさんは、イラン政府はテロリストで、人身売買だってやってるんだよと皮肉めいていた。

ラマダンが終わる日にちも月を見て決めるからはっきりとは決まっていないです、という人もいる。

お気に入りだった食堂はラマダン中は日没後もぴしゃりとシャッターを閉めていた。ようやく20時から22時まで開けているという食堂を見つけて、中に入る。塩味のヨーグルトドリンク、ドゥーグやひき肉のキャバーベ・クービーデと焼きトマト、生たまねぎのセットをオーダーする。ラマダン中はどの食堂もお祭り騒ぎのようになるかと思っていたものの、客はわたしたち以外に一組、ひっそりとしたままだ。

従業員も隣のテーブルで食事をすれば、とんとんと電灯を消していき、もう閉店です、と言った。

イランのカップルと宮殿散歩とおいしい夕飯 – Tehran, Iran

ラマダンは今日からだと聞いてきたものの、イランに入ってから、どうやら明日、21日から始まると耳にするようになった。月の様子を見て決めるそうで、国によってスタート日が違うという。

ラマダンに入ると、日の出から日没まで飲食が禁じられる。今年はラマダンが夏の暑い時期にあたり、日の出が朝の5時ころ、日没が21時ころと、日が長くてきつい年なのだとイランの人から聞いていた。昨日書店で会ったマリアンさんは、ラマダンは大変だけれど色々な思い出がより強く残るから好きなんです、と言う。

そんなマリアンさんが彼とともに、テヘランの北にあるかつてのパフラヴィー王家の夏の離宮、サアダーバード宮殿博物館に案内してくれるというので、メトロに乗って待ち合わせのGhods広場へと向かう。

二人は、彼の運転する車で広場まで迎えに来てくれた。1年ほど前に友だちを介して知り合ったという二人は、とてもお似合いだった。マリアンさんは美しく、2カ月後には大学院への入学が決まっている。彼は宇宙工学技術者として働いていて、その分野に強い米国で働きたいのだという。そして2年後のマリアンさんの卒業を待って、二人は米国に移住を計画している。お金がないのだけど、と付け加えた。

ただイラン人の米国移住はやはり難しいようだった。米国とイランは政府間で仲が悪いが、人の間は仲も良いのだとイランの人は口を揃える。米国の映画も見るし、米国への移住に憧れ、店には「オリジナル」とわざわざ書かれた本物そっくりのメイド・イン・イランのコーラもファンタも置かれている。

商店で買い求めたヨーグルトをほおばった後、そんな二人とともにサアダーバード宮殿博物館に入る。敷地内には緑の生い茂る中にいくつもの宮殿、博物館が点在している。

まずは、かつて王と王妃の夏の離宮だったメラット宮殿に入ってみる。建物内には20名のゲスト用の長テーブルが置かれたダイニングホールや待ち合い室、王のオフィスや行事のためのホール、それに音楽室といった部屋がある。室内にはチェコでしつらえられたクリスタルのシャンデリアが輝き、ドイツやフランスなどの食器や家具が並べられている。

美術館ではサファヴィー朝やガージャール朝の絵画もあり、王様の肖像画や若い女性や、ペルシア調のドレスを着る人々などが描かれている。だいたいの人が、眉毛が濃くてつながりかけている。

外に腰かけてマリアンさんが家から持ってきたナッツやキャンディーをほおばりながら、のんびりとする。マリアンさんは休日には書道と英語を学んでいると言い、俳句にもとても興味を持っていた。わたしたちは昨日買った俳句の本を取り出して読み上げる。彼が詩をつくってマリアンさんに捧げることもあるといい、イランでは恋人に詩を送るのは普通のことなのよと笑った。

マリアンさんたちが職場に戻ると言うので、別れを告げた後、緑の宮殿を回る。もともと大地主の建物であったものをシャーに売却したという宮殿。中は絢爛豪華、ぎらんと輝く儀式の間、ミラー・ホール、ダイニング・ルームにはイタリア製の革の天井に埋め込み式スピーカーが備え付けられている。米国のサクラ材を使ったテーブルや椅子、ドイツHeinrich社の食器、大理石からできた洗面所、目もさめるようなぎんぎらのシャーの寝室。     

建物を出れば、芝生では地元の人々がピクニックを楽しんでいる。

近くの食堂でチキンケバブやひき肉のケバブ、キャバーベ・クービーデに野菜のグリルとパンなどをほおばった後、近くのダーバンの丘まで歩く。エレベーターに乗って崖の上まであがり、そこからリフトに乗って、脚をぶらりと下げて揺られていく。

日本に17年住んでいたという、リフトの係員のイラン人男性に話しかけられ、日本で働いていたときに支払っていた保険料が戻ってこないのかと相談をされる。そして最近の日本の音楽を聴きたいんですとその男性は言い加えた。

リフトには地元の男性が一人で乗りに来ていたり、家族連れなどもいて、往復のリフトがすれ違うものだから向かいの乗客たちと陽気な挨拶が交わされる。

眼下には、くねりくねりとした山道に沿うようにチャイハネ屋や商店が並んでいる。頂上にもまたチャイハネ屋があり、若者たちが水たばこを楽しんでいる。射的場もあって、小さな子どもたちが親に教わりながら大きな銃を発射してみる。リフト係員さんたちの好意でリフトに乗ってニ往復した後、ファンタ・オレンジをぐびぐびとしながら、ヒッチハイクをしてTajrishの地下鉄駅に到着する。

今日はラマダン前最後の食事をしに、宿の近くのスイーツ屋で大きなシュークリームをまずほおばる。中は甘すぎないたっぷりのクリームがつまっている。

地下鉄に乗って、フェルドウスィー駅からほど近いレストラン、アヤーラーンに入る。ドーム状の天井の下、絨毯の上に座ると、食事を置くためのビニールが敷かれる。イランはアルコールが禁止されているので、近くの商店でざくろジュースを買ってきて、それに揚げたマス、マーヒー・グズルアーラーや、茄子のペースト、Halim Badmgan、それにソラマメを炊きこんだご飯、バーゲラー・ボロウをオーダーし、パンとともにいただく。最後には温かいチャイでしめる。イランでは、まず角砂糖を口に含めつつ、チャイを飲む。

店員が日本で仕事を探したいと言った。明日のラマザンからは、日の入り後の夜9時から11時までの2時間営業になるという。店を出るころには11時を過ぎていて、地下鉄の終電もなくなっていた。人気のない夜のテヘランのフェルドウスィー道をずっと歩いていく。明日からのラマザンがどうなるかと想像をしながら、今夜はお腹いっぱいにいただいた。

イランのテヘランで出会うトルクメニスタン大使 – Tehran, Iran

バスは9時ころにイランの首都テヘランの西バスターミナルに到着した。ここから市内バスに乗り、Darvazeh Dowlat駅でメトロに乗りかえて、エマーム・ホメイニ広場近くの宿まで向かう。道を聞けば、その場所まで地元の人々がついてきてくれる。イランは人が優しい、と旅人たちが口を揃えて言うその姿がバスを降りた瞬間から垣間見える。

バスもメトロも入口から内部まで男女に分かれている。メトロ内では女性が男性エリアに入ることには寛容なようだが、男性が女性の入口に近づこうものなら、係員に注意される。車内でも透明の仕切りが設けられている。バスはメトロ以上に男女がくっきりと分かれて乗車している。メトロの駅には祈りの部屋が設けられている。

そしてまたイランでは、イスラム法に則って女性は公の場で髪を覆うことが義務付けられていて、ヒジャブで髪を覆って、腰が隠れるほどの丈のマーントーをはおったり、全身をチャードルという黒い布で覆わなければならない。

宿に荷物を置いてから、宿の近くのGhahremaniレストランに入って昼食をとることにする。なにしろラマダンがもうすぐに始まるので、昼間にレストランでとれる食事の一つ一つがとても有り難い。

チキンをこんがり焼いたものとマスを揚げたマーヒー・グズルアーラー、それにまったりとしたバターがチーズのようにからまるバターライス、そしてバーベリーの実、ゼレシュクとサフランライスののった白いご飯に野菜スープ、それからぶつぶつのついた薄いパンに生たまねぎのセットをオーダーする。

テヘラン滞在の一番の目的は、トルクメニスタンビザを取得すること。トルクメニスタンというと、独裁国家というイメージで、ビザが取得できないこともあるとか、ツーリスト・ビザはツアーに申し込まないと取れないから個人旅行の場合はトランジット・ビザしかとれないとか、とにもかくにも不穏なうわさをよく耳にしていた。

しかもトルクメニスタン大使館の所在地情報が最新のものなのかどうなのかさえ、よく分からない。

そんなわけで、午前中で閉まるトルクメニスタンの大使館であるものの、一度下調べをしに遠路はるばる出向くことにする。

大使館までは、近ごろ延長された地下鉄で近くまで行くことができるようになっていた。でもこうして地下鉄が延長されようと、駅に掲げられた路線図は昔のままで切れているので、またややこしい。

最寄だと聞いていたTajrish駅も路線図にはのっていない。新しい駅だからのっていないということが、電車に乗って話しかけてきた家族の話で明らかになってくる。そのTajrish駅で下車をして、手書きの地図だけを頼りに大使館へと向かう。

すると、またイランの男性が、どこに行きたいのか、どこの国から来たのか、日本か、日本は良い、その場所まで連れて行きます、といった、イランの人々のホスピタリティ溢れる会話そのものを投げかけてくる。

その男性は、イラン人男性に課せられる兵役2年をあと2カ月で終えようとしている男性で、家族は今ドバイにいるのだという。静かにただてくてくとわたしたちを大使館まで送ってくれる。兵役は悪くない、と言った。

その男性の案内があってもなお遠回りをして1時間半ほど歩いた末にようやくトルクメニスタンの大使館に到着した。その扉は閉められていたものの、まだ大使館にいた職員が顔を出してくれた。トルクメニスタンの大使館員などと聞けば、国の印象そのものの、いかついふうかと思っていたら、意外にもフレンドリーなようすだ。

トルクメニスタンではソ連時代の影響もあってウォッカを飲むし、服装もイランほど厳しくなく「オープンな国です」と言う。そして、食べものも人もトルクメニスタンの全てが恋しいとその職員の男性は言った。

こうしてトルクメニスタンに対する印象をわずかに変えながら、メトロ駅まで、より短い道のりで歩いていくことにする。

話しかけてきた身体つきの良いおじいさんは、イラン航空のパイロットでもあり、レスリングのチャンピョンでもあるそうで、そのIDカードをみせてくれる。そして、わたしたちをバス停まで送ってくれて、いちごアイスまでごちそうをしてくれた。重い牛乳さえ持っていなければ一緒にバスを待つんだけどごめんね、と言いながら、家に帰っていった。付け加えるように、イランの政府はとにかく悪い、前の政府はまだ良かったのに、と言う。

その後も群馬に住んでいたイラン人2人や川崎に住んでいた人、大阪にいた人など、過去に日本に住んでいたイラン人に次々と話しかけられる。

大使館から駅までの道沿いにSayehBookという書店があり、立ち寄る。洒落た雰囲気の数人の若者たちが働いている本屋で、こちらが日本人だと分かると、俳句を読んでくださいと、俳句の書かれた書籍を開いた。そして、俳句、芭蕉、一茶、能や歌舞伎にも興味があるのだとまたモダンな髪型をした男性は言う。書店には俳句のコーナーが設けられ、英語やペルシア語に訳された俳句集が置かれている。

書店でアルバイトをしている女性と明日また会うことを約束して、本屋をあとにする。メトロに乗ってSaadi駅で降り、アイスクリームを食べながら歩く。イランのアイスクリームは美味しいと聞いていたとおりに確かに濃厚で、ミルキー。地元の男性同士だって、仲良くスイーツ盛りを食べている。

イランでは女性は髪を隠さなければならないのにもかかわらず、まだスカーフを持っていなかったので、今日は一日帽子をかぶってやり過ごしていた。だから髪を隠せるものを買うために、近くのバザールに向かう。路地には、さまざまな洋服が並んでいる。全身を覆うチャドルも試着してみたものの、どうにも暑くて動きがとりづらそうなので、黒いヒジャブとマーントーを購入する。マーントーは、やはり中国製。

フェルドウスィー通りをずんずんと南下し、夕食はエマーム・ホメイニ広場近くの食堂でいただく。チキンにピクルスやトマトにレタスのプレートと、ケバブのサンドイッチをオーダーする。イラン料理は味付けが濃いからか食べたあとに喉がかわいてくる。食後に近くの商店で「カナダ・ドライ」のオレンジ味のペットボトルを買い求めてぐびぐびする。メイド・イン・イランのカナダ・ドライ。炭酸が上品で、すっかり気に入る。