Top > ブログ

Uzbekistan

旅をするのが難しい国 – Khiva / Urgench / Mangit / Nukus, Uzbekistan

朝は昨日と同じように宿の絨毯の上で、プレートにのった茄子の炒め物とご飯、じゃがいもにきゅうり、トマト、それにパンとチャイをいただく。

日があがると急激に気温があがるので、バザールの周りにいる両替商たちもその姿を消してしまう。そうなる前に、両替商を探しに行く。バザールの近くに、ビニールの袋をぶら下げた人々があちらこちらにいる。

ウズベキスタンもまたかなりのインフレが起きているにもかかわらず、高額紙幣がないものだから、100ドルを両替すれば、それはぶ厚い札束になるのである。こうして両替商たちはぶ厚い札束を何束もビニール袋につめこんでいる。

今日はこれから、アラル海へ向かう中継地点、ヌクスへ向かう。

ヒヴァからウルゲンチまで1時間ほどバンに乗り、ヌクスへの中継地点、Mangitまでのバスが出ているライス・センター・バスターミナルへと小さなバンに乗って向かう。

Mangit行きのバス発車までまだ時間があったので、ターミナルの食堂に立ち寄り昼食をとることにする。オーダーしたプロフには黄色いにんじんや肉がのっている。トルクメニスタンで食べたプロフよりも油っこくなく、炊き込みご飯のようだ。

徐々に混雑していくバスに揺られること2時間、Mangitのバスターミナルへと到着する。ここからまたヌクスへの交通手段を見つけなければならない。ここから先はバスがあるとかないとか、本当の情報がつかめない。先ほどのバスで一緒だった男性も、来るか来ないか分からないバスを待つ。

ターミナルの陽気な人たちに囲まれ、ろばが荷物を引いていく中で、1時間ほど待ってもバスは来ない。今日はもうバスはないのだろうと考えて、ここからタクシーをつかまえてヌクスへ向かうことにする。

鉄の板をつぎはぎした橋、牛の通り過ぎる橋を渡り、たっぷりとした水量をたたえるアムダリヤ川を眺めながら、タクシーは進んでいく。渇いた土地でも、川の周りには緑がある。こうして1時間ほどでヌクスの街へと到着する。

泊まろうと思っていた宿を訪ねると、予想外の値段を告げられて、たじろぐ。宿の数の少ないこの街では、宿の料金と質のバランスがとれていないことが多く、満室だと言われた宿もある。どうしたものかと困っていたら、宿の中庭にJICAの青年海外協力隊としてこのヌクスの街に住んでいる女性がいて、わたしたちの宿探しを手伝ってくれた。いろいろと電話でかけあってくれて、ようやく見つけてくれたHotel Arzまでタクシーに乗って向かう。

交通手段も宿も、なかなかに旅をするのが難しい国だ。

ここは、ウズベキスタン領内の自治共和国、カラカルパクスタン共和国にある。JICAの女性が地元の人々と話していたのも、ウズベク語ではなく、カラカルパク語。カラカルパクスタン共和国に住む人々は、カザフスタンには好意があるもののウズベキスタンのことを快く思っていない人も少なくないと聞く。

こうして無事に冷房の効いた清潔で新しい宿に部屋をとる。夕食は、近くのディスコふうの店でテイクアウトをしてきた焼きそばのようなラグマン、それに大きなメロンとクッキーを合わせていただく。

ウズベキスタンのオアシス、ヒヴァ散歩 – Khiva, Uzbekistan

朝食は、宿の絨毯の上でいただく。野菜の炒め物にご飯、きゅうりやトマト、じゃがいもをふかしたものにパンにメロンなどがマットのしかれたちゃぶ台の上に運ばれ、それにお茶のポットと湯呑みがついている。また日本に近付いたことを実感する瞬間だ。シャワー室にもスノコが置かれている。

朝は涼しくそよそよと風が心地よい。

ヒヴァは、トルクメニスタンのクフナ・ウルゲンチが恵みを受けていたアムダリヤ川の流れが変わり首都が移されて、ホレズムの政治、経済、宗教の中心となった街。イスラムの聖都となって、敵を防ぐために二重の城壁が造られた。

昼食は、Choyxonasiレストランでピーマンにひき肉を詰めたものを野菜とともにトマトベースのスープにしたガルプツィに、肉と野菜のスープに入った麺、ラグマンをオーダーする。それをパンに浸しながら、いただく。二つのお皿の味に、たいして変わりはない。

内側の城壁に囲まれたイチャン・カラを歩く。

東門のパルヴァン・ダルヴァザ門から内城に入る。ここはかつて鎖につながれた住民や旅人、そしてロシア人が、奴隷としてトルコ人部族やカザフ族などに買われていった奴隷市場のあった場所だ。

そこから、アラクリ・ハーンによって1830年から1840年ころに建てられたアラクリ・ハーン・メドレセ、タシュ・ハウリ宮殿を通る。土色の建物にブルーのタイルがアクセントを加えている。アラクリ・ハーン・メドレセでは、ユネスコの運営する職工技術訓練センターがあり、水色や黄色に緑といった色が独特の模様にデザインされた布を広げた中で、洒落た格好をした女性たちがそれぞれに商品を作っている。

イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレットは、先進的な大臣であったために人気が出てハーンと聖職者たちの陰謀で殺された、イスラーム・ホジャによって建てられたもの。ミナレットはヒヴァで一番高い45メートルある。118段あるという急な木と煉瓦の階段をあがっていくことにする。途中に暗いところもあるものだから、慎重にあがる。

上からはヒヴァの街が一望できる。街に並ぶ土色の建物の天井には、ドームがいくつか並び、小さな穴が開いているものもある。人々の話し声やトントンと何かを叩く音、それにサイレンの音が聞こえてくる。土色の街の向こうには緑が広がり、そこからすっと煙がたっている。青い空には白い鳥が飛んでいく。

道を歩いていると、子どもたちからタタタと走ってきて、ペンやペットボトルをねだられる。久しぶりのことだ。

道ばたでは白やグレー、黒のもわもわの民族帽子が売られている。どうにもファンキーで暑そうにみえるものの、冬は暖かく、夏は涼しいんです、と売り子の女性は言った。

パフラヴァン・マフムド廟には、毛皮職人であり、詩人、哲学者、そしてウズベキスタンの武道、クラッシュの名手であったパフラヴァン・マフムドが眠っている。木の柱には細かな装飾がほどこされ、墓には、藍色のタイルが鮮やかに彩られている。

カラクム砂漠と町の出入り口であったタシュ・ダルヴァザ門まで歩いた後、ジュマ・モスクとミナレットを通る。モスクの中には木の柱がずらりと並び、一本一本違うという彫刻に光が照らされている。

さらに西へと進んでいくと、26メートルでぷつりと途切れたミナレット、カルタ・ミナルが彩釉タイルに覆われているのが近づいてくる。

ハーンの宮殿であった向かいのキョフナ・アルクの門の前には大勢の警官が集まっている。中に入ってみると、中庭のステージ上で口パクの子どもたちが誇らしげに歌いあげ、それに観客たちが盛大な拍手を送る。きらきらの衣装を着た子どもたちがばらばらの歌や踊りをみせて、それを親たちがビデオにおさめ、携帯で撮影していく。誰もが楽しそうだ。

かつて中央アジアで最も大きな規模を誇る神学校で、今はホテルになっているムハンマド・アミン・ハーン・メドレセに立ち寄り、西門のオタ・ダルヴァザ門からイチャン・カラを抜ける。

この国では闇両替と正規の両替レートと開きがあって、闇両替で両替するのが未だに一般的になっている。闇両替は、バザールの人々や商店の人々、それから札束を袋に詰めて歩いている人と交渉することになる。その様子はガイドブックにもきちんと載るほど。でも昼に両替レートを聞いていた商店に夜再度訪ねてみると、両替はできない、と店の防犯カメラを見ながら気まずそうに言う。

夜はその商店で買い求めた、外の固くて中のふんわりした食パンにたっぷりとバターを塗って、ファンタ・レモネードを合わせていただく。

夜遅くに、すっかりと日の落ちたイチャン・カラにもう一度ふらりと立ち寄ってみるも、そこは人の気配もなく、ぼんやりと明かりが灯され、あとはただ吠える犬が脅してくる場所へと変わっていた。わたしたちは、飲みかけのファンタ・レモネードの入ったペットボトルを放り投げて、犬の気を逸らそうと努めた。

ウズベキスタン入国と、のんびりごはん – Border with Turkmenistan / Urgench / Khiva, Uzbekistan

バンに乗って、小さな川をいくつか渡ること5分ほどでウズベキスタン側のイミグレーション・オフィスに到着する。バンを降りてトルクメニスタン側とウズベキスタン側それぞれの担当員にパスポートを見せる。そして、ウズベキスタンのイミグレーション・オフィスへと入っていく。

小さな窓口にパスポートを手渡して、ぼんやりとしていれば、何かを質問されることもなく、入国スタンプが押されて戻ってくる。

それからすぐ奥で税関申告書の用紙2枚を記入する。こちらもロシア語だけで書かれているのでなんのことやらさっぱりわからない。それでも例にならって記入を済ませて窓口へ持っていく。すると、1か所に記入間違いがあるから書きなおしなさい、と言って、書いた2枚の用紙を目の前でびりりと破いて捨て去る。ボールペンで横線で消してやり過ごす、というわけにはいかないらしい。

こうして新たに2枚の用紙の記入を終えてパスポートを手渡すと、しばらくして「ウェルカム・トゥ・ウズベキスタン」と言われて入国を済ませる。お手洗いは、床のアスファルトを叩き割ったようないびつな形の穴だ。

近くの売店で炭酸水をオーダーしてごくりとする。ここウズベキスタンでは無味無臭の水に炭酸を加えた炭酸水がよく飲まれている。商店の椅子に座らせてもらって炭酸水を飲んでいると、周りの男性たちはビールをジョッキに入れて飲んでいる。

近くの濁った川では子どもが遊び、山羊が草を食んでいる。

ここから、今日の目的地ヒヴァまで直行バスはないので、どう移動しようかと考えていると、経由地点ウルゲンチまでのバスが出ると言うので乗っていくことにする。

ろばののんびりと佇む道を1時間ほど走るとウルゲンチのターミナルに到着し、そこからデフカン・バザールまでのバスに乗り、バザールで再び乗り換えてヒヴァへと向かう。まわりの人々は、日本人のわたしたちに興味しんしんのようすでどんどんと話しかけてくる。

こうしてヒヴァに15時ころには到着した。まだまだ暑い。ここにも、さきほどのウルゲンチと同じように、お決まりのように鄙びた観覧車がある。

宿に荷物を置いて、ヌルッラバイ宮殿を過ぎたところに並ぶチャイハナのうちの一軒、ナウルーズに入り、絨毯の上に腰かける。

挽肉にじゃがいも、堅いハンバーグやソバの実のグレーチカ、それに挽肉とじゃがいもを詰めたマンティ、そしてナンをオーダーする。チャイを湯呑に淹れてすする。まわりに客もなく、とても静かだ。

食事を終えて、近くの商店で、まずはバニラにチョコがかかったアイスクリームの詰まったコーンを買い求めてほおばる。それにナッツのケーキも買い求めて、宿に持ち帰って食べる。

羊を飼う男の子たちが町中を歩いていく。

夜も更け、ちょうど良い具合に気温が下がってくる。今夜は宿の絨毯の上で眠る。靴を脱いであがり、蚊帳に身を包む。ナッツのケーキをほおばり、炭酸水を飲む。

そしてぶつりと電気が消えた。町の中がすっかり暗い。

トルクメニスタン-ウズベキスタン国境情報

トルクメニスタンのガスクレーターから、キューネ・ウルゲンチKonye-Urgench、ダシュオーズDashogusを経由して、ウズベキスタンのヒヴァKhivaに抜けるルートです。

1.ガスクレーター近くのチャイハネから、キューネ・ウルゲンチ行きの車をつかまえる。
 (※所要3時間、一人 TMT 15.00
   )
  
2.キューネ・ウルゲンチで一泊
  (※Urgenc Hotel 二人でUS$25.00 wi-fiなし。トイレ・シャワー共同、朝食なし。)
3.Urgenc Hotel近くのバスステーションから、ダシュオーズ行きの乗合タクシーに乗る。
 (※所要2時間 一人 TMT 3.00)
4.ダシュオーズのダショグズバザールDasoguz Bazarの近くから、国境行きのタクシーに乗る。
 (※所要30分、一人 TMT 2.00)
5.トルクメニスタン側で、出国カードを記入。
6.荷物をX線検査に通した後、出国カードを提出し、質問に応える。
7.出国審査窓口でパスポートを提出。
8.トルクメニスタン側の建物を出た後、ウズベキスタン側の建物に行くバスに乗る。
 (※所要10分 一人 TMT 1.00 or UZS 1000)
9.ウズベキスタン側で、パスポートを提出。
10.入国審査後、税関申告書を2枚記入し、提出。1枚を戻してもらう。
 (※次に行く国の欄は、ウズベキスタンと書くようです。
戻してもらった税関申告書は、出国時に提出するので、大事にとっておいてください。)
11.建物を出た後、ウルゲンチUrgench行きのバスに乗る。(※所要1時間 UZS 2,000 or TMT 2.00)
12.ウルゲンチのバスターミナルで降ろされるので、デフカンバザールDexkou Bozop行きのバスに乗る。
  (※所要15分 UZS 400)
13.デフカンバザールからヒヴァ行きのバスに乗る。
  (※所要1時間 UZS 1600)
14.ヒヴァの東門の近くに着きます。

◎両替
 トルクメニスタン側、ウズベキスタン側共に、国境では両替する場所がありません。