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Chile

チリ―アルゼンチン国境情報(オソルノ~サン・カルロス・デ・バリローチェ)

チリのオソルノから、アルゼンチンのサン・カルロス・デ・バリローチェ
(以下、バリローチェ)へ抜けるルートです。

※チリのサンティアゴからこのルートでアルゼンチンへ抜ける場合、
 プエルト・モンまで行くと、オソルノまで戻らなくてはなりませんので、
 プエルト・モン行きのバスに乗り、運転手・車掌さんにオソルノで降ろして
 もらうよう、伝えてください。

1.オソルノのバスターミナルから、バリローチェ行きの国際バスに乗る。
  C$11,300- 
  ※4社ほどありますが、一番左端のカウンター、TAS-CHOAPA社が一番安かったです。

2.1時間程でチリ側の国境に到着。チリ出国手続。
  パスポート及びチリ入国の際受け取ったツーリストカードを提出。無料。
  ※バスは手続が終わるまで待っててくれます。

3.チリ側国境から1時間ほどバスで走り、アルゼンチン側国境に到着。
  アルゼンチン入国手続。パスポート及びバスの中で配られたツーリストカードを提出。無料。
  ※トイレもあります。無料。
  ※入国手続の建物には時計がありませんので、アルゼンチンの時間を確認してください。
   チリがサマータイムを適用している期間は、時差はありません。

4.1時間半ほどでバリローチェのバスターミナルへ到着。
  ※バリローチェのバスターミナルには、ATMがありません。売店で両替ができます。
   C$125 = A$1.00でした。
  ※セントロに行くには、バスで10分ほどです。A$6.00
   一番左端のカウンターでバスチケットを買い、ターミナルの駐車場の方へ出ると、
   バス停があります。

◎両替
 チリ側、アルゼンチン側共に国境では両替できる場所がありません。
 バリローチェのターミナルの売店か、セントロまで行く必要があります。

チリの南へ、アルゼンチンを通って行く。 – Osorno to the border with Argentina, Chile

朝に目を覚ますと、膝の上に今度はぽんと朝食が置かれていた。クラッカー、溶けたチョコクッキー、それにネスカフェのインスタントコーヒーの粉に砂糖が配られる。添乗員のお兄さんは、既にてきぱきと働いている。しばらくして運ばれたお湯にコーヒーを混ぜ、朝食の包みに入っていたクラッカーをひたしながら、食べる。

外はようやく明るくなり始め、霧がかかっている。サンティアゴで30度近くあった気温も、既にバスの表示には外気11度と記されている。

今回の最終的な目的地である南部パタゴニアまでは、プエルト・モンまで行かずとも、もっと近いOsornoで乗り換えれば良いと添乗員の男性が笑顔で教えてくれたので、Osornoという街でバスを降りることにする。

やや冷んやりとしたターミナルでは、コーヒーやミロ、紅茶の入ったカップを高くまで積み重ねてお腹に抱え、お湯のタンクとともに売り歩く男性たちがいる。

ここから南のパタゴニアへバスで行こうとすると、いずれにしても一度アルゼンチンに入ることになる。チリの南部はフィヨルドが続き、なかなか厳しい道のりなのだ。そこで、Osornoからバスの出ているアルゼンチンのサン・カルロス・デ・バリローチェまでのチケットを購入する。

おじさんから買ったミルク入りミロが、湯気をたてながら身体を温めてくれる。Tas Choapa社のバスはやはりほぼ定刻の10時15分ほどに出発をする。

こちらのバスの添乗員おじさんもまた気さくな男性だった。しばらく走ると、オートミールに林檎の粒の入ったクッキーにインスタントコーヒーがセットに包まれたものが配られる。そして、乗客一人一人にお湯を配っていく。アルゼンチン入国に必要な書類もまた各自に渡される。

屋根が三角にとんがり、茶や水色、黄緑色や桃色に塗られた木造の家が立ち並んでいる。しばらくすると、川を渡り、立ちこめる雲の下で木々の生える大地が広がっていく。

牧場で牛や羊がのんびりとしている。色のはげた木の家や教会が、のどかにぽつりぽつりと点在している。右手遠くのほうには先が尖り、雪をのせたオソルノ山が見える。辺りには、とうもろこしや苺、林檎、そしてクランベリーやブラックベリー、ラズベリーなどが植わっている。

やがて左手にプイェウエ湖が見えてくる。明るく青い空に白い月がうっすらと浮かんでいる。

12時前には、木で作られた大きな小屋のようなイミグレーション・オフィスに到着した。チリに入国した際の書類を出して手続きを終えてこちらがお礼を言うと、「ありがとう」と礼を返されるほかは、何の問題もない。

悪魔の住む蔵をもつワイナリー - Santiago, Chile

朝食は、太陽の光を浴びながら、宿でトーストしたマフィンにサラミとチーズをはさんでほおばる。苺やベリーのヨーグルトを食べて、フルーツには梨や林檎、バナナにオレンジ。ドリンクはミルクを入れたコーヒーをいただく。

宿を出ると昨晩とはうって変わって、宿の下のアルマス広場に面した通りにはホットドッグやハンバーガーなどのファストフード店が営業を始めており、レストランや食堂、店も元気に活動をしている。

広場からほど近い中央市場に行く。ここではウニやサーモン、アナゴにマグロ、コルビナというスズキの一種などが店頭に並び、その魚の匂いも、日本の魚市場とひどく似ている。時折「うに、うに」と日本語で声をかけられながら、「日本人か韓国人か中国人か」「東京っていうのは島なのか」と問いかけられながら、促されるままにレストランChristiancitoに入り、「うに」をいただくことにする。

大皿のウニに、刻んだコリアンダーやたまねぎのSalsa Verdeがのっている。さらにトマトなどを加えたぺブレに大きなレモン、そしてパンが添えられている。ウニをスプーンですくって口にすると、そのウニの味はわずかささやかで、口の中でその風味を探しにいくことになる。

やや水っぽいウニに、添えられたサルサをかけてみると、ちょうど良いあんばいになるものの、もはやウニの味はほとんど絶え、食感だけがややウニらしい、といったぐあいになる。

今日は午後にカッシェロ・デル・ディアブロ・シャルドネなどを提供している南米最大級のワイナリー、Bodega Concha y Toroを訪ねるため、サンティアゴから地下鉄とバスに乗っていく。

中央市場から最寄りの地下鉄、プラザ・デ・アルマス駅に行くと、何やら人だかりができていて、カメラマン風の男性が一人、ボディーガードらしき男性が一人いる。手入れの行きとどいた白い髪、適度に肉のついた身体が、ぴしりと着こなした紺のスーツと薄いブルーのネクタイによく似合っている。聞くと、チリの現大統領である、Sebastian Pinera氏だという。

柔らかい笑みをたたえたまま、求められるままに握手を交わし、一人ひとりに声をかけていく。しばらくして、トヨタ車レクサスに乗り込んで去っていく。

地下鉄に乗って、まずは南東のBellavista de la Florida駅まで行く。徐々に郊外に向かい、家々の向こうに茶色の山が見えてくるものの、四方を山に囲まれたこの街を悩ませる空気汚染によって、それらは霞んで見える。

そこからメトロバスに乗り換えて、ワイナリーへと向かう。  

モスグリーンやオレンジ色といったかわいらしい木の窓枠の家々が並ぶようすはさながら米国の郊外だ。それにぽつりぽつりと中華料理屋がある。プラスチックでできた花を売る男性がバスの中につかつかと入ってきて演説を始める。

林檎をかじりながら、1時間ほど走ったところでワイナリーの門の前へと到着する。

落ち着いた風格の大きな門に、Concha y Toroとまた大そうに書かれている。頭にサングラスをのせ、真っ赤な口紅を塗った綺麗な女性が受付をする。1時間ほど見て回れるツアーに参加することにする。

明るい庭を進むと、Vina Concha y Toroと書かれた門にたどり着き、そこをくぐり、まずはワイナリーに関する紹介がある。そして現在は事務所として利用されている家を回る。綿毛がふわふわと飛んでいる。

Concha y Toro社は1883年創業、ラテン・アメリカ最大のワイナリーで、現在はアルゼンチンと米国にも進出し、合計5千名が働いている。

Chardonnay、Pinot Noir、Merlot、このワイナリーで有名なCabernet Sauvignon、そしてCarmenereなどの葡萄畑を見て回り、時折葡萄の房をつまんで口にする。ここでは26種類の葡萄を栽培しているのだという。

それから白ワインであるシャルドネ100%であるカッシェロ・デル・ディアブロ・シャルドネ2011のテイスティングをする。

ガイドの女性は、まずは色を見て、それからグラスを傾けて、嗅ぐ。それからテーブルの上に置いてぐるりぐるりと回す。そして再度香りを嗅ぎ、パイナップルの香りがしませんか、と問いかける。

グラスにワインの流れた跡が残る。アルコールが高いほどゆっくりと流れるのだという。これをワインの涙といい、ロマンチックでしょう、と笑った。

そこから、樽の積まれたひんやりとしたワインセラーへと入る。ここではフランスと米国の樽が使われおり、3回、6年間しか使用しないのだという。

更に地下には1850年以前に建てられた「悪魔の蔵」がある。蔵は、卵白と砂とライムと石でできたカリカントで作られ、過去の大地震にも耐えてきた。かつて美味しさのあまりにワインを飲んでしまうスタッフがいたので蔵に悪魔が住んでいるという噂を流したのだそう。当時スタッフたちはその噂を信じたという。

その後、今度はMerlot70%、Cabernet Sauvignon15%、Carmenere15%、樽で11か月寝かせたtrioワインのテイスティングをする。という。

先ほどと同じような一連の儀式を済ませ、今度はチョコレートの香りがしませんか、と問いかける。

最後にMarques Casa ConchaやLate Harvestといったワインの売られているショップに立ち寄る。

その後、再びカメラケースを探しに街へと戻る。カメラのアクセサリー類は最近電気屋よりもショッピングモールで売られていることも多いというので、電気屋やモールを見て回る。モールには大型の電気屋やソニーショップもある。でもカメラケースというのはやはりほとんど見つからず、Ripleyのショップでカメラバッグを購入をする。

そうこうしているうちに次の街、プエルト・モン行きのバスの時間がせまってきた。Universidad de Chile駅からメトロに乗り、Universidad de Santiago駅にあるターミナルへと急いで向かう。

発車時刻の10分前に到着したものの、窓口の男性はもうチケットは売れない、と言う。どうしても乗りたいなら、隣のターミナルに行きなさいと言われ、前のめりになりながら、隣のターミナルへと移動する。

はたはたと急いで歩いていると、別のバス会社のプエルト・モン行きもあることが分かり、そちらに乗ることにする。

おかげで5分ほどの余裕ができたので、売店でコンボセット1を買い求める。パイナップルのジュースに、チーズとハムのはさまったハンバーガー、それにチョコのウエハースがついている。

しばらくすると、プラスチックの皿に乗った夕食が配られた。ややぱさついたチーズとハムのサンドイッチに、バニラのウエハースにチョコパイ、チョコクッキー、それにネスカフェインスタントコーヒーの粉。先日乗ったPullman社には食事のサービスがなかったので、てっきり食事はつかないものかと思っていた。

こうして無事にサンティアゴの街を抜け出した。

スーツとカフェの洗練された大都会 - Santiago, Chile

朝の9時前にはサンティアゴのターミナルに到着する。最寄りのEstacion Central駅からメトロに乗って、旧市街方面へと向かう。朝の9時という時間からか、電車はぎゅうぎゅうと混み合っている。

連れ去られたカメラと同じ型のカメラを買いに大都市、サンティアゴの街へと繰り出す。アルマス広場にあるインフォメーションセンターにも情報を探し求めに行くと、そこではインターネットを使った検索もしてくれ、そのうえ、それをプリントアウトしてくれたり、電話機を借りることだってできるのだった。

サンティアゴはただ大きいだけの都市ではなく、きわめて洗練されている。スーツを爽やかに着こなす男性も多く、モダンなカフェ・スタンドでコーヒーをたしなんでいく。ボリビアまであちらこちらに見かけた山高帽に三つ編みのふっくらおばちゃんたちは、見かけていない。

Castanoという、明るく清潔で洒落たコンビニ風ストアで、Maxibonというアイスを買って、店内にあるカウンターに腰掛けて食べる。チョコクッキーサンドに、ナッツの入ったチョコバニラアイスをくっつけたもので、なかなかボリュームがある。

サンティアゴで電気屋の多い旧市街のPaseo Ahumada通りを歩き、falabellaストアで持っていたものと同じ型のカメラを購入する。価格は日本で購入する1.5倍ほどするが、北米市場向けの名称に変わっているほかは、全く同じものである。チリの物価はアルゼンチンに匹敵するものがあるが、電気製品は安価だといい、同じ宿に泊まるアルゼンチン人の男性は、チリにパソコンを買いに来たのだと言った。

ただ、日本で買ったカメラケースと同じものは、どうやらチリには売られていないのかもしれない。

昼食は、アルマス広場に面した食堂Ravera Pizzariaで、Pastel de Chocloをオーダーする。鶏肉にとうもろこしを潰したもの、オリーブ、にんにくやひき肉を炒めたものをのせて、とうもろこしの粉でつくった生地をかぶせて、オーブンで焼いたものである。それをパンとともにいただく。

アルマス広場では中央にチェスを楽しむ男性たちがいて、サンティアゴの基礎を築いたペドロ・デ・バルディビアの騎馬像やスペインから独立を果たした記念碑が置かれている。

広場に面したサンティアゴ大聖堂では、人々が告解を行い、黒服を着た男性が脚立にのって灯りの手入れをし、木像のサン・フランシスコ・ザビエルが置かれ、17世紀の銀のランプが吊るされている。1541年にスペインの遠征隊が入ってきた際に、町の中心にまず教会を建てることが計画されて、1558年にこの大聖堂が建てられたという。

聖具安置所には「最後の晩餐」があるといい、その場所を尋ねると、教会の男性がひそかに別棟にある部屋へと連れて行ってくれた。セレモニーの際に使われるという趣のある木製の聖具が置かれ、宗教画が何点か飾られ、その中に最後の晩餐もかけられていた。隣の部屋では、エプロンをつけた女性がコインをまとめて袋詰めしている。

それからもサンティアゴの町を、カメラケースを探し求めて、歩く。教会の前では地面に宗教画を描く男性がいて、道端には絵を描いたり、タロット占いや手相師などが軒をつらねている。ところどころに馬に乗った警察がいる。

大統領府として使用され、かつてアウグスト・ピノチェトによる軍事クーデターの舞台となったモネダ宮殿前の憲法広場には、スーツを着た男性が子どもをあやし、カップルが寝そべり、いかにも賢そうな犬が座っている。

この日はカメラ・ジャケットが見つからないまま、夜が更けていく。用事を済ませていたら、23時過ぎになってしまい、夜は店が早くに閉まる旧市街の街はひっそりと暗く静まり返っている。

夕食をとりに街を歩いていると、さすが中華料理、ここでもやはり夜遅くまでやっているのはたいてい中華料理屋なのであった。

大きな音楽をたてて、派手やかなイルミネーションを灯しながら、客を集めていた中華料理店「Casa China バー・パブ・レストラン」に入る。チーズとハムの入った春巻きに、クリスタルビールの1リットル瓶をオーダーする。ややくせのあるビールに、さくっとした春巻きがよく合う。

アルマス広場に面した宿に戻ると、大きくてまんまると太った黒い犬が、さきほどと変わらずに玄関で寝そべっている。6階にある宿までは、古びたエレベーターに乗って上がる。

常にエレベーターには男性のオペレーターがいて、階数のボタンを押し、乗客が降りるときには、鉄の扉とその向こうの木の扉をがしゃりがしゃりと開けるのであった。

時速抑制バス – Calama to Santiago, Chile

朝はタクシーに乗ってターミナルへ向かい、10時のバスでサンティアゴに向かうことにする。宿の前では、ベビーカーをひいた女性たちが歌を歌っている。日も出て明るいターミナルには、もうあの男性は、いない。

改めてサンティアゴ行きPullman社のバスに乗り込み、売店で買ったナッツの入ったチョコをつまむ。回ってきた用紙に氏名と電話番号、住所と行き先などを記入していく。

乾いた大地に、貨物列車が走っていく。やがて前方に海が見えてきて、バスは港町であるアントファガスタの町へ到着する。そこから左手は荒れた丘、右手には海が広がる道を南下していく。

海は低い岩にぶつかり、しぶきをあげる。海沿いにはリゾートホテルが並び、あちらこちらに車が停車し、テントが張られている。

しばらくバスは海沿いを走った後、また何も生えていない茶けた丘の連なる陸へと戻っていく。時折国旗や電灯などで飾られた十字架を道のわきに見るほかは、荒涼とした土地がただひたすらに続く。

昼食には、バスを降りたところの売店で焼かれていたチュラスコを買い求める。チリでは、おおぶりの牛肉が鉄板で焼かれ、チーズとともにパンに挟んで食べる。

「青年汽車」と書かれた中国製バスには、ところどころ中国語の注意書きが記されている。前方の電子掲示板には常に時速が表示されている。ほとんど時速90km前後を保っているが、時折100kmを越えると、車内にぴーぴーと電子音が鳴る。バスはするとそっとスピードを緩めてまた100km未満へともっていく。

黒地に赤い電子表示が流れる。「車内の手荷物の管理はお客さま自身の責任でお願いいたします。」

乾燥したアタカマ砂漠を縦断し、22時ころにはコピアポのターミナルに到着する。まだ汚れも目立たないバスでも、洗浄しに行くといって、15分ほどの休憩になる。ターミナルのわきの屋台で売られていたエンパナーダ・デ・ケソを買い求めてかじる。

黒い大きな犬たちが、周りでそれを狙っている。