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Argentina

アルゼンチン一家訪問 – Cordoba, Argentina

朝起きると、砂糖の入ったコーヒーと、チョコにキャラメルの入ったパイ、Guaymallenが配られる。

7時半にはコルドバのターミナルへと到着する。外は暖かく丁度良い気温を保ち、新しいターミナルは、整っている。

ターミナルの座席に腰をおろし、あたたかいコーヒーと、昨日夕食に配られたハムとチーズのセットとパイや飴をほおばる。

今回コルドバに来た目的は、パナマ・シティで出会ったコルドバ在住の男の子、エステバン君の家を訪ねることだった。エステバン君、若干16歳ではあるものの、全く大人びていて、賢い。言葉を学ぶことが大好きで、将来は客室乗務員、その後パイロットになりたいという。パナマ・シティにはお父さんと二人でなかなかに冒険的な旅行をしに来ていた。

米国とコルドバを行き来するお姉さんがいて、旅人の交流を促すカウチサーフィンをしてきた影響もあり、パナマ・シティを離れてからも、幾度も家に遊びにくるように誘いをもらっていた。

ターミナルから出ているSarmiento社のバスに乗り、フランスパンにDulce de Lecheをぬりながら、それをほおばり、家へと向かう。バスの走る道の途中、運転手にお願いをして、エステバン君の家の近くで降ろしてもらう。

大通りに面したマクドナルドから住宅街に入っていく。てくてくと歩いていると、サングラスをかけたお父さんが赤いフォルクスワーゲンに乗っているのとすれ違い、陽気な挨拶が始まる。

家にたどり着くと、米国から2日前に帰ってきたばかりというお姉さんもいて、学校から帰ってきたエステバン君たちも含めて、家族みなで昼食となった。

鶏肉のカツに、バターをからめたパスタ、それにオレンジジュースや林檎ジュース、デザートにぶどう、最後に、パナマで買ってきたというコーヒーに、お姉さんが米国で買ってきたというマシュマロをのせていただく。

アルゼンチンでは、海外に興味を持っていたり、英語を話す人はそれほど多くないというから、エステバン君一家はなかなか稀な家族なのかもしれない。お父さんは軍隊で機械工として働いていたが、定年で退職をした。フォークランド紛争の際にもお父さんは戦地へ出向きたいとおもっていたところ、お母さんから反対されて、やめたという。

来週の休日が続くセマナ・サンタ、イースターや、冬の休みにも、家族みなで長期の旅行を予定しているというから、家族の仲が良い。

昼食はたいていエステバン君の学校が終わる14時過ぎに家族そろって家でとり、夕食は22時か23時ころにとるという。眠りにつくのが24時ころというから、夕食をとってすぐに寝ることになる。

郵便局やら文房具店やらに立ち寄ってから、夜、コルドバへの街中へとエステバン君が案内してくれる。

街の中心までトロリーバスで向かう。バスのチケットに書かれた数字を足し合わせて、アルファベットを頭からその数ぶん数えた文字が、次の恋人のイニシャルだと、エステバン君が教えてくれる。

ショッピングセンターのPatio Olmos io!から、Hipolito Irigoyen通りを歩き、かつての刑務所を改装したBuen Pastor、二つのうち片方の尖塔のみが伸びるカプチーノ教会、エビータ博物館、エスパーニャ広場と歩いていく。

イルミネーションの灯された塔は、政府の無駄遣いだとエステバン君は、冷静につぶやく。

教会では結婚式が行われ、ちょこりとリボンを乗せた車が走っていく。

街にはピンクのドレスを着た女の子が歩いている。15歳になったお祝いをした女の子だといい、最近では米国のディズニーランドに友だちと行く女の子も増えているのだそう。男の子は18歳で成人のお祝いをするという。

飛行機が頭上を飛んでいく。その光を見て、エステバン君は航空会社を言い当てる。

有名なロミート屋だというBetosに入り、夕食をとる。メニューから、勧められたBeto’s Lomoを注文する。ふわりとしたパンに、ビーフやトマト、レタス、卵、ハム、チーズをはさんでマヨネーズをかけたものだ。それに、フライドポテトとスプライトを合わせる。

途中、女の子が一人一人のテーブルにカードを渡しに来る。こうして子どもに仕事をさせ、時には盗みを働かせる親もいるという。

だから、エステバン君は、誰かが優しく道で声をかけ、手助けをしてくれようとしていても、常に警戒をするという。

携帯電話を盗まれてからは古い携帯電話をあえて持つことにしたのだそう。そして、再度男性に囲まれてポケットのものを出すように言われた時、古い携帯電話は「それは要らない」と持ち去られずに済んだ。

店に入ったときには既に22時を回っていて、出るころには23時半、それでも徐々に客は増えていき、23時半でもほとんどの席は埋まり、人々はロミートにビールを合わせたりしている。

南市場を通り、サン・マルティン広場に向かう。広場に影を落とした模様を描くカテドラルとその横に、18世紀に建てられた旧カビルド(市議会)があり、イルミネーションがほどこされている。

家に帰ると、お姉さんがたくさんの友だちを家に招き、米国から持って帰ってきたチョコレートの土産物とともにパーティーを開いていた。

こうして盛り上がり続けるアルゼンチン一家の夜が更けていく。

言葉はアイデンティティそのもの。

他の国の名前を勉強することは、
他の国の人の考えを理解することにつながる。

もし他の国の人間になりたいのであれば、言葉を勉強するのが、
第一歩だ。

ただ、言葉だけでは十分ではない。
今生きてる世代だけで、他の国の人間になるのは不可能だ。

今の世代で他の国に行き、その子孫がその国に徐々に根付いて
はじめて、その子孫がその国のことを理解できると、僕は思う。

洗練された、肉とキャラメルの街 – Buenos Aires, Argentina

今朝は宿でトーストしたフランスパンにちぎったチーズや苺ジャムをのせて、紅茶とともにいただく。ぽかぽかと陽があたり、洗濯物がひらひらと風に揺れている。

アフリカ行きチケットについて尋ねるために、宿からほど近い南アフリカ航空やTAM航空のオフィスへ立ち寄る。窓口の女性は美人で、仕事が的確だ。

世界一幅が広いといわれている7月9日大通りには、何車線にも車が走り、その先に白いオベリスコがにょきりと立っている。

フロリダ通りからViamonte通りを曲がり、新しい港、プエルト・マデーロ地区へと向かう。ここは保税倉庫街を再開発したところで、ドックに面してレンガ造りの旧保税倉庫がたっている。洗練されていること、はなはだしい。

ドックを渡ったところにモダンなヒルトン・ブエノス・アイレスがあり、その裏に、パンにチョリソーをのっけたチョリパンを売る屋台がずらりと並んでいる。

それはまるで、高層ビルと緑が隣接する皇居近くを通り、臨海の再開発地区である東京の天王洲アイルにたどり着き、橙色の灯をともす歴史的建造物、横浜の赤レンガ倉庫をぬけて、都会の中にある明治神宮外苑にチョリパン通りがある、といった趣だ。どうにも既視感がある。

静かなドックには何棟ものオフィスビルが立ち並び、ボートが停泊している。夕暮れに向かうにつれて、空は徐々に淡いピンク色に染まり、ヨットクラブには一艇のヨットが着いて一人の男性を降ろしていく。

旧保税倉庫を改装したレンガ造りの建物には、アルゼンチン料理やイタリアンレストラン、T.G.I. Friday’sが軒をつらねている。どこもあたたかい灯がともり、爽やかな風のふくテラス席にはビールやワインを飲みながら、会話を楽しむ人々がいる。

身体にフィットした紺のスーツに赤いネクタイをした男性が携帯を片手に歩いていく。
仕事帰りふうのカップルが手をつなぎながら、歩いていく。
ジョギングをしている人もいれば、ローラーブレードを脚につけて集まる若者もいる。

大層な高層オフィスビルの裏手に並ぶチョリパン屋台の中で、お勧めをしてもらったLa Parrilla de Amparitoを目当てに、ぐんぐん進む。

黄色い店構えがほとんどのチョリパン屋の中で、ここは店が青く塗られているので、よく目立つ。24時間開いているというその店にたどり着いたときには、さばさばとした中に可愛らしさのある短髪の女性から、たっぷりとした身体つきの陽気な男性に、ちょうど交代する時間だった。

黒いエプロンをかけた男性は、大きなチョリソーとパンを網にのせる。もくもくと煙が立ち上がる。焼きあがると、パンにチョリソーをぽんとのせて、渡してくれる。

それを手に持ち、手前の冷蔵のガラスケースに入った惣菜から好きなものを選んで、チョリソーの上に盛る。

マヨネーズのかかったコーンや野菜、たまねぎやナスのマリネ、レタスやトマト、フライドチップをこんもりとのっけて、上からマヨネーズやケチャップ、チーズやマスタード、サルサ・ゴルフなどをぶっかける。

それを口をいっぱいに開けて、もぐもぐとかじる。

すぐそばには、高層ビルが立ち並び、反対の側には、野生の動植物の自然保護地区が広がっている。

今夜22時15分にコルドバへと発つバスに乗るため、すっかり満たされたお腹を抱えて、ターミナルへと急ぐ。左半分を光らせた月がぽかりと浮かび、その下を、新しい造りの電車が通っていく。

街では、昨晩と変わらない場所で、今日もタンゴが踊られている。ターミナルの裏手にはスラムがあって治安が良くないというので、レティーロ駅を抜けて、慎重にターミナルへと歩く。

El Practico社でチケットを購入し、Capilla del Monte行きのバスに乗り込む。MAERSK社のコンテナが並ぶ道や空港をぬけ、バスはコルドバへと向かう。

15分ほどすると、22時半という時間にもめげずに、添乗員の男性が夕食を配り始めた。ハムとチーズをはさんだサンドイッチに、キャラメル味のパイに飴、そしてマヨネーズがついている。ドリンクはコカコーラ。

密封包装されたプレートの上で、サンドイッチは二つ並べてぽんと置いてあり、唯一の違いはパンの素材だけである。前回のバスでもじゃがいものソテーに、じゃがいものグラタンがついていた。

二つのサンドイッチ。なぜ、ハムとチーズという全く同じ食材をはさんでいるのか。それなら、なぜ同じパンを使わず、違うパンを使うのか。気配り、なのか。

知る由もない。

さきほどのチョリパンですっかり満腹な22時半、配られた夕食はしまっておくことにして、眠りにつくことにする。周りの乗客もみなほとんど夕食に手をつけていない。

こうしてアルゼンチンでは、肉とキャラメルの日々が続く。

高速道路に乗って、バスは月とともに走っていく。

ブエノス・アイレスという街 – Buenos Aires, Argentina

朝目を覚ますと、バスは既に大都会に入ってきていた。朝日がオレンジ色に光を放つ中、ビルは高く伸び、鉄道はまっすぐに引かれている。色鮮やかな建物の並ぶボカ地区ではごみ収集が行われ、朝の空気に包まれている。各国で見かけたClaro社も、ここではひときわ高いビルに赤いロゴをでんと構えている。

コーヒーや紅茶、パイケーキのセットが配られたので、コーヒーミルクを作って、朝食をいただく。

1時間ほど都会らしい風景が続き、バスはくねりくねりと高速道路を走り、7時半にはターミナルへと到着する。

そばの国際中央郵便局で用事を済ませた後、レディーロ駅が面するアルゼンチン空軍広場、サン・マルティン広場と緑豊かな公園を歩いていく。

アルゼンチン空軍広場には、アルゼンチン独立100周年を記念してイギリス政府から寄贈されて1982年のフォークランド紛争のときに標的にもなった英国塔が建っている。塔の前を男性二人が馬に乗って悠々と去っていく。

ふいに人のよさそうな中年の女性が話しかけてくる。「鳩のふんが鞄についてますよ。ほら、服にも。拭いてあげますから、そこに鞄を置きましょう。」

わたしたちそれぞれに男性と女性がついて、同じように黒くついた液体を「拭いて差し上げましょう」と誘われる。見るからに良い人たちで、ふとアルゼンチンの鳩のふんは黒いのだと思ったものの、警戒して、大丈夫なので結構です、とそそくさと逃げる。

サン・マルティン広場には、1812年にアルゼンチンを訪れて南米解放の戦いに向かったサン・マルティン将軍の騎馬像がたっている。晴れた空に、飛行機が何機も飛んでいく。

ブエノス・アイレスは、建物の高さや道の広さ、店の在り方が、東京と似ている。歩いていると、新宿の花園神社近くを歩いている気分になったり、銀座の中央通りを歩いている気分になる。どことなく、似ている。

アルゼンチンでは”y”や”ll”が「シ」という発音になる。インフォメーション・センターの長身男性も優しい笑顔でシャーシャーと言う。

宿に部屋をとって、オーナーに「黒い鳩のふん」の話をすると、このぶっかけ盗難、ここ1年頻発しているのだという。特に土日にこの犯罪は多いといい、「やられましたか」という具合である。緑の多い明るい公園でも、歩いてはいけません、と言われる。

ここアルゼンチンは大統領が変わると、人々の生活が変わるのだという。現在は協同組合寄りの大統領だということで、関わりある人々の賃金は高く設定されていて、不公平感がただよっているとも聞く。ブラジルの治安がやや良くなっているのに比べて、ブエノス・アイレスの治安は最近特に悪いという。

鞄のカバーやジャケットのわきにかけられた「黒い鳩のふん」は、酸っぱい匂いを発し始めている。

チリでカメラを持ち去った男性も、今日話しかけてきた女性も、見事に善良な見た目をしているから、おっかない。

日の当たる宿のテーブルで、紅茶を淹れ、トーストしたパンに、チーズやキャラメルペーストDulce de Lecheをつけてかじる。

近いうちに南米を離れてアフリカへ飛ぶ予定なので、いろいろと調べものをしていると、ブエノス・アイレスから今朝発ち、ブラジル経由でマダガスカルへ行くつもりだった女の子が、ブラジルビザがないために経由ができず、結局飛行機に乗れずに宿へ戻ってきた。

チケット発券の際に、ブラジルは経由地なのでビザは必要ない、と言われたのにもかかわらず、飛行機がブラジルの国内ターミナルに到着して、国際ターミナルへ移動するのにビザが必要だ、ということになったという。

まったく、ひどい話だ。

たいていのレストランは20時以降に開くというので、20時を過ぎて、夕食をとりに外へ出る。洒落た街角では、ジャズが演奏され、タンゴが踊られている。

メイン通りのコリエンテス通りの向こうに見えるオベリスコを見つつ道を渡り、カフェや書店、レストランなどの多いフロリダ通りを進む。

レストラン以外の店は徐々にシャッターを閉めつつある。Musimundo店でDVDを買い求めた後、「映画館通り」と呼ばれるラバージェ通りをてくてくと歩く。

フランスのカフェ文化と、米国のシネマ文化に東京の銀座、新宿文化が入り混じっているふうに見える。ここでは教会だって、映画館のようにモダンな造りだ。

道を歩いていると、幾人ものレストランの客引きから声をかけられる。その中の1軒、La Casona del Nonno Lavalle 827に入る。テーブルに赤いギンガムチェックと白のテーブルクロスがかかるビストロふうの店内は、さまざまな年代の男女が、ゆっくりと食事を楽しんでいる。

皿にこんもりと盛られた肉の塊に、多くの人々がワインを傾け、幾人かがビールを飲んでいる。

サーロインステーキ、Bife de Chorizoとフライドポテトとサラダ、それにパンとタパスをオーダーする。そして、Quilmes Cristalのビールを合わせる。ステーキは分厚くてジューシーで、もぐもぐとかむ。

夜23時になるころでも店内は賑わっていたものの、一度道に出ると、なかなか人気が少ない。ひそりひそりと宿へ帰ることにする。

パタゴニアをぬけて、北へ進む。 - Rio Gallegos to Buenos Aires

朝起きてみると、草むらの大地の向こうの空がほんのりと赤く染まっている。

朝食にと、キャラメルをはさんだ砂糖のパイケーキと、コーヒーや紅茶のセットが手渡される。コーヒーにミルクを入れて、ケーキをほおばる。

コロラド川を境にほぼ南緯40度以南をパタゴニアというので、ここもまだパタゴニア地域だ。

買っておいたウエハースもかじりながら、バスはそのまま北へと上がっていく。やがて、12時ころ、空港もあるトレレウという町のターミナルに着く。町には、新しい建物も多く、人通りはあまりない。ターミナルで、半分ほどしかいなかった乗客が次々と降りて行き、バスは一層がらんどうになる。

がらりとしたバスは、海を右手に見ながらペンギンやオタリアなどの生息するバルデス半島を通過していく。大地は背丈の低い草でおおわれた高原、パンパがひろがり、道ばたには黄色の花がほそぼそと咲いている。

14時も過ぎたころ、昼食が配られる。
スパイシーなサラミをはさんだサンドイッチ、ハムをはさんだパイ、ドリンクにはペプシが配られる。サンドイッチもパイも塩味の効いた肉がはさまっていて味が似ている。

15時にはSierra Grandeという町を経由する。がれきを運ぶトラックが勢いよく走っていく。道ばたでは時折工事があって、風に吹かれて砂埃が舞っている。

ネグロ川を渡り、それでもパンパが続いていく17時半を過ぎたころ、突然Bingo Andesmarと書かれた紙がそれぞれに配られる。

そしてぴしっと決めた添乗員男性のアナウンスにより「21」、「にじゅういち」「に、いち、にじゅういち」…と始まる。アルゼンチン人の抑揚あるスペイン語のせいか、アナウンスそのものがプロらしい。しばらくしてビンゴを決めた女性には、豪華白ワインが贈呈される。

ゲームが終わるとすかさずDVDで引き続きエンターテイメントが流される。テレビの中の司会者も、バスの添乗員と同じ抑揚のある話し方をしている。

18時を過ぎたころ、パタゴニアとの境目であるコロラド川を渡る。草の広がる平原から川を渡り、一度砂地が広がった後、再びまた草の広がる高原へと戻る。これで、パタゴニアから離れることになる。

その頃、バスの中ではどんどんと香水が強くなる添乗員男性が、軽食を配り始める。コーヒーや紅茶、マテ茶に、クッキーとパンケーキ、桃のジャムのセットである。

19時になろうとしている時間に、夕食の前の軽食というのは、20時ころから夕食のために店が開きはじめるという、いかにもアルゼンチンふうなのである。

窓の外には太陽が夕日に向けて沈みかけている。

19時半になるころ、太陽はぐんぐんと吸い込まれるように平坦な大地の向こうに沈んでいった、と思うのもつかの間、太陽は地平線の向こうから、またほんの少しだけ顔をひょこりと出して強い光を放ち、それからまた再び沈んでいった。

その後にはより赤みを増していく空と、ほっそりと浮かぶ月が残された。

22時を過ぎたころ、Bahia Blancaという町のターミナルに到着する。高い建物も洒落たホテルもある町である。この時間でも窓の外ではサッカーをしている男性たちがいて、窓の中のテレビからは、ブラッド・ピット主演の「マネー・ボール」が流れている。

どかりと倒れるリクライニング・シートから、たくさんの星を頭上に見る。