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Ethiopia

岩窟教会の盛大ミサ – Lalibela, Ethiopia

ここラリベラには、大きな岩をくりぬいて造った岩窟教会が12あり、日曜日には信者たちがミサに出かける。

朝のミサに向かう前に、宿からほど近いShallom Snackカフェでミルクたっぷりのマキアートを頼み、パンとともにほおばる。テレビ画面からは、エチオピア版朝の体操が流れている。

早朝の町には、白い布を身にまとった多くの人々が、ぞくぞくと教会のほうへと向かっていく。岩の教会には既に多くの信者が集まっている。

東のほうを向き、ある人は聖書を読み、ある人は教会の壁や床に額をつけ、口づけをし、ある人はうずくまり、祈りを捧げる。

司祭はあちらこちらで人々の額に手のひらや聖書、十字架をかざしていく。聖なる水を、信者は銀のグラスで飲みほし、聖なる灰を顔や身体に塗っていく。

信者たちが家から持ち寄った穀物も広げられている。これで、修道女が聖なるパンをつくり、ふるまったりするという。

ラリベラ最大の岩窟教会、聖救世主教会では、金色の大きな十字架を手にした司祭が、集まるおおぜいの人々の一人ひとりの身体に十字架をなでつけていく。

頭から始まり、胸、お腹、腰、脚、それぞれの人に合わせてリズムをつけてなでつける。信者は、先ほどまで身にまとっていた白い布をはぎ、幾人かは、陶酔したかのように目をつむり、衣服をめくり、身体をよじらせ、くねらせていく。それが終われば倒れこむくらいの人さえいる。

教会内には、こうもりが飛んでいる。

エチオピアのカレンダーで今日は聖ミカエルの日ということで、聖ミカエル教会周辺はより一層賑やかだ。

並ぶ人の列に続いていく。

聖ミカエル教会は、女人禁制の聖ゴルゴダ教会と中でつながっている。女人禁制なものだから、聖ゴルゴダ教会の入口のそばに女性たちが集まり、中から時折司祭がやってきて、聖なる水や灰が配るのを待っている。そして、その十字架に口づけをし、灰を額に十字に塗りつける。

フレスコ画が有名な聖マリア教会では、子どもたちが大人につれられて、天井や壁に描かれた色彩豊かなその画を眺めている。

10時をまわるころには、ぱたりとミサが終わり、みないつの間にやら帰路についている。町のあちらこちらで炭がおこされ、店先の暗がりでもささやかなコーヒーセレモニーが行われ始めた。わたしたちも倣って、Belaineshコーヒーハウスに入り、簡単なコーヒーセレモニーでコーヒーを淹れてもらう。

セレモニーセットの周りに、青草を敷く。そして、乳香の木の破片を籠から取り出し、炭の上に乗せる。

ミサを終えたばかりの人々も入店し、コーヒーだけでなく、コカコーラやビールをオーダーしていく。

昼食は、Menenカフェ&レストランで干し肉のまぜインジェラ、クウォンタ・フルフルをオーダーする。歯ごたえのあるビーフジャーキーのような干し肉と、ふにゃふにゃになったインジェラが盛られ、インジェラの酸味とスパイスの辛さが絶妙に絡みあう。

エチオピアでは、人々が傘をさす。日傘をさす人もいるくらいだ。今日も昼間は強い日差しをが照りつける。街では、ティグリーニャ音楽がスピーカーから大音量で流されている。道ばたで売られていたオレンジを買い求め、歩きながらほおばる。

昨日トルピードで会ったMesfinさんに会いに、セブン・オリーブス・ホテルに行く。山々を見渡せる広々としたテラスで再びコーヒーをいただきながら、お話を伺う。

エチオピア正教にも断食の習慣があるが、実際に断食をしている人は信者の70%ほどだということ、人々が布を肩に交互にかけているのは十字の意味もあること、東の方向に祈りを捧げるため、教会は西から東の方向に入口を構えていること。

聖救世主教会前の広場では、サンデースクールが行われている。司祭が前に立ち、傘をさしながら聖書をよみ、女性が手のひらを上にかざして上下に動かしながら、波を描くように踊る。

続いて、十字をあしらった青と白の服を着た子どもたちが入場し、ゆるいドラムに合わせて歌う。

ずらりと集まった観客は、それに合わせて手拍子をし、あるいは口で高らかにホワワワと音をたてて合いの手をいれる。

聖救世主教会周りの、聖十字架教会や聖処女教会、女性が洗礼を受けるという水を貯めた穴などを訪ねながら、聖ギオルギス教会まで歩く。

途中、藁ぶきの屋根に煉瓦で造られた家々が立ち並ぶ。これはラリベラの教会群が世界遺産に登録されて、教会の環境保護などを目的に近隣の住民を1kmほど離れた住居に移住させた、そのかつての住居だという。いずれ、司祭や修行僧などの住居として使っていくことを検討しているのだそう。

大きな一枚岩を十字型に掘り下げたという聖ギオルギス教会。近づいていくと、まずその天井の十字が見えてくる。そこから下に下っていく。

教会前には、男性が座り、羊革紙に竹の筆でラリベラ王などの絵を描いている。

教会を囲む岩のところどころに開いた穴には、聖職者たちが住んでいたという。一つの穴からにはミイラ化した人の足の裏が見える。

その後、少し離れたところにある、かつてラリベラ王の宮殿があった場所にたつ聖ガブリエル・聖ラファエル教会、ラリベラで2番目に大きい聖マルコリオス教会や、アクスム様式の窓をもつ聖エマニュエル教会、岩山を横にくりぬいてつくられた聖アバ・リバノス教会を見に行く。

中はまるで迷路のようになっている。実際に迷うものだから、時折呼びかけて、見えない場所にいる門番に頭上高い岩の上から、方向を指し示してもらう必要すらある。

聖マルコリオス教会から聖エマニュエル教会は20mほどの真っ暗なトンネルでつながっていて、電灯を照らしながら、手さぐりで前に進んでいく。

再び、Mesfinさんとセブン・オリーブス・ホテルで落ち合う。コーヒーセレモニーをごちそうになる。まず最初に煎りたてのふわふわポップコーンをほおばりながら、最初のコーヒーが淹れられるのを待つ。コーヒーはアボルブンナ、ウレッテンニャ、ソステンニャと3度淹れる。

セレモニーを終えて帰る時間、静まり返った町にも何軒かは派手なイルミネーションに爆音を流して、酒やインジェラを出すバーやレストランが営業をしている。

比較的落ち着きのあるカナ・ゼゲリラレストランに入り、夕食をとることにする。

ほどよいスパイスにほんのりとした甘味のあるカレーのようなチキンワットに小さな卵をのせたインジェラ。それにライムやマンゴーなどのフルーツが合わせて運ばれてくる。はちみつ酒、Tajを合わせて飲む。 

乗客ガイドさん。 – Bahir Dar / Gashema / Lalibela, Ethiopia

今日も朝の5時半発のバスに乗ってバハルダールからGashema経由でラリベラへと向かう。朝早いうちからバスはほとんど満席で、バスの上に荷物をのせることと、座席を確保するという作業をみな同時に行っていく。

わたしたちが乗り込むと、周りにいた乗客たちがこっちに座れ座れとわさわさと指し示してくれる。

乗客どうしで、手を握って肩を3回触れさせる挨拶が交わされる。荷台には、バハルダールのコーヒーセレモニーで使われる草を、土産ものにと家へ持ち帰る客がいる。

4時間半ほど走ったところで朝食の休憩となる。カフェ兼レストランの奥に、ベッドと椅子が置かれただけの部屋が並ぶ宿泊所のある、ブンナベッド形式のレストランである。

中庭では女性が赤ちゃんにミルクをあげ、二人の男性がインジェラを食べている。床にはチリが広げ干されている。男性に手招きをされて近づいていくと、チリを指して「これが何だか分かりますか。ブルーベリーです。」と言う。そしてインジェラを勧められる。

日差しの暖かな朝だ。

グラスに砂糖のたまったコーヒーとパンをオーダーして席に着くと、バスが同じ乗客の男性が、一緒に羊肉のインジェラを食べましょうと勧めてくれる。エチオピアの習慣では、こうして同じインジェラを分け合うんです、そしてこれも習慣です、と言って、インジェラを手でつかみ、わたしたちの口元まで持ってくる。

スーツを着たその男性は、小学校でアムハラ語と環境問題を教えているという。しまいには、ごちそうになってしまった。

バスの中でも、大麦などを煎ったコロを配られたり、名所を案内してくれたりと、乗客たちがわたしたちをもてなしてくれる。

バスは、両端をすぱっと切り立った崖の上を走る。乾いた茶色の山にかけられた「自然の橋」と呼ばれているのだそう。

男性の修行僧が洞窟に住む修道院、Checheho修道院や、天井が開いているものの雨が入り込まない造りになっているAbune arong修道院を、説明を受けながら、通り過ぎていく。

乗客の一人の男性は、このAbune arong修道院に奥さんと共に7日間滞在し、聖なる水を飲み続けた結果、脚の持病が治ったという。

12時半にはGashemaに到着する。ここまではアスファルト道。
ここから乗り換えて、ラリベラまでは未舗装の道が続く。

茶けた山々に、藁ぶき屋根の家が点々と見える。ラリベラに近付くにつれ、砂埃の道を歩く人が増えていく。今日の市場を終えて帰宅する人々らしい。

ろばや連れながらものを運ぶ人、山羊をつれている人、長い木の棒を担ぐ人、日傘をさす人、さまざまである。

満席だったので、運転席の横のスペースに腰をかけること3時間、ラリベラに到着する。

宿にほど近いユニーク・レストランで、トマトソースのスパゲティをオーダーする。エチオピアの人たちは、インジェラ、パン、ご飯にスパゲティやマカロニも日常的に食べているというから、豊かな食文化をもつ国なのである。

先日のアディスアベバ、Castelliでいただいたイタリアンは、洗練された都会の本格イタリアンだとすると、このレストランのパスタは、家庭料理ふう。

味付けもやわらかく、まろやかで、パスタものんびりとしている。

同じレストランにいた、旅行会社を2店舗経営しているBelaynewくんは、日本のことにとても詳しい。大学在学中はアディスアベバにいたものの、再びラリベラに戻ってきて、今は会社を経営している。

アディスは、欧米化してしまって、エチオピアらしい文化をなくしている。人も冷たいし、空気汚染もひどいから、住んでいてもおもしろくない、と言った。

中国の人々が最近特に増えてきていて、エチオピアには80をこえる民族がいるけれど、最近はそれに中国人が加わりそうなくらい、と笑った。

このラリベラという町は、歩いていると「ようこそラリベラ」と日本語で話しかけられることが多い。フー太郎の森基金(FFF)という日本の団体が活躍されていることもあってか、日本が大好きと断言する人々も多い。「ハロー/ユー・マニー」や「ハロー/ユー・ワンブル(1 Birr)」も、ほんのわずかな子どもたちにしか言われない。

町によって流行の言葉というのが変わるのである。

そんなわけで、居心地の良い。      

夜に、ハチミツ酒であるTajを飲みに、地元の飲み屋、トルピードへと向かう。いつもは夜にライブがあるというが、オーナーのお父さんが亡くなったといい、今日はライブがあるか分からない。エチオピアでは、親族が亡くなってから半年は踊りや音楽を控え、黒い服を着ることが多いのだという。

Tejは寝かせた期間でアルコール度数が変わるという。店では、アルコールの強さを選んでオーダーすることができる。

ソフトは、ハチミツとお湯を混ぜるだけで、確かに甘い。アルコールが加わってくると、ハチミツの甘さの中にお酢のような酸っぱさが出てくる。

ライブは、あった。
Macinkoという、馬のしっぽと山羊の革で覆った木からできたバイオリンの演奏が始まる。アムハラ語の歌がうたわれ、客がTajやビールを飲みながら、手拍子をする。そのうちに客たちは肩をくるくる動かしながら、身体を使った踊りを踊り始める。

隣の席に座ったMesfinさんという男性が、明日は彼がオフィスをもつセブン・オリーブス・ホテルに良かったら遊びに来てください、と言う。

そしてそのうちに停電で店内は真っ暗になる。誰も驚くことなく、音楽は続けられ、客はお酒と音楽を楽しみ続ける。しばらくすれば電気が戻ることをみな知っているようすだ。

暑かった昼とは変わり、夜は涼しく、強い風が吹いている。

星が瞬いている。

エチオピアの湖にある修道院 – Bahir Dar, Ethiopia

夜中の2時前に、食堂の前にバンが停まり、夜食休憩になる。この時間でもインジェラを食べ、コカコーラを飲む人々がいるものだ。

子どもたちもスナックやチューインガムを売って働いている。

夜中の1時か2時に到着すると聞いていたミニバスは、日が昇ってもまだバハルダールにはいなかった。それでもマンダジを食べていれば、8時前にはバスがバハルダールに到着する。

この町は、ナイル川の2大支流ブルーナイルの源流、タナ湖に面している。そして、この湖の島や岸には13~17世紀に建てられた修道院がいくつも点在している。湖畔のギオンホテルからボートに乗って、いくつかの修道院を訪ねることにする。

湖では、男性たちがカヤツリ草の一種パピルスから作られた舟をあちらこちらで漕いでいる。

毎週金曜日にバハルダールで開かれるマーケットに向けて、火をおこすための乾燥木材をゼゲ半島から運んでいるのだそう。

金曜日に朝から5時間ほどかけてパピルス舟を漕いで木材を運び、バハルダールで一泊して土曜日に自宅へ帰るのだという。わたしたちのモーターボートを操縦していた男性も、かつてはお父さんとともに4年間ほど毎週金曜パピルス舟を手で漕いでいたといい、その日は学校も休んでいたという。

湖にはかばもいて、水中から勢いよく近づいてきて、舟を転覆させることもあるから危ないんだと言った。

とても大変な作業だったようで、今はモーターボートに乗れるから楽で良い、と笑った。

最初に訪ねたのは、小さな島に建てられたEntos Eyesu修道院。ここは13世紀に建てられた基本的に女性の修道院で、25人の修道女が住んでいる。

修道女は島から出ることはない。マンゴやパパイヤ、バナナなどを育て、コットンから衣服をつくっている。ただ、果物は猿に食べられることも多いというから育てるのは大変な作業らしい。

1年に2、3度食べるという牛や羊、山羊の肉、それからとうもろこしやコットンなどの必要なものは、男性の修道士がパピルス舟に乗って陸の市場まで買い出しに行く。ただ男性の修道士もその1か所の市場以外に出向くことはない。

島には、16世紀に、タナ湖で罪を犯した修道士を収めていた刑務所もある。

再び舟に乗って、次にゼゲ半島にあるBetre Mariam修道院を訪ねる。

藁ぶき屋根をかぶったその修道院は14世紀に建てられた。天井は雨による傷みで替えられているが、そのほかは当時のままだという。

泥と石と草でできた壁を境に、その外は司祭や修道士が太鼓を叩いて踊るスペース、中は、地元の信者に聖なる水を与えるスペース、そしてフレスコ画に囲まれた中は、アクスムにあるアークのコピーが置かれ、司祭、修道士しか入ることが許されていないスペース。

修道院付近の住民はみなキリスト教徒だといい、日曜日のミサにはここに多くの人々が集まるという。

靴を脱いで中に入ると、そこには16世紀の色鮮やかなフレスコ画が壁一面に描かれている。

聖母マリア、イエス・キリスト、聖ガブリエル、聖ジョージ、聖マイケル。首を刀で切る人、血を流す人、顔の横に羽がはえたエチオピアの天使、花、刀。

天井は赤、青、黄色といった色に塗られ、ここにも聖ヨハネを象徴している、身体のないエチオピアの天使たちが飛んでいる。

そばには、博物館という名の小さな部屋がある。羊皮紙に色鮮やかな挿絵が描かれ、アムハラ語が赤と黒のインクでつづられた聖書が置かれている。他にも、金をあしらった帽子、銀や木でできたドラムなどもある。

そこからまたボートに乗って、ほど近いUra Kidane Mihret修道院を訪ねる。修道院のそばに、修道士やその見習いが住む家や食堂がある。

司祭がぎいっと食堂の扉を開けてくれる。中には古びた木のテーブルと椅子が置かれている。鳥が木材を傷めるのを防ぐために、お香を焚く。ミサの後に司祭たちはここで地ビールを飲み、インジェラを食べたりするのだという。

薄暗くお香の煙の立ち込めるその食堂の片隅には、色のあせた三位一体と呼ばれる、かつてアークを置いた棚がほられている。

修道院の屋根の上には、7つのがちょうの卵が生贄の象徴としてたてられ、前には大きな石の鐘が二つ、置かれている。修道院の壁面には、首を切る絵や、乳飲み子の絵などが描かれている。

司祭たちは階級によって素材の違う、金や銀、木でできた十字架をもちながら歩いている。そしてまた銃をもって警備にあたる地元の男性たちも同じように見かけるのである。

地面に炭を置いて火をおこし、シチューを作っていた修道士見習いの男の子に、住んでいる部屋をみせてもらう。2人で住んでいるという一部屋には、簡単なベッドが置かれ、壁にはキリスト像のポスター、そのわきには洋服が提げられている。

タナ湖に再びボートを走らせながら、バハルダールの町に戻ってくる。湖岸では、人々が洗濯をしている。

バハルダールの町には、他の町ではあまり見かけなかった新しいカフェや、ロールケーキやチョコドーナツなどの甘いお菓子なども見かける。H&MやGAP、ZARAやD&Gといったロゴを掲げた店もあれば、男の人同士がよく手をつないでいる。

若者が男女交じって食事をしにきていて、ビールジョッキを何杯も空けている店がある。どうやら都会的な雰囲気である。

道ばたで揚げられていた揚げたてのボンボリーノをいただく。かりっと揚げられて中はもっちりのそのパンを大量にビニール袋に入れて買っていく人々がいた。

夕食は、Abyssiniaバー&レストランでいただく。

ライスにキャベツとじゃがいもとにんじんのサラダ、それにタナ湖で釣れた魚のフライが2匹置かれている。魚は、やや水の匂いがするものの、かりっと揚げられている。Dashenビールを合わせていただく。

この町にもまた蚊が飛んでいる。話をした地元男性は、マラリアで妹を亡くしたという。5年ほど前はマラリアに対する知識のない人も多く、多くの人が亡くなったと聞いた。雨期の前の今の時期はまだ大丈夫だとその男性は言った。

それでも、エチオピアでは虫との戦いは欠かせないのである。

エチオピアの、老舗コーヒー店と洗練イタリアン – Addis Ababa, Ethiopia

昨日と同じように、今朝もトモカ・コーヒーに足をむける。今日は、この店でも人気のマキアートをお願いする。

店舗の裏で挽かれた豆をCimbari製のエスプレッソ・マシーンにさしこみ、男性スタッフが手際よくぱぱっと作っていく。その無駄のない慣れた手つきは、エチオピアにとってコーヒーが生活の一部であることを感じさせる。

午前中、アフリカ最大級の市場、マルカートを訪ねる。チャットの葉から果物、携帯電話機器や、時計の部品、大型ゲーム機までなんでもそろう市場である。

ただ大きすぎて、場所を知らないとほしいものは探し出せないほど、大きい。そして、バスターミナルも近く、混沌をきわめている。

その活気の中を歩き回った後、一休みをしに、フルーツジュース屋に入る。アディスアベバでは、街のあちらこちらにフルーツをきれいに並べて、それをジュースにする店がある。よく飲まれているアボガド・ジュースをオーダーする。

アボガドに砂糖と水を加えた飲みものというが、これがクリーミーで甘い。ライムをかけたり、フルーツシロップであるVimtwoをかけると、まるでレモンケーキのように、甘みにほどよい酸味が加わる。

それから、アディスアベバの銀座とも呼ばれているピアッサ地区にある、名の知られたイタリアンレストラン、Castelliへ向かう。

エチオピアは一時期イタリアに占領された過去をもっているためか、イタリアふうの味つけが得意なようだ。

趣のある石造りに構えられた木にすりガラスの窓から、淡い橙色の灯りがこぼれている。

トマトとバジル、それにサフランのパスタをオーダーする。パンが添えられてきたので、追加でバターをお願いする。

一輪の花が白いテーブルクロスの上にのせられ、隣のテーブルでは裕福そうなてっぷりとした男性が女性を連れて食事に来ている。

海外の有名俳優なども訪ねてくるというこのレストラン。きちんとしたアルデンテに適切な味つけが施されている、洗練されたイタリアンだった。ぴりりとスパイシーなのに、なぜか安心できる味で、身体が浄化されていく気さえする。バターもナチュラルだ。

食事を終えて外に出ると、そこは再び喧騒のアディスアベバだった。

マルカートが広すぎて、結局買いたかったものの探しきれなかった鍵を、レストランの近くの店でいとも簡単に発見し、そこで鍵を購入してから、スーダン大使館に向かう。

スーダン大使館の職員は、今日も変わらずにウェルカムふう優しい対応をしてくれる。おかげで、無事にスーダンのビザがパスポートに貼られて返却された。

その後、対イタリア戦勝利を記念して、ハイレ・セラシエ皇帝により建てられた三位一体教会を訪ねる。近くには兵隊が数多くいて、女性もその例外ではない。隣の店でオレンジに先の白いキャンドルが売られ、お香が焚かれている。

今日は、夕方のミニバスで、バハルダールに向かうことにする。18時発、夜中の1時か2時に到着するとのこと。バスを手配をしてくれた男性も「ここはアフリカだから、融通のきくサービスは受けられないよ。」と言った。

そういえば、他のエチオピア人も、停電があったときに言っていた。
「ここはアフリカだから。」

車は新しいハイエース。そこに次から次へと重い塗料やら何やらを上に積んでいく。こんもり上に荷物が積まれたハイエースは、乗客がぎゅうぎゅうに詰め込まれて、足の置き場もない状態になる。

アディスアベバからバハルダールまでのミニバスは「夜中ものすごいスピードで運転して早く到着する」というキャッチフレーズをもっているものだから、どれほどかと思っていたら、少し走っては人をのせ、少し走っては荷物をのせ、といったふうにのんびりとしたものだった。

アディスアベバの、スーダンとエジプト – Addis Ababa, Ethiopia

今日は、エジプトビザを引き取り、スーダンビザを申請したい。

アディスアベバでスーダンビザを申請するにはエジプトビザが必要書類の一つであるものの、エジプトビザの引き取り時間が午後の15時から16時。スーダンビザの申請はいちおう午前中。

そこで、午前中に用意できる必要書類だけをもって、スーダン大使館を訪ねてみることにする。もしかしたら、その書類だけで、まずは手続きを進めてくれるかもしれない。午後に受け取るエジプトビザはあとからまたスーダン大使館に持っていけばよい。

繁華街のピアッサという地区にある写真店で、ビザ申請に必要な写真を撮る。

アディスアベバには、FujifilmやKodakといった看板を掲げた写真店が、数えきれないほどに存在する。

写真店の奥には、大層な撮影スペースがあり、白いカーテンがひかれ、素敵ソファと大きなライトセットが備え付けられている。そのソファに腰掛けると、若いお兄さんがデジカメを手にぱしゃぱしゃと2枚ほど写真を撮る。

それで10分ほど待てば、証明写真ができあがる仕組みである。
しかも、悪くない仕上がりなのである。

写真を待つ間、1963年創業で名の知られたトモカ・コーヒーでコーヒーを飲みにいく。古びた看板を掲げた店は、コーヒーの香りで満たされている。

スタンドで新聞を読みながらコーヒーを飲む地元男性客で混雑している。渋い顔をした人たちも、たいていたっぷりと砂糖を入れて飲む。

コーヒーをオーダーし、奥のコーヒーメーカーの前で待つ。初老の男性が、ライオンの絵が大きく描かれた壁の前で、コーヒーを淹れてくれる。苦くて濃いアラビカコーヒーに、周りをならってたっぷりと砂糖を入れて飲む。

店にはバルザックの「When you drink a cup of coffee, ideas come in marching like an army」という言葉が掲げられている。

乗り合いバスでメキシコ・スクエアに行き、スーダン大使館まで歩く。ビザ申請書類には、一般的な項目に加えて、宗教や、血液型を記入する欄がある。血液型はそれぞれの型がプラス、マイナスまで分けられている。

細かい記入事項があるわりに、くわしく確認されることもなく、書類は受け取られた。あとは、午後にまたエジプト・ビザとパスポートを持ってくればよい。

道ばたで売られていた揚げドーナツ、ボンボリーノをほおばりながら、再び乗り合いバスに乗る。そして、牛肉のたたき、クットフォーを食べに、専門店であるヨハネス・クットフォーまで行く。

このクットフォーは、エチオピア人でもその衛生状態を気にして、強いアルコールを飲みながら食べて消毒する、と言う人もいる。

でも、店で、生でも大丈夫でしょうかと尋ねると「新鮮なお肉を使っていますので、問題ありません。お勧めは生ですよ」と、答えが返ってくる。

にせバナナから作ったパン、コチョをかりっとトーストしたものと、トーストをしていないもっちりとしたコチョ、食パンやインジェラが並べられて運ばれる。

それからにせバナナの葉のうえに生肉、さらにカッテージ・チーズのアイブ、エチオピア・キャベツをゆでてみじん切りしたゴーマンとアイブ、それにゴーマンがのせられてくる。

店内にはお香の香りで満たされている。伝統的な家屋を模したレストランは洒落ていて、価格設定も高い。地元のレストランでは男性客ばかりを見るのがほとんどだが、この店には、女性客も食事に来ている。そしてみな一様にきれいな服を着ている。

皿にはスプーンが添えられていたが、インジェラを食べるときにはスプーンを使わずに手で肉とアイブやゴーマンをつかみとるのがエチオピア流の食べ方なんです、と隣の女性客が手本をみせる。スプーンは、そのほかのコチョやパンに肉などをのせるときに使うんです、と言った。

肉はジューシーで重みがあり、それにピリリとスパイシーだ。それをコチョやパン、トーストにのせて口にいれる。酒粕のようなアイブやゴーマンが、ほどよい口直しになる。

最後には、コーヒーにエチオピア・バターを混ぜたものを運んでくれる。最初、肉の辛さでその味さえ分からないものだったものの、じょじょに苦みのあるコーヒーにとろっとしたバターが風味を加えていることに気づいていく。

それにしても、最後にはとろりとしたコーヒーがカップの底につくほど、苦い。伝統の味だというそのコーヒーには、砂糖は添えられない。

食べきれないほどいただいた後、近くの売店で、エチオピアで飲まれている炭酸水Amboに林檎の風味を加えたボトルを買って、喉をうるおす。

そこから再び乗り合いバスを乗り継ぎ、エジプト大使館でビザを受け取りに行く。この大使館の女性も、柔らかい笑みを浮かべ、きちんとした仕事をする女性で、わたしたちのことを覚えていてくれる。

無事に受け取ったエジプトビザを手に、再びスーダン大使館に戻る。

アディスアベバのスーダン大使館の人たちは、見事に気さくで優しさにあふれている。エジプト大使館は、ビザの申請から受け取りまで細かく決まりがあるものの、スーダン大使館の場合は、なにやらよく決まっていないようなふんいきなのである。

表の看板にはビザの申請は、12時半までとあるが、こうして午後にもその門が開けられ、書類を受け取ってくれたりする。

ビザの受け取りも、明日の午前中にできあがるといった担当者もいれば、明日の午後15時以降にならないとできない、という担当者もいる。

とにかく、明日中には受け取れるようだ。

陽気なスーダン人の男性職員は、家族もエチオピアに連れてきているけれど、スーダンの全てが恋しいのだと言った。人も違う、食べものも、気候も違う。

スーダンについて話をするその男性はとてもうれしそうだ。そのうちに、周りの職員もわいわいと話に交じってスーダンの食事についても盛り上がり始める。

テレビからは、アラビア語の字幕が流れている。

こうして、今日はアディスアベバをあちらこちらと乗り合いバスに乗って移動する。

昼の暑い日差しの下、中央分離帯に寝そべる人々がいれば、顔がただれた男性や、手足の曲がった人、頭にかびを生やして地面に顔をこすりつける男性、汚れた服を着た若い女性などが物ごいをしている。

一方で、街のあちらこちらに工事中の建物があり、ヨハネス・クットフォーの周りでも、近代的な高層ビルにパソコン関連店が入り、サングラスをかけたマネキンがきれいな服を着ている。

街のあちらこちらに、エチオピア鉄道会社の看板がたてられ、アディスアベバの鉄道建設プロジェクトの路線図が描かれている。看板の左側には、エチオピア鉄道会社、そして、右側には、「中国中鉄」と大きくうたわれている。

小中学校からは、生徒たちが制服を着て下校をしてきて、友だちとおしゃべりに夢中になっている。地方で子どもたちが口を揃えて「ハロー・マニー」「ハロー・ワンブル(1 Birr)」と要求してきたような風景は、ここには、ない。

マスカル広場に面したスクエア・ガーデンで、オレンジとパイナップルのファンタを飲み、近くのHadiaスーパーマーケットで買いものをする。

髪のトリートメントを探し求めたものの、ある程度品ぞろえの揃っていたその店で、シャンプーとコンディショナーが2in1になっているものばかりだった。そこで、米国製だという天然のコンディショナーと書かれたボトルを買ってみる。

夜は、宿で買ってきたヨーグルトに大麦などを煎ったコロを混ぜていただく。エチオピアでは、朝にヨーグルトにスパイスをかけて食べたりするのだという。

コンディショナーは、なにやらオイリーに過ぎた。