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Ethiopia

山羊が立ち、銃を持つ軍人が座り、天井に頭をぶつける。 – Arba Minch / Addis Ababa, Ethiopia

今日も早朝5時のバスに乗って、アディスアベバに戻る。毎朝5時にバスに乗り込むために4時には目を覚ます生活も、だんだんと慣れてくるものだ。

バスの上には、乗客の荷物に加えて、山羊が一匹、立たされた。隣の座席には、銃を持った二人の迷彩服を着た軍人男性が乗り込むも、発車して早々に口を開け、白眼をむいて眠りこけた。

エチオピアのローカル・バスは朝が早く、そして大人はふつうに座れば膝があたるほど、座席が小さなものである。

アディスアベバの途中までの道のりは未舗装の悪路が続く。バスは川につっこみ、泥道を進んでいく。

今日も一番後部座席に座ることになり、どかんどかんと幾度も身体が宙に浮き、しまいには、飛び跳ねて天井に頭をぶつける始末である。

滑るバスの上で、山羊はさぞかし大変だろうと想像をする。

そんな道を通るものだから、10時にはパンクでバスは停車した。運行中一度は故障すること前提でバスを走らせているのか、修理する手際も良い。

数日前に同じ道を通ったときにあったトラクターは同じように道のそばで倒れていて、切れた電線もまた、同じようにきれたままだ。

藁ぶきの屋根、畑を耕す牛たちも、積まれた干し草も、変わらない。
ところどころの家には、花や格子模様、自然や人間の様子が描かれている。

先日も立ち寄ったHosanaaという町のBetelカフェ & レストランで、羊の肉をスパイシーに仕上げたものからあっさりと調理したものまで、さまざまな肉をちょこりちょこりとのせ、それに小さなゆで卵やライス、サラダ、じゃがいもやにんじんまでをのせたMahabrwyeというインジェラをオーダーしてほおばる。

再びアディスに向かうためにバスに乗り込むと、前回も同じ場所にいた、頭に穴が空いている物乞いの男性が、今日は子どもをおぶって、泣きながら車内で手を差し出す。

乗客の男性は、周りに大麦などを煎ったコロをふるまう。
エチオピアのポップから演歌調音楽までを流しながら、バスはつき進む。

やがて、レトロな看板を掲げたセブン・イレブンや、コカコーラのトラック、南のほうの人々は、値段が高くて飲めないと言っていたビールの看板、それにスターバックスに似たロゴのKaldi’s Coffeeなど洒落た店が見えてくると、アディスアベバに到着したということになる。

確実に、都会だ。

山羊も叫びながら、バスの上から無事に下ろされる。

夜は、Shum Aboバー&レストランで、Harar Sofiという甘いノンアルコールのモルト飲料を口にする。その後、St.Georgeビールを商店で買い求めて、先日も行ったレストラン、Wedubeポート・レストランに立ち寄り、クックルという、羊肉のスープとインジェラをオーダーする。とろりとしたスープにインジェラを浸してほおばる。

その店は、周辺にピンクや蛍光色の明かりに包まれてきらびやかな音楽が流れるレストランやバーがあふれながらも、今日も白衣を着たおじさんが佇み、あくまで渋い空気を流したままだ。

象の家に住み、にせバナナを食べる人々 – Arba Minch / Dorze Village, Ethiopia

今日は、アルバ・ミンチから30キロほど離れたチェンチャ山にあるドルゼ族の村を訪ねることにする。7800人ほどの人々が住んでいる。

乗り合いバスがいっぱいになるまでアルバ・ミンチで1時間ほど待って、山をぐんぐんとのぼる。マラリアのいる地域から、蚊のいない地域へと一気にあがっていく。

途中からぽつりぽつりとドルゼ族の特徴ある家が見えてくる。

ドルゼの村では、週に二度マーケットが開かれていて、今日もその日である。マーケットといえば、朝から始まり、午前中が最も盛り上がるといった具合のところが多かったけれど、ここは昼過ぎから始まるらしい。

なぜなら、男性も女性も売る品々をどっさりと担いでそれぞれの家を朝出発し、30kmほどの道のりをマーケットまで歩いて来るからだ。自宅からマーケットへの交通手段がないのである。

バスから降りると、話しかけてきた男性がいた。「ムコネ家」という、ドルゼ族の伝統的な家に連れて行きます、僕もそこの一員です、と言う。

ドルゼの「ムコネ家」という名前は、昨日コンソ村を訪ねたときに別の男性から聞いていた。相当のやり手だという話で、嫉妬も含まれているのかその成功ぶりが一部の人からは歓迎されていないようすだった。

それでも、少しばかりムコネさんの家を訪ねてみることにする。

ドルゼ族の家は、竹で編んだ枠組みに防水の役目を果たすニセバナナの葉をかぶせてつくる。そして、家の周りを竹のフェンスで囲う。

象を模してつくられ、確かにまんなかに長い鼻と、両わきに窓がつけられていて、それがあたかも象の目のように見えて、かわいらしいこと限りない。

最初は12メートルの家を建て、竹の根元が虫に食われてだめになると、その根元部分を切っていくものだから、屋根が低くなっていくらしい。象が小さくなっていくのである。

ニセバナナとはエンセーテのことで、見た目はバナナの植物であるものの、実際にはそこにバナナの実はならない。ドルゼの人々は、その葉を、家を覆うために使ったり、あるいは傘として、あるいは動物にやる餌としても使うのである。

ムコネさん家には、7人のヒトと、12頭の動物が暮らしている。

象の口にあたる入口は天井が低いため、かがんで入る。すると、右側に牛が飼われている。高地で寒いドルゼの村では、牛や羊、山羊といった動物と一つ屋根の下に暮らすことで暖をとる。

壁には瓢箪がぶらさげられ、象の目にあたる窓から差す光が、ぼんやりと室内を照らしている。

かつてムコネ家のおじいさんは30頭ものひょうを捕えたハンターだっというが、お父さんの時代になると狩りが法律で規制されてしまったという。

ニセバナナからできた平べったいキタというパンを作っていただく。炭にのせた鉄板にニセバナナの葉を置いて、そのうえにキタをはさみ、幾度かひっくり返す。

繊維質豊富なキタは、どこかバナナのような青さがあり、それをちぎって、添えられたはちみつや、にんにくや生姜、塩でできたスパイスにつけて食べる。

あわせて、とうもろこしやホップ、にんにくなどで作るアルコール、アレケを試してみる。アルコール度数が40~45度くらいだといい、とても強い。

ドルゼの人々は、にせバナナや小麦や大麦、じゃがいもやコーヒー、それに綿製品などで生計をたてているのだそう。綿製品は、女性が綿を紡いで糸にして、男性が織るという。

そのうちに、市がたち始める。いよいよ背中に荷物をしょった人々が、道を急いでいく。黒や赤、黄色の衣装や帽子を身につけた人々がいる。

黒は人々の肌の色を示し、赤は戦士やハンターが捕える獲物の血の色、そして黄色ははちみつで、明るい未来を指しているのだそう。

市場ではコーヒー豆やコーヒーの葉、それにシーシャ、整髪料としても使われる牛ミルクバター、スパイス、チリ、テナダムの葉、コットン、綿の布、陶器、大麦、にんにく、とうもろこし、じゃがいも、バナナやマンゴーといった果物に瓢箪などが地べたに広げられて売られている。

男性も女性もシーシャをふかし、はちみつ酒のタジ屋やアレケ屋もまた大賑わいだ。

近くの店で、チャイを頼み、そこにテナダムという薬草をのせてもらう。甘いチャイにすっきりとした香り高いテナダムがよく合う。店内では、男性たちがチャットをどっさりとテーブルに置いて、チャイとともに楽しんでいる。

この村にも、ハロー・ワンブル、ハロー・ブレッド、ハロー・ハイランドと呼んでくる子どもたちがいる。ハローがユーに変わることもある。

「ハイランド」とは、エチオピアの中でミネラルウォーターを指すらしく、どうやらほしいのは、わたしたちの持っているペットボトルらしい。学校に水を持っていくために使ったり、公共の水くみ場から水を運ぶのに使ったりするのだという。

アルバ・ミンチに帰るバスを待っていると、子どもから大人までいろいろな人が声をかけてきて、ひとだかりができる。ある子どもは流暢に英語を話し、ある子どもは、ワンブル、ワンブルとただ口癖のように繰り返す。

その中にPaulaちゃんとNaxanetちゃんという名の、11歳と8歳の姉妹がいた。母親は、マーケットで芋を売っていて、父親はいないという。お姉ちゃんは、流暢な英語を話す。そのうちに、髪を手に取って三つ編みに結ってくれる。

妹のほうは、目のまわりに蝿がたかっている。抱き上げると、ずっしりと重い。そのまま、ぎゅっとつかんで離さない。   

2時間ほどバスを待つと、ようやくぎゅうぎゅうづめのバスがやってきた。乗り込むと、すぐにどうぞどうぞと席をゆずられる。これがエチオピアの文化なんです、とその女性は言った。

バスは、山道をぐんぐんと下っていく。

夜は、アルバ・ミンチのセチャ地区にあるソマ・レストランという魚料理の有名なレストランに行く。町のバスは乗客でぎゅうぎゅうで、ほんのわずかなスペースに腰かける。

近くのチャモ湖で捕れたというテラピアやナイルパーチをほぐして、それをトマトやにんにくのソースとからめたもの、それにキャベツの茹でたものとトマト、そしてパンが添えられている。魚はやわらかく、にんにくが効いていて、再び見事なイタリアンふうである。

レストランを出てみると、既に最終バスはなくなっていたため、トゥクトゥクに乗って帰ることにする。

ホテルは、一時停電する。そして、蚊が飛んでいる。

子どものころから地ビールを飲む。 – Konso / Arba Minch, Ethiopia

今日も朝早くに起きて、5時にはバスターミナルに到着するように向かう。

アルバ・ミンチに戻る途中にある、コンソ族の人々が多く住むコンソへ立ち寄ることにする。バスで走れば3時間ほどで到着する。40もの村があり、5千名ほどが住んでいるという。山を切り開き、石垣で支えられた段々畑を造っている。ジンカからコンソへ近づくにつれ、段々畑と、特徴のある家が増えてくる。

家は、藁のとんがり屋根が二重構造になっていて、てっぺんには茶色い壺が、雨もり防止と、デコレーション用にちょこりと逆さまになって置かれている。

この二重構造は、かつてはお金持ちの家だけだったものが、徐々に他の人々にも広まっていったのだそう。牛や羊、山羊などに与える草が無くなったときには、その二重構造の屋根の外の部分を取り外して、藁を与えるのだという。

中でも大きな家は「コミュニティ・ハウス」として、12歳から結婚するまでの男性が、シフト制でその家に寝泊まりをして、地域を守っている。村で病人が出たら病院へ連れて行き、亡くなった人がいればその遺体を埋めるのである。

コンソの人々は、とうもろこしやソルガム、大豆、芋や小麦などを育て、料理用の陶器ポットをつくったり、綿製品を作って生計をたてている。

族長や、ライオンや象などの大型動物や敵を殺した「ヒーロー」は、亡くなったときに、アカシアなどの強い木で作ったワカと呼ばれる人形を墓におくのだそう。

コンソの人々は、ソルガムととうもろこしで作られたチャカという地ビールを朝、昼、晩と食べている。

チャカを作っている家の前には、木の棒の先に白いビニール袋をくしゃくしゃとくっつけた目印が立てられている。地元でも美味しくて有名だという、客で賑わう1軒の店にお邪魔する。

店には、多くの男性と数人の女性が、チャカを入れた茶色い瓢箪の容器を手にしている。わたしたちも交わり、チャカと大豆をいただくことにする。

チャカは、酸っぱさと、ほんのわずかな苦みをもった、ビールを薄めたような味だ。それに舌が多少ぴりぴりとする。ほぼ飲み終えた後、瓢箪に熱いお湯を入れて、薄まったチャカを飲み干す。

チャカにはアルコールが入っているものの、コンソの人々にとってはこれは食事であり、子どもたちも食べている、はずだが、ほんわかと酔ってくる。

そのうちに、炭火で焼いたとうもろこしをどうぞと手渡された。

コンソの人々は、エチオピアで広く食べられているインジェラを食べることはほとんどないのだという。

代わりに、チャカと同じソルガムやとうもろこしから団子を作り、それをモリンガという葉を煮たてた湯で茹でるクルクッファも食べられているという。

コンソ族の人々の伝統服はコットンでできており、青や白、緑や赤、オレンジなど、色鮮やかだ。

300もの病を治すというモリンガの葉のお茶をいただきに、勧められた別の店へと入る。オーナーがオバマ大統領に似ているから「オバマ・カフェ」というらしい。店内は、お香の煙がたちこめ、男性ばかりが座っている。

モリンガ・ティーにも普通は砂糖を入れるのだといいながら、スプーンたっぷりの砂糖をグラスに入れる。

その味はジンジャ―・ティーに似て、身体がぽかぽかと温まる。

客の男性たちは、お茶を片手に、たくさんのチャットの葉をわきに置いて、それを噛みながら、おしゃべりを楽しんでいる。女性は、たいてい家にいることが多いと聞く。

男女がこれほどきっちりと分かれて行動をしていれば、出会いの機会も少ないのではないかと想像するものの、「直接に好意を伝えられないときは、友だちに手伝ってもらったり、それから紹介をしてもらったりする」らしい。

エチオピアに入ってから、男女がデートをしているのを見かける機会はほとんどない。

村には、土の地面に草を散らし、屋根はトタンでできた質素な教会がある。日曜日の今日は、朝から白い布をかぶった人々が教会に向かっていった。資金がなくて、立派な教会は建てられないのですが、と言う。

ミサが終われば、村のお偉いさん男性の自宅の中庭で、男性たちは地ビールの入った瓢箪を片手に話に夢中になるのである。

子どもたちは大人たちにお構いなく、鼻水の垂れた子も、頭にカビの生えた子も、顔の周りにハエの飛ぶ子も元気に追いかけてくる。

まず、お決まりかのようにユー、ユーと話しかけてくる。ユーに続いて、ハローのこともあれば、マニーのこともあれば、ワンブル(1ブルBirr)のこともあり、そしてこの町では、キャラメル、のこともある。

このコンソは、昨年世界遺産に登録されたばかりの村だ。観光客も増えているらしい。

村の方針として、観光客が村を訪問する際には、登録されたガイドを雇い、料金を支払って訪問させよう、と動いているのに対して、自らガイドとして旅行者たちに直接営業をかける人々もいる。世界遺産となった村で、双方の静かな方針の食い違いが起きていた。

一人の女性が大声で泣き叫びながら、幾人かの人々に囲まれて坂道を下っていた。そのうちに、バイクに乗った男性や、警察官を後ろに乗せたバイクなどがその周りに集まり始める。悲しいできごとが、起きたのだ。

コンソからアルバ・ミンチまでは乗り合いバンに乗って帰ることにする。バンが満席になるまで、もらったチャットを噛みながら、あるいは時間をもてあましている地元の男性たちと話をしながら、2時間ほど待つ。そしてようやくバンは発車する。

鞄や荷物はバンの屋根の上に置かれるはずだが、それにのりきらない袋がだらりとリアウィンドウまで垂れ下がっている。よくこれで運転ができるものだ。

大きくて太い角をもった、たくさんの牛たちが、道の真ん中を通っていく。バンは時折停車をして牛をよけながら、進んでいく。

多くの人々が日曜日の午後を外に出て楽しみ、子どもたちが裸足で遊びまわっている。薬草を地面に置いて売る人々がいる。

18時にはアルバ・ミンチに戻ってくる。
地ビールが効いたのか体調がどうにも優れないので、雨の降るアルバ・ミンチでゆっくりと休むことにする。

唇や耳たぶにお皿をはめる人たち – Arba Minch / Jinka, Ethiopia

最終目的地に向かうための2日目。今日も朝は早い。5時には集合し、荷物をバスの上にあげて(もらい)、出発となる。

8時前に、コンソ族が多く住むコンソという小さな町で休憩となる。小さな喫茶店に入り、チャイをオーダーする。これも甘い砂糖がたっぷりと入れられている。

更に先に進んだ、川を渡ってすぐのところに一部舗装されていない道がある。

そこに、過搭載をしていた大型トラックが瓦礫の坂道で立ち往生していた。トラックのわきにはわずかなスペースしかなく、このままではバスが進めない。

誰からともなく、乗客みなバスを降りていき、男性たちはどこからか手に入れてきた金属の棒でわきの岩を叩き始めた。

トラックが動き出すのを待たずに、岩を叩き壊して道をあけるのだ。汗をかきながら、順番に無言の助け合いが発生しながら、岩が叩かれていく。時には大きな石をもってきてコテの原理を使ったりしている。

外は太陽ががんがんと照り輝き、みなシャツが濡れていく。

UNやSave the Childrenと車体に書いた車が、通り過ぎていく。

川の向こうに住んでいるというコンソ族の人々が、それぞれ鶏や野菜を手にもち、あるいは背中の籠におさめて、隣町の市場に向かっていく。

1時間ほど大男たちが岩削りに励んだ結果、ようやくバスが通れるだけのスペースができた。ぶつかってもおかしくないすれすれの道を、男性たちが手招きをしながら、通っていく。

無事に通り過ぎたときには、拍手と歓声が起こった。それでも、またみなすぐに黙々とバスに戻り、各自の席につく。

その後も2度故障し、バスはしゅーっと音をたてる。乗客が一度降り、修理をして進むもまた故障するといった具合でも、みな文句ひとつ言わずにただ助け合っている。

Fiat社のバスらしい。もう20年も使っているというから、ガタがきていてもおかしくないのだ。

畑に並んで腰をかがめ、手で作業をしている人々を眺めながら、2日目の14時前にようやくジンカの町へと到着した。

ジンカの土曜マーケットには、オモ川流域の少数民族の人々が集まってきている。
植物油から、にんにくや野菜、バナナやマンゴーといった果物に芋、香辛料、料理用の壺やコーヒーポットなどが地面に並べられて売られている。

マーケットに来ている人々の多くはアリ族という。男性は髪をととのえ、短いスカートをはいていることもあり、手には小さな木のヘッドレストをもっていることもある。これは、寝たり、眠ったり、喧嘩をするときに使ったりするらしい。

女性も、鮮やかな緑や青に、腰にビーズのベルトを巻いたりしている。

ムルシ族という、女性は唇や耳たぶに土器や木器で作った皿をはめ込んでいる民族も、近くの村から訪ねてきている。えんじや水色などの格子の布を身体に巻いて、買い物にいそしんでいる。

穴を開け始めるのは、デコレーションであり、15歳ころから始めるという。ただ、唇に穴をあけるという習慣は、政府によって良くないものと教育されるようで、学校に通う生徒たちは穴をあけない子どももいるのだそう。ただ、政府の教育にムルシの人たちは耳を傾けたりはしないんだという話も聞いた。

スティック・ファイツといって、力の強い男性を決める戦いがあるらしい。勝った男性は好きな女性と付き合うことができるというのだから、大事な試合なのである。結婚には、牛を貢ぐこともあるらしい。

ムルシ族、外国人を見つけては遠くからもやって来て、写真を撮って、とポーズをとる。それで写真撮影代をもらう、ということである。

口には穴を開けずに、耳にだけ大きな穴を開ける人も少なくない。身体に点々と模様をつけた人も、腕や脚、首にアクセサリーをつけた人も、胸をあらわにして見せてポーズをとる女性もいる。

子どもたちも、ユー(You)、マニ―(Money)と言ってくる。あるいは、サッカーボールを買いたいから100ブルちょうだい、と口を揃える子どもが周りをぐるりと囲む。

この地域の子どもたちもほとんどが無料の高校に進学を果たすのだという。学校ではアムハラ語、英語、数学、生物学、公民、物理学、化学、歴史、地理を学ぶと言った。

そのうちに大雨が降ってくる。それぞれに雨宿りをしたり、案外に傘をさしたりする人々がちらほらいる。

小さなバーでは、地ビールやアレケというお酒などを飲む若い男女で溢れている。

雨があがっても、町の道は泥だらけでぬかるんでいる。

宿のそばの食堂で、Bedeleビールと、いり卵と牛肉と玉ねぎを炒めたそぼろのようなものにインジェラを合わせる。

こうして、賑やかマーケットの土曜日の夜も、更けていった。

エチオピアのバス旅 – Addis Ababa / Arba Minch, Ethiopia

今日もバスは朝早い。ジンカという町に向かうため、5時にはターミナルに到着するようにホテルを出る。まだ外は暗く、半分の月が白く輝いている。

薄暗いターミナルでは「ジンカ、アルバミンチ、ジンカ、アルバミンチ」と呪文のようにつぶやいて客を集める人々がいる。

バスの出発は、2012年5月11日、5時半。

チケットには、2004年9月3日、11時30分と数字が書かれている。
エチオピアカレンダーの日付とエチオピア時間だ。
文字はアムハラ語で書かれているので、読めない。

目的地のジンカまでは2日かかるため、どこかで一泊するらしい。夜に走らないエチオピアのバスは、1日目の夕方に一度解散し、みなそれぞれ宿泊先を探して一泊し、翌朝早くにまた集合して最終目的地へ向かうという、2日がかりの道のりが少なくない。

外が徐々に明るくなる5時半を過ぎても、同じ出発時刻だろうバスは一台も発車する気配がない。

エチオピアのバスの特徴の一つでもある「かばん持ち上げ人」が今日もいる。エチオピアのバスでは、高級バス以外天井の上に鞄を載せるのだが、どこからともなく現れた「かばん持ち上げ人」たちが、乗客の鞄をひょいひょいとバスの上にのせて、チップちょうだい、と言うのである。

時に、鞄をひったくるかの目つきと勢いで向かってくるかばん持ち上げ人たちもいる。

こうして、かばん持ち上げ人が鞄をバスの上に載せて、乗客の座席も定まり落ち着きを取り戻して、いよいよ発車するころには6時半を回っていた。

バスは、通路をはさんで2席と3席に分かれているつくりで、普通に座っても膝が前の座席にあたるほどのスペースをあてがわれる。

バスの走る窓からは、Child FundやWorld Vision、Mercy Corpsといった団体の看板が見える。

藁でできたとんがり帽子をかぶる、土の家が点々としている。山々には段々畑が広がり、木の棒をひいた牛や、くわをもった女の子が畑を耕している。

牛にひかせる木の棒をひょいひょいともった男性が歩いていき、おばあちゃんと女の子が並んでたくさんの木を背にしょって歩いていく。

ろばは木材や大きな袋をのせた荷台を黙々と運んでいく。

バスの中では、のりのりの音楽が、割れた爆音で繰り返し流れている。

川で洗濯をする女性たちがいれば、川にトラックをつっこんで洗う男性もいる。

途中、朝食休憩でみなが降りる。小さな町の小さな食堂にも、本格的なコーヒーメーカーがあるところがいかにもエチオピアらしい。

マキアートとコーヒーをオーダーすると、当たり前のように砂糖がたっぷりと入ったグラスが運ばれてくる。これが、なんとも美味しい。

隣の店では、みなが木の椅子に腰かけてテレビをみている。その先に入っていくと、コーヒーセレモニーのセットを前に、女性二人がコーヒーをすすっていた。

額に大きな穴が開いて中が見えている男性、腕を途中からなくした男性、膝から足がついている男性、いろいろな人がバスに集まり、物ごいをする。

休み時間を終えて、再びバスは動き出す。

外にチンパンジーが現れても、バスが泥道にはまっても、乗客は一様に興味を持って窓の外を眺める。

山羊が轢かれて死んでいる。バスは舗装道と未舗装道が繰り返される道を進んでいく。おしりは徐々に痛くなる。

そのうちにチャモ湖が見えてきて、15時半過ぎにはアルバ・ミンチに到着する。どうやら、この先のジンカまで今日は行かず、みなこのアルバ・ミンチに一泊して、明日の朝また集合してください、ということらしいことが、雰囲気で伝わってくる。バス会社から、何か説明があるわけでは、ない。

15時半過ぎということもあり、同じバスターミナルで「ジンカ・ジンカ」と客引きをするミニバンの男性たちもいるくらいだが、とにかくわたしたちのバスは今日の営業はおしまいなのである。

今日はアルバ・ミンチに泊まり、明日の朝にまた集合することにする。宿泊することにした宿は断水をしていた。それでも数時間後には復旧するという。街でも、敷地にタンクをもっているところは問題なく過ごせるが、そうでない場合は、水が使えなくなる。

断水にもみな動じず、敷地内に一つ設置された大型水タンクでは男性が身体を洗っている。

宿の前のKibiye Viewカフェ&レストランで夕食をとることにする。このレストランにも、コーヒーセレモニーセットが備え付けられている。2階に位置するレストランからは、向こうのほうにチャモ湖を望むことができる。目の前の道には、スーツを着た人々がなにやら嬉しそうに歩いていく。

エチオピアのカッテージ・チーズ、アイブとキャベツのみじん切り、ゴーマンを合わせたものと、ドライトマトを使ったインジェラ・フルフルをオーダーする。どちらもインジェラに巻いて食べるのだが、これがにんにくの効いたイタリアン風味でなんとも美味しいのである。St.Georgeビールが進む。

アディスアベバは標高2500m程度でマラリアの危険のある2000mを越えていたが、ここアルバ・ミンチは、標高1300m弱。宿には蚊帳がついている地域になった。

かえるが大きな音でぐわぐわとなく中、蚊帳の中で眠りにつく。