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エチオピア最高級バスと停電の夜 – Harar / Addis Ababa, Ethiopia

アディスアベバへの帰りは、エチオピア最高級バス、スカイバス社に乗って帰ることにする。

出発は5時半、まだ夜のあけないハラールのモスクには、人々が集まって祈りを捧げている。

長いギリシャふう石柱をバスの荷台に積み込む乗客がいる。みな、荷物が多いことこの上ない。

そのうちに日が上がり、霧のかかった山が広がる。

Awashという町で一度みなバスを降りたので、それに続いて降りると「外国人は降りちゃいけない。密輸のことだから。戻りなさい。」と片言の英語でとぎれとぎれに、ややおっかない顔つきで言われる。

はい、と戻る。

今日も転覆したトラックを横目にバスは先を急ぎ、さるが走り、子どもたちがバスを追いかけてくる。

山に沿った舗装道をぐねりぐねりと進んでいく。段々畑に点々と藁が積まれている。土でできた家々には、トタン屋根が置かれている。

8時ころ、朝食のサービスがある。最高級バスらしく、ドリンクはジュースかお茶から選ぶことができる。スポンジケーキは昨日のSelamバス社のものより、一回りオオキイ。お茶は緑茶、それに砂糖が手渡される。

そのうえ「スカイバス社のために特別にボトルづめされています」と書かれた、ゆるゆるのラベルが貼られた水のペットボトルも配られる。

座席も革ふう、窓も大きく、座席のうしろにはテーブルがついていて、お手洗いつき、音楽もジャズやフュージョン、もしくはお正月のようなタンタカ静か系。

まさに、最高級。

ろばはぼんやりと佇み、山羊は男の人にひかれていく。

乗客は、バスの前方のテレビ画面に流されるドラマの笑わせどころで、揃って一斉に笑う。

昼食はマタラという小さな町でとる。Makhaay Adda Muslimと看板の書かれた店を入っていくと、奥には右手にござが敷かれ、左手には簡易のテーブルと椅子が置かれ、男性たちがインジェラを食べている。

羊肉とインジェラをオーダーする。大きな皿いっぱいに広げられたインジェラの上に、金属の器に盛った羊肉が乗せられてくる。それに店員が、エチオピアのスパイス、バルバリを少し振りかける。

バスはその後も牛などが道を遮るたびにクラクションを鳴らしながら、進んでいく。

バスの外に川、それにかけられた鉄道を歩く人々、掘り返された石の山が見られる。窓の外を眺め、テレビに夢中の乗客の笑い声を聞きながら、昨日市場で買っておいたエチオピア・ドーナツ、ボンボリーノをほおばる。

16時半にはアディスアベバに戻ってきた。

明日のジンカ行きのバスチケットを買いに、ミニバスに乗ってバスターミナルへと向かう。マルカートという治安が悪いといわれているエリアに近いバスターミナルは、混沌としている。ミニバスから降りれば、すぐにあちらこちらから「どこへ行くんだ」と声がかかる。

チケット売り場にたどり着くと、そこにはくねくねとしたアムハラ語がずらりと並んでいて、一体どの窓口へ行けばよいものやら検討もつかない。

だれかに尋ねても、みな答えが分からないまま、「はい」を意味する、息をひぃと吸う仕草をしてみせる。こちらも息を吸い込みそうだ。

ようやく辿り着いた売り場で英語もなかなか通じず、どうしたものかと思っていたら、隣から青年が助けに入ってくれた。

明日も朝が早いので、このままバスターミナルの近くに宿をとろうと歩く。あちらこちらから今度は「こっちの宿が良い、ついてきなさい」と声がかかる。

思いのほか、今日は満室のホテルが多いようだった。お手洗いもシャワーもない、ただベッドがぽんと置かれただけの酒場の裏のブンナベッドでさえ満室になっていた。

声をかけてきた幾人かが口にしていたOne Planetホテルというところに入ってみる。部屋の灯りがつかない。水もでない。そのうちに日がとっぷりと暮れ、室内は暗闇に沈んでいく。窓の外から見回しても、その辺り一帯が暗い。

町中が停電になっていた。

わたしたちがどうしたものかとうろうろとしていても、地元の人たちは落ち着きはらって手慣れたふうにろうそくを灯しだす。

外に出てみると、やはり街は暗く、人々だけが行き交う、どうにも物騒な雰囲気だ。

そのうちに電気は復旧した。地元の人々は停電にも動じず、同じように復旧にも動じない。
水は出ないままだけれど、電気があれば、良い。

夕食をとりに、外にでる。宿の近くには肉屋が数軒並んでいる。どうやらその奥がカフェ兼レストランになっていて、インジェラなどが食べられるらしい。

そのうちの一軒に入ってみる。牛肉とインジェラをオーダーする。すると、表にぶら下げてあった肉の塊から調理するぶんだけを器に盛り、裏のキッチンに持っていって、料理される。切りたて、焼きたての肉はミルキーで、添えられたからしとバルバリのスパイスが絶妙に合う。

One Planetホテルのレセプションには、赤い長棒を手に、布を顔に巻きつけた男性や、覚醒作用をもたらす葉、チャットを噛む男性、うつろな目をした女性などがとっかえひっかえに訪れる。物語のあるホテルだ。

そのホテルのレセプションを務める男の子が一人、電気を確認しに部屋へ来て、それから椅子に腰かけて話を始める。

アディスアベバ出身の男の子で、広島、長崎に原爆が投下され、長崎のそれはFat Manと呼ばれていること、伊藤博文についてまで知っている男の子だった。

彼も他のエチオピアの人たちと同じように、エチオピアがアフリカで長期植民地化されていない稀な国であることに誇りをもっていた。エチオピアの人たちは、他のアフリカの国の人たちと肌の色も違って、薄い茶色なんだ、と言う。

この国のインフラも整いつつあるが、政治家がだめだと口びるをたてる。独裁者で、武器を使って統制しているんだ、と言う。これは民主主義とはいえない、と加えた。

それでも、エチオピアは素晴らしい国だと言った。人も優しくて、勤勉で、寝る間も惜しんで働くんだ。日本と似ていると思う。ぼくも一日18時間働くよ。人々の間の絆が深いこともとても良いことだ。ただ、最近は、その絆が薄れてきている。

かつて友だちの紹介で、ドバイで1年ほどTシャツなどを売っていた。アラブ諸国に働きにいくエチオピア人は少なくない。女性も家政婦などで稼ぎに出かけている。ただ、アラブは石油に頼っているし、汚いんだ。お金も大切だけど、それは二の次で、一番大切なのは思いやりだと思う。だからドバイにはもう戻らないよ、と苦かった時間を思い出すかのようにつぶやいた。

彼のお父さんはイスラム教徒だというが、彼は自ら選んでキリスト教徒となった。アディスアベバには教会がいくつもあり、ときどき訪ねて行くのだといった。

復旧した電気は、途切れることなく部屋を照らし続けていた。

エチオピアでイスラム教徒の多い街、ハラール – Addis Ababa / Harar, Ethiopia

エチオピアのバスも早い。今日は6時発のバスで、ソマリアに近い、東のほうのハラールという町に向かう。雨の降るまだ暗く人も歩いていないアディスアベバをタクシーの窓の外に眺めながら、ターミナルに到着する。

町にはアザーンが響いている。

エチオピアのいくつかの町へは、高級バスが走っている。高級バスといっても、リクライニングしなかったり、布は破れていたりするけれど、とにもかくにも、座席は柔らかく、雨漏りもしない。ローカルバスには予約は不要だが、この高級バスは予約が必要となる。

2社の高級バス会社のうち、Selamバスを選んでみる。時計は、やはりエチオピア時間を指している。朝6時。 ― 時計は正確に0時をさしている。

出発してから2時間半ほど、バスが停まった。前には行列ができている。大きなトラックが転倒したのだった。こういうことはよく起きるんだ、とハラール出身の男性が言った。

車内には演歌ふうの音楽が穏やかに流れている。高級バスらしく、軽食のサービスがある。添乗員の男性がプラスチックのかごに入れたスポンジケーキを配る。続いてミックス・ジュースか水をどうぞと配っていく。

しばらくすると、倒れたトラックを横目に、バスはわきの砂利道を揺れながら進み、舗装道へと戻ってハラールへとまた急ぎ出す。

12時半ころ、Hirnaという小さな町に到着し、お昼休憩となる。馬が人をのせ、山羊が歩いていく。道行く男性も子どもたちも話しかけてくる。一軒の食堂に立ち寄り、他の客が食べていたインジェラを注文する。

じゃがいもとにんじん、それにスパイシーな豆とビーツののったインジェラだ。ここでも男性たちグループが数組やってきては、わたしたちに話しかけ、右手でインジェラを器用に包みこんで口に放り込み、あっという間にたいらげて、店を出ていく。

30分ほど休んだ後、バスはまた出発する。段々畑が広がり、人々は腰をかがめて作業をしている。ところどころ藁の積まれた丘があり、平地にいけば、牛を追う人々がいる。

草地でサッカーをしている男の子たちがいる。

到着近くなると、再び水の入ったペットボトルが配られる。
こうして16時過ぎにはハラールの街に到着した。バスを降りたところに女性たちが集まり、わきに水のタンクを置いて洗濯をしている。

ハラールは、1520年にダカールから遷都された街である。そして、数多くのモスクがある、イスラム教徒の多い街だ。

城壁に囲まれた旧市街と新市街に分かれていて、新市街は舗装された道が通り、近代的な建物が並んでいる。

初代アミールのAmir Nurの肖像が飾られたゲートをくぐり、旧市街へと入っていく。

中心にあるアドハネ・アレム教会の少し先に、おじいさんと少年がやっている、街角のコーヒー屋でコーヒーをいただくことにする。プラスチックの容器に入れた砂糖を3杯カップにすくって、ポットに入っていたコーヒーを注ぐ。

ハラールコーヒーも有名だ。真っ黒な色のコーヒーも、チョコレートのような味がして美味しい。

モスクの隣にはNure Roasted Harar Coffeeと看板のたつコーヒー工場がある。ふわりとコーヒーのアロマが漂う。

そこから石畳の細道へと入っていく。市場では、バルバリなどのスパイス、野菜や果物、土でできた平たい器に黒の上薬を塗った陶器などを女性たちが売っている。

あちらこちらで子どもたちが写真を撮って、といってポーズをとったり、あるいは「マニ」や「ペン」と請う。

ギリシャ商人の豪邸を改造し、フランス詩人でここに定住し貿易を営んでいたランボーの資料を展示したアルチュール・ランボー・ハウスにも子どもたちが連れて行ってくれる。

道ばたで売られている小さなサモサを口に入れながら、散歩をする。

ハラール式住居では、生活用品や民芸品などで壁を装飾するらしい。インジェラを置くための籠やホーローの洗面器が色鮮やかに壁にかけられ、真ん中には絨毯にクッションが置かれたスペースがある。

更に石畳の道を歩いていくと、チャイを提供している店があったので、薄暗い店内に入る。ほとんど暗くて見えない店の奥には、男性たちが寝そべって休んでいる。チャイは甘く、スパイスが効いていておいしい。

アザーンの鳴るモスクでは男性たちが祈りを捧げている。

Asmaddinゲート近くにたった市場には、暗くなってもまだ人々が大勢いる。女性たちはヘッドライトや懐中電灯を使って、売っているパンやドーナツなどを照らしだす。

一角では、豆のワットにパンをつける店が並んでいる。それぞれ女性が炭で火をおこし、そこで小さな鉄のボウルに油をひいてワットをつくる。その小さな鉄のボウルを鉄のトレイにのせて、あとはパンをのっけて提供される。パンはフランスパンのように外は硬く、中はもっちりとしている。

隣に座っていた少年が、煙草を吸いながら物乞いをする男性に、チャイとパンを買い与える。「僕は勉強をし、収入を得る方法を知った。貯金もある。でも、この人はその方法を知らない。だから、与えるんです。自分が歳をとったら、誰かに助けてもらうことになるだろうから。」

エチオピアによくある、喫茶店や酒屋の裏にある宿、ブンナベッドで眠りにつく。

エチオピア正教とエチオピア時間とインジェラとコーヒーセレモニー – Addis Ababa, Ethiopia

ケニアのナイロビから、エチオピアのアディスアベバまで、フライト時間はわずか2時間。テレビには、「ザ・シンプソンズ」が流れている。

その間に食事のサービスがある。オムレツにじゃがいも、トマト、それに苺ヨーグルト、フルーツの盛り合わせにコッペパンとクロワッサン。ビールはないので、パイナップル・ジュースをお願いする。追って、苦味のある濃いコーヒーが配られる。

やがて、灯りのつく街が見えてくる。アディスアベバである。

空港では男性スタッフの周りに人だかりができている。黄熱病カードを持っているか確認をしている。

ビザ発行オフィスに入ると、二人の男性がのんびりと仕事をしている。「金を払ってください」と支払いを急かされる。

表面が英語、裏面がアムハラ語で書かれた入国カードを記入し、イミグレーション・オフィスに進む。入国カードは見られることもなく、わきに置かれる。カメラが顔に焦点をあて、ぱちりと写真を撮る。担当者がそして、「ありがとうございました。」と言う。

こうして苦労したビザが、あっさりと貼られたパスポートをもって入国となる。

最後にもう一度荷物をX線にとおして、到着ゲートをくぐる。

アディスアベバの空港は、新しく明るい。Wi-fiさえあるという。案内所の男性は、もしよかったら、ここのパソコンを使ってください、とオフィスのパソコンを指さすほどだ。そして「今はまだ朝早くてミニバスで市内に行くのは危ないので、タクシーをお勧めします。」と言う。

空港にあるエチオピア・コマーシャル銀行のATMはひなびた様子で佇み、仰々しい映像と空港に鳴り響くプッシュ音とともに作動する。

雨が降っている。

正規登録されているという空港前のイエローキャブの客引きから一人にお願いすることにする。アディスアベバ出身の男性で夜も空港で客引きをしながら仕事をしているのだという。

宿に到着すると、南アフリカで会い、ザンビアで偶然再会し、その後タンザニアまでの列車で同じ部屋になった韓国の女の子と、再び遭遇する。でも女の子は泣いていた。「昨晩携帯電話が盗まれたんです。」という。携帯電話で友だちと話して、それから携帯電話をウェストポーチに入れたんです。ウェストポーチはずっと前につけていたのに。どこで盗られたのかも分かりません。昨日クラブにいったときに、とても混んでいたから、そこで盗られたのかもしれない。

朝からエジプトビザ取得に動く。エチオピアの北、スーダンのビザを申請するためにエジプトビザが要求されるからだ。

エジプト大使館近くまで行くミニバスが聖ギオルギス教会付近から出ているので、教会まで歩いていく。

道ばたには、靴底、ゴムや鉄の破片、トイレットペーパーの切れはしや草、それに果物などが売られている。靴磨きをする男性が多く、道にずらりと並び、客もまた同様にずらりと並んでいる。みな一様に新聞を広げて読み更けている一角もある。

物乞いも少なくない。目である部分にこぶがあり、やや離れたところに真っ赤な塊をもった男性、ぱんぱんに膨れ上がった足を雨に濡れた泥道に浸して物乞いをしている男性、子どもを連れて手を前に差し出す母親、足の不自由な人。子どもも上目遣いに顔をやや傾けて、手を差し出している。

広場には国旗と赤十字の旗が翻り、赤十字のゼッケンをつけた若者たちが歩いていく。

聖ギオルギス教会は、エチオピア正教の守護聖人、聖ギオルギスに捧げられた教会である。

その石の建物に人々が寄り添い、口や額をつけていく。聖書を読む人もいれば、教会から離れた場所からも教会の方向へ祈りを捧げている人がいる。

エジプト大使館にたどり着き、必要だというパスポート、写真2葉、それにエチオピア通貨Birrを引き出したATMのレシートを提出する。

すると、大使館の女性は、申し訳なさそうに、遠慮がちに言う。「お二人が結婚していることを証明する書類はお持ちですか。もしお持ちでない場合、Birrを引き出したときの各人レシートが一枚ずつ必要なんです。Birrをどのように手に入れたのか証明できないとだめなんです…。」

二人で一枚のレシートしかなかったため、最寄りのATMに行ってお金を引き出す必要が出てきた。最寄りのATMはミニバスに乗っていっていただかないといけないんです、と係の女性が再び遠慮がちに言う。

言われた通りにミニバスに乗り、アラット・キロへと向かう。エチオピア・コマーシャル銀行に立ち寄るもATMは故障している。「弊社の別のATMはここからミニバスで15分ほどいったところにあります。」

午前中までしか申請を受け付けていない大使館に戻る時間を考えれば、もう残された時間は、ない。

急いで近くのアワッシュ・インターナショナル銀行に行って、手持ちのUSドルをBirrに両替して、そのレシートを持ち込むことにする。

銀行の奥の部屋に通され、ぴしりとスーツを決めた男性が手際よく作業する。そのわきで、マスクをつけた人々がコインを丹念にカウントしている。

こうして再びミニバスに乗り、エジプト大使館に戻る、つもりが、間違ったバスに乗ったようで、あらぬ方向へとバスが進む。

それに気がついたときには、11時50分過ぎ、受付終了まであと10分もない。乗客がみな下車をしたバスの運転手は、それならエジプト大使館まで連れて行ってあげるよ、とわたしたちだけを乗せたバスをエジプト大使館前までつけてくれた。

こうして、12時ぎりぎりにオフィスに滑り込み、申請を終える。

やれやれと息をつき、またバスを乗り継ぎ、スーダン大使館へと向かう。ビザ申請について尋ねるためだ。

バスで隣に腰掛けた男性は、奨学金をとって、コンピューター・サイエンスを勉強しているという。バスを降りてからも、道を案内します、と言って、ついてきてくれる。

到着したスーダン大使館は、昼休みで閉まっていた。門番の男性は、9時(インターナショナル時間の15時)ごろにまた開きますとエチオピア時間を表示した携帯を見せて言う。

開館を待つ間、昼食をとりにスーダン大使館からほど近いレストランへ入る。

エチオピアには、コーヒーセレモニーなるものがあって、普通の食堂の片隅にセレモニー用セットが置かれている。

店内では数組の男性グループが、エチオピアで主食として食べられている酸味のあるクレープ状のインジェラをほおばっている。みなそれそれぞれに話かけてくる。

そのうちの一組に、一緒に食べましょうとすすめられ、同じテーブルにつき、インジェラをつまむ。羊の肉をインジェラに包んだり、干し肉とインジェラをちぎったクウォンタ・フルフルを食べたりする。

会計士とIT専門家と学生の3人組みだ。「3人共に兄弟のように親しい友だちなんだ。」と言った。仕事や学校の休み時間にわざわざ集まって昼食を食べたりするほどの仲なのだ、と確かにそう言った。

メニューが全てアムハラ語で書かれていて、全く何のインジェラなのか分からないので、読み解いてもらう。牛肉にインジェラをつぶしたフルフルがインジェラの上にのったものを追加でオーダーする。

エチオピアはここ最近インフラや交通機関も整い、大きく拡大成長しているという。経済はのびているというが、貧富の格差が広がっていることが問題だと男性たちは口を揃える。

友だちや家族の絆がとても強い国に、拝金主義や個人主義が入ってきて、その絆がゆるみつつあるのが残念だと言った。

イタリア統治の時代が5年あり、町にはイタリア建築の影響を受けた建物もある。でもエチオピアは、アフリカでとても稀な、長期植民地化のなかった国なんです、と誇らしげに言った。

食事が終わると、コーヒーセレモニーセットの前で記念撮影をしましょう、と誘われる。

三人のうち一人は仕事に戻ると言っていなくなり、もう一人はどこかにいなくなった後、真新しい車に乗って戻ってきた。「コーヒーを飲みにいきましょう、車に乗ってください。」という。

一人は車に乗り込んだままだ。そのうちにもう一人が車内にいる男性を指して、ひそひそとわたしたちに囁き始める。「本当は彼は友だちじゃないんだ。だから彼なしでコーヒーを飲みに行っても良い。とにかく、車に乗ってください。」

彼は時折何かを考えるかのように目をそらし、そして曇った顔を見せるようになった。この様子では、車には乗れない。

残念だが、コーヒーをご一緒することはお断りし、昼休みを終えただろうスーダン大使館に急ぐことにする。

ビザについて尋ねると、スーダンの次に行く国と国籍を聞かれる。

エジプトに行きます。国籍は日本です。

パスポートと写真2葉、それにエジプト・ビザと100ドルを出してもらえれば24時間でビザを発行しますよ、と、見た目にこわかったおじさんが、にこりと笑って言う。

そして、なんでも聞いてください、大丈夫です、心配いりませんよ、と言い加えて、がははと笑った。

スーダン大使館から出て、近くのカフェに寄っていくことにする。雨は一層強くなり、店の天井を覆う木の網目からは雨が漏っている。

ここにもコーヒーセレモニー用セットが片隅に置いてある。

小さなカップが並べられたテーブルのわきに乳香などから作られたお香と、炭が置かれている。お香の煙とコーヒーの香りが立ち込める。店の女性は、その煙の中で、ぱたぱたと炭を煽ぐ。客がくれば、炭の上に置いたポットからコーヒーを注いで差し出す。

濃い色をしたコーヒーに、薄っぺらなステンレスのスプーンで2杯砂糖を入れる。エチオピアのコーヒー・セレモニーといえども、日常に溶け込んだそのセレモニーは、ステンレス製の砂糖入れには中国語のラベルが貼られているといったぐあいに、あくまでカジュアルなものだ。

コーヒーは甘さと苦みをもつチョコレートのような味がする。

隣から話しかけてきた男性二人はコーヒーを飲み終えてすぐビールジョッキに突入していく。そして日本は強い国だ、と親指をたてた。

夕食は、宿から歩いてすぐのWedubeポート・レストランでいただく。船をモチーフにした食堂には、地元の男性たちが一人か二人、あるいは三人でインジェラを囲み、手でそれを器用に食べていく。こんなふうに、男性グループがさして時間をかけずにインジェラをたいらげ、去っていくのが多いようである。

豆とインジェラをオーダーする。店に置かれていなかったSt.Georgeビールを、店員の男性はわざわざ近くの店まで買いにいってくれた。

ケニア-エチオピア国境情報

ケニアのナイロビから、エチオピアのアディスアベバまで飛行機で行くルートです。

1.ナイロビの空港まで行く。(※航空会社ごとにターミナルが違うので、確認してください。)
2.空港に置いてある、出国カードを記入し、パスポートと一緒に出国手続のカウンターに提出。
3.飛行機に乗る。
4.アディスアベバ空港到着後、黄熱病の予防接種の証明書(イエローカード)の提示を求められる。
5.入国審査の前、左側にビザの係があるので、入り、ビザ申請用紙を記入し、提出。
 (※US$ 20.00)
6.入国審査で、パスポートを提出。
7.空港から中心地まで、ミニバスかタクシーで移動。(※タクシー 所要20分 ETB 200-.)

◎両替はしませんでした。
 ATMがアディスアベバの空港にあります。