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Sudan

たくさんの善意と、こまぎれの情報で、旅がゆっくり進む国。 - Khartoum, Sudan

朝は、道ばたでいつものようにシャイを飲み、オレンジを買ってバスに乗り込む。

今日は、昨日閉まっていた観光庁に朝から向かう。政府機関なので、堅い雰囲気なのだろうとふんでいたら、担当の女性は、物腰柔らかく、古いぶ厚い本を取り出してスーダンについてを語り、しまいにはその本をあげます、と言う。そのうえ、チョコレートを手渡され、ハイビスカスティーを淹れるので飲んでいってくださいね、と言う。

昨日の警察署のようすとずいぶんと違うものだから、同じ政府の管理下とは思えない。

旅行許可書も撮影許可書も、とりあえずこの観光庁で取れるというので、ほっとする。地方を旅行する際に必要だと言う旅行許可書も、かつては取得に24時間かかったと聞いていたところをわずか5分ほどで済んだ。

しかもその許可書は、旅行許可書と撮影許可書が1枚になったものになっていた。かつてよりずいぶんと効率化されたのだという。こうして思いがけず、撮影許可書まで取得するにいたった。

それにしても、ビザ申請から滞在届に旅行許可書に撮影許可書。それぞれに何が違うのかよく分からない書類がいろいろと求められる国である。しかも、申請先がころころ変わり、担当者の言うこともてんでばらばらだ。

観光庁の建物を出たところで、観光庁のマネージャーと、大学教授だという男性と挨拶を交わすと、「コーヒーをごちそうしますから、木の下で一緒に飲みましょう」と誘われる。

マネージャーも物腰柔らかく、日本にも仕事で数回来たことがあると言う。天皇陛下と握手をしたこともあるというのだから、それくらいの地位の人なのだ。

そこからバスに乗って、一度スーク・アラビのターミナルへと戻る。途中、バスの車掌が下車したまま、運転手は車を発車させ、おいてきぼりにしてきてしまった。車掌は別のバスに乗って、バスに追いつき無事に帰還を果たしたものの、なかなか大変な仕事である。

この街の車や機械製品はたいてい日本か中国か韓国のもので、コカコーラやペプシ、セブンアップはあるが、スターバックスもマクドナルドもない。

ハルツームの北のカリマという町へ移動するためのバスのチケットを予約しに、改めて、教えてもらっていたアボ・アダムバスターミナルに向かうも、大きいと聞いていたターミナルは交通の便もよくなく閑散としていて、しかもカリマ行きバスは、Sajanaバスターミナルからしかないという。

こうして人々の指し示すカリマ行きバスのターミナル3か所はどれも間違っていて、4か所目のSajanaターミナルで、ようやくカリマ行きバスを見つけるにいたった。

Sajanaターミナルにたどり着くのもまた一苦労することになった。そこは、ターミナルと呼ばれているものの、道にバスが停車していて、バス会社のカウンターがぽつりと道沿いにあるくらいであったから、どうにも見つけづらい。

とにもかくにも、ようやくバスのチケットを手に入れる。

スーク・アラビのターミナルに戻り、そこに並ぶジューススタンドや食堂の一軒に入り、モパダというデザートに、マンゴーミルクシェイクをオーダーする。こういった甘いものを出す店には、女性同士の客や、デートふうの男女がいたりする。

隣の席にいた男性と挨拶を交わすと、男性は「スーダンは良くない国でしょう。」とやや遠慮がちに言う。謙虚なのか、自国を好きではないと話す人々が、スーダンには見事に多い。

でもスーダン人ほどにウェルカム感情をもち、親切心に満ちた国民もまた珍しい。そして、どことなく洗練されている。

バスに乗ってもたいてい満席で、補助席もフルに活用されているものだから、車掌への集金も手渡しリレーである。後ろのほうの人が下車するとなったら、補助席に座った人たちは一斉に立つ必要がある。それが、平然とこの国では、行われている。

ジューススタンドの看板には、むきむきレスラーが描かれている。

子どもたちがお金をちょうだいと目の前に立つ。

ペンギンが怪我をした絵がやたらとバスに貼られている。

ハルツームの近くに、世界最長級のナイル川の上流、ブルーナイルとホワイトナイルが合流する地点がある。その地点を見るために、ホワイト・ナイル橋へと向かう。

ハルツーム滞在中、バスのハブとなっているスーク・アラビとスタッド(スタジアム)のターミナルは幾度も往復した。またこのターミナルをうろうろとし、尋ねた人々の情報に右往左往させられながら、そして親切心に助けられながら、ホワイト・ナイル橋へと向かうバスへと乗り込む。

この国では、道を尋ねると、多くの人たちがその行き先までついてきてくれたり、あるいはバスが来るまで一緒に待っていてくれたりするのだ。

それと同時に、尋ねる人はほとんど英語を話さず、それでもなんとか答えを生み出そうとがんばるため、結果としてなんだか違う方向の答えが出てきたりするのである。

今回も、教えてもらって乗車したバスが間違っていたことが分かり、下車をして乗り換えたりしながら、無事にバスでホワイト・ナイル橋にたどり着く。「白い」ホワイト・ナイルと「青い」ブルー・ナイルの色は、変わらず、同じように濁り、同じように砂ぼこりで霞む空に包まれている。

橋を歩いて渡っていると、車の中からあちらこちらで「ニーハオ」と声をかけられる。ハルツームを歩いていても、たいてい「ニーハオ」か「チャイナ」である。

夕食は、宿の裏手にある食堂の並ぶ一角で、牛肉やじゃがいも、にんじん、ウリの入ったトマト煮、Khadar Mushakalに、サラダとパンのついたものを頼む。パンは、頼まなくても出てくる、なじみのいつものパンである。

食事を終えた後、冷房のよく効いたHorizonホテルのレストランで、ノンアルコールビール、Bavariaを飲む。どうやらインド系ホテルらしく、レストランの客の多くはインド人だ。

シエラレオネ出身で、現在ダルフールの国連機関で働いているという男性とも話をする。

かつてコソボでも働いていたという彼は、コソボのときには町はゴーストタウンと化し、仕事をしていても銃声音が聞こえてきたのと比べ、ダルフールでは、戦地と人々の暮らす地域が分かれていて、国連関係者が宿泊している施設は厳重なセキュリティで守られているのだと言った。

もう60歳になるというその人は、どうみても40歳くらいにしか見えない。

アルコールが法律で禁止されているこの国では、やはり表向きアルコールが販売されていることはないし、店で飲んでいる人を見かけることもない。

ただ、ひたすらに喉がかわくので、みな道ばたの無料水タンクから冷えた水をがぶ飲みしたり、木陰でシャイやコーヒーを嗜んだり、ジュース屋で氷の入ったハイビスカス・ティーやシャイール、ハーブのアラディップ、グングレスなどを飲んだり、あるいはペットボトルに入った炭酸飲料をごくりとやる、といった具合である。

とにかくスーダンに入ってから1日3リットルくらいの水のペットボトルを消費し、そのうえにシャイやコーヒーや炭酸飲料を何杯も飲んでいる。ただ、たいていの飲み物は砂糖がたっぷりと入り、日中に持ち歩く水のペットボトルはすぐにお湯へと変わるので、やはり冷房の入る室内で苦みのあるビール風味のドリンクをぐびぐびとするのは、スーダンドリンク生活の中では異質の時間なのである。

身柄を拘束される。 – Khartoum, Sudan

朝は、砂埃のやや落ち着いた街で、シャイをいただきながら、バナナをほおばる。

今日は、入国後3日以内に行わなければ出国できなくなることもあるという、滞在届なるものを提出しに、Aliens Affairs Departmentに向かう。

まず、届けを出す先がAliens Affairs Departmentだということを知るまでに一苦労。

そして、申請にも、パスポートやビザのコピー以外に、レターやスーダン人のスポンサーなる人のIDコピーまで求められる、なかなかにハードな手続きなのである。

ホテルで書いてもらったレターに、ホテルに出入りをしていた男性に頼んでパスポートをコピーさせてもらった用紙を握り、窓口へ向かう。

印紙代と申請代を支払い、基本情報から、職業、スポンサーの住所、スーダンと日本国内の住所といった項目を用紙に記入して、申請をする。

オフィスは涼しく、モスクの写真が貼られ、猫がするりと通っていく。きれいな格好をした仲介業者らしき人々が出入りをしている。

待つこと、約1時間。パスポートのわきに無事にCentral Registrationと書かれた滞在届のシールが貼られた。

そこから今度は、週に1度水曜日に出ている、スーダンWadi Halfaから、エジプト、アスワン行きのフェリーのチケットを買いに、ハルツーム北駅にあるチケット売り場まで向かう。

ハルツーム北駅行きバスを探していると、エジプト出身の男性がバス乗り場まで連れて行ってくれた。彼は、スーダンは暑いし、政府がだめだ、と言った。

ザクロのジュースを飲みながら、バスを無事に見つけて、フェリー会社のオフィスに到着する。思いがけず英語の堪能な男性を発見し、チケット購入まではとても順調な一日だ。

スーダンを旅行する際には、ビザと滞在届に加えて、地方旅行をする場合には、旅行許可書なるものも必要だとかそうでないとか。

とにかく聞く人みなが違う答えなので真相を確かめるべく、その管轄だと聞いた観光庁に向かう。観光庁の管轄だという話も、心もとない。

イエメンから来ているという男性が、わざわざわたしたちを案内するためだけに一緒にバスやトゥクトゥクに乗り込み、観光庁の場所を案内をしてくれ、そして乗車料金を払ってくれたりする。MBAを取得するためにスーダンに来ているその男性は、スーダンの教育はイエメンよりも良い、でも気候はイエメンのほうが良い、と言った。

観光庁の建物にたどり着けば、英語がとんと通じなくなり、現れた警察も「トゥモロー・モーニング」と繰り返すばかりだ。どうやら、オフィスは金土は閉まっているらしい。口癖のように「トゥモロー」と繰り返し、しまいには「僕は学生だから、辞書をください。」と警察が、言う。

その後、ハルツームから向かうカリマ行きのバスチケットを探しに、バスターミナルへと向かう。ハルツームにはいくつかのバスターミナルが離れた場所にある。

ホテルのフロントに聞いたMina al-barriバスターミナルに行ったら、カリマ行きはBahriターミナルから出ていると聞き、Bahri地区のターミナルにたどり着くと、今度は「カリマ行きはサースデー(言いたいのは、火曜日。)までない。」とサースデー(木曜)とトゥースデー(火曜)をごちゃごちゃと混乱しながら言う。

結局今日は、カリマまでのバスがどのターミナルからよく出ているのかさえ分からなかった。

聞く人、みな違う答えが返ってくるので、一体何の情報が正しいのか、てんで分からない。少し前に正しかった情報も、ころころと建物が変わったりするので、今正しいかどうかは分からない。

スーダンの旅は、そんな人々の善意と、あやふやで間違っていることも多々あるそれぞれの人の知識の破片とで紡がれていく。

そんなわけで、一つの動きをとるのに、大変な時間のかかる国なのである。

夕方になって砂埃がでてきたので、レストランに入って食事をとることにする。

カメラを取り出し、レストラン前の道で一枚写真をしたためて、店内へと入る。後方にいた青と白のチェック柄を着た男性から、「今撮った写真を消しなさい」という注意があった。それに、従う。

夕食は、fuulという豆をすりつぶしたものに野菜を混ぜ、すこしの香辛料とゼット・シムシムというオイル、チーズを削ったものをふりかけたものをオーダーする。それに、いつもの平べったいパンがついてくる。

近くの店でオレンジの炭酸飲料、mirandaを買ってきて、喉の渇きを潤す。

思いのほか、ずっしりとしたボリュームのある豆料理をほおばっていると、さきほどのチェック柄の男性が現れ、「CAR」と言う。車に乗れ、ということらしい。

英語が話せないということで、まわりの人々が通訳をかってでる。どうやらその男性はわたしたちを警察署へと連れて行く、というのである。

とにかく食事中だと伝えると、男性はじっと外で待っていて、食事を終えたころ再度「CAR」と言いにきた。

パトカーに乗り、警察署へと連れて行かれる。

警察署は、明るく、冷房がきいて快適で、座り心地の良いソファがしつらえてある。

私服を着た男性、青い制服を着た男性やイスラムの白い服装を着た男性たちが、次から次へと入室と退室を繰り返して、わたしたちと会話を交わす。誰もがきれいに整った服装を着ている。

「許可書なく路上で写真を撮ってはいけません。」と説教を受ける。撮影許可書なるものを取得しなさい、ということらしいのだった。

「はい、分かりました」と応える。

英語を話せる唯一の男性は、「僕はタイが好きなので、今度休暇で行くんです。タイも日本もインドネシアも大好きだから、リラックスしてください。今、スーダンでは多くの問題が起こっています。だからこうして、あなたたちにも警察署に来てもらっているんです。問題がなかったら、謝ります。そしてお帰りいただきます。ところで、ケニアに行きましたか。ケニアは良くありません。」

そして何度も繰り返す。「イスラエルは?イスラエルには行きますか?」そして、今ダルフールで起きている問題を知っていますか、スーダンの南のほうやダルフールに行って写真を撮りたいなんて思わないですか、と尋ねてくる。

ある私服の男性は「僕は英語は話せない。ここはスーダンなのだから、アラビア語を話しなさい。」と言う。

ある男性はわたしたちに尋ねる。「スーダンに来た目的はなんですか。今、ダルフールで行われている国連の活動を知っていますか。」
その問いに答えている最中、彼の携帯から赤ん坊の声のような着信音が鳴る。

そのまま、わたしたちの答えを聞くこともなく、彼は携帯での会話に入っていった。

部屋には、目つきのわるい男性や、ぼろぼろのお札を手に大声で話す人々、そんな大人の会話に無関心に爪を切り続ける男の子など、それぞれの事情を持った人々が夜の警察署を訪れてくる。

耳の不自由そうな母子がぼろぼろの格好をして入ってきて警察官一人に何かを訴える。それでも、その警察官は自分の携帯の画面をじっと見つめたまま、その母子を見ようとさえしない。

わたしたちはソファに座り、それをただ眺め、出入りの激しい警察官たちの質問に答えるだけだ。

そのうちに、鞄の検査が始まり、腕時計やペンがカメラではないですか、と尋ねられる。「タイでは、時計やペンにカメラを仕込んで、盗撮するんですよ。」と言う。

警察署各所にカメラを設置しています、と言って、終いには下着まで脱ぐ身体検査が行われた。

カメラのカードに入った写真一枚ずつ、確認が行われていく。

そのうちに時刻も遅くなり、別の事件の関係者らしき人々が部屋に入ってくる。ここで、写真の確認が突如終了し、「もう良いです。釈放です。」となった。最後に確認された写真は、エチオピアの食事の写真だった。つまり、スーダンの写真確認までいきつくことなく、なぜか突然に釈放となったわけである。

警察署を出るころには、23時半を回っていた。車でホテルまで送ってくれる、と言う。先ほど頑なだった男性たちも、途端に笑顔を向けて、共に車に乗り込み家路につく。

ラクダ・マーケットとイスラムの歌と踊り – Khartoum / Omdurman, Sudan

今日は、金曜日で、休みの日である。

朝の街はまだ静まり返っているが、ぽつりぽつりと道ばたでは女性たちがコーヒーとシャイを淹れるセットを整えている。

スーダンで朝食によく食べられている揚げパン、ゼラビアにたっぷりと砂糖をふりかけたものを買い求め、近くの女性のところでコーヒーを淹れてもらう。

手際良く、3種類のスパイスや、グラスの下に溜まるほどの砂糖をスプーンにのせてコーヒーの中に入れる。

今日は、ハルツーム近郊のオムドゥルマンという地域で開かれているラクダ・マーケットと、夕方からのHamed el-Nilモスクでのセレモニーを見に行くことにする。

オムドゥルマンへ行くバス乗り場が分からずに行ったり来たりしていると、男性二人が乗り場まで連れて行ってくれると言って、歩きだした。乗り場まで歩くにも既に暑い。途中に道ばたでよく売られているジュース屋で、冷たいハイビスカスティーと、シャイールというとうもろこしからできたジュースをごちそうしてくれる。

男性二人は、それから噛むための葉っぱを購入しただけで、わたしたちを見送り、そのまま来た道を戻っていく。

バスはブルー・ナイルを越えて、オムドゥルマン地区へと進む。スーク・リビヤというマーケットでバスを降り、トゥクトゥクに乗り換えてキャメル・マーケットに向かう必要があったものの、ここでもまた任せろ、といった具合のおじさんがふいに現れて、ぼくが支払いをしたからこのトゥクトゥクに乗りなさい、と手配を済ませてくれたのであった。

トゥクトゥクに乗って、乾ききった茶色い煉瓦の積まれた家々が点在する道を走ること10分ほど、ラクダ・マーケットに到着する。

そこにはラクダの他にも山羊やロバが何頭もいる。あるラクダは口に口枷をはめられ、あるラクダは手荒く水で洗われ、子ラクダは母ラクダのミルクを吸い、あるラクダは男性をのせて颯爽と駆け抜け、あるラクダは柱に身体を擦りつけて身体を掻き、ある男性はプラスチックの紐でラクダの口枷を作っている。

子どもも大人も集まってくる。

ラクダは一頭100ポンドから200ポンドほどで売買されているらしい。

近くには、ばっさりと切り落とされた山羊の頭が並べられている。道には干し草や炭が積まれ、人々はろばのひく荷台やドラム缶にのっかり、走っていく。

近くには山羊の肉を使った料理屋が並んでいる。休みの日の今日はゆったりとしたイスラムの服装を着た男性たちが豆や肉料理などを平らげた後、のんびりとベッドの上に寝そべり、昼寝をしている。

店のママ、アハーナさんが、山羊の肉を焼いたものに、トマトやきゅうり、ルッコラ、辛くないたまねぎなどの生の野菜を盛った皿、それにフールを銀のトレイに載せてもってきてくれる。

すると、隣の席に座っていた家族が、セブンアップとヨーグルトを混ぜた飲み物をわたしたちにどうぞと運んでくれた。最後に、ママが濃厚なハイビスカスティーを自らの手で作ってくれる。

しまいには、わたしはあなたたちのママなんだから支払いは要らないのだとアハーナさんは、言った。別れ際、彼女はずっと目を細めて笑顔でこちらを向いていた。

トゥクトゥクに再び乗って、スーク・リビヤへと戻る。運転手は、この国の交通は、問題が多いと何度も繰り返した。

トゥクトゥクから降りるとまもなく、再び声をかけられ、近くのジュース屋のハイビスカスティーやアラディップ・ジュースをごちそうするから飲んでいきなさいという男性に声をかけられた。

マーケットには、携帯電話や日用品、文房具に洋服や靴、野菜や魚のフライなどが並んでいる。アーケードにはでかでかとSAMSUNGやLGの広告が掲げられている。

朝には涼しい日も、午後になるとぐんぐんと着実に気温が上がってくる。扇風機が何台もまわる、涼しいモスクで一休みする。

室内では、幾人もの男性たちがあちらこちらでおしゃべりを楽しみ、多くの男性が、寝そべり、昼寝を楽しんでいる。

うとうととしていると、ある信者がどこからか買ってきた水のボトルとペプシのペットボトルをビニール袋にいれて、どうぞと手渡される。

ぼんやりとするほどの猛暑と乾燥した土地で、溢れるほどの飲み物をごちそうになっている。

そこからバスでまた20分ほどいったHamed el-Nilモスクで、金曜日の夕方からセレモニーが行われている。

多くのイスラム教徒信者が白い布を身体にまとっているところ、彼らは白だけではなく、緑に赤や黄色、黒といったカラフルな色の服も身につける。

到着した16時半ころ、モスク内の、メッカを模した中央をはさみ、片方で男性が杖を持って歌い、踊り始める。メッカをはさんだもう片方には、女性たちが集まっている。

しばらくすると一度モスクを出て、中休憩となる。男性たちは、茶をすすり、赤豆がふるまわれる。

17時半を過ぎると、モスクの前の広場で多くの男性が旗を持って歌い踊りながら入場をしてくる。マイクを通して歌が歌われ、緑や黄色、赤に塗られた太鼓を鳴らす。シンバルがそれにリズムをつける。

やがて、お香をもった男性が広場を取り巻く観客を回り、人々はそのお香を身体にふりまく。

ドレッド頭の教育係らしい男性が、広場を取り巻く若者たちに靴を脱がせ、裸足にさせる。棒でときどき小突く。ちゃんと踊りなさい、ということだ。

村長のような威厳のある男性たちが耳に手をかざし、あるいはこぶしや杖を振り上げ、音頭をとる。広場を緑の服をひらりと揺らしながら、ゆったりゆったりと回る。

数珠を身体に巻きつける男性、ヒョウ柄のような服を着た男性、抱擁をして挨拶をしあう男性、それぞれが身体に熱をもっていく。

まわりを囲む男性たちが、手を前後にふって身体を大きく揺らしながら、汗をかきつつ歌いあげ踊り続ける。あるいは、輪から出て、一人視線を宙に浮かべて、ひたすらにぐるぐると回転する男性や、杖をふりかざして輪に突進していく男性も現れる。

ラーエラーレエラッラ。アッラー。
ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマドッラスールッラー。
ソーラン節のように聞こえてくる。

そのうちに香水が一人一人に振りかけられる。

やがてセレモニーが終盤を迎え、熱狂的に男性たちは踊り狂い、砂嵐がどこからともなく呼ばれてくる。

辺りは砂で霞む。

セレモニーが終わると、そのままばたりと倒れる人、手を前にかざして祈りを始める人、家路に急ぐ人と散っていく。

モスクも、隣の墓も、道路も、すっかりと砂嵐に包まれ、視界は遮られる。外食もままならない。今日はバナナとオレンジを買い、ゆっくりと夜を過ごすことにする。

暑いし、良くない国だとスーダン人が口を揃える国、スーダン。 – Khartoum, Sudan

朝起きてテントから顔を出すと、昨晩まわりにたくさん寝ていた人たちは、一人だけとなって、ベッドも撤収され、残っていたのは、風で飛ばされたごみ袋と、ただ一人だけだった。

砂埃で空気は茶色く霞んでいる。

道ばたのあちらこちらでスパイスや茶葉を並べてシャイ(茶)を淹れる女性たちがいる。そのうちの一つに腰掛けて、あたたかいミルクティーをいただく。粉ミルクをたっぷりといれて、スパイスと茶葉をいれる。スーダンでは朝にミルクティーを飲み、その後は、ミルクなしのスパイス入りシャイを飲む人が多い言う。

ミントや薬にもなるスパイスをスプーンにすくって入れるのだが、これが格別に美味しく、喉の渇きを潤す。

街の中心にあるホテルに向かおうと、今いる場所や街の中心までの行き方を聞いても、看板はアラビア語で読めず、聞く人々はだれも英語が分からない。

そのうちに人だかりができるばかりだ。

やがて英語が少しでき、かつコミュニケーションがとれる稀有な男性が現れ、街の中心へと向かうバス停まで連れて行ってもらうことにする。

男性はわたしたちに聞く。「コーヒーでも飲みますか。」

遠慮していると、するりと売店に入り、水のペットボトルを2本買って、わたしたちに差し出した。

暑さと乾燥でひたすらに喉がかわく中、ありがたく水をぐびぐびと飲む。夏だという今のハルツームは40度を越すというから、ひたすらに気温が高いのである。スーダン人も暑い暑いと忍んでいる。

教えてもらったバスに乗り込み、街の中心へと向かう。乗客は指をぱちりと鳴らして、降りる場所を合図し、車掌はクススススと口を鳴らす。この国では、指ぱちりが合図に使われている。口のきけない人でも、指を使えば良いから、便利なのだという。

街にはHyundaiの車が溢れ、LGやSAMSUNGの看板が立ち並んでいる。バスの電光掲示板には、韓国語が流れている。今まで、中古ミニバンといえば、日本語が車体におどる車ばかりが多かったけれど、この国では韓国語が書かれていることのほうが多い。

宿をとり、街を歩いていると、ある男性が中国語で話しかけてくる。彼は中国とビジネスをしていて、中国に行ったこともあるという。

中国人は、石油関連の仕事をしている人中心に、スーダンにたくさんいますよ。中国の品物は安いけれど、品質があまり良くないんです。それに日本や韓国製品をコピーしているものが多すぎます。でもなにしろ安いから、中国に行けば、ぼくもコピー製品を買って帰りますけどね。

スーダンは、暑いし、良くないです。特に政府が良くない。中国はスーダンに比べて女性もきれいです。もしぼくが日本に住めるのなら、もうスーダンになど帰ってきたくありません。

その男性は、すぐそばの食堂へと入って、しぼりたてのさとうきびジュースをごちそうしますよ、どうぞ、とわたしたちに差し出す。またありがたく、ぐびぐびと飲む。冷たくて、甘くて、身体にしみわたる。

そのうちに、ぼくのオフィスへどうぞ、と誘われる。雑居ビルに入った彼らのオフィスには、テレビが一台、書類の積み重なった机が一つ置かれ、扇風機がぐるりぐるりと回っている。

男性は、葉のかたまりを口にほおばりながら、事務所の人たちをわたしたちに紹介する。彼らは、スーダンで違法のお酒もどこからか手にいれて少し嗜むと言う。ビールだけじゃなくて、ブラック・レーベルなんかもね、と言った。途中、いかにも裕福そうな若い男性が一人室内へと入ってきて挨拶をし、またそっと出て行く。

街のあちらこちらで床にシートを広げ、祈りを捧げる男性がいる。それが、ある広場の一角であることもあれば、ホテルの一角であることもあれば、店の前であることもある。

砂埃に霞む灼熱の街を歩いていくと、政府機関の近代的な建物の集まる地区へと入っていく。ここでは更に警察の数が増える。

3日以内に必要だとされる滞在届を申請するオフィスへと到着する。すると「オフィスはここではありません。」と言う。

どこに移転したのか、そこまでどうやって行けばよいのか、それがなかなかに通じ合わない。言葉の問題以外にも、さきほどYesと言ったことが直後にNoという答えに翻るものだから、埒があかないのである。

そのうちに警察だという男性が現れ、僕が新しいオフィスを教えます、とわたしたちを連れだした。そして「警察に友だちがいるから、彼に頼めばスムーズにできます」と正規料金の1.5倍くらいの値段を伝えてくる。

そもそも正規料金がいくらなのか、警察であっても聞く人それぞれ違う答えを言うので、なにが正規なのか知る由もない。

とにもかくにも、どうやら移転したらしいオフィスへ行かないことには話が進まないようだということだけが分かった。

ツーリスト・インフォメーション・センターを訪ねれば、もしかすると英語を話せて、しかもコミュニケーション能力がある人に出会えるかもしれないと淡い期待をもちながら、地図を片手に進む。

途中、肉にピーマンやトマト、たまねぎなどをパンにはさんだシュワルマをほおばる。

暑さと乾燥でどうにもこうにも喉がかわくので、大きな水のペットボトルに加えてRich Cherryの炭酸飲料を買って、ごくごくと飲む。喉が渇くのはスーダンの人たちも同じらしく、道ばたにはあちらこちらに無料の水タンクが置かれ、みなそこに置かれたアルミのコップを使って、冷えたその水をごくごくとやっているのである。

たとえアラビア語ができなくとも、スーダンでは「水」だけはアラビア語で言えなきゃだめ、と言われるゆえんである。

インフォメーション・センターにたどり着くと、そこにはもうインフォメーション・センターはなくなっていた。隣のダンダス・インターナショナル・ホテルという名の、頼りがいのありそうなホテルに駆け込み、インフォメーション・センターはどこにあるのか尋ねる。すると、これも空港近くのどこかへ移転したのだという。

やれやれ、どこにもたどり着けない。

そのホテルは、灼熱の中がんがんと冷房をかけているホテルで、ロビーにはたくさんの中国人ビジネスマンたちが座りこんでいる。

仕事でスーダンに来ているという中国人たちは煙草を吸い、パソコンで中国語の映画を見ている。スーダンは、政府も難しい部分があるので短期的に見ればビジネスには難しい国ですが、長期的にみればビジネスに適した国なんです、と中国人男性は言った。

日が暮れていく。

街をまた歩いていると、道ばたでコーヒーを飲んでいた男性が、わたしたちを手招きする。腰をかけてスパイスの入ったシャイをいただくことにする。

彼は、煙草工場で機械工をしているという。ハルツーム生まれのハルツーム育ち、アフリカ系のイスラム教徒である。

今のスーダンで起こっている問題を、声をひそめながら、語る。

スーダンはダメ、政府がダメ、と切り出す。

誰も政府に満足していない。

ぼくたち個人間には宗教は関係ない、問題は政府だけなんです、と言った。ぼくには南スーダンからの友だちもたくさんいます。

南のスーダンはキリスト教徒が多く、緑が生い茂り、クラブやディスコもあって、自由がそこにはあるんです。南や東西のスーダンでは、今もアフリカ固有の言葉が話されています。でも北はイスラム教徒で、自由が全然ない。

スーダン政府は、アラブ系でイスラム教徒。キリスト教徒や、僕のような黒人系のイスラム教徒のことを、認めないんです。

投資する先もアラブ系イスラム教徒の多い北の地域ばかり。首相だって北からの出身。だから、スーダンの北の地域はいたって平和で、夜に道ばたで寝ていたって問題ないんです。

でも、南が独立して、大きかったスーダンの国は小さくなって、国民は怒っているんです。でも政府はそれが分からない。スーダン人のほとんどが、政府を嫌っています。

反対運動を起こしたら、捕まります。ここには民主主義は存在しないんです。

南スーダンの人々がハルツームにたどり着いて仕事をし、南にまた戻りたいとなっても、戻るお金がない。彼らは事務仕事ではなく、誰もが厳しい仕事をしている。政府は、それでも、彼らに対して無関心なんです。

わたしたちにお茶を淹れてくれた女性も、エチオピアからの難民だという。

エチオピアやエリトリアから、多くの女性が単身で難民や不法労働者としてスーダンに来て、共に住んで働き、母国へ仕送りをしています。特に道ばたでお茶やコーヒーを淹れる女性や食堂でウェイトレスをしている女性に多いんです。

エチオピアは、小さな国土に対して過密な人口を抱え、かつ干ばつの問題もあって、食糧不足に陥ったりするんです。対してスーダンは国も大きいし、人口も少ない。それにエチオピアよりも通貨が強いんです。だから、彼女たちはスーダンに来て仕事をして、エチオピアにいる家族に仕送りをするんです。コーヒーは2ポンド、お茶は1ポンド、これでもエチオピアにとっては大きなお金なんです。
そういった人々に対して、スーダンの国民は寛容に受け入れているのだという。

若い女性たちはスーダンに仕事があるものの、エチオピアの男性たちはスーダンに来ても仕事がないのだという。

エチオピア人は自分たちの国を大好きだと口々に言っていた。
でも、スーダンでは、自分たちの国をダメな国だと口を揃えて言う。

メディアは比較的自由だと言い、Eメールやfacebookのアカウントを持つ人も少なくない。彼もその一人だ。

またごちそうになってしまった。
これほどおもてなしされる国も、とてもまれだ。

夕食は、男性客で賑わう道沿いの食堂でいただく。わたしたちも卵と玉葱とトマトを炒めたものにパンを手でくるんでほおばる。その後、近くのミルクティー屋でミルクティーとパンをいただく。

この時間、女性は道ばたでお茶を淹れつづけ、男性はご飯を食べて、祈りをささげ、お茶を飲む。

暑さと砂埃と検問とアラビア世界のスーダン。- Gallabat / Gedaref / Khartoum, Sudan

橋を渡れば、もうスーダンである。スーダンは、南や西は危険だと言われているが、北のほうはそんなことはなく、むしろその逆で、国境もまたなにやらのんびりとした雰囲気である。

食堂が何軒か並び、ろばがものを運んでいく。スーダンに入り、途端に辺りは乾燥をし、気温が高いように感じる。

イミグレーション付近も数名の軍人が銃を持ってうろうろとしているものの、ウェルカムウェルカム、と他の国ではなかなかに見られない歓迎ぶりである。オフィスでは、携帯で話をしている担当もいれば、短くてくるくるの黒髪を櫛で丁寧にとかす男性担当者もいる。

既にアディスアベバで取得していたビザを見せ、入国書類に記入する。記入するペンも、どうぞと差し出されるくらいのウェルカムぶりなのである。入国後3日以内に「滞在届」を出してください、と言う。

その後、近くのオフィスで「税関」審査を受ける。昼休み中だから待つようにと言われ、近くの食堂で、Venoというブランドの、ピーチ味の炭酸飲料を飲みながら、待つ。

税関と言っても、荷物を持っていくのではなく、パスポートを見せると、ぶ厚い冊子にアラビア語で1行ごにょごにょと何かを記入したら、終わりの作業である。

国をまたぐというのは面白いもので、スーダン側の国境の町、Gallabatには、もうインジェラは、ない。

男性同士が手をつないで歩くのは変わらないが、ふいにアラブ系雰囲気がただよってくる。

国境から首都ハルツームまでは、Gedarefという町を経由していく。Gadaref行きバンがいっぱいになるのを待つ間、近くで売られていた豆のフライ、Ta’amiyaをほおばる。フライは既に冷めていて、ハエがまわりを飛んでいる。

1時間ほど待った後、バンはGedarefに向けて出発すると思われるも、少し走ればパスポートチェックのために停車させられる。そしてまた少し走ると、今度はバンを下車して、看板のない建物に入室を求められ、氏名と行き先を尋ねられる。2分たてば、また停車し、外国人であるわたしたちに「パスポート」と、パスポートの提示を求める。

ただ、こう何度も検問が入るわりに、雰囲気が和やかなことはあまり変わらない。

ほかのスーダン人の乗客たちは、それをあたたかく待つ。

ようやくまた発車したと思ったら、元いた場所に戻ってきてまた客を乗せ、そしてまた出発したところで、外国人わたしたちはパスポートチェック、スーダン人は身体検査といった具合で、一向に前に進まない。

乾燥した土地に牛がのんびりしている風景を眺めながら、3時間半ほど走ったところで、Gedarefに到着する。

むわりとした砂に包まれた街で、全く英語が通じない。アラビア語の世界だ。ハルツーム行きのバスはあるとかないとか、だれもが違った答えをしてくる。

どうにかこうにか、ハルツーム行きのバスはやや離れたバス停から出ているらしい、かもしれない、ということが分かり、そこまでトゥクトゥクで向かうことにする。

真新しいトゥクトゥクは、きれいな身なりをした若い男性が運転している。

ターミナルに到着すると、1台のバスと1台のミニバンが停まっていた。ミニバンは、どうやらこれからハルツームに行くらしい。トゥクトゥクを降りると、すかさず現れた人々が、警察署に来てパスポートを見せなさい、と手招きする。再び、パスポートを提示する。

共にバンに乗り込んだ女性は元々エチオピアのゴンダール出身だが、難民としてスーダンに移り住んだという。エチオピアは良い国だが、スーダンはダメ、でも身内もいるから仕方がないのと、顔をしかめて言った。

甘いビスケットとクリームのはさまったクッキーを買ってほおばっていると、乗客の一人の女性が水のペットボトルを差し出してくれた。

もうすぐに出発だというときに、運転手が、座席が埋まらなかったから、一人プラス10ポンド支払ってください、と言う。みな、仕方がないことと割り切って、10ポンドを支払う。

出発直後、バンは検問を繰り返した。そのたびに外国人であるわたしたちは、パスポートの提出を求められた。そうこうしているうちにバンはいつの間にか多くの乗客を乗せて、満席となった。

気温は高いままだが、窓を開けると砂埃が入ってくるので、みな窓を閉める。バン内にぎゅうぎゅうに座る乗客たちは、暑い気温にぐったりとなっていく。

国境の町、Gedarefからハルツームまでは舗装道が続く。それでも、エチオピアとスーダンをつなぐその道は交通量も少なくないようで、古くなった舗装道は傷んでいると聞いた。確かにときおりがたりと窪みを抜けながら、走っていく。

22時半を過ぎたころになり、バンは夕食のために、停車した。豆のオイル煮とサラダにパンがついたものをほおばる。

バンは満席になったので、乗客がさきほど追加で支払った10ポンドの返金を求める。運転手はなかなかに応じず、そのうちにお金をもって走り逃げ出した。それでも、返金を求めていると、そのうちに笑いがおきはじめ、周りの人々がなんだなんだと集まりはじめ、やがて運転手は、返金をした。

憎めない人たちである。

それからも二度ほどの「パスポート」を受け、結局、ハルツームに到着したころには夜中の1時半を回っていた。街は暗くて、アラビア語ばかりの看板に、どちらに向かって良いものかもわからない。英語が通じる者など、いない。

バスの到着した辺りには、幾人もの人たちが簡易の鉄のベッドを置いて寝そべっている。わたしたちも、テントをはって夜が明けるまで待つことにする。

辺りは強い風が吹き始め、砂埃と破れたビニール袋やごみが舞いあがる。人々は構わず、簡易ベッドで眠り続ける。

テントの外にあたる砂埃を感じながら、浅い眠りにつく。