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Turkey

トルコのカシュから一日ギリシャのメイス島へ – Kas, Turkey

この辺りの家族経営のペンションもたいてい屋上がテラスになっていて、海を望むことができる。朝の海を眺めながら、ビュッフェをいただく。家族経営のペンションといっても、その内容は見事で、チーズを数種類にトマト、きゅうり、ハム、コーンフレーク数種類にヨーグルト、レーズン、オリーブ、ゆで卵、パンにミルク、紅茶にコーヒー。そしてスイカにメロン、絞れるオレンジジュース。

そんな優雅な朝ごはんのあと、坂を下りた港にあるフェリー会社、Meis Ferry Lines社のオフィスまで向かう。ここカシュの近くにはギリシャ領のメイス島があるというので、訪ねてみることにする。昨日フェリーを予約したときにパスポートをフェリー会社に預けている。

フェリーがトルコのカシュを出るのが朝の10時、ギリシャのメイス島からは16時に戻りの便が出る。だいたいの人がカシュから同日に帰ってくる。パスポートは帰ってきたときに返却されるものだから、出国手続きもない。パスポートは預けっぱなしだ。

明るいスタッフにフェリーまで誘導されて、それに乗ってしまえば、すぐそこにギリシャである。

港からメイス島は見えている。海は澄み、伸びる錨は透けていて、泳ぐ魚は光を受けている。

海を眺める朝食と、お勧めされたビーチ – Fethiye / Kas, Turkey

トルコには家族で経営をしているようなペンションふうの宿がある。昨晩は、満室だけど屋上なら空いているよということなので、屋上の絨毯のしかれたスペースで休むことにする。夜はなかなかに涼しいので心地が良い。

朝起きて、宿の前に広がる海を眺めながら、朝食をいただく。いくつかのメニューの中から「伝統的なトルコの朝食」を選ぶ。フレッシュなトマトにきゅうり、目玉焼きやオリーブ、それにパンにバターに苺ジャム。そしてミルクコーヒーを合わせる。

フェティエの近郊には、幾人かのトルコ人に勧められたオリュデニズというビーチがある。フェティエのバス停からミニバンに乗って、40分ほど。遠くの深い青から徐々に淡く透明に変わっていくビーチには、ボートが何隻か停まり、泳ぐ人々がいる。水は澄み、暑い夏の地中海にちょうど良い冷たさだ。

海にはぷかりぷかりとオレンジが浮かんでいて、それを空に放りなげてみる。波がそれほど高くないものだから、オレンジは何度も空を飛ぶ。

バスに乗って街中に戻り、列ができていたバーガーキングのソフトクリームを買い求める。エンターテイメント抜群の伸びるアイスより、こういった普通のソフトクリームのほうが美味しいものだ。

宿に戻って支度をした後、バスターミナルまで再びバスに乗り、ターミナルからBati Antalya社カシュ行きのバスに乗り換える。ほぼ満席で、空いていた運転席横の助手席にお邪魔することにする。隣の車掌は、まだ中学生くらいだろう男の子だ。

まっすぐに伸びるアスファルトの道を進むこと1時間ほど、ビニールハウスや畑を過ぎ、やがて海岸に出て海沿いに進みながらカシュに到着する。ハイシーズンの今は、カシュの宿も満室のところが多く、昨日に続いて屋上のベッドに泊まらせてもらうことにする。

夕食は宿の近く、Turkmen Sofrasiレストランと書かれた落ち着いた雰囲気のロカンタでいただくことにする。いんげん豆のトマト煮込みターゼ・ファスリエやナスの煮込み、ムサカ、それに松の実の入ったピラフをオーダーする。トマトとチリ、生のたまねぎやエキメッキが添えられてくる。最後にはどうぞとチャイが運ばれてきた。

ひっそりとした橙色の灯のともった路地にはゴミ収集所の周りに猫が集まっている。宿からは海が見え、明るい月の下、丘に並ぶ家にはライトがついている。屋上の寝床は、徐々に風が強まっていく。床には、はりつけられた青い目玉のお守り、ナザール・ボンジュウがぎょろりとしている。

白い石灰の棚 – Pamukkale / Fethiye, Turkey

朝に目覚めると、なだらかな丘に畑の広がる景色が見える。笑顔の添乗員お兄さんたちが、ネスカフェコーヒーにパンケーキ、それにチョコレートの入ったクッキーといった朝食を運んでくれる。

9時半を過ぎたころにデニズリのバスターミナルに到着する。そこからミニバスに乗りついで、パムッカレの石灰棚と、紀元前2世紀ころの都市遺跡、ヒエラポリスに向かう。

北の門から、ヒエラポリスの墓地ネクロポリスに入る。1000以上の墓が並んでいて、崩れているものもあるものの、茶色い石が黒ずんだ中に装飾や文字が残る墓や、家の形をした墓もある。

先へ進むと、教会として使われていたこともあるというアーチをつなげた北大浴場やドミティアン門に北ビザンツ門と続いていく。細かな装飾がほどこされた石柱などがごろりところがっている。

世界遺産の一部だというのに、暑い炎天下の中、人気がほとんどない。大理石を使っていた部分が目立つように損傷少なくぽつりと残されていたりする。

空にはパラグライダーが舞い、花の香りがして、蜂の音がする。

1万5000人を収容したという円形劇場では、音響が素晴らしいと、人々が座りこんでぽんぽんと手をたたく。

セルジューク朝に滅ばされるローマ、ビザンツ時代まで街は栄えていたという。

アポロ神殿跡を通り過ぎると、賑やかなパムッカレ温泉に出る。ここはギリシャ・ローマ時代の遺跡の上で温泉につかれるところで、世界各地からやってきた旅行者たちが水着で温泉をプールのように楽しんでいる。セクシーなポーズで決めて写真を撮るカップルもいる。さきほどの過去に残された遺跡とうってかわって、リゾート地が突然に繰り広げられている。

そこから靴を脱いで、石灰棚に裸足で踏み歩く。石灰の成分を含んだお湯が結晶化して白く雪のような景色を生み出し、その中に淡く澄んだ湯をひたひたと浮かべた棚が並んでいる。白と淡く褐色になった部分がでこぼこを作りながら模様を生みだし、淡いピンク色の花が柔らかな色を添える。

人々はそこに水着を着て湯の中に入ってみたりする。湯に脚を浸してくるりとかき混ぜてみると、底にたまった石灰がぷくりと浮かんで広がり、水は白く濁る。

そんな雪のような中で、純白のウェディングドレスを着た新婦と黒の蝶ネクタイをしめた新郎が写真撮影に臨んでいる。

照りつける太陽に暑い町は、どこか日本の田舎のような風情がある。一軒のひなびた商店に立ち寄りSchweppesのビターレモンを飲みながら、ミニバスに乗ってデニズリのバスターミナルに向かう。そして定刻の16時半にGolhisar Cavdar社のバスは次の目的地フェティエに向けて出発した。

昨晩のバスに比べればやや小ぶりだが、ここにもにこやかお兄さん添乗員がいる。発車して2分も経てば、手を消毒するためのアルコールが配られ、その後に水のパックが配られる。

牛や羊の放牧された緑豊かな大地にいくつかのモスク、赤いとんがり屋根の家々を通り過ぎる。右手に太陽が沈んでいき、左手にうっすら月が浮かぶ。21時前には地中海に面したフェティエに到着した。

ちょうど泊まりたいと思っていた宿、Ideal Pensionの客引きがターミナルにいたので、そのままバンに乗りこんで、宿へと向かう。

夕食はやや高級感あふれるロカンタ、Sarayレストランに入る。白いんげん豆の煮込み、クル・ファスルエやぶどうの葉で具を巻いたヤプラック・ドルマス、それに松の実の入ったピラウにレンズ豆のスープ、メルジメッキ・チョルパスをオーダーすると、エキメッキやサラダ、ペッパーにレモンがついてきた。

ここでも、街のいたるところで放映されているユーロ決勝をテレビで流していて、街は盛り上がりをみせた。海は街のイルミネーションで輝いている。

トルコのごしごし風呂 – Istanbul, Turkey

朝にパンをかじりながらタクスィム広場を歩いていると、ぼんという音がした。見ると年配の女性が飛んで、その後に倒れた。車があたったのだ。車を運転していたサングラスをかけた若い男性が、すぐさま車を降りてかけより、背中をさする。周りの人々も集まってきて、ある男性は救急車を呼ぶために携帯電話を手にする。

運転をしていた男性は女性の肩にキスをして、女性はぼうぜんとしている。1分もかからないうちに救急車は到着し、女性は自力で立ち上がり、そして運ばれていった。

運転の荒いエジプトでは交通事故を見なかったが、ここで、見る。

トルコの公衆浴場、ハマムに行ってみることにする。地元の人もよく利用しているというコジャムスタファパシャ・ハマムまでバスに乗って向かう。教会として6世紀に建てられた建物をジャーミーに改装したコジャムスタファパシャ・ジャーミー付属のハマム。

男女は入口から分かれている。中に入ると、タオルを身体に巻いた女将がどしりと座っている。それを囲むように小さな小部屋がいくつも並び、まずはそこで着替えるように言われる。各部屋にはベッドも置かれ、鍵も閉まるようになっていて快適だ。

その後、奥のむわりとした部屋に入る。中央に大きな石の台があり、周りをずらりとハマム洗面器と水道が囲んでいる。そして、そばには小さな桶が置かれている。とにかく石の上で横になっていなさいと女将にジェスチャーで伝えられたので、身体を一通り流し、石の上に水をかけ、うつ伏せになる。

とても、熱い。

地元の女性たち5人ほどが、上半身裸、下に下着だけ身につけて、水道から水をじゃーじゃーと流し続けて洗面器に水を溜めている。

ある女性は垢すりをし、ある女性は髪を洗う。
ある女性は一人で来ていて、ある女性は友だちと来ている。

熱い石の上で言われたとおりにじっと待っていると、上半身裸になったさきほどの女将がのそりのそりとやってきて、あかすりとマッサージをするわよ、と言う。手に大きな垢すり布を持ち、身体を大きくごすりごすりとこする。細かな部分をとばして、身体の全体をごしごしとする。豪快だ。

まもなく、見てみてと腕の垢を指し示す。良いでしょ、と言う。はい、良いです、とお答えする。細かいところは自分で垢すりを借りて、ごしごしとする。

じゃあ、マッサージをします、と言って、小さな桶に入った布をぱっと取り出し、ぶくぶくと泡立て、また豪快に身体にすりつける。ぶくぶくぶく。

身体をなでた後、そのまま顔に手をもっていき、さして変わらぬ勢いでぐるぐるとなでつける。そして隣の客から借りてきたと思われるシャンプーを頭の上にかけ、ぐるりとひとなでする。

こうしておばさんによる自由な数分垢すりマッサージコースは終了する。再び良いでしょ、と尋ねられるので、はい、良いです、とお答えする。

その後は自分で髪や身体を洗い、石の上に寝転がる。じわりと汗が出てくる。

すっかり減ったお腹を抱えて、近くのロカンダ、Rumeli Kofte Ve Yemek Salonuに赴く。ミント風味のヨーグルトスープにレモンを添えたヤイラ・チョルバス、スベリヒユをヨーグルトを和えたヨーウルトル・セミズオトゥ、それにピーマンにひき肉や米を詰めてトマトソースをかけたビベル・ドルマスをオーダーする。住宅地のここには、地元の男性客たち団体や一人でやってきて、食べて行く。

そこから近くのスイーツ屋、Seyranに立ち寄り、オーブンで焼いたプディング、フルン・スュトラッチや、もっちりとした牛乳の焼き菓子カザンディビを頼む。オーダーすると、どうぞといってエクレアをつけてくれた。

バスに乗って、タクスィム広場に戻る。宿の近くのPashaというカフェでのんびりとする。大人の男性は水たばこを吸い、子どもはオセロを楽しんでいる。

今日は夜行バスに乗って、パムッカレという町へ向かう。夏にさしかかろうとする今のトルコはハイシーズンらしく、バスのチケットはとりづらい。22時20分に数席だけ空いていたパムッカレ社で座席を取る。

トルコのバスは素晴らしいと聞いていた。まず、町の中心にあるバス会社のオフィスからターミナルに向けてシャトルバスが出ている。だから、ターミナルに行かずに町の中心のオフィスまで荷物を運べば報われる。

快適なシャトルバスに乗ること20分、パムッカレ社のターミナルに到着する。夜行バスが当たり前のように使われているトルコではこの時間でも幾台ものバスが出入りしている。乗るべきバスを探していると、あちらこちらから手伝いましょうか、と声がかかる。わたしたちの乗るバスがターミナルに入ると、これに乗るのよ、とまたあちらこちらから声がかかる。

こうして無事にバスに乗り込む。
バスはメルセデス・ベンツ製の新車で、各自座席にモニターがついていて、音楽やテレビ、ラジオ、映画にインフォメーション、カメラやナビゲーションまで選択することができる。音楽は国内外に分かれ、映画だって子ども向けから、国内、海外、それにドキュメンタリーまで選ぶことができる。そして備え付けのイヤホンを耳にさせば良い。

適度な冷房の効いた極上バスでマイケル・ジャクソンを選ぶ。こんなに快適なバスは、久しぶりだ。最後尾の座席であるのをいいことに、ノリノリ踊っていたら、寝てはいられなくなる。

添乗員は、蝶ネクタイをつけた、にこやかな男性が2人もいる。ハイテクにすぎるモニターにとまどう人々へは、お兄さんたちよる懇切丁寧な個別指導が行われる。

そんなバスの窓からは、イルミネーションに輝く近代的イスタンブールを眺めているかと思えば、ふいに羊をのせたトラックが通り過ぎていく。

そのうちに軽食が運ばれてくる。まずは水、続いてバニラとチョコレートのアイスクリーム、しばらくして、コーヒーやオレンジジュースや林檎、桃のジュースといった飲みものに、レモンのビスケット。

快適なんだから、もう踊るのはやめにして、あとはゆっくり休むことにする。

ビザ申請とイスタンブール – Istanbul, Turkey

トルコから東へと中央アジアの国々を訪ねながら日本に近づいていくとなると、中央アジアのビザ問題にぶちあたる。トルクメニスタンのトランジット・ビザをイランで申請するには、その次の国ウズベキスタンのビザが必要、とのことで、ウズベキスタンといってもまだ遠い気がするが、イスタンブールで先にウズベキスタンのビザを取ってしまうことにする。

領事館に向かう途中、イスタンブールでよく見かける店、simit sarayiでスィミットをオーダーする。温めて出してくれるものだから、スタンドで買った昨日のそれよりも美味しい。

タクスィム広場からバスに乗ってボスポラス海峡沿いに40分ほど走ったIstinyeの丘の上に、ウズベキスタン領事館がある。穏やかな海辺から階段を上がり、ぜいぜいと息を切らしながらたどり着く。

10時から開いているはずだが、領事館にたどり着いた10時10分ほど、門の前には人だかりができている。門番に尋ねても英語を話さない。近くの待ち人も「問題ないから待ちなさい」としか言わないので、とりあえず待つ。

10時を20分ほど過ぎたところで、門が開き、みなががやがやと集まる。門番はそこから2、3人ずつ中へと通していく。重い鉄の扉を開いて中に入ると、真っ白な建物があり、階段を下りた小さな窓口がビザの申請窓口になっている。

窓口に近づくと、中の男性職員が、「ビザね、急いで急いで」と急かす。必要書類と聞いてパソコンから印刷して持ってきたビザ申請用紙と、パスポートや写真を手渡す。申請用紙には入国予定日を記入しているが、この日付けは受け取りの際に変更することもできるという。

いつビザを受け取れますか、と尋ねると、「来週」とだけ断言する。

来週というと、いつでしょうか、とあくまで低姿勢で尋ねると、「同じ日の同じ時間にはできているよ、もういいですね、ではさようなら」と窓をぴしゃりと閉めた。

とにもかくにも来週の金曜日に取りにくれば良いというので、一安心し、再びバスに乗ってタクスィム広場へと戻る。

トルコにはロカンタという大衆食堂があって、ショーケースに煮込みやらを並べてそれを選んで皿に盛ってもらう。トレイにのせてお会計する場所へ持っていくこともあって、学生食堂ふうなのだ。

今日はバルカン・ロカンタに入って、ナスにひき肉を詰めたカルヌヤルクをトマトやペッパーと煮込んだものに、バター風味のピラウ、それに挽き割り小麦のピラウ、ブルグル・ピラウを注文する。エキメッキは容器から取って自分で盛る。

イスティクラール通りを歩き、ガラタ橋を渡って旧市街へと向かう。黒いアバヤで全身を覆った女性が白くてきらきらした鞄を片手に、赤いTシャツに黒い帽子、チノパンツにサングラスといったカジュアル男子と腕を組んで歩く姿がある。こうした全身アバヤで覆う女子とカジュアル男子のカップルが数組、繁華街を歩いていく。

オスマン朝君主の居城トプカプ宮殿、ビザンツ建築の最高傑作ともいわれるアヤソフィア、それにブルーモスクの名で知られるスルタンアフメット・ジャーミーは、それぞれ近い位置にある。

トプカプ宮殿の入口は1478年に建てられた皇帝の門で、それをくぐると庭があり、アヤ・イリニ教会が建っている。そこからは金角湾を眺めることのできる芝生もあり、銃を持った軍人の横でアバヤを着た女性たちもおしゃべりを楽しみ、iPadを手にのんびりとしている。その先の送迎門も、皇帝門の前にある1728年建造のアフメット3世の泉も、金をあしらった細かな装飾がほどこされている。

ブルーモスクは、6本のミナレットと大ドーム、4つの副ドームに30の小ドームをもっている。背の低い通路を渡ると、大ドームの空間が広がっている。その名の通りに青いステンドグラスからは淡い光が入り込み、ドームには、青や赤の模様があしらわれている。いくつものランプが円形状にぶらさがり、赤い絨毯の上で、祈りを捧げる人々がいる。

ブルーモスクのそばには、スュレイマン大帝の妻、ヒュッレム・スルタンが16世紀に建てさせたというオスマンスタイルの高級ハマムもある。落ち着いた噴水を真ん中に構える内部で、てっぷりとした男性が腰にタオルを巻いてくつろいでいる。

近くにある1920年創業の老舗キョフテ店、セリム・ウスタで、牛肉のミートボール、キョフテをオーダーする。肉汁がじわりと口の中で広がっていく。その余韻を楽しみながら、添えられたエキメッキをほおばる。

ガラタ橋では、夜も釣りをする人たちが連なり、遠くのボスポラス大橋は青く繊細なイルミネーションを灯している。そんな中、そばを歩いていた靴磨き道具を持つ男性がブラシを落としたので、それを拾ってその男性に駆け寄り、手渡した。そしてそのまま歩き進んでいると、背後からその男性が声をかけてきた。

トルコでこうした流れの犯行が流行っているとも聞いていたが、その男性がその後犯行を犯そうと思っていたのかどうかは今となっては知ることもない。