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Mexico

きちんとしたメリダ住民と、過去と現在のキリスト教 – Merida, Mexico

8時にはメリダに到着した。キムさんとともにHostel Casa Nicoという場所に宿をとることにする。メリダはユカタン州の州都であるが、古い町並みが残っている辺りが、最近観光地として発展しているサンクリストバル(サンクリ)とは違った雰囲気だ。

その様子にサンクリ大好きキムさんは「メリダはメキシコ・シティに似ているから、いまいち」とサンクリに戻りたがっている様子。

すっかり腹ぺこになったので、街の食堂でChiles rellenosを注文する。
さほど辛くない唐辛子に肉やチーズを詰めたもので、肉のChiles rellenosは
ピーマンの肉詰めとよく似ている。

からりとした空気の暑いメリダで、再びアイスを食べたくなり、
ネスレのEskimalというクッキーアイスを買う。

メリダは観光地であり、
インフォメーションセンターなる立派なオフィスまである。
8時から20時まで開いているのだとメリダをこよなく愛するお兄さんが
周辺地域についてパソコンに入った写真を見せながら丁寧に教えてくれる。

ソカロのカテドラル前のベンチに座っていると、
高校生だという女の子二人と付添いの先生一人が、
クラスの課題で質問をしたいと言う。
わたしたちの国籍やメリダに来た理由、
宿泊先やユカタン料理を食べたかどうか、
既にどこに行ったかといった質問だ。
英語のあまり通じないメキシコで、
二人の高校生とインフォメーションセンターのお兄さん、
Casa Nicoの受付女性は英語も堪能で、まじめに働き、勉強をしている。

メリダは、1542年にフランシスコ・モンテホ率いるスペイン軍に占領されて以来、
内陸部の先住民族を制圧する基地、先住民に対するカトリックの基地として機能していたという。

ユカタン半島最大の規模を誇るというカテドラルには、
Cristo de la unidadという文字の前に木製の大きなキリストが十字架にはりつけられている。
天井が高く、マイクを通した歌声が教会内にこだまして響きわたった。

対して、そのすぐ隣にはマヤ文明をテーマとした壁画のある州庁舎がある。
「トウモロコシからの人類の誕生」といった壁画や
スペイン人侵略の際に果敢に対抗し、
キリスト教への改宗を強要されたマヤのリーダー、Nachi Cocomの絵もある。

わたしたちは、さきほどのメリダ高校生が教えてくれた
地元でおいしいレストランLa Chayaで食事をすることにした。
大変な賑わいを見せていて4組ほどの待ちがある状態だ。

ユカタンの民族衣装を着た女性がトルティージャを作っている。
これも高校生が教えてくれたユカタン料理Orden de cochinitaを注文する。
アチョテとオレンジのソースがかかったジューシーな豚肉が
バナナの葉につつまれてサーブされる。
かわいらしい激辛ハバネロがちょこんと乗っているから、罪だ。
タコスにはFriol RefritoやPepita Calabazaといった豆や肉をすりつぶしたものをつけて食べる。
ビールはMontejoというユカタン地方のビールをオーダーする。
苦味が強いが、軽い飲み口。

メリダでは毎晩のように伝統的なパフォーマンスが町で行われている。
今日は「ユカタン・セレナーデ」なる踊りと歌が
サンタルシア公園で行われるということで行ってみる。
ユカタンの白い布に花があしらわれた服装に
白のパンプスをはいた女性と全身白地のスーツを着た男性が、
音楽に合わせて踊る。

歌もあり、漫才のようなトークもあり、客席との掛け合いもある。
会場に敷き詰められた座席は満席で、立ち見もいる。
毎晩、メリダという町では人々が集まる場所が用意されているのだ。

チーズを包んだMarquesitasをつまみながら、
ユカタン・セレナーデを1時間ほど鑑賞した後、
会場で発見したキムさんとビールを飲もうと
OXXOや地元コンビニに入ると、ビール棚がロックされていた。
見ると「アルコールの販売は月曜から土曜は午前10時から午後10時まで、
日曜日は午前11時から午後5時まで」と書いてある。

街中でコロナの瓶を片手に陽気にしているメキシコ人を想像していたが、
実際は酔っ払っている人も見かけず、お酒でお店や家で嗜む
メキシコ人の姿がここにはあるのだった。

あきらめたらそこで試合終了

あきらめずに続けていると、というより、
あきらめずに、上手くいく努力を続けていると、
必ず良い結果が生まれる。

でも、今まで続けていたことをあきらめて、
新しいことを始めなければならないときがある。
今まで続けていたことをあきらめるには、
しかも、引きずることなく、あきらめるには、
今まで続けていたことをさらに続けるよりも、
より大きな力が必要になる。
苦しいけれども、あきらめることができたならば、
必ず良い結果が生まれると、僕は思う。

女子の戦いとマヤ文字 – Palenque, Mexico

朝の5時半にパレンケに着くために勢いよくサンクリストバルを出発したバスはがらがらで、座席は使い放題、眠りたい放題、ぐーぐー放題。でもその深い快適な眠りは、4時頃におしまいとなった。バスが壊れたので降りて別のバスを待つように、ということだった。

サンクリストバルからパレンケまでは2等クラスのバスをとった。2等クラスは1等クラスと何も変わらなくて快適だと喜んでいたところだった。メキシコ、バス、キレイ。

降ろされた道の脇には「PALENQUE 96」の標識がある。待つこと約1時間。地元の人でいっぱいの乗合バス、コレクティーボがやってきて、バスの上にバックパックを乗せて出発することとなった。

コレクティーボに一人50ペソを支払い、
8時にようやくパレンケに到着した。
一緒に乗っていたイスラエル女子3人組はこの遅れにより
乗り継ぐ予定だったグアテマラ行きのバスを乗り逃したという。
その3人組と共に、
厳しそうなADO社パレンケバス乗り場トップ女子ボスに対して返金要求を行う。
わたしたちも、昨日El Horno Magicoで買っておいた
「めがねチョコレート」という名前の、
マルが二つくっついた形のチョコレートパンと
チーズとベーコンの入った「朝食パン」をかじり、
売店で買ったイチゴヨーグルトを飲みながら、ささやかに参戦する。

最初は眉間に皺をよせて、ノーと繰り返していた女子ボスも、
イスラエル女子のジェスチャーたっぷりスペイン語に根負けして、
とりあえずサンクリストバルからパレンケ間のバス代全額を返金すると応じた。

こうして無事に女子3人組とも友だちとなった末、
コレクティーボで30分ほど行ったところにあるパレンケ遺跡に向かう。

パレンケ遺跡は、
7世紀にパカル王とその息子チャン・バールム王の時代に最盛期を迎えた、世界文化遺産にも登録されているマヤ古典期後期を代表する遺跡。
800年近くジャングルに眠っていたが、
18世紀になってスペイン人宣教師によって発見されたのだという。

頭蓋骨の神殿にはウサギの頭蓋骨のレリーフが柱に残り、
十字架の神殿にはタバコを吸うおじいちゃんの浮彫りが施されている。
葉の十字架の神殿には目がぎょろりとした口を一文字にしている神が描かれ、
太陽の神殿にはおおきな被り物をかぶって上を向いている戦いの神、L神が見られる。

太陽の神殿と向かいの葉の十字架の神殿は遠く離れているものの、
エコールームになっていて、お互いの声を聞くことさえできる。

マヤ文字も残されている。たとえば、こんな風に写真の文字の一部は解釈される。
文字1.764年、3月4日
文字2.パレンケのナワ族(タイトル)
文字3.K’inich K’uk’ Balam Ⅱ(名前)が
文字4.王位についた。
文字5.Manik’の9日目
文字6.彼は聖職者として任命された。
一文字にこれだけの意味をもたせるのだから、複雑だ。
文字一つ一つがロボットに見えてきたり、うさぎに見えたり、
手のひらに見えたり、まるで漫画のようだ。

観光地らしく、マヤカレンダー(Solkin)やアステカカレンダーを売るおじちゃんたちがいる。
遺跡は高くそびえたっているが、
足の不自由な男性が自力で上がり降りをして、
降りきったときは周りが拍手で迎える。
博物館近くはリゾートホテル並みに整備されたジャングルになっている。

そんな遺跡からパレンケの町に戻り、
Pollo El Realで今日も鶏のグリルとModeloビールをオーダー。
付け合わせでキャベツや豆のスープがついてくる。
隣のメキシカンハットを被ったおじちゃん3人集団は、
ビール缶をあけながら、70年代風シュールなショートフィルムが流されるテレビをぼんやり眺めている。
次に入ってきた家族は、大した会話もせずに、
父親はテレビを凝視し、
顔立ちの整った母親と子どもはもくもくとトルティージャをつまんでいる。

場所を移動してwifiのとんでいるcafe de yaraで、
伝統的なチアパスの飲み物だというTascalateを飲む。
とうもろこしとカカオをそのままガリガリと混ぜたような飲み物。
その素材そのままのドリンクを飲んだあと、
次の目的地メリダまでの23時発のバスを待つ。

そこには昨日一緒にオベンティックまで行った
韓国人の男の子、キムさんがいた。

覆面の女性 – Oventic, Mexico

「サパティスタ民族解放軍(-みんぞくかいほうぐん、Ejercito Zapatista de Liberacion Nacional、EZLN)は、メキシコで最も貧しい州とされるチアパス州を中心として活動するゲリラ組織である。単にサパティスタと呼ばれることも多い。サパティスタはチアパスの貧しい先住民族の農民達を主体に組織されているが、その支援者はメキシコ国内の都市部などにも幅広く存在し、またウェブサイトを介して世界的な支援を受けている。」
(ウィキペディア。)

サンクリストバルで宿を探していた時に知り合うことのできた
日本人の女の子から
サパティスタ人民解放軍の自治区である
オベンティックに行くというお誘いをいただいて
ご一緒させていただく。

日本人4人と韓国人1の総勢5人。
タクシー1台で、助手席と運転席の間(つまりギアの上)に一人。
サンクリストバルからサパティスタの村があるオベンティックまでは約1時間。
途中、とうもろこし畑や羊を連れた女性のそばを過ぎてゆく。

覆面を被った男性が門番をしている。
まずその門で2度の「面接」があり、
名前、国籍や来訪の目的、来訪回数、所属団体、滞在時間、職業を聞かれる。
目だけを出した覆面男性とも始終なごやかに「面接」が行われる。
2度の面接であっても2次面接は1次面接の簡易版、同じ質問。
それでも5人の内2人のパスポートが先方の手に渡ったまま
1時間弱待ち、無事合格。

緊迫した様子はなく、
自治区門の前にアイスクリームを自転車で売りくるおじちゃんもいる。

そのサパティスタ自治区は、人の住む家はなく、
1本の道であり学校もある。
ガイドをしてくれた女性、Catalinaさんも覆面をしているが、
気さくで声がかわいらしい40歳。
独身で、車で2時間の場所に住んでいるのだという。
服は村の女性たちがつくったもの。
村には売店もあり、かわいらしいサパティスタグッズが売られている。
このグッズをCatalinaさんも売りたがっているそぶり。

プロモーション活動の一環である絵や壁画の写真は
またサイトのほうに更新していきたいと思います。

5人、帰って来てからはお勧めしてもらった
Pollos a la lena Chiken Ranchで鶏の胸肉と脚、
オニオンとペッパーのグリルにソーセージ。

キリスト像が蛍光色でぴかりと輝き、
メキシカンおじちゃん人形像が置かれているグアダルーペ教会や
バロック様式のサンクリストバル最大の寺院、サントドミンゴ寺院、
丘の上にあるサンクリストバル教会を訪ねて、
夜中の12時半にパレンケへとバスが出発した。

滴の連なり -Sumidero Canyon and Chiapa de Corzo, Mexico

今日は宿の住人に勧めてもらったスミデロ渓谷と
Chiapa de Corzoを訪ねてみることにする。
サンクリストバル・デ・ラスカサスからは一等バスターミナル近くの
コレクティーボ乗り場からTuxtla行きのバスに乗り、
途中で降りることになる。

まずは腹ごしらえにバスターミナル近くの
Caminanteというレストランで
Comida Rapida(ファーストフード)をいただく。

オーダーしたのは、お店の名にちなんだCaminanteバーガーと
お米のジュース、Horchata。
このCaminanteバーガーが、牛肉にベーコン、
レタスにトマトというハンバーガーなのだが、
辛さの入っていないハンバーガーで、それだけで、ひどく感動してしまう。備え付けのワカモレも、ピクルスも辛いのだが、
それはもう承知のうえ。ゆっくりと齧る程度にしておく。

スミデロ渓谷までは1時間程度。
高原都市であるサンクリストバルからは
どんどんと下っていくことになる。
バスから降りると途端に夏がそこにあった。

スミデロ渓谷で2時間程のモーターボート乗車チケットを購入すると、すぐにライフジャケットを渡され、出発だという。
スミデロ渓谷はグリハルバ川が流れていて、
たくさんの鳥がゆうゆうと空を飛んでいく。
置物かと思われるほどずっしりと地面と同化しているワニも5匹ほど生息。
渓谷の岩に突如はしごのかかった教会も現れ、
どのように作られたのか想像をする。

でもなによりここのとっておきは、
顔の形をした岩から流れ落ちる滴の連なりだった。
言葉では言い尽くせない力があって、
パワースポットととは、まさにこのこと。
滝というよりも、滴の連なりといったほうがしっくりとくる。
これを感じることができただけでも行った甲斐があったと思う。

まわりのメキシコ人観光客もおおはしゃぎ。
おじちゃんもガイドさんの位置でのりのりビデオを回している。

ボートから降りる頃には夕陽が渓谷を照らしていた。

そこから乗合バスに乗って約10分でChiapa de Corzoに到着。
Holanda社のMORDISKOというクッキーバニラアイスを食べながら、町の中心にある教会へ向かう。

ここでも音程の外れた歌が大きな音で歌われている。
教会の片隅に、上の鐘まであがれるレンガ造りの
細くて急な階段が設けられている。
橙色の灯を頼りに上まであがると、Chiapa de Corzoの街並みが見え、左手にはTuxtlaの大きな町が見えている。

ここはデートスポットにもなっているようで、
若いカップルが訪ねたり、友だち同士で遊びに来たりしている。
近くの町から遊びに来たという4人組みに、写真を撮りますよと伝えて
「1,2,3(ウノ・ドス・トレス)」と数えると
あちらが「ニン・テン・ドー」と指をおりながら3つ数え返した。
任天堂は二日連続メキシコの小さな町で語られることとなった。

街では音ばかりが大きく火花は小さい花火が打ち上げられてる。
道の向こうに鼓笛隊の音がしていて、どんどんと遠ざかっていく。
夏の香りがした。
18時半頃にふいに横の大きな鐘が鳴り、
町中に響き渡る。

Chiapa de Corzoからサンクリストバルまでは直行のバスがないので、
一度Tuxtlaのターミナルまで行き、
そこから徒歩で30分程いったところにある別のバスターミナルまで歩くことになる。
この町にはトヨタもホンダもマツダもスズキの店舗もあった。

無事にまた寒いサンクリストバルに戻ってきて、
サントドミンゴ寺院を見た後、夕飯をいただくことにする。
Restaurante Cafeteria del Centroで
Pechuga Con Tochino(チキンの胸肉とベーコンのクリームソース)と
Lomo de Cerdo en Salsa Verde (豚肉のグリーンソースがけ)を注文し、ご飯と合わせる。
ビールはModelo Specialにする。
洒落たレストランの多いサンクリストバルのこの店の食事も
日本の洋食レストランで出てくる味と似ている。

この町は、ここ数年でずいぶんと変わり
西洋人観光客好みの町になったのだという。

宿に帰ると壊れた鍵で中に入れず寒い道でうろたえたものの、
試行錯誤で無事に入室を果たした。