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被災地を巡る 2

朝は東京よりもずいぶんと涼しく、
太陽の日差しを楽しめる。

清潔でさっぱりとしたEl Faroの朝食は、
魚のすり身や焼き物、
大根といかの煮物やご飯に味噌汁、
ゆで卵といった具合で、

静かにサーブされる。

他は一人客が2名。

車で朝の港まで出る。

海には朝霧がかかり、
黒いカラスが空を見上げている。

穏やかな海の前に、
女川サプリメントや江島共済会館といった建物が
横倒しになっている。

高台にある病院にあがってもなお、
頭と同じくらいの高さのところに
「津波の記録」と印がつけられている。




















山間の奥まで、建物はなく、
砂利地か、雑草の生えた土地になっている。

少し前までは、ここが瓦礫の山だった。
今は、その瓦礫がようやく撤去されたというときだ。

車に乗って、南三陸へと向かう。

被災した相川小学校の跡地も、既に整地され、
ショベルカーがあり、校歌を記した碑がたてられ、
ヒマワリが咲き、お地蔵様が佇んでいる。












鉄や道路の屑が積まれた場所もある。
陸前戸倉の駅は、BRTのバスの駅が真新しくできつつある。












水門の横の傾いた小屋、
ぽつりと残った防災対策庁舎や高野会館、ガソリンスタンド。

なくなった、 志津川病院。

新しくできた、南三陸さんさん商店街。

多くの人々が訪れ、花を手向け、
手を合わせ、食事をする。












わたしたちも、さんさん商店街で、
かまぼこコロッケをほおばり、

佐良スタジオで、
写真集「南三陸から」を買い求める。

車はそのまま気仙沼へと向かう。

そこには、イオンも、ユニクロも、眼鏡市場も、
セブンイレブンの店舗もあり、
震災があったとは思えないほどの街並みを進んでいくことになる。

ところが、高台にある、
気仙沼中学校のグラウンドに新設された仮設住宅近くの畑からのぞく南側の気仙沼は、何も無かった。

そのまま、その方向へと車を走らせ、
魚市場のほうへ向かい、言葉をなくしつつ、
第18共徳丸のある場所まで行く。

防災対策庁舎も、第18共徳丸も、
直に解体され、なくなる。

車をレンタカー屋へ戻しに、
石巻までいそいそと戻る。

海には、海水浴をする人々もいる。

駅からほど近いお宿とちぎに部屋をとる。

とちぎ出身のおじいさまが始められたお宿。
古くてねえと言いながらお部屋に通される。
ところどころ歪んでいるふうも、居心地が良い。

勧めてもらった、
さかな処三吉で、
夕食をいただく。

ビールに、しめサバ、ほたて、いかげそ、
ほたて、ホヤ、豆腐ステーキにおむすび。

座敷でみんながわいわいと飲んでいる。

復興特需により、
石巻駅前はすっかり大型チェーン居酒屋が陣取っているものの、
一本入れば、こんなお店もある。

夜に東京弁と関西弁で喧嘩があったりするから、
怖いものだよと地元の男性が、言った。