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トトラという葦でできた島 – Puno / Isla de Los Uros (Lago Titicaca), Peru

汽船の運航する湖としては世界で最も高地、標高3890mにあるというティティカカ湖は8300km2あって、いくつかの島が点在している。今日はその中のウロス島に泊まらせてもらうことにする。

ウロス島は、自然の島ではなく、トトラという葦でできた65ほどの浮島である。一説には混血を避けるため、一説には敵から逃れるために、ここにたどり着いたのだという。

朝はプーノの宿でパンとバター、苺ジャムにシナモンとクローブのお茶をとって朝食にする。朝の9時に宿に迎えに来てもらい、そのまま桟橋へと向かい、ボートに乗り込む。

前へ進んでいるのが分からないほど、ゆっくりと静かに進み始める。そのうちに、トトラがあちらこちらに生えているのが見え、どうやってそこに辿り着いたのか、湖にできたわずかな土の上でブタたちがそれを食べている。

30分ほどして、最初に訪ねるウロス島、Apu Kaskalli島に到着する。「カミサラキ(お元気ですか?)」とアイマラ語で迎え入れられるので、教わったばかりの「ワリキ(元気です)」と答える。島長であるマルティンさんが、島についてアイマラ語で解説をしてくれる。

ここには4家族、22人が住んでいるのだという。トトラのかすかに甘みのある茎を食べてみたりする。

トトラで家を造る過程も説明してくれる。まずは、トトラの根っこを固めて木を差し込み固定する。そしてそのうえにトトラを重ねて床にし、最後にアンカーをさして、流されないようにする。島には塔がたっていて、そこから辺りを見渡すことができる。

煙草を吸うことはできないし、台所もトトラの上にまず土を敷き、そのうえにかまどをのせて火事を防ぐ。カラチやペペレイ、トゥルチャ(マス)といった魚や水鳥を捕って、食べている。トイレは、水の汚染を防ぐために、一ヶ所にまとめられている。

家々にはソーラーパネルがついており電気はつくものの、床はトトラのままである。雨をしのぐために、屋根にはトトラの下にビニールが敷かれている。

そこから手漕ぎのトトラ舟に乗って、ウロスの北のエリアにある2つの「キャピタル」のうちの一つの島、Hanan Pacha島に向かう。子どもたちも乗り込んで、英語はもとより各国の歌を歌い始める。日本語のチューリップの歌や、お手てつないで、の歌も歌われるくらいである。

Hanan Pacha島は先ほどの島よりも大きく、トトラでできたレストランや土産物店、郵便局や生簀まである。

ウロス島は主に北と南の2エリアに分かれ、1日おきに観光客を受け入れているのだそうで、観光客が来ないときには、手工芸品を作っている。今日は北のエリアが観光客を受け入れる日である。

ここで他の人々と別れ、宿泊をする南のエリアにある最も大きな島、Tupirmarka島にヨットで連れて行ってもらう。ここには6家族、25人ほどが暮らしているのだそう。今日は観光客を受け入れていない日であるので、客はわたしたちのみで、島では子どもたちが遊びまわり、のどかなものである。隣の島は北のエリアに属していて、観光客のボートが何隻も訪ねてくる。

到着すると切り盛りをしているジョバンナさんが迎え入れてくれる。旦那さんはプーノに近い小学校で先生をしていて、夜まで島を離れている。ロナルドくんとダイナちゃん、2人の子どもがいて、まだ結婚をしていないものの、12月に結婚をすることが決まっているのだそう。

この辺り、以前は一家族10人から12人の子どもがいたが、今は2、3人程度が一般的だという。

ジョバンナさんは、ぐったりと死んでいる黒いトキを丁寧になでながら、トトラで作られた小屋をわたしたちにあてがう。電気はなく、シンプルなベッドが置かれているのみだ。

周りで子どもたちが走り回ると、ほんのわずかに島が揺れる。素足になってトトラでできた床を踏む。トトラは柔らかく、少しだけ湿っていて、少しだけ沈む。

昼食は島で養殖をしているというマスのフライをいただくことにする。まずは小さな養殖場から子どもたちが網を使って、マスを取る。餌には湖で捕れるカラチをあげているという。

それをジョバンナさんが手慣れたふうにさばき、フライをして、レモンと水、胡椒に塩とにんにくを混ぜたものをかける。同時に朝に炊いておいたご飯を温め、その横で、手際良くプーノで買ってきたじゃがいもを揚げる。子どもたちは台所でばたばたと遊びまわっている。

この島でもじゃがいもをつくっているが、今の時期は蓄えがないため、プーノまで買いにいくのだという。サラダには、レタスにトマト、きゅうりにレモンが添えられている。水鳥の卵を使ったウロス島の揚げパン、タクテも合わせていただく。

この島には、国際電話がかけられる電話機も教会も小学校もある。すでにみな携帯電話は持っているので、この公衆電話が使われることは今はほとんどない。

小学校には40人ほどの子どもたちが通っているという。ホワイトボードの前には木の椅子と机が並べられ、壁にはアルファベットや数字の書かれたポスターが貼られている。

隣の教会では、午後になると、周りの島の子どもたちが集まり、キリスト教について勉強をし、時に歌ったり踊ったりしている。年長の女性たちが、それを取りしきる。

ジョバンナさんは子どもを連れて、舟を漕いで出かけて行った。ジョバンナさんの弟であり、島長でもあるルイスさんに色々な話を聞く。島長というのは毎年交代で受け持つそうで、住民6家族が集まって話し合いで決めるのだという。

この島の名前Tupirmarkaとはアイマラ語で「浮く村」という意味であること、この島はルイスさんの父親が8年前に住み始めたということ、島は切り離しが可能で、必要に応じて切り離して島ごと別の場所へ移動して住むこともあることなど、ルイスさんは丁寧に話をしてくれる。

もともとは一隻で使われていたトトラ舟が、親戚の舟などと横並びで使われるようになり、それが島へと発展していったのだそう。

島の人々の80%は観光業に従事し、残りの20%は漁業や水鳥の狩猟、舟のタクシー業などに従事している。水鳥であるチョカを取りに、10キロ先の湖まで3、4日かけて出かけることもあるという。一人で出かけ、その間は舟に寝泊りをする。捕れたチョカなどはプーノで4ソルで売るのだという。

トイレは村の一ヶ所にあり、シャワーは湖の水で済ませる。ただ、ボートの排気ガスなどにより、かつて飲むことのできた湖の水はもう飲めない。飲み水は、別の島にある無料の浄水を汲んで、それを飲むのだという。

この村には以前フジモリ大統領も宿泊したことがあり、ソーラーシステムも寄付されたものだという。それを島の人たちは誇りに思っている。ティティカカ湖の島々の公共施設に、外資企業へのプロモーションとしてかつてソーラーパネルが10つずつ寄付されたのだという。

Tupirmarka島の後ろには別の島、24年前にできた、ウロスで最も古いアンティグア島がある。現在は家が沈み、地面に家がついているのだというが、水かさが増せば、また浮くようになる。アンティグア島の家々はトタンでできており、これが観光業にとってマイナスであることは島の人たちも分かっている。そして、トトラでできた家のほうが暖かいのだという。

加えて、この辺りの女性と結婚するのは大変なこともあるのだと話してくれた。例えばタキーレ島の女性と結婚するためには男性は別居をしながら、3年間奉仕しなければならない、とか、ラチョンの女性と結婚するには男性が毎日多くの貢物を持っていかなければならないとか、結婚するときに鞭で打たれる地域もあるのだという。

ルイスさんは、騒がしくて汚染のはげしいプーノよりもこのウロス島が気に入っているといった。多くの若者がそう思っているのだと、笑顔で言う。

辺りも暗くなり、教会にいた子どもたちもそれぞれ舟に乗って家へと帰っていく。

湖の向こうのプーノの町に橙色の灯りが瞬いている。こんなに近い場所であるのに、遠い生活だ。

夜になっても、舟がときおり横切っていく。

夕食も再びマス。ここでの選択肢は「マスかオムレツか」である。暗闇の中で生簀からマスをとってくれる。今回は、塩で味付けして焼いたア・ラ・プランチャでいただく。ライスとフライドポテトのセットは変わらない。昼食同様、生簀の水の青い匂いがしみこんでいる。

島には灯りがなく、細い月の灯りと懐中電灯を頼りに小屋まで戻り、ろうそくを灯す。あえて電気をつけないことが観光業として魅力的なことであるのを島の人も知っているのかもしれない。

風を通さないトトラの小屋は、思いのほか暖かった。
遠くのほうから雷の音が聞こえてくる。