Top > ブログ

ボリビアのはじまり – Kasani (Border with Peru) / Copacabana / La Paz, Bolivia

煉瓦の門をくぐると右手に教会があり、左手にはボリビアのイミグレーションオフィスがある。先ほど記入したイミグレーションカードを差し出し、パスポートに挟まっていた虫は「スタンプか?」という冗談に答えれば、ボリビアに入国したことになる。

近くには日本語で「たいようパン」と荷台に書かれたトラックが停まっている。

国境のKasaniという町からコパカバーナという町まで8キロ、バスで約10分ほどで到着する。
コパカバーナもまだティティカカ湖畔の町で、湖にはヨットやあひるのボートが並んでいる。小さな町にはホテルや旅行会社が軒をつらねる。

丘をあがったところには、ムーア・スタイルのカテドラルもあり、1570年代に造られた褐色のキリスト像がまつられている。イースターの日には、ラ・パスからここまで歩いてやってくる巡礼者もいるのだという。ちょうど結婚式を終えた新郎新婦が車に乗り込んでいくところだった。

教会の前では、白や淡いオレンジの花が売られ、カラフルな花やリボン、トトラなどで飾られた車が停められている。

1時間ほどコパカバーナにいた後、Pan Americano社が手配をしていたボリビア側のバスに乗り換えて、ラ・パスへと向かう。氏名と年齢、国籍、パスポート番号、職業と目的地を書いた紙を回していく。ペルーの快適だったバスとは、すこし、違う。

晴れた空に山々がつらなる道を行くこと1時間ほどでSan Pedro de Tiquinaに到着する。湖のこの部分には道が通っておらず、一度バスを降りてボートに乗りかえて湖を渡る必要がある。

乗客が乗り合いボートに乗って順次湖の向こう岸へと向かう間、バスは別の筏に乗って、ゆったりゆったりと運ばれていく。辺りには、何台もの車が筏に乗って進んでいく。

岸にたどり着いたバスに再び乗り込み、高度4000mほどの丘を越えながら、やがてティティカカ湖から離れ、ボリビアの首都、ラ・パスへと向かっていく。

17時前に雪をかぶった標高6402mのイリマニ山を眺めると、30分ほどかけて、ぐるりぐるりと円を描きながら、すり鉢状のラ・パスの中心近くにあるバスターミナルへとたどり着く。

ラ・パスは危ないという噂を聞いていた。首絞め強盗やらケチャップ強盗、つばかけ強盗やらにせ警官と、何やらおどろおどろしい言葉が並んでいる。近年は、警官やイルミネーションを増やすことで治安は改善されているというが、やや前のめりで歩く。とはいえ、標高も高く、坂の多いこの町では、息もきれぎれである。

パフォーマンスが繰り広げられているサン・フランシスコ寺院近くの宿、El Solarioに荷物を置いて、町を歩くことにする。

電気製品や便器、スポーツグッズ専門店の多い坂をあがり、メルカド・ネグロと呼ばれる市場へ向かう。ここは坂にできた大きな市場であり、靴やら洋服やらがぎっしりと並べられ、その周りにも露天が並び、床には魚や野菜などが売られている。金属やライト、布地、パンなどを売る店もある。

ところどころに黒髪にみつあみを施し、頭には山高帽を被り、鮮やかな布にくるんだ荷物を背中にしょったインディヘナの女性たちが歩いている。

町を歩いていてもインディヘナのおばちゃんがよく目につくほど、おばちゃんたちは商売熱心で、例外なくぷっくりとしていて、力強い。エル・アルトでは毎週日曜日にインディヘアの女性たちがレスリングをする試合もあるそうだから、なかなかに恐れ入る。

そこから通称魔女通りと言われるリナレス通りを歩く。ここには家内安全を祈願するのに用いられるリャマの赤ちゃんのミイラや、Polvoと呼ばれる粉、石の置物やキャンドル、エケコと呼ばれる家に住む神の人形などが並べられている。ひょうきんな顔をしたミニエケコ人形が15ボリビアーノであるのに対してリャマのミイラは50~200ボリビアーノするという。

そこからまたぶらりと歩き、Silpanchoという料理名が並ぶ屋台で、そのとおりSilpanchoをいただくことにする。店舗名は、「Silpancheria Dona Pancha N:7」。左の店から順に番号を振られているだけである。

テレビを見ながら、仕事帰りだと思われるスーツを着た男性と、それに連れられてきたらしい男性二人が食事をしている。

ここでもまたふっくらとした女性が、大きなフライパンを前に大量の肉を揚げている。牛肉を平べったく焼いたものに目玉焼きにじゃがいもが乗せられ、紫色の砂糖大根にキャベツ、ライスが一皿に盛られている。

こうしてどことなく薄暗い高所、ラ・パスの夜は更けていく。