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いなくなった、カメラ。 – San Pedro de Atacama / Calama, Chile

ボリビアのイミグレーション・オフィス近くに停まっていたバンに乗り込み、チリ側のイミグレーション・オフィスへと向かう。今まで通ってきた道とは全く異なり、舗装された道をものすごいスピードで突っ走っていく。

やがてバスはサン・ペドロ・デ・アタカマのイミグレーション・オフィスに到着する。先ほどバスの中で書いておいたカードを提示すると、あとは無言のままスタンプが押される。バンから一度荷物を下ろし、荷物検査を受けたのち、再びバスに乗り込む。

こうして、標高2438mのサン・ペドロ・デ・アタカマに到着する。ものの見事に、暑い。今朝いたLaguna Coloradaとは大違いである。そそくさと、着込んでいた上着を脱いでTシャツとなり、町の中心へと向かう。町は、旅行会社や両替屋、レストランなどが並び、観光によって成り立っている。両替屋で両替を済ませ、首都サンティアゴ行きのバスを探しにバス会社をあたる。

ある程度目途がつき、チケットは後で購入することにして、昼食を食べに行く。アルマス広場のそばには白いサン・ペドロ教会がたち、細い道には土産物屋が並ぶ。

よく客が入っているレストランで、カスエラ・デ・アベをオーダーする。とろとろのチキンにじゃがいもやかぼちゃ、野菜がふんだんに入っているスープにパンを浸して食べる。ゆっくりといただいているときに、ふとボリビアとチリの間には時差が1時間あることに気がつく。乗ろうと思っていた15時15分のバスまであと7分ほどしかない。

あわててスープを飲み干し、鞄を背負ってバス会社まで向かう。ぜいぜいと息を切らしてたどり着いてみると、そこには貼り紙がしてあり、オフィスは「16時から開きます。」とある。ここでは、長いお昼休みがあるのであった。

これではチケットが買えない。

やれやれとそこに座りこみ、じっと待っていてもそのオフィスは17時ころまで開かなかった。結局、Atacama2000社で、経由地であるカラマまで行き、そこからバスを乗り換えてサンティアゴに向かうことにする。

こうしている間に、既に夕方近くなり、風が強くなり、砂埃が舞い、遠くの雪山は霞んでしまった。チリのテレビは日本の津波について話をしている。

オフィスはややがたつきが見られたAtacama2000社も、バスは最新式、冷房が適度にかかり、ゆったりとした座席だ。さすが評判の高いチリのバスである。時間に正確だといわれるチリのバス、5分ほど遅れただけですぐに出発となる。

小さな町のサン・ペドロ・デ・アタカマはすぐに乾いた大地へと切り替わる。植物も生えない茶けた大地が広がる中、舗装道をバスは静かにとばしていく。ところどころ道沿いに十字架がたてられている。

1時間半ほどでスムーズにカラマに到着し、サンティアゴまでのチケットを購入する。2階建ての冷房の効いたバスの2階へと進む。バスはほぼ満席だ。

出発前にお手洗いを、とバスに設置されたお手洗いに近付くと、一人の男性が、扉はこう閉めるのだなどと言って、丁寧に指し示す。そして、座席に戻ると、席に置いてあったカメラが忽然と姿を消していた。

わたしたち一方がお手洗いに入っている間に、さきほど話しかけてきた男性が、席に残っていたもう一方に、バスの外に荷物が落ちているなどと言って、窓の外を覗かせていた。そして、その男性は携帯電話で誰かと話すふりをしながら、バスを降りて行った。

窓の外に目をやったそのわずか一瞬のすきに、恐らく気配を消して近付いていた別の人物が、座席からカメラを連れ去っていった。

カメラが座席にないことに気付いたときはバスは既に出発していたものの、カラマの町をまだ出ていなかった。そのままバスを降り、タクシーを捕まえて、ターミナルへと戻る。もちろん男性たちは、もうそこにはいない。

バス会社と警備員に話をした後、近くの警察署へと向かう。3名ほどが横並びに働いており、そのうちの1人に事情を話す。外国人観光客を狙ったスリは毎日のように起きているといい、慣れたふうにパソコンのGoogle翻訳の画面を開き、パタパタとスペイン語を書いていく。そして、わたしたちにもまた画面に事情を打ち込むように促す。

警察官は、時折鼻歌を歌いながら、時折何かを噛みながら、時折必要書類のデータを間違えて打ち込んだりしながら、作業をしていく。

警察署を出るころには23時を回っていた。静まり返ったその町のホテルは、商用のチリ人宿泊者も多いようで、どこも満室だった。ようやくHotel Aymmaraに部屋を見つけ、なだれ込む。

チリは、こんなふうにして始まった。
日本の3月11日のことだった。