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出国の質問よりサッカー。 – Wadi Musa / Amman / Border with Israel, Jordan

今日はアンマン経由でイスラエルのエルサレムまで向かう。ヨルダンもイスラエルも国がさほど大きくないうえ、交通手段が整っていて、移動に時間がかからない。

朝は宿のスタッフの友だちだという男性がバスターミナルまで車をだしてくれるというので、それに乗って近くのターミナルまで向かう。

ワディ・ムーサからアンマンまではバスで3時間ほど。おおよそが仕事のためにアンマンに行く人たちだという。

20分ほど待ってやや座席の埋まりはじめたバンは、7時40分ころに動き出す。ターミナルにあった小さな商店で、エジプトで気に入ったMoltoのミニクロワッサンを見つけたので、それを買い求めてバンでほおばる。

アンマンまでの道はきれいに舗装された道で、そこをバンが飛ばしていく。茶けた砂漠をみることもあるものの、たいていぽつりぽつりと白い建物が並んだり、工事が行われていたりする。

窓から吹き込む風も涼しく、ヨルダンの旅が快適だということを改めて実感する。交通機関も食事も、なにやら洗練されているのだ。

アンマンのムジャンマ・ジャヌーブ・ターミナルに到着し、そこから乗り合いタクシーで、イスラエル国境までのタクシー、セルビスが出ているムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに向かう。

ごつごつとした崖の上に淡い茶色の四角い家々が立ち並ぶのを見ながら30分ほどで、ムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに到着する。ターミナルの売店で売られていたターメイヤとサラダをピタパンにはさんだものを買い求め、ほおばる。

イスラエルまで向かう乗り合いタクシーはほどなくして満席になり、発車する。乗客の中には、パレスチナの男性がいた。

パレスチナ人の彼はヨルダンに生まれ育ったが、パレスチナの女性と結婚をして、2000年に米国に移り住み、医者として働いている。彼はヨルダンのパスポートをもち、米国で生まれた子どもたちは米国パスポートを持つ。

米国は移民に対して寛大だ。技能があれば仕事をすることができる。白のストライプシャツにスーツのパンツをはき、サングラスをかけて、やや髭をたくわえた上品なその男性はそう考える。

彼の父親はパレスチナで住んでいた土地を奪われ、ヨルダンにやってきた。

イスラエルから土地を奪われ、殺害を恐れた多くのパレスチナ人が国外に逃れた。その最大の移住先がヨルダンなのである。ヨルダンは、最も寛容に難民を受け入れ、パスポートを与えているのだとその男性は言う。

イスラエルのメディアは、イスラエルもパレスチナも双方が武器を所持して戦っているように伝えるが、実際のところパレスチナ人は貧しい生活を送り、武器すら持っていない人がほとんどなのだと言った。

ユダヤ人が移り住んできたのは最近で、それまでは長い間パレスチナ人が住んでいたのに、とその男性はゆっくりと言葉をかみしめるように言う。わたしたちがこれから向かうエルサレムは、「分離壁」の向こうにあたる場所にあるので、特別な許可がないと行けないのだと彼は加えた。

ヨルダンに住む家族や、今もパレスチナに住む親せきに会いに、こうして時折米国から帰国しているという。恋しく思うこともありますよ、とこちらに顔を向ける。

イスラエルとの国境、死海に近づくにつれ、標高が低くなり、暑くなっていく。運転手は窓を閉め、冷房をつけた。ヨルダン川や少しの雨で、この辺りはバナナを栽培しているのだそう。

約1時間ほどでヨルダンのイミグレーション・オフィスにたどり着く。小さな紙切れに、パスポート番号と国籍と名前だけ記入するように言われる。そして、出国税を支払う。

オフィスはどうにもゆったりとした雰囲気で、先日のワールドカップ予選の日本対ヨルダン戦のことを指して、「6-0」と職員に囲まれて笑顔で言われる。窓口でも同じだ。1、2点ならまだしも6点だよ、と、出国にかかわる質問などお構いなく、とにかく「6-0」と連発する。

キング・フセイン橋を渡ってイスラエル側のイミグレーションオフィスへ向かうシャトルバスが来るのを、待合室で待つ。シャトルバスに乗ると、預けていたパスポートが返却され、そこに出国スタンプの押された小さな紙切れ、それに出国税を支払った領収書がはさまっている。

キング・フセイン橋まで4kmと書かれた看板がたてられている。

橋の手前で、どくろのマークを胸に付けた男性職員が乗り込んできて、2枚つづりの出国税領収書の一方をちぎり、出国スタンプを押した小さな紙切れを回収する。どくろをつけていようが、この職員たちも陽気だ。

いよいよ、ヨルダンからイスラエルに渡るキング・フセイン橋にさしかかる。日本の資金援助でかけられた橋には、ODAのロゴがつけられている。

「Welcome to King Hussein border crossing (Allenby)」と書かれたゲートをくぐり、ヨルダン側から約30分ほどかけて橋の向こうのイスラエル、イミグレーション・オフィスへと降り立った。