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いろんな場所からの貢ぎ物 – Shiraz / Persepolis / Naghsh-e Rostam, Iran

5時半ころにはシーラーズのターミナルに到着し、そこからタクシーに乗って宿へと向かう。イランでは基本的に宿の中でも、部屋の外では髪をヒジャブなどで隠し、腰がかくれるほどのマーントーを着る必要がある。朝食はそんな格好をして、宿の中庭できゅうりや茹でたまご、トマトにパンのビュッフェ、それに紅茶にミルクを、絨毯の敷かれた席に腰かけていただく。

金曜日の今日は、モスクへ祈りに行く人々が朝から大勢いる。835年に殉教したセイイェド・アフマド・エブネ・ムーサーの廟のあるシャー・チェラーグ廟にも多くの人々が集まっている。

今日は、アケメネス朝の都だった遺跡、ペルセポリスに向かう。宿からバス乗り場まで向かう。道には金色の神輿のようなものが車に運ばれていく。1時間ほどでマルヴダシュトに到着し、そこからタクシーに乗り換えて、まずはナグシェ・ロスタムへと向かう。

ここにはアルケメネス朝の王墓が、岩山にギリシャ十字型にくり抜かれて並んでいる。中央には、ゾロアスター教の神殿だといわれる四角い石造りのタワーがすくりとたっている。王墓には、馬に乗った騎士のレリーフや、サーサーン朝の王が捕虜となった東ローマ帝国の皇帝をつかむ姿などがくっきりと描かれて残っていた。

そのままタクシーに乗って、ペルセポリスに行く。

馬に乗りながら上がり下りのできる高さにつくられた入口の大階段、偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって頭を削られた牡牛像や人面有翼獣神像のたつ正門、クセルクセス門。

その門を抜けると、儀仗兵の通路に対になった双頭鷲像がたっている。かつて100本の柱のあった百柱の門の広場には、当時財宝が展示されていたという。門には、一番上にゾロアスター教の最高神アフラ・マズダ、その下に王、一番下に王の座る玉座を担ぐ臣民が描かれている。

そこから丘をあがったところにあるアルタクセルクセス2世の王墓からは、ペルセポリス全体を見渡すことができる。ここでも岩肌が十字型にくり抜かれ、アフラ・マズダや玉座かつぎ、それに花のレリーフが彫りこまれている。

さらにクセルクセス1世の宮殿ハディーシュや、ダレイオス1世の宮殿タチャラ、会議の間ともよばれる中央宮殿とまわって、謁見の間、アパダーナへと入っていく。杉が使われていたという屋根を支えていた柱のうち12本が残ってすっくと立っている。出入り口の階段には、メディア人とペルシア人の高官の姿や、王に捧げものを献上する属国の使者たちが精細に描かれている。

牡牛にかみつくライオン、エチオピアやリビアからインドやエジプト、カッパドキアやアルメニアなど20以上の場所からの使者たちが牡牛やらくだを引き連れ、槍と盾をもち、それぞれの地域の装いで貢物とともに歩いていく。そばには楔形の古代ペルシア語も彫りこまれている。

それほど大きくない遺跡であるものの、あちらこちらでイランの人たちに一緒に写真を撮りましょう、と話しかけられるので、ずいぶんとゆっくりとする。

ペルセポリスからマルヴダシュトの町までヒッチハイクを試みると、すぐに一台の車が停車した。ペルシア語の先生だといい、町まで送ってくれるという。

先生は、イラン人の多くが現在の生活を幸せに思っていない、と言った。理由は三つあって、一つ目は経済封鎖によってものの値段が上がり、イラン経済がとても悪い状態にあるため。二つ目はイランが保有していると言われている核について人々は快く思っていないため、三つ目は国家によるイスラム教関連の決まりが厳しすぎて自由がないためなのだと明るく言う。

マルヴダシュトでバスをつかまえ、20時過ぎにはシーラーズのバスターミナルへと戻ってくる。レモン味のノンアルコールビールを飲んだ後、屋台で売られていた酸味のあるお粥の入ったスープ、アーシェをいただく。すると、屋台のおじさんはお金は要らない、と言う。

さて、ターミナルから街中までどうやって戻ろうかと思っていたら、バスの運転手が乗っていくと良いと言って手招きをして、がらんどうのバスを貸し切って町の中心まで走ってくれた。すると、バスのお兄さんはお金は要らない、と言う。

日没を迎えたシーラーズのキャリーム・ハーネ・ザンド通りには、サモサなどの屋台も出て、活気づいている。食堂に入って、ハツにレバー、それにチキンの手羽先ともも肉を炭火で焼いたもの、それにヨーグルトをオーダーする。ついてきたパンに飲み物はペプシを合わせる。

ここ数ヶ月経済封鎖の影響もあって鶏肉不足になり、その価格が2倍ほどになっていたという。それでも最近ブラジルから大量に鶏肉を輸入できてここ数日は価格が落ち着いてきた。ただイランと仲の良かったブラジルの前大統領も、現大統領にかわってから、他国の目を気にしているから、今後良い関係を保てるかは分からないと聞く。

1979年に旧アメリカ大使館で起こった人質事件やイスラエルを支持する米国によって、すっかりイランは米国に目の敵のされてしまった。イランにもコカコーラのロゴが書かれ、くっきりとORIGINALとうたわれたペットボトルが売られている。これは米国製かと思っていたら、どうやら、メイド・イン・イラン、らしい。

食堂を出ても賑やかなままの路上でアイスクリームをほおばる。店に入れば、どうぞと今度は店員にキャンディをいただく。夜も更けた道ばたに座り、おじさんの淹れたチャイを飲む。そばには水たばこが愛想もなく置かれている。皿に盛られた角砂糖を一つつまみ、口にほおばりながらチャイを飲むと良いのだと、教えてもらった。