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イランのお家ごはんとゾロアスター教徒の墓場 – Yazd, Iran

朝の5時半ころにヤズドのターミナルに到着すると、宿のドライバーが迎えに来てくれていた。途中にガソリンスタンドに立ち寄り、イランのガソリンは安い、1リットルレギュラー4000リアルで、ハイオクでも7000リアルだよと嬉しそうだ。

朝食は、宿の中庭で、チーズや棗、トマトやきゅうりにオムレツとパンにメロン、それからコーヒーをいただく。

暑い日差しの照りつける昼のヤズドの町は、商店のシャッターもぴしゃりと閉められ、ひっそりとしている。時折現れるモスクの周りに礼拝を終えた人々が集まっている程度だ。

そんなシャッター通りを歩いて、ゾロアスター教徒の墓場、沈黙の塔まで足を運ぶことにする。

ゾロアスター教徒は、イスラム教徒の服装規定とは異なり髪を覆う必要もないというが、イラン国民としてイスラム教の規則を守らなければならないため、みな髪をヒジャブで隠している。だからヤズドの住民の1割がゾロアスター教徒だというが、誰がゾロアスター教徒なのかは傍からは判らない。

沈黙の塔へ向かうバスを探しに歩いていると、全身を黒いチャドルで覆った若い女の子とそのお母さんに話しかけられた。その女の子は、全身を覆う黒いチャドルも暑くはない、むしろイスラム教徒としてとても好きなのだと言った。

近くにいた男性が、沈黙の塔へ行くなら送っていくよと言い、さらに昼は暑いからまずは家で涼んでから行けば良いと言う。男性が乗っていた車は、大きくて長年使われてきたメルセデス・ベンツの大型トラックだった。

大きなそのトラックによっこらしょと飛び乗り、運転席の隣に座らせてもらう。トラックには日本製のテーププレーヤーが取り付けられ、イラン音楽を流す。食べなさいともらった棗をほおばり、右手に伝統的な貯水施設、Ab Anbar Rostam Givを見つつ、沈黙の塔にほど近い男性の家に招いてもらう。

日差しの強い外から、真っ白なそのご自宅に靴を脱いであがると途端にひんやりとして涼しい。棚にはカラフルな磁器が並べられ、アンティークのランプも置かれている。そしてそこにはふんわりとした笑顔を白に花柄のチャドルで包んだ奥さんと、18歳のお姉さん、15歳の妹、13歳の弟の3人の子どもがいた。

見知らぬ者同士だったというお父さんとお母さんが結婚して20年、お姉さんは大学生で、職が得やすいという会計を勉強し、妹は将来心臓医を目指し、弟はサッカー選手を夢見ている。イスラム教徒の一家だ。

今は夏休み中だが、ラマダンの間は特に外は暑いので、外出もせずに室内にいて水分をとらずにすむように心がけていた。

そのうちに親戚のお母さんと女の子も入ってソファに腰をかける。女の子はグラフィック・デザイナーとしてアトリエで働いていて、iPadを取り出し、Google Translateを見事に使いこなし始めた。VPNを使って、政府のフィルターなどお構いなく、facebookを駆使している。

ひんやりと冷たいぶどうジュース、それにZoolbia、Bamieh、象の耳という名のGoosh-e Feelといったスイーツから始まり、ぶどうやメロンにスイカ、レンズ豆のシチュー、ホレシュテ・ゲイメとライス、トマトや棗のシロップ漬けにいちじく、チャイ、そして庭からとった木苺などが次から次へとわたしたちの前に運ばれてくる。ラマダン中の家族はみな、ぱくぱくと食べるわたしたちを囲み、何も飲食をせずにおしゃべりをする。

子どもたちはラマダンはつらいとも言うが、わたしたちには食べろ食べろと勧めてくる。

イランでは男の子は15歳から、女の子は9歳からイスラム教の教えに則るのだといい、断食や女の子のヒジャブ着用もその年齢から。女の子のほうが男の子よりも成熟が早いので、これほどの年齢の開きがあるのだそう。これほど男女の年齢に差があって不公平だと思わないかとお姉ちゃんに尋ねると、鼻をくしゃりとさせて、少しねとしぐさをしてみせた。それでも、ヒジャブ着用は慣れていて、暑いと感じたりはしないという。

休みの日には、勉強をしたりテレビを見たり、パソコンでゲームをしたり、家族旅行をしたり、ピクニックをしたり、映画を観たり。好きな食べものはみな口を揃えてファースト・フード。ハンバーガーやサンドイッチ、ピザは大好き。

お父さんはわたしたちにどっさりと棗を持たせ、また大きなメルセデス・ベンツのトラックに乗ってわたしたちを沈黙の塔まで送ってくれた。ラマダン中は仕事はほとんどしないのだと言った。

今のアフムード・アフマディーネジャード大統領がだめだからイランの景気も良くない、子どもたちを大学に行かせるのはとても大変だと運転をしながらペルシア語とわずかな英語でつぶやいた。

ゾロアスター教は、火、水、土を神聖化しており、それを穢すことになる火葬や土葬を嫌って遺体を鳥葬場に安置し鳥に喰いつくさせた。沈黙の塔はその跡だ。1930年代にレザー・シャ―が鳥葬を禁止してから、イスラム教徒と同様に土葬するようになったという。

ゾロアスター教徒の墓場である沈黙の塔は、イスラム教徒のお父さんにとっては興味がない場所だった。

近所の若者たちがその広がる砂地でバイクをふかしている。鳥葬が行われていた場所というが、そこは夕焼けを眺める若者たちが集まる場所になっていた。塔の上にはぽかりと白い月が浮かび始めた。

二つの丘にはそれぞれその頂上に鳥葬場があり、麓には通夜などに使われた集会場や貯水池、アーブ・アンバール、それに現在のゾロアスター教の土葬墓地も点在している。

帰りはヤズドの中心部までバスの本数も少ないようだったので、ヒッチハイクを試みる。日産車に乗った工場帰りの男性と、イランのラップを爆音で流しながら日本大好きと叫ぶ若い男性二人組に乗せてもらいながら、夜のマスジェデ・ジャーメに連れて行ってもらう。

すでに日も暮れて集まってイフタールを食べる人々がいる。

周りの旧市街を散策していると、一つのモスクの中から食事をしている男性たちが手招きをした。中に入ると、チャイや砂糖水や砂糖菓子、それにゆで卵をどうぞと差し出された。ラマダン中はこうして、日が暮れるとモスクで食事が振舞われたりする。聖職者だという男性が、奥のほうから聖職衣を取り出しぱっと着てみせて写真をどうぞ撮ってくださいとにこにこ笑いながら言った。

明るく輝く月が、イスラム教とゾロアスター教の町を照らしている。