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荒削りなビーチとひっそり巨大リゾート、バラデロ – Varadero, Cuba

MarlenさんとLazaro夫婦のカサ・パルティクラルのテラスで目玉焼きにパン、ヨーグルト、サラダ、ハムにバナナにチョコレートドーナツにコーヒーという贅沢な朝食をいただく。そこにMarlenさんが14歳の息子を連れて来て、自分より背が高いのよと照れたように笑う。どこか奥ゆかしい可愛らしさをもったお母さんなのである。

旦那のLazaroさんは大きく恰幅の良いお父さんで、今日はサンタ・クララ付近まで猟に出かけるから明日家にいられるのなら、鳥を食べようと言って、車で出かけて行った。バラデロのほとんどのホテルのコーヒーメーカーを管理する仕事をしているのだという。週末は休みなのかと尋ねると、キューバ人はほとんどの曜日が休みだと豪快に笑った。

バスターミナル付近を歩いていると、カナダのバンクーバーから来たという、Ronという名の66歳の男性に声をかけられた。15日しか誕生日の違わない同じ歳のBillという名の友だちは、これが初めて海外旅行であり、Ronさんに連れられてキューバに来たのだという。

Ronさんは少し座って話をしようと芝生にわたしたちを導いた。キューバは二度目の訪問だが、長期で滞在しているらしい。以前にフィリピンを訪ねた際、汚職と経済格差、貧困といった現状を目の当たりにして、歴史的に同じようにヨーロッパや米国の影響を受けてきたキューバにそれが少ないことにひどく感動をしたようだった。

キューバは医療を中南米に輸出をしている。武器や軍隊ではない。これは素晴らしいことなんだと強調する。そしてキューバについて語る。「キューバはインターネットをプライベートで利用することが禁じられており、政府のサーバーにログインをしたうえで1時間に6、7CUCを支払って利用する必要がある。革命以前から私的に所有されていた土地は今も私有である。」

タバコやお酒といった嗜好品を買うときは左ポケットに入ったCUC、屋台でご飯を買うときは右ポケットに入ったMNを使うんだよとそれぞれのポケットを指さす。最後に手助けできることはないかとわたしたちに尋ねた。手助けをするために、ここにいるんだから、とRonさんは付け加えた。

そのそばで子どもたちが野球の練習をしていた。フェンス越しに眺めていると、Rafael Vidalという男性が、食べるものがないからお金がほしいと声をかけてきた。

言葉を交わすうちに、彼も詩を書いているのだと詩をしたためたノートを広げて見せた。犬と一緒の写真を撮って欲しいと言い、またわたしたちの前でノートにやしの木やボート、ハートがついた絵を描いた。

そして、その広場の脇にある物置きのような彼の家に招かれた。バナナやグアバの葉、ビールの空き缶や昔の雑誌が乱雑に放置された、質素な部屋だった。

MUCHACHAという雑誌の束をもってきて、一冊くれるとわたしたちに差し出した。古い雑誌の女性を指さし、その子が可愛いと口に指をあてる。帰り際、空き地で育てているというバナナやグアバを嬉しそうに見せてくれ、わたしたちが去っていくのをずっと見ていた。

バラデロというところは「キューバ最大のリゾート」であり、カリブ海の、きらきらとした場所であるに違いない場所であった。

でも、天気のすぐれない今日、ここは寒かった。
宿の近くのバラデロ市街のビーチで海に入ると、思わず怯んでしまう冷たさだった。きれいな色をしているが、波も高く泳げない。人もほとんどおらず、カンクンリゾートを見た後では、リゾートとしての荒削りな感じが伝わってくる。

Celle62まで歩いてオムレツパンを食べた後、ヒカコス半島の先端まで「バラデロ・ビーチ・ツアー」という周遊バスに乗ってぐるりと回る。このバスの乗客は、総じて観光客で、肌の色が白い。肌の色が、まるで階級を決めているかのようだ。

ビーチには空の雲にも覆われてどうも哀愁が漂っているのである。米国資本のホテルはなく、ヨーロッパ資本の高級ホテルが大きな建物としてぽつりぽつりとあるが、ひっそりとしている。

先端にあるBarcelo Marina Palaceのビーチも風強く、肌寒い。近くでも建設中のクレーンが乱立しており、バラデロで最高級ホテルの一つであるパラディスス・プリンセサ・デル・マール・リゾート&スパの素敵にライトアップされたホテル内のプールテラスでも、その向こうには明るく輝くクレーンがそびえたっている。

天気もさえず、夕刻という時間もあって、どこか寂しげな感じが漂う。イメージにあった、ビーチにあふれるラテン音楽は一切聞こえてこず、大きなホテルの周りは静まり返り、工事中か荒地といった具合が、どことなく愛らしいのである。

朝と同じ雨がまたぱらついてくる。肌寒くて思わず上着を3枚も着る。

夜は宿のMarlenさんに教えてもらった地元のレストランRanchon 29 y 3raで豚肉のフライであるMasa Cerdoとキューバリブレにモヒート、ピーニャ・コラーダをいただく。ここのオーナーだという男性は一流ホテルマンのごとくサービスをしている。その見事な接客ぶりを褒めると、15年間観光業に従事してきて、英語、ロシア語、フランス語、スペイン語が話せるのだと言った。テレビからは、バラード調のミュージックビデオが流れている。

バラデロの10年後は、どうなっているのだろうか。