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ベリーズ入国とベリーズのはじめ。 – Corozal / Belize City / Dangriga, Belize

再びバスに乗り込み、川にかかる橋を渡る。
ベリーズは元首が英国女王エリザベス二世であり、公用語は英語である。
国境を越えると看板の文字にスペイン語と英語が混ざるようになり、そのまま進むこと5分。再びゲートが見えてきて、その横にある新しい建物でベリーズ入国手続きをする。

このコロザルでの入国手続きが厄介な場合もあるそうで、メキシコからベリーズ・シティまで直行バスのチケットを購入していても、この手続きに手こずり置いてけぼりになることもあるそうなのだ。だから、わたしたちは、直行バスを選ばずに、メキシコからベリーズ国境までのバスと国境からベリーズ・シティまでのバスを分けてチケットを買うことにしていた。

入国管理の建物の中には「Immigration」と書かれたカウンターとその奥に「Customs」と書かれたカウンターがある。まず、「Immigration」に進むと無表情の女性が、ベリーズ入国後の行き先、滞在予定日数、滞在目的を早口の英語で、抑揚のない調子で聞いてくる。ビザを取得していないと伝えると、このフォームを隣のカウンターで埋めて来てください、とまた口をあまり開けずに言う。

言われたままに記入をして女性に持っていくと、カウンターに座ってピザをぱくぱくと食べていた。そして、照れたように初めて笑顔を見せた。

その後、奥のオフィスに誘導されて、わたしたちはオフィスの一室に入り、肌の色の少し濃いおじさん、Romeo Pattさんに手続きを受ける。政府機関で10年、イミグレーションで8年間も働いているというRomeoさんは、見た目威厳があって最初口をへの字に曲げているも、ベリーズを愛し、ベリーズ人であることに誇りをもっているようで、こちらの問いかけにいろいろと答えてくれた。

お勧め料理は豆やココナッツと炊いたご飯に肉などを添えるRice & Beansであること、お勧めのお酒はスプライトかオレンジジュースと作るココナッツラムのカクテルであること。ココナッツラムはTravellersかCuello’sが有名であること。米国との貿易により、景気は悪くなく、現在カリブ海諸国との関係を強化していること。濃縮オレンジジュースや砂糖の輸出が盛んであること。他の中央アメリカ諸国の平均収入は月150ドルであるのに対して、ベリーズは440ドルであること。

こうして無事にビザのシールをパスポートに貼ってくれたRomeoさんに別れを告げ、次のカウンター、「Customs」に進む。片足を台に置いて、はすに構えてやや顔を近づけて、ベリーズに来た目的とタバコ、酒、植物を持ってきていないか訊ねてくる。そんな威圧的な男性も、かわいらしい金色の指輪をしていたのは、大学卒業のときの指輪なのだと教えてくれた。

入国を果たして、建物のそばで待っていると、ほどなくスペイン語のBELICEに代わり、英語の「BELIZE」と看板をかかげたバスがやってきたので、乗り込む。バスは地元の人たちであふれ、立ったままの人もいて、天井に手をついて身体を支えるひともいるほどだった。

さとうきびややしの木が植えられ、牛や馬や鶏の姿が見える。うち捨てられたスクールバスもある。子どもたちは元気に遊び回っている。緑に溢れる平地の中に木でできた家や高床式の家もところどころに見え、青や緑、ピンク、水色、黄色とカラフルに色が塗られている。店の看板は、やがて英語表記がほとんどになっていく。

明るい音楽に時折英語の広告をはさみながら、マライア・キャリーの「All I Want For Christmas Is You」などが軽快に流れている。 コカコーラのトラック、ベリーズビールの「Belikin」の広告、沼地や草原を通り過ぎて進むこと3.5時間。やがてベリーズ・シティにたどり着く。今日の最終目的地であるダングリガへは17時15分のバスに乗ることにして、それまで街を見て回ることにする。

バスターミナル、Novelo’s Bus Terminalには荷物預かり場所がなかったので、売店でオレンジジュースを買って数時間荷物を置かせてもらうことにした。

細い橋を渡り、細い道を歩きながら、両脇に小さな木造の家が並んでいたり、草の生えた空き地のあるのを見て、日本のようだと思う。売店で豆をトルティーヤで包んだGachoを作ってもらい、歩きながら商店街になっているアルバート通りを歩く。

ヒンズー教寺院を通り過ぎ、セント・ジョンズ・カテドラルへ向かう。バスケットボールのゴールがスプライトの板でできているAnglican Cathedral Collegeの前では、白い制服を着た男女が次々と下校をし、校門前でお兄さんが売っていたCombo Pattiesを次々と買っていく。わたしたちも、つられて鶏とチーズを入れて揚げたCombo Pattiesを買う。

セント・ジョンズ・カテドラルはイギリス建築であり、そのレンガはヨーロッパから運ばれたのだという。中には、親子連れも来ていた。その向かいにある総督官邸もイギリス人建築家設計の木造の建物である。

ベリーズ・シティは、度重なるハリケーンの被害によって、首都がベルモパンへと移された。総督官邸前は整えられた芝生であり、また海に向かっている。波は穏やかだが、堤防らしき堤防はなく、石がいくつか積み上げられているだけだ。幾度となくハリケーンの被害がありながら、防御が極めてゆるやかなのである。

“Making a Positive Difference in a Changing Belize”とベンチには書かれている。街は、コカコーラとスプライトとファンタの看板で溢れ、さながらコカコーラ・タウンのようになっている。

中心のスイング橋を渡り、クイーン通りを抜けて、カリブ海を見る。「ベリーズは昔のアメリカみたいだよ」と以前に友だちが話していたその一端を見た気がする。

ダングリガ行きのバスの時間になり、荷物を預けていた店に行くと、お兄さんが「荷物なんて預かっていたっけ?」と笑みを浮かべながら冗談を言った。

ベリーズ・シティからダングリガまでの道は既に暗く、身体の大きな男性運転手と、大きな口をあけていつも笑っている男性がペアでわたしたちを運んでくれる。風が心地良い。わたしたちは、乗車前に買っておいたチキンとポテトサラダのついたRice & Beansを食べる。道には街灯もなく、空にはオリオン座が低く輝き、たくさんの星が瞬いている。

3時間程走った20時半過ぎにバスはダングリガに到着する。客引きの若者運転手さんたちもいたが、下車した場所にあったハバナ・スーパーマーケットという店から出てきたLizさんという女性が、ちょうど家に帰るところだから、Val’s Hostelという宿まで連れて行ってあげる、と言ってくれた。

ベリーズ南部で最も大きい街というダングリガだが、だれしもがVal’s Hostelを知っているような街であった。宿の前にはカリブ海が広がっており、月が静かにそれを照らしている。