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Guatemala

一期一会

今自分が属している集団の居心地が悪いとき、
自分には別の場所があると考えて、
今の自分の周囲の人達をないがしろにしてしまうことが、たまにある。

最初、あまり良い印象ではない人でも、話していると、
とても良い人であることが、たまに、ある。

最初居心地が悪い場所でも、受け入れてみると、
良い場所であるということが分かる時がある。

旅をしていると、どうしても、たくさんの人に会ってすぐに、
お別れをしなければならない。

もし今、自分の周囲にいる人が、あまり気の合わない人でも、
それがいい出会いになると、僕は思う。

湖のほとりの村とおいしいアンティグア。 – San Marcos & San Pedro at Atitlan / Antigua, Guatemala

アティトラン湖の周囲にはいくつかの先住民族の村が点在している。友人に勧めてもらっていたサン・マルコス・ラ・ラグーナにボートで向かう。

パナハッチェルのボート乗り場から、Santa Cruz、Jaibalito、Tsununaと村に立ち寄りながら、進む。乗客はほとんど地元の人々で、新聞を読んでいたり、隣の人に話しかけたり、寝ていたり、さまざまである。

アティトラン湖は、サン・ペドロ火山、トリマン火山、アティトラン火山に囲まれていて、山々に建物が点在しているのが見える。湖面はおだやかで、太陽の光を受けている。ゆったりと木のボートに乗って釣りをしている人々がいる。

およそ50分ほどしてサン・マルコスに到着する。

桟橋にいた12歳だというレオナルドくんは、毎日、1日1ケツァルを親からもらい、仕事をしているのだという。1ケツァルは少ないとつぶやいた。レオナルドという名前はブラジルのサッカー選手にもいるんだと、嬉しそうに言い、ぼくも友だちとサッカーをするんだよと言った。靴には穴があいている。

サン・マルコスは、舗装道が他の村と通じておらず、木々に囲まれた静かな村だ。マヤヨガやマッサージ、伝統医療のコースなどが受けられるスピリチュアルスポットになっているようで、穏やかで身体に良い空気が流れている。サン・マルコス教会には風船に手作りの角帽がつけられたものが吊り下げられおり、また白い幕には角帽をつけた男女がしつらわれている。教会には、鳩がパタパタと飛び、男女二人がぽつりと座って祈りを捧げている。

近頃、火山の地殻変動の影響で湖面があがり、ほとりにあった、湖の見えるレストランが閉店したという。見ると、湖に、かつての家の土台が沈んでいるのが見える。

湖の見える場所で食事をするために、比較的大きな村であるサン・ペドロ・ラ・ラグーナまで再びボートに乗る。直行のボートであったようでおよそ10分で到着する。

桟橋を降り立ったすぐのところにあるNick’s Placeの湖に面したテラスで、Tzutujilという、そこで話されている先住民の言葉の名前がついたモーニングセットを注文する。目玉焼きにトマトソース、フリホーレスにベーコン、パパイヤと西瓜にパンがついた朝ご飯である。店内からWhite Christmasが聞こえてくる。

そこには、グアテマラ・シティから新婚旅行で来ているという男女と、おそらく女性の子どもだと思われる女の子が食事をしていて、話しかけられる。グアテマラ人にとって、この辺りは新婚旅行先として人気があるらしい。

急な坂をあがり、野菜や果物が売られている市場と街の中心である教会を眺めてから、パナハッチェルへ戻ることにする。

サン・ペドロからパナハッチェルまでちょうど湖を突っ切るように進むが、どうにも船が揺れておっかない。地元の男の子たちもがはがはと笑いながら、携帯で写真を撮り合っている。揺れることおよそ40分、パナハッチェルまで戻ってくる。

街中で、Fundacion Familia Maya Maya Familiesと書かれた場所があり、民族衣装を着た女性や子どもたちが行列を成していた。聞くと、外国団体がマヤ民族のためにクリスマス企画として食事と飲み物を提供するらしい。

今日はこのままパナハッチェルからアンティグアに向かいたい。アンティグアまでの直行バスはないのでチマルテナンゴで乗り換える必要があるが、どうにもタイムスケジュールが不明だったチマルテナンゴ行き最終バスを、運よくつかまえることができた。

チマルテナンゴまでの道はがたがたとしていて、身体は座席のうえでぴょんぴょんと跳ねる。街中でよく広告を見かけるCrushという炭酸オレンジジュースとClub Extra Pozueloというビスケットを食べながら、アティトラン湖がどんどんと離れていくのを眺める。

この辺りはPepsi社が強いらしく、バス停や店先にはペプシの広告が塗られていることが多い。

豚を運ぶ車がいて、木材を運ぶ少年がいる。土砂崩れの跡が生々しく残っているところもある。大きな道のわきのあちらこちらで女性たちが、その先の崖に向かって織物をしていて、ところどころでクリスマスに向けてトナカイの置物が売られている。

2時間半ほどで車も人も溢れるチマルテナンゴに到着し、アンティグア行きのバスに乗り換える。バスの車内には、人が溢れ、バスから若干はみ出している。クリスマス音楽が次々と流れている。50分ほどしてアンティグアに到着する。

宿をとってから、夕食に出かける。道先にあった旅行会社の男性に教えてもらった、La Cancheというレストランに行くことにする。「入ってすぐは食料品店だけど、その奥にレストランがあるから、がんばって見つけてね。きっと気に入るはず」と聞いた通り、そのレストランは外からみたら、レストランだとは気づかない場所にあった。

Cancheというのは「ブロンズ」という意味で、オーナーのおばあちゃんは既に80歳であり、その髪の色を表してレストランの名前にしているという。すでにレストランを始めて60年。隣に座った男性は通い続けて25年になるという。

トマトや香辛料で鶏肉や野菜を煮込んだペピアンをオーダーする。アボガドにチーズ、パンとチョコラテがついてくる。このCancheおばあちゃんのペピアンは、さまざまな香辛料がからみあい、辛さと甘みが絶妙であった。Galloビールとともに、味わっていただく。隣の男性にアボガドに塩をふると美味しいと教わり、そのまま倣う。

アンティグアのおいしい初日。

みんな美しい名前を持っている。

日本人の名前には、意味がある。
漢字がもつ意味、ひらがながもつ意味、カタカナがもつ意味、
音がもつ意味、画数がもつ意味。
身近な人が考えて、つけてくれた名前を、みんな持っている。

外国の人も、変わらない。
みんな、自分の名前を持っている。

僕は以前、自分の平凡な名前が好きではなかった。
でも今は、とても気に入っている。

漢字が難しいかもしれない。発音が難しいかもしれない。
同じ名前を持つ人が、たくさんいるかもしれない。
でも、みんな、自分の名前を好きになれればいい。
自分の名前を好きになれば、
周りの人へ感謝することができると、僕は思う。

パナハッチェルかと思った場所。 – Solola / Panajachel, Guatemala

今日も朝6時頃からお祭りミュージックが流れ、爆竹に驚かされる。
ここでは子どもたちも、フルーツや野菜を売ったり、靴みがきをしたりして働いている。

民族衣装を着た人々も含めて人だかりができているのは、民族衣装が売られている場所ではなく、普通の洋服が売られているトラックの荷台である。寝ているのか倒れているのか分からない人々が路上に幾人かいる。

朝ご飯のために体育館のような市場でサポジラの実を少年から買い、その向かいの女の子から林檎を買う。

朝から行われているボラドーレスは、昨日と比べて、若者挑戦者も少なく、マスクをかぶって衣装を着た二人が組んで、パフォーマンスをしている。林檎をかじりながら、それを眺める。

宿に戻ってキャンディーカラーのお墓を眺めながらサポジラを切り分けて食べて、次の目的地、アティトラン湖ほとりのパナハッチェルに向かうことにする。チチカステナンゴからパナハッチェルまでのバスは便数が限られているので、ロス・エンクエントロス経由で向かう。

ロス・エンクエントロスまでおよそ40分、そこから「パナハッチェル行き」だというバスに乗り換えておよそ30分。よく見かけるスクールバスを改造したバスで、荷物をまたバスの上に乗せる。

「パナハッチェル」に到着して、まずはお昼を食べようと近くの市場で、コーンスープと豚肉、トルティーヤを買い、そばの広場でいただくことにする。バスのチケット売りのお兄さんもその店で昼食をとっていたのだから、味に間違いはなく、まろやかだ。

さて宿を探しに行こうと歩きだすと、「パナハッチェル、パナハッチェル」と叫ぶ客引きバスお兄さんの声が聞こえてくる。おかしい。

ここは、まだパナハッチェルではなく、アティトラン湖から山をのぼったところにあるソロラという町だった。

いそいそとそのパナハッチェル行きのバスに乗り込み、いよいよ本当にパナハッチェルへと向かう。カーブの多い山道を走っていると、突然に大きなアティトラン湖とその向こうに山が見えてくる。

こうして無事にパナハッチェルにたどり着く。

客引きフランシスコおじさんに導かれ、Hospedaje Santa Elenaに部屋をとり、夕食をとりに街を歩く。1か月ほどパナハッチェルに滞在しているという日本人男性に声をかけられ、この街は安全だ、と聞く。

中南米は、犬を追い払うための棒切れを持ち歩くと良いと聞いたことがある。確かに野良犬が多い。てくてくと夕飯に向かっていると、犬のふんを1度直前で踏み損ない、1度はきちんと踏みこむ。中南米では、犬といろんな形で関わりあうのである。

グアテマラの織物や編み物、刺繍の技術は高く、近隣国の民芸品のほとんどがグアテマラ製なのだそう。家族総出で3か月かけて作ったというかわいらしい刺繍のほどこされた布が売られていたりする。土産物屋では、店内で織物をしている女性もいる。

メイン通りであるサンタンデール通りのValentino’s Steak Houseで夕食をいただくことにする。アティトラン湖の魚をにんにくとともに揚げた、Mojarra (Pescado) al Ajilloとピクルス、ワカモレにライスと野菜スープ、ガーリックトースト、Brahvaビールを選ぶ。しっかりとした白身の魚ににんにくが効いている。

同じ通り沿いの屋台で、おばちゃんが作ったという、レモンやいちご、林檎やバナナ、パイナップルのパイやチョコレートケーキがあまりにおいしそうで、帰りがけにバナナのパイを食べて帰ることにする。上にのったメレンゲやクリームが甘さ控えめなので、その分バナナそのものの甘さが際立っていて、ぱくりとたいらげてしまう。バイクにのったお兄さんが途中で買っていったり、遅くまでその屋台でケーキを一人食べに来ている女の子もいたりする。

アティトラン湖には、はるかかなたに橙色の灯りがわずかにぽつりぽつりと浮かんで見えた。

盛大で、ゆるいお祭り。 - Chichicastenango, Guatemala

今日はタカさんも、キチェ県のチチカステナンゴに行くというのでご一緒させてもらう。チチカステナンゴでは、12月14日から21日までお祭りがひらかれている。

小さなバスに乗って、チチカステナンゴ行きバスが出ているターミナルまで向かう。朝早くからオレンジやパパイヤ、パイナップル、ココナッツなどが市場に並べられる準備をしている。

大きな荷物をバスの上にくくりつける。グアテマラ・シティから来たときと同様、バスは真っ黒な排気ガスを出しながら、くねくねと曲がる山道を走る。山々の間に平地が広がり、そこに虹がかかっているのが見える。バスには徐々に乗客が増え、立っている人も満員になり、3時間程してチチカステナンゴに到着した。街は、祭りに加えて木曜日、日曜日の露天市でたくさんの人々でごった返していた。

話しかけられたキチェ族のTomasaさんという女性がホテルを紹介してくれたので、そこに泊まることにする。以前は公衆電話サービス所だった場所が今はホテルとなっており、「El Telefono」と名付けられている。テラスからは、丘の上に並ぶキャンディーのようなカラフルなお墓を見渡すことができる。

Tomasaさんが街の近くのパスクアル・アバフの丘でちょうどキチェ族の儀式が行われていると教えてくれたので、行ってみることにする。

とうもろこし畑を通り、松林を登った丘の上には、東西南北に石の像が置かれ、キチェ族が信仰するパスクアル・アバフの黒い石の像が祀られており、宗教儀式が行われているところだった。

Jose Maria Tol Chanさんという男性がキチェ語とほんのわずかのスペイン語で祈りを捧げ、2人の女性と1人の男性がそれをじっと聞いている。他にも2組同じように祈りを捧げている。

火を焚き、お香を燃やし、焚かれた缶を大きく振るので、辺り一面はお香の煙で満たされる。Joseさんは、祈りを捧げながら、松ぼっくり、その粉、松の葉やお香、砂糖を、火にぱっぱとばらまく。そしてラム酒、蜂蜜、樹液やスピリチュアルローションとボトルに書かれた水色の液体を振りかざす。最後にはそれを草に振りかけ、聞いていた3人の身体全体にかけて、なでつける。そして、火に向かい、小さなキスを幾度か捧げる。

また、隣で1人熱心に祈りを捧げている男性は、りんごや花が供えられたパスクアル・アバフの石の像にコーラとラム酒を飲ませる。時折ろうそくの束を火に投げ入れ、火を絶やさない。そうしながらも、時にはケータイの着信音がなると、ちらりと画面を覗いたりする。

この街でも主に女性が民族衣装を着ており、Joseさん含め、男性は洋服を着ていることが多い。以前、民族衣装を着ていることでどの民族かが分かってしまい、男性間は抗争の原因となることがあったからなのだそうだ。

丘のふもとには、仮面博物館があり、昨日のサン・シモン像がここにも黒いハットに黒ひげ、ネクタイをしめたスーツ姿で座っており、その横にこの街の守護聖人であるサント・トマス像がいる。

博物館の女性は、El Tzijolajという馬の像を手にして、これは踊りのときに担いで踊るのだと、実演してみせてくれた。

サント・トマス教会近くに戻ると、ちょうど伝統的宗教儀式であるボラドーレスが行われていた。マスクをかぶり、オレンジ、黄色、黒や赤といった衣装を着た男性が、細長い木の上まで梯子をつたって登り、輪になったロープの上に座ってくるりくるりと回りながら、下がってくるというものだが、果敢な一般人も参加できるらしい。幾人かの勇気ある若者が挑んでいくが、細い木はぐらつき、若者の身体は震えている。

木の下ではマリンバが演奏され、それに合わせて出番を待つマスクをかぶった男性がゆるいステップをふんでいる。自分の番が終わったら、やれやれといったふうに、そのステップ場所へと戻り、周りのマスクをかぶった人と時には雑談をしながら、またの出番を待つ。そこはかとなく、ゆるい。

そのそばで民族衣装を着た女性たちがトルティーヤを作っている。そこでyisado de resとご飯、トルティーヤをいただく。夕方になるとぐんと気温が下がり、吐く息が白くなるほどで、教会前でいただいたミルクチョコレートにライスが入ったLeche chocolate y arrozは身体をぽかぽかと温めてくれる。

街の中心にあるサント・トマス教会は、もともマヤのキチェ族の建物に使用されていたものだが、スペイン人がそれを壊して教会を作ったという。教会の前でも火が焚かれ、人々は缶を上下に振り、辺りは煙で満たされている。教会には赤、緑、青、黄といったチカチカと輝くイルミネーションに囲まれてSanto Tomas、San Jose、San Sebastian像がまつられ、ろうそくの灯に照らされている。そして天井からは黄色や赤、緑といった色とりどりの風船がぶらさげられている。

その内に、Santo Tomas、San Jose、San Sebastian像をのせた、羽や花、鏡のついた大きな神輿が一体ずつ教会の中に入っていく。パンパンと大きな爆竹が放たれる。

教会の前には多くの人が集まり、夜には、花火があがり、コスプレさながらのマスクをかぶった人々がはたまたゆるいダンスを繰り広げる。シンデレラもどきやプーさんに女子マスクのついた人などがいる。さきほど道でコスプレダンサーたちにすれ違ったので、ちょうど直前の打ち合わせに向かっていたところだったのかもしれない。DJも同じフレーズを繰り返し、ダンサーたちも、音楽に合わせて腕を上下に振るだけで、後半は疲れている様子さえ見受けられる。なんとも愛嬌があって、良い。

その盛大かつゆるいパフォーマンスを眺めながら、Comedor Fabyで、わたしたちは牛肉のシチューとフリホーレスとライス、Galloビールをいただくことにする。

夜遅くまで、祭りは続いていく。