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反日メッセージの街 – Harbin, China

列車は、夜中の2時25分に長春を発った。真夜中だが、乗り込む客がある。朝の5時半にはハルピンに到着した。

長春よりもここハルピンで、ずっと多くの反日のメッセージをあちらこちらに目のあたりにすることになった。
駅をおりれば、「釣魚島は中国のものだ。小さな日本は出て行け」とうたい、関連新聞記事が所狭しと貼られたプレートが置かれている。街を歩いていても、工事現場に同じ文言の垂れ幕がかかっている。

バスに乗れば、30代と思われる男性と運転手が「日本なんて叩きのめせば良い。」「でも、そういう事態になったらアメリカが日本を守るんだよ」と会話をしていて、公安局と思われる男性がそれに口をはさんでいる。











ハルピンは、シベリア鉄道でモスクワへと通じる交通の要として、欧風建築が数多く建っている。ロシア語もあるものの、やはり街は漢字に溢れ、松花江に面したスターリン公園には「毛主席万歳」というレリーフがたてられている。メイン通りでも、店頭に反日のメッセージをうたう店がある。日の丸にバツがつけられて、日本製を買うな、自分たちから始めよう。愛国心をもって魚釣島を守ろう、日本鬼子は出て行け、国の恥を忘れるな。国産のものを支持しよう。











昼は、有名店だという老昌春餅に入り、春餅や筋餅に、魚香肉絲や炒土豆絲をつつんでいただく。

侵華日軍第七三一部隊遺跡を訪ねる。

”「人間を食う魔窟」と呼ばれていた基地において、「731部隊」は残虐な手段で人体実験を行い、細菌兵器の研究の開発に取り組んでいた。”

”大量の未使用の化学兵器は、敗戦の際、旧日本軍によって中国領内に遺棄されたまま、いまなお中国人民の生命、財産、安全及び生存環境を脅かし続けています。”











地図や年表、統計などのパネルとともに、防毒マスクをした日本軍や実験の被害者の写真、旧日本軍遺棄毒ガス剤による被害者の写真も掲載されている。

”中国領内における日本の遺棄化学兵器の廃棄事業は始まったばかり”

屋外には、細菌試験室や病理試験室、結核実験室、凍傷実験室、小動物地下飼養室、黄鼠飼養室などが時を経た状態で保存されている。そんな中にぽつりと、2010年に日本ABC企画委員会一同による、ぴかぴかの真っ黒な「謝罪と不戦平和の誓い」という石碑がたてられていた。











敷地の内外では、畑が青々とした葉っぱをつけ、地元の人々が遊んでいた。小さな女の子もいる。どこから来たのだと尋ねられたので、韓国人だと答えようか迷ったものの、正直に日本人だと言った。そうすると、大声で「日本人か」と言うので、慌てて私たちはしーっと宥めると、笑われた。
日本人であることを隠さなければならないと思うほどに、ハルピンの反日感情は強いように思えたのだ。

こう、言われた。
「こうして会えたのもご縁です。一人一人それぞれ考え方は違います。何かあれば警察が守ってくれます。またお越しください」











ハルピン駅までバスで戻る頃には日も暮れていた。
大きなホテルであるKunlunホテルの入り口は「日本人の宿泊を拒絶する。理性愛国、拒絶暴力」と電子掲示板に流していく。駅の電子掲示板にも、「国の恥を忘れるな。中華復興。釣魚島は中国固有の領土である」と大きく流される。
北京を含めた他のどの都市よりも、ハルピンで反日のメッセージをよく目の当たりにする。











ハルピンには、雰囲気の良いロシア料理屋がいくつかある。その内のTATOCという店に入る。冬が寒いからだろう、地下に潜り込んでいった先にぬくもりのあるスペースが広がっている。ボルシチにマッシュルームのクリームスープ、それに壺焼、そしてパン。歴史ある店内に、さほど愛想のないスタッフがいて、それがどことなくロシアらしくて良い。

帰りに、小さな店で月餅を買って、それをほおばりながら帰る。