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スーダンの出国 – Wadi Halfa, Sudan

朝にひょこりとテントから顔を出すと、宿の客たちはすでにホテルから出発しつつあるようすだ。

とにかく朝が早い。午前中は暑さがまだ柔らかなので、そのうちに行動をしたほうが良いのだ。

今日の午後、アスワン・ハイ・ダムによってつくられた人造湖、ナセル湖を北に進んでエジプト、アスワンに向かうフェリーに乗る。

フェリー会社のオフィスに立ち寄り、ハルツームで買ってきたチケットを差し出し、スタンプを押してもらう手続きをする。

国をまたぐフェリーということになるが、英語を話せる人はいない。「ぼくはイスラム教徒だから、アラビア語しか話せないよ。」と優しく笑いながら、係の男性は言う。

その後、町中にあるイミグレーション・オフィスに立ち寄る。そこで、昨日食堂で出くわした英語の達者なスーダン人の男性に再び遭遇する。イミグレーション・オフィスは人々でごったがえしていたものの、その男性の誘導で、出国税を支払い、オフィスの裏のほうから入って出国カードを受け取り、なにやらスタンプを押してもらって、あっさりと手続きが終了する。

近道を知るその男性についていけば、長蛇の列を横にさくさくと手続きが済んでしまう。

こうして一通りの手続きを終え、朝食を取りに、昨日と同じ食堂に入る。同じ宿に泊まっていたスーダン人の男性がそこで食事をしていた。

その男性はかつてスーダン軍で働いた後退職をし、現在は自身の会社を立ち上げているのだという。

幾度もエジプトには行ったことがあるが、いつもは飛行機で行くものだから、フェリーで行くのは初めてだという。2週間のエジプト旅行、新しいルートで行きたかったから、今回はフェリーで行くことにしたんだ、と、このスーダン人男性も珍しく流暢な英語で話す。

ドンゴラで知り合った男性も、また同じ時期にエジプト旅行を予定していた。スーダン人にとって、エジプトというのはメジャーな旅先のようである。

スーダンの主な食事の一つであるfuulは、さまざまな種類があるようで、今日のfuulは、豆に香草とオイルを合わせたものだった。それと共に、スーダンで一種類しかないのかと思えるほどの、いつもの平たいパンを合わせる。食堂のわきで女性が作っていたシャイをオーダーする。

用事を済ませた後に、いつもの平たいパン、にくるくる回る肉の塊を削いでピーマンやトマトなどと合わせたシュワルマをほおばる。両替も済ませ、大きな水のペットボトルも買いこむ。

Alneelホテルの前から、港に向かうバスが出ている。太陽の照りつける中、風が吹いて砂が舞い、頭から砂をかぶる。目を開けるのもやっとなくらいだ。

そこに、杉山幼稚園とでかでかと書かれたミニバスが、やってくる。杉山幼稚園は、ナイル川の港に向かって、ワディ・ハルファの町からまっすぐな道を進んでいく。

15分ほど走ると、イミグレーション・オフィスがある。パスポートやビザ情報など、ほとんど同じ項目を、3度も別の用紙に記入する。一枚は、出国カード、もうあと2枚は、おおざっぱに切られた白い用紙で、何のための用紙なのか知る由もない。それを左から右へと担当者をつなぎながら、渡していく。係員は、ときおり何かを探るかのようにこちらの顔をじっと覗き込む。数秒して、にこりと笑って、スーダンにまた来てください、と言う。

取得をしておいた旅行許可書と撮影許可書を提示することは、結局一度もなかった。

いつものように喉がからからに渇くので、売店でmirindaの炭酸オレンジジュースを買い求め、ぐびぐびとする。

イミグレーション・オフィスから、三菱のトラックの荷台に乗り込んで、船着き場に向けて乾いた道をさらに進んでいく。

フェリーは既にそこに停車をしている。入口で夕食のチケットを手渡されて乗船し、座っていた係員にパスポートを手渡す。すると、係員はパスポートを段ボール箱にひょいとほおりこみ、「明日返します」と言う。

船には1等と2等があり、わたしたちがチケットを購入したときには、既に1等はいっぱいで、2等のチケットを買い求めた。

1等は、冷房の効いた個室があてがわれる。
2等は冷房の効いた共同部屋で、男女分かれた大部屋がある。家族であれば一緒にいていいらしい。この共同部屋は、既にわたしたちがフェリーに乗ったときには混乱を極めていて、満席状態だった。

どこからともなく現れた男性が、こちらに来なさい、と言って、わたしたちを甲板の一角へと連れ出す。甲板が今夜の寝床になる。

出港予定時刻と聞いていた16時を過ぎても、まだ乗客が続々とトヨタの荷台に乗せられて到着してくる。ときどきアラビア語でアナウンスが流れるも、なんのことだかさっぱり分からない。18時を過ぎたころ、ようやくボボーと大きな音を立てて、船が陸から離れた。両わきには渇いた土地が続いていく。

船はほとんど揺れない。

周りには、カイロの大学で学ぶスーダン人の学生、スウェーデンに発つというスーダンの男の子、それに農業関連の貿易をしているというハルツーム在住の男性、リビアに仕事をしに行くスーダン夫婦、かつてハルツームで翻訳を勉強して今は二児の母となった女性などがいる。

女性の中には、ヌビア人ふうに、指先と足先や足の裏に黒い色を塗り、細かな模様を描いている人もいる。

スーダンとエジプトはかつて一つの国だったこともあり、言葉も食べものも似ているのだと言う人もいる。

もうフェリーはエジプトに入ってきているはずだ。