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いろんなカイロ – Cairo, Egypt

何を食べようかと考えると、まずコシャリのことが頭に浮かんでくる。暑くて乾燥している中、無性に食べたくなる。パスタを食べたい気持ちも、ご飯を食べたい気持ちも、トマトソースを食べたい気持ちも、一気に満たしてくれる懐の深い食べものなのである。

カイロで暇そうにする店の店員は多いが、コシャリ屋の店員はたいてい忙しそうだ。そんなわけで、今日もコシャリにする。

構内にもイスラム教の祈りのマットが敷かれたSadat駅から、カイロ発祥の地であり、コプト教徒の多く住むオールドカイロのMar Girgis駅に向かう。

まずは駅近くの店に入り、オレンジの炭酸飲料、mirindaをごくりとする。

コプト教とは、原始キリスト教の流れをくんで、エジプトで発展してきた教会。今ではイスラム教徒がおおっているかのようなエジプトでも、より古い時代にはキリスト教が広まっていた。イスラム世界になる前の、エジプトがここに、ある。

駅からすでに聖ジョージ修道院のドームやその上にそびえる十字架が見える。ここは、新約聖書の伝承に述べられている、イエス・キリストが難を逃れるために家族とともにエジプトに渡り身を寄せた場所に建てられている。

隣にはバビロンの塔、その横にはコプト教のムアッラカ教会がある。この教会は、バビロンの塔の土台の上に建ち、ぶら下がった教会、という呼び名をもっている。白くて細長く、明るい教会へ階段をあがっていくと、歴代総主教の写真やはがきが並んでいる。

そばの聖ジョージ女子修道院に立ち寄ったあと、ベン・エズラ・シナゴーグに入る。ここは8世紀のファーティマ朝の時代、聖ミカエル教会の跡地に建てられたユダヤ教の会堂、シナゴーグである。聖ミカエル教会の土地と建物が、当時ユダヤ人のコミュニティに売られたのだという。偶像のない、落ち着いた建物の中に、白いライトが点々と浮かんでいる。

近くの商店でバニラとチョコにナッツのトッピングがかかったアイスを買い求めてから、カイロ最大級で、アフリカ大陸で最初のイスラム寺院、ガーマ・アムルに寄る。

半袖の上着の上から着るように、フードのついた緑の服を手渡される。肌を出してはいけない。どうにも丈が長くて、ややひきずるように歩く。赤い絨毯のところどころに本棚が置かれて、本が並べられている。絨毯に座り、勉強をしている信者たちがいる。

その後、バスに乗って、かつての商業の中心地で今は800年間廃墟となっているフスタートを眺めながら、シタデル地区に向かう。

シタデルは、対十字軍の拠点としてムカッタムの丘に建てられた城塞で、その高台には、大きないくつものドームとぴんとしたミナレットをもつガーマ・ムハンマド・アリが街を見下ろしている。

そこからまた歩いていくと、マムルーク朝建築を代表する一つ、ガーマ・スルタン・ハサンや、リファーイー教団の創始者や最後のシャーの墓のあるガーマ・リファーイーが見えてくる。

それを西に進むと、地下貯水槽や共同井戸などをもつサビール・クッターブ・カーイトゥベーイ、1413年に建てられたマスギド・カーニー・ベーイ・イル・ムハンマディ、アミール・シャイフの建てた修行場、ハーンカーや礼拝所のマスギド、19世紀に建てられたサビール・クッターブ・ウンム・アッバース、そして879年に完成し、現存する最古のガーマ、アフマド・イブン・トゥールーンと、長いカタカナ名連発のエリアを歩く。

こうして、歴史あるカタカナ建造物がカイロにはずらりと並び、ミナレットは視界の中に幾本も立ち、茶色の建物が太陽の光を受けている。

バスに乗って一度宿に戻ってから着替える。宿のヌシ的存在感をもつ堀江さんのトランペットを聞きに行くためだ。ドレスコードがあるらしく、男性はスーツにネクタイ、女性はドレス。

タクシーに乗って、カイロタワー近くのオペラハウスに向かう。堀江さんはドイツの音楽学校を出た後、カイロ・オペラ・オーケストラのオーディションを受けて合格し、現在カイロで演奏をしている。

白い建物に灯りがともされたオペラハウスの中に入ると、紅い広々としたステージと客席に入る。今日は有名ミュージカルからの選曲。Think of me、Music of the night、I feel pretty、The Sound of Musicなど、有名な曲が演奏される。オーケストラのメンバーも客もどことなくリラックスした雰囲気である。

ステージ上のスーツ姿の堀江さんは、プライベートの堀江さんとは違って見える。いずれドイツに戻るために毎日のトレーニングを欠かさないと聞いた。エジプト人がほとんどだというオーケストラに2009年から加わり、首席トランペット奏者として活躍されている。

演奏が終われば、堀江さんはTシャツを着て、いつもの堀江さんに戻っていた。

明るい月が低い位置に浮かんでいる。タフリール橋から見下ろすナイル川には、ピンクや紫、水色のライトを放つ舟がぎっしりと浮かんでいる。橋の上にはジュース屋が出て、若者たちが涼しい夜を楽しんでいる。川岸には今回の民主化運動にともなう特設テントが設置され、エジプトやパレスチナ、かつてのシリア国旗などが掲げられ、多くの人々が訪れていた。

夕食は、宿の向かいの食堂で、茄子とトマト、卵とトマトの炒め物をピタパンにはさんでいただく。横にはピクルスが添えられている。

カイロには、埃っぽい街も、イルミネーションの輝くビルも、お洒落をして出かけるオペラハウスも、キリスト教も、ユダヤ教も、イスラム教も、ある。

カイロのイスラム世界 – Cairo, Egypt

今日はイスラム地区を歩いて回る。カイロがイスラム世界の中心として繁栄を遂げてきたなか、歴史ある建築が数多く残っている。

今日も気温が上がってきたので、道ばたで売られていたドームヤシというヤシの一種のジュースを飲む。

街の漢方屋には客が集まり、道路沿いには布屋がずらりと並んでいる。アエーシを大きな木の板に並べたものを頭の上にのせて自転車でひょいひょい運ぶ人がいる。

14世紀末には市ができたらしいというハーン・ハリーリを歩く。貴金属や金属細工、イスラム帽や衣服や香水、水たばこのシーシャなどの店がずらりと並んでいる。

ムイッズ通りを歩いていくと、左手に3つのマドラサ、イスラム神学校が見えてくる。そのうちの一つ、スルタン・カラーウーンのマドラサは、バフリー・マムルーク朝の第8代スルタン・カラーウーンが1284年に建てたもの。丸いドームやミナレットがそびえたち、内部は細かなタイルやステンドグラスで装飾されている。

そばのスルタン・バルクークのマドラサも広く中庭がとられ、金や青で飾られた天井からはランプが吊るされている。100人以上の学生がここで学んでいたという。

マドラサの外の屋台で、クレープ状の生地を揚げて砂糖をふりかけてくるりと丸めたパンを買ってほおばる。

そこからほど近いバシュターク宮殿や、上階が学校で下が共同井戸になっていたサビール・クッターブ・アブドゥル・ラフマーン・ケトフダーに立ち寄る。

ガラスコップをつけた銀の壺を肩にかける男性がドリンクを売り歩いていた。甘草からできた茶色いAaresousというドリンクをコップに入れてはいと渡される。漢方のようで、苦くてほんの少し甘くて薄い。身体に良いもののようで、その辺りでずらりと男性が腰掛け飲んでいる。

そのままずんずんと歩いていくと、ファーティマ朝第6代カリフ、ハーキムが1013年に建てたガーマ・ハリーファ・イル・ハーキムに到着する。真っ白なぴかぴかの床に、黒いアバヤを着た女性が横切っていく。メッカのカーバ神殿の方向を示すミフラーブの前にはシャンデリアがぶらさがっている。

すっかり心地よい空間に、しばらくお昼寝。

11世紀終わりに建てなおされたというフトゥーフ門とナスル門を抜けた後、巡礼者のための隊商宿であったカーイトゥベーイのウィカーラや、1422年に創建、かつて香辛料の通商路を管理下に置いたというスルタン・バルスバイのマドラサを見て回る。

昼食は、鳩にご飯を詰めたマフシーで有名なレストラン、フラハトに入る。カリッと焼き上げた鳩に、香ばしい焼ご飯がぎっしりと詰まっていている。それに、サラダやパンを合わせてオーダーする。鳩は小ぶりであるものの、ずっしりとしている。やっぱり、美味しい。

マムルーク朝とオスマン朝の様式がまざりあったガーマ・アブル・ダハブもまた真っ白く輝き、男性は頭を床につけて祈りを捧げ、あるいはコーランを読んでいる。

近くのスタンドでオレンジジュースを飲んだ後、スルタン・ゴーリーのマドラサとスルタン・ゴーリー廟にはさまれたムイッズ通りを南にまた歩いていく。洋服や果物が並べられて、多くの人々が行き交っている。

しばらくいくと、かつて処刑された罪人の首がしばしばつるされたというズウェーラ門に尖塔が二本すらりとたっているのが見えてくる。その横には、牢獄だったガーマ・ムアイヤド・イッシェイフもある。門を抜けると、アーチと柱が連なるガーマ・サーリフ・タラアイーがあり、まだ道は続いていく。

カフェのテラスでは男性がシャイを飲み、水たばこを吸っている。野菜や果物のスークでは地元の人々が買い物をし、猫はあくびをしている。店頭で生きた鶏や鳩が動き回り、その肉がわきに置かれている。突然に「山本山」と声をかけられるのは、10年前と変わりがない。

ムハンマド・アリ通りにぶつかったところで、バスを見つけて宿に一度戻る。

夕方は、スーダン人の男の子から、テレビ撮影にアジア人が必要だという話があったのでタクシーに乗って、カイロタワーのそばを通って西のほうへと連れられていく。彼はエジプトに働きに来ているのだが、スーダンとエジプトはもとは一つの国だった、文化も似ていてエジプトは過ごしやすいと言った。エジプト人もスーダンとは一つだと思っているんだよ、と付け加えた。

連れられていった建物に入ると、黒人の女性、白人の女性がそれぞれにかたまって、座っている。手慣れたふうのスタッフがパソコンをいじったり、携帯電話でやりとりをしたり、すらりとした女性が出入りをしたりする。決めポーズをもち、じっとこちらに顔を向ける女の子も、母親に連れられて来ている。

しばらくそんな中で待っていると、そのうちに日本人のわたしたちが呼び出される。サイババ似の男性がデジカメを手にして、わたしたち一人一人を前に立たせて撮影していく。
名前に年齢を聞かれながら、前からと左右からそれぞれ写真を撮られる。実際にテレビ撮影が何の撮影なのか、いつ撮影なのか、日本人一同分からないまま、写真だけ撮られて解散となった。

周辺のシリア・ストリートには、洒落た化粧品店や薬局に洋服屋が並んでいる。宿の近くのスーパーマーケットでは見つからなかった髪用トリートメントが、この辺りの薬局では簡単に見つかった。さすがである。

すっかりと都会の夜景を眺めながら、タクシーで宿の近くまで戻る。

夜ご飯は、1967年創業だというShalabyレストランで、たっぷりとした羊肉をはさんだシュワルマをオーダーする。肉汁たっぷりのミルキーな肉が、揚げられてもっちりとしたパンにはさまっている。

その後近くの喫茶店に立ち寄り、紅茶を飲む。この辺りではよく使われているリプトン、イエローラベルのティーバックがグラスに入れられている。そこに砂糖を入れてかき混ぜる。それに水たばこをくわえるのが、現地の人のありかたのようだった。

ごはんとチケットとスーパーマーケット – Cairo, Egypt

今日も体調がなかなかに優れない。

朝は、ビスケット・ビル・アグワという、もっちりとしたナツメヤシ、デーツのはさまったビスケットと、冷やしておいたオレンジをほおばる。

昼をずっと過ぎたころまで休んでから、外に出る。

近くの食堂で遅めの食事にする。
モロヘーヤスープ、野菜たっぷりのトマトベース壺焼き料理ターゲンに、サラダ、細くて短いパスタの入った風味のあるライス、それにアエーシをつける。

身体に良いものをと選んだモロヘーヤスープ、ラー油のような辛い油がかけられてもはやモロヘーヤの味がよく分からない。身体に良いのかも、分からない。

カイロからヌエバという町に向かうためのバスチケットについて調べるために、トルゴマーンバスターミナルへと向かう。宿から10分ほど歩くと、Cairo Gateway Plazaと書かれた大きく立派な建物が見えてくる。中は冷房が効いている。

窓口は行き先別に分かれ、しかも行き先別の時刻表、料金表がきちんと掲げられている。しかも、職員は英語を話し、にっこりとフレンドリーである。

ルクソールからカイロへの列車のチケットをとったときには、英語を理解する人はいなく、職員も愛想はなく、発車時刻も料金も聞く人みなバラバラの答えだった。一つの国の交通機関の間で、こうも違うものである。

こうしていとも簡単にバスターミナルを抜けだした後、日用品を買いにスーパーマーケットを探す。

エジプトのカイロは、地下鉄も通り、ビルも建ち並ぶ大都会。マクドナルドもKFCも、ある。でも町中にチェーンのコンビニやスーパーマーケットがなかなかにない。小さな個人商店が、とにかく多いのである。

見つけた大型商店も、さほど品ぞろえが豊富だとは言えない店だった。灯りも心もとない。前回、エチオピアにいたときに髪のトリートメントを探すのに一苦労、そしてここでもまた一苦労。

店員のおじさんたちは陽気で、紅茶の箱はたくさん置いてある。でも欲しいトリートメントがなかなか見つからない。結局、今日は買えなかった。

夜は、近くのカフェetoileで、オルズ・ラバン・フォーンというスイーツと、お米の入ったプリンロズ・ビ・ラバーンをいただく。甘すぎず、良い。多くの若者が店先でアイスクリームを買っていく。

丸い月が浮かんでいる。

ピラミッドとスフィンクスのまわりのエジプト – Cairo, Egypt

今朝は、店先で回転する鳥肉を削いで人参やトマト、ピーマンと合わせたものをアエーシにはさんだシュワルマをほおばった後、ピラミッドとスフィンクスを見るためにギザに向かう。

路上で売られる新聞のトップには、デモの写真がでかでかと載せられている。
それでも、ここカイロは、エチオピアなどに比べると物乞いの数はぐっと少ない。

最寄りのNasser駅から地下鉄に乗り、Sadat駅で乗り換え、Giza駅まで約20分ほど。そこからバスに揺られること約20分、手前に大きなピラミッドがどんと見えてくる。

壁にはでかでかとWELCOME TO EGYPTとスプレーで落書きがされている。
そして、大統領選挙のポスターがあちらこちらに貼られている。

てくてくと歩いていくと、クフ王のピラミッドの後ろにカフラー王のピラミッドが徐々に見えてくる。

1869年創業で第4次中東戦争の停戦が合意された舞台ともなったホテル、メナ・ハウス・オベロイに立ち寄りながら、入口へと進む。

入口に入ると、クフ王のピラミッドがそびえ立っている。一つの石が自分の背丈ほどあるものだから、ぐっと顔を上に向けて全体を眺める。

ピラミッド周辺にいるラクダ引きは「極悪」だと有名だ。しつこく声をかけてきて、だますことも多々あるという。昨日も、宿に宿泊していた男の子がラクダ引きに財布からお金を盗られたと言った。

やはり、あちらこちらからラクダ引きが声をかけてきた。

彼らは一様にエジプトの混乱で観光客が激減していることで打撃を受けていた。

ある男性は言った。
観光客が減っている。それで、家族を養うために、2頭のらくだのうちの1頭を手放したくらいだよ。ラクダを飼うのにもお金がかかるからね。エジプトが安全だということをお友だちに伝えてほしいんだ。それでまた観光客が増えてくれるとうれしいよ。

ラクダ業を営む人もそれぞれさまざまな事情を抱えている。

クフ王のピラミッドは、本来高さが146mあったというが、今は頂上の部分がなくなり、137m。てっぺんには、その部分に、鉄の棒がにょきりと空を向いている。平均2.5トンの石を約230万個積み上げて造られたというから、迫力がある。

カフラー王のピラミッドには表面を覆っていた化粧岩が今も残っている。その後ろにメンカウラー王のピラミッドを見る。これらは、紀元前の2550年ころに造られている。

クフ王のわきにある女王のピラミッドのうち、メリテレスのピラミッドに入ってみることにする。小さな入口から、後ろ向きに階段を下っていく。しばらく下ると、そこにぽかりとあいた玄室にたどり着く。中はほんの少し涼しくて、湿気がある。

最後に、人面獣身のスフィンクスを眺める。鼻はアラブ人の侵入後に削られ、髭はイギリス人に取られたというそのスフィンクスも、手を前に突き出し、しっぽをくるりと巻いている。

スフィンクスの前にあるKFCの2階と3階にあるピザ・ハット店で、3つのピラミッドにスフィンクスを眺めながら、セブンアップをごくりと飲み干す。太陽が窓からさんさんと店内を照りつけている。

バスと地下鉄を乗り継ぎ、Attaba駅からイスラーム地区へと向かう。夜遅くまでクラクションが鳴り響き、店は開いている。

人々や車の活気であふれる中、コシャリ屋に入って、コシャリを食べる。ぽつりぽつりと客が来れば店のおじさんが対応するといった具合で、外の喧騒におかまいなく、店内はひっそりとしている。

帰り道、Attaba駅に向かう際に道を聞いた男性は、地下鉄の駅までわたしたちを送ってくれ、切符を買って手渡してくれた。

6月16日、17日に大統領の決選投票が行われる。7000年の歴史で初めての民主主義が始まってるんです、と彼は言った。

スーダンに入ってお酒が売られていない状況になってから、ビールを飲みたいという気分になぜかならない。欲しているのは、いつもジューススタンドだ。今夜はメロンミルク。まるでキャンディーカラーのお菓子のような甘さだ。

デモの2日目とアラブ世界 – Cairo, Egypt

朝に目が覚めると、タフリール広場から聞こえていた昨晩の掛け声がやや小さくなっていた。

宿の居間に座り、朝食をいただく。アエーシ・フィーノという細長いパンにバターやいちじく、それにゆで卵とチーズ、リプトンの紅茶が銀のトレイにのせられている。

日差しが降り注ぎ、開け放たれた窓からは涼しい風が吹いてくる。

外に出るとタフリール広場には国旗を携えた人がいて、地べたで売られている新聞を熱心に眺める若者たちがいる。

宿泊していたホテルの朝食はシンプルなエジプト朝食であるものの、お気に入りだった。それでもインターネットの使い勝手があまり良くなかったので、隣のNasser駅にある宿に移ることにする。

宿の近くには高等裁判所があり、その前でもまた抗議デモが行われていた。天秤のシンボルが彫られた建物の入口付近は赤や黒のペンキで落書きがほどこされ、ポスターが貼られている。

人々は手をつなぎ、国旗をふりあげる。年を重ねた女性も、声をあげている。

移動した宿のあるビルのエレベーターは、使われなくなって久しい。高層階まで階段で上る。

熱っぽさがぬけないので、昼は宿の近くのフルーツ屋でスモモと林檎とオレンジ、それにパン屋で揚げパンとなつめやしの餡をつめたスイーツを買い求めて、宿でかじる。

夜になると、涼しくなり、歩きまわれるようになる。近くの老舗カフェでは、水たばこを片手に、バックギャモンやトランプ、ドミノなどのテーブルゲームを楽しむ人で賑わっている。

商店の前ではずらりと男性が座り、祈りを捧げている。

食堂に入って、ターメイヤやサラダをはさんだアエーシに、フライドポテトと茄子のピリ辛揚げ、それに野菜のピクルス、トルシーをオーダーする。

エジプトでは黒人を見かけることはほとんどなく、色の薄いアラブ人がほとんどだ。いわゆるブラック・アフリカがスーダンの途中で終わったことを認識する。スーダンで、ちょうど両者が混ざりあっていた。スーダンで問題がおこっている背景の一部をかいまみる。

ここでは、黒いアバヤを着た女性と、洋服を着た男性が手をつないで地下鉄に乗ったりしている。男性と女性が手をつないで外を歩いていることをスーダンで見ることは一度もなかった。

商店で買い求めてきた大きな瓶に入ったマンゴージュースをごくりごくりとやる。