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Jordan

ヨルダン-イスラエル国境情報

ヨルダンのアンマンから、キングフセイン橋を通って、イスラエルのエルサレムへ抜けるルートです。

1.アンマンのムジャンマ・シャマーリー・バスターミナルから、キングフセイン橋行きのセルビスに乗る。
 (※所要1時間。 JOD 6.00)
2.キングフセイン橋に到着後、ヨルダン側で出国手続。出国税JOD 8.00を支払う。
  出国カードを記入。パスポートと一緒に提出。
 (※何も言わなくても、パスポートにスタンプは押されませんでした。)
3.手続後、イスラエル側国境に行くバスに乗車。
 (※荷物代込みで、JOD 5.13)
4.10分程で、イスラエル側国境に到着。
5.大きな荷物を、係員に預ける。
 (※預ける際、パスポートにシールが貼られます。
   このシールの跡がパスポートにあるだけでも、イスラム諸国では入国を拒否する場合   があるそうです。対策として、①パスポートカバーをつけておくと、パスポートカバーに   シールが貼られるので、大丈夫   です。②シールが貼られた後、すぐはがして、も   う一度貼ると、はがれやすくなり、跡が残りにくくな   るようです。)
6.入国審査を受ける。
 (※この際、イスラエルの後に、イスラム諸国へ行く可能性がある人は、パスポートを提出する前に、別紙にスタンプを押してもらうよう、係官に伝えてください。その際、いくつか質問を受けます。かなりがんばらないと別紙に押してくれない係官もいるようです。)
7.荷物を受け取る。
 (※荷物が検査になる場合があります。その際は、別室の検査室に行き、荷物の中身の確認を受けます。私は別室に行きましたが、特に開けられることなく、済みました。が、相方の荷物が中々出て来ず、長時間待たされてしまいました。結局相方の荷物は検査の対象になっていないにも関わらず、荷物検査室に置き去りになっており、誰も気づかなかったのが原因です。)
8.エルサレム(※ダマスカス門)行きのバスに乗る。
 (※所要1時間。NIS 32.00)

◎両替
 イスラエル側に両替所があります。
 JOD 1.00 = NIS 5.12

出国の質問よりサッカー。 – Wadi Musa / Amman / Border with Israel, Jordan

今日はアンマン経由でイスラエルのエルサレムまで向かう。ヨルダンもイスラエルも国がさほど大きくないうえ、交通手段が整っていて、移動に時間がかからない。

朝は宿のスタッフの友だちだという男性がバスターミナルまで車をだしてくれるというので、それに乗って近くのターミナルまで向かう。

ワディ・ムーサからアンマンまではバスで3時間ほど。おおよそが仕事のためにアンマンに行く人たちだという。

20分ほど待ってやや座席の埋まりはじめたバンは、7時40分ころに動き出す。ターミナルにあった小さな商店で、エジプトで気に入ったMoltoのミニクロワッサンを見つけたので、それを買い求めてバンでほおばる。

アンマンまでの道はきれいに舗装された道で、そこをバンが飛ばしていく。茶けた砂漠をみることもあるものの、たいていぽつりぽつりと白い建物が並んだり、工事が行われていたりする。

窓から吹き込む風も涼しく、ヨルダンの旅が快適だということを改めて実感する。交通機関も食事も、なにやら洗練されているのだ。

アンマンのムジャンマ・ジャヌーブ・ターミナルに到着し、そこから乗り合いタクシーで、イスラエル国境までのタクシー、セルビスが出ているムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに向かう。

ごつごつとした崖の上に淡い茶色の四角い家々が立ち並ぶのを見ながら30分ほどで、ムジャンマ・シャマーリー・ターミナルに到着する。ターミナルの売店で売られていたターメイヤとサラダをピタパンにはさんだものを買い求め、ほおばる。

イスラエルまで向かう乗り合いタクシーはほどなくして満席になり、発車する。乗客の中には、パレスチナの男性がいた。

パレスチナ人の彼はヨルダンに生まれ育ったが、パレスチナの女性と結婚をして、2000年に米国に移り住み、医者として働いている。彼はヨルダンのパスポートをもち、米国で生まれた子どもたちは米国パスポートを持つ。

米国は移民に対して寛大だ。技能があれば仕事をすることができる。白のストライプシャツにスーツのパンツをはき、サングラスをかけて、やや髭をたくわえた上品なその男性はそう考える。

彼の父親はパレスチナで住んでいた土地を奪われ、ヨルダンにやってきた。

イスラエルから土地を奪われ、殺害を恐れた多くのパレスチナ人が国外に逃れた。その最大の移住先がヨルダンなのである。ヨルダンは、最も寛容に難民を受け入れ、パスポートを与えているのだとその男性は言う。

イスラエルのメディアは、イスラエルもパレスチナも双方が武器を所持して戦っているように伝えるが、実際のところパレスチナ人は貧しい生活を送り、武器すら持っていない人がほとんどなのだと言った。

ユダヤ人が移り住んできたのは最近で、それまでは長い間パレスチナ人が住んでいたのに、とその男性はゆっくりと言葉をかみしめるように言う。わたしたちがこれから向かうエルサレムは、「分離壁」の向こうにあたる場所にあるので、特別な許可がないと行けないのだと彼は加えた。

ヨルダンに住む家族や、今もパレスチナに住む親せきに会いに、こうして時折米国から帰国しているという。恋しく思うこともありますよ、とこちらに顔を向ける。

イスラエルとの国境、死海に近づくにつれ、標高が低くなり、暑くなっていく。運転手は窓を閉め、冷房をつけた。ヨルダン川や少しの雨で、この辺りはバナナを栽培しているのだそう。

約1時間ほどでヨルダンのイミグレーション・オフィスにたどり着く。小さな紙切れに、パスポート番号と国籍と名前だけ記入するように言われる。そして、出国税を支払う。

オフィスはどうにもゆったりとした雰囲気で、先日のワールドカップ予選の日本対ヨルダン戦のことを指して、「6-0」と職員に囲まれて笑顔で言われる。窓口でも同じだ。1、2点ならまだしも6点だよ、と、出国にかかわる質問などお構いなく、とにかく「6-0」と連発する。

キング・フセイン橋を渡ってイスラエル側のイミグレーションオフィスへ向かうシャトルバスが来るのを、待合室で待つ。シャトルバスに乗ると、預けていたパスポートが返却され、そこに出国スタンプの押された小さな紙切れ、それに出国税を支払った領収書がはさまっている。

キング・フセイン橋まで4kmと書かれた看板がたてられている。

橋の手前で、どくろのマークを胸に付けた男性職員が乗り込んできて、2枚つづりの出国税領収書の一方をちぎり、出国スタンプを押した小さな紙切れを回収する。どくろをつけていようが、この職員たちも陽気だ。

いよいよ、ヨルダンからイスラエルに渡るキング・フセイン橋にさしかかる。日本の資金援助でかけられた橋には、ODAのロゴがつけられている。

「Welcome to King Hussein border crossing (Allenby)」と書かれたゲートをくぐり、ヨルダン側から約30分ほどかけて橋の向こうのイスラエル、イミグレーション・オフィスへと降り立った。

大きなぺトラ遺跡 – Petra / Wadi Musa, Jordan

昨夜イルミネーションに輝いていた夜の紅海やモスクが、朝になると青い海と白い建物の広がる景色と変わっていた。

今日は、北にあがって、ぺトラ遺跡を見に行きたい。

朝に起きてバスターミナルへ行くものの、客が集まるのを待って発車するというバスは何時に出発するのか分からない。ちょうどぺトラに向かおうとしていたタクシーが通りがかったので、便乗する。日産車の快適な運転で、マンゴージュースを飲み干し、パンやピクルスを口にほおりながら、ぺトラ遺跡へと向かう。    

くねりくねりと岩山の道を通っていく。大地溝帯の一部であるワディ・アラバの向こうは、もうイスラエルである。2時間と少しでタクシーは、ぺトラ遺跡へと到着する。

ぺトラは、2000年以上も前から、ナバタイ人や砂漠を移動するキャラバンの中継都市として栄えた町。1日ではとても見きれない大きさで、チケットも3日通し券があるほどである。その広さゆえ、遺跡内には馬やろば、馬車やラクダが走っている。

チケット売り場から入って道なりに進んでいると、オベリスクの墓が見えてくる。

さらに先に進むと、シークという名の、両わきを高い岩壁に挟まれた細い道が続く。日差しは強いが、そびえ立つ壁が日陰を作りだし、涼しい風を運ぶ。ダムや水路の跡がところどころに見える。

細いシークを40分ほど歩いたところで、岩壁のすきまに崖を削って掘りぬいた霊廟エル・ハズネがふいに見えてくる。紀元前1世紀~後2世紀につくられたその装飾がまだ残された門や柱の後ろに、頭のない像がたっている。

ファサード通りを抜けると、右手の岩の上に、王家の墓と呼ばれる岩窟墓群がどんと削られているのが見えてくる。いくつかの墓の上のほうは、階段を逆さまにしたように岩が削られている。これは、ナバタイ人がこの階段を伝って天国へ行くと信じていたからだという。墓の中は、外の暑さに構わず、ひんやりとしている。

2~3世紀につくられた、5000人を収容できるというローマ円形劇場は、まるい舞台を囲む階段状の観客席から、通り道までその跡を残している。、さらに奥に行くと、柱の並ぶ柱廊通り、凱旋門、大寺院、カスール・アル・ビントやエル・ハビス城と続いていく。

ここで冷えたコカコーラやペプシの缶を買い求め、それに入口で買っておいたバニラクッキーを平らげる。

さらに40分ほど階段を上がったところにある、エド・ディル修道院跡へと向かう。ただひたすらに足を前に進めていると、ふいに視界が開け、右に高さ45m、幅50mというエド・ディルが突然にそびえ立ってみえる。かつてこの辺りには修道士が住んでいた。

そこからまた岩山を上がったところに登りつめると、ワディ・アラバが見渡せる。わきには石ころが積まれている。

最後に、岩の上にある犠牲祭壇まで再び階段をあがっていく。よいしょよいしょと階段をあがっていくと、頂上に、平らに切られた祭壇があり、そこからオベリスクや、ぺトラの町、それに最寄りの町、ワディ・ムーサの町が一望できる。ぺトラが、岩をくりぬいたり、削ったりして作った場所が多いことに改めて気づく。どれも赤い色をしている。

暑いぺトラを歩き回り、階段を上がり下がりしているうちに、へろへろになってくる。

タクシーに乗って最寄りの町ワディ・ムーサまで行って宿をとり、シャワーを浴びてから、夕食をとりにAl-Wadiレストランに入る。

この辺りには遊牧民族ベドウィンがいて、その料理を食べることができる。レストランで提供していた、羊肉とライスに羊のヨーグルトスープをかけるマンサフ、それにややスパイシーなチキンと野菜を煮込んだGallayhをオーダーする。あわせてフレッシュメロンジュースとピタパンがついてくる。

宿のテレビはワールドカップ予選、オーストラリア対日本戦を流している。ちょうどヨルダン対日本のサッカー試合で日本が圧勝したばかり。宿のスタッフもテレビにかじりついてみている。本田選手を買いたいよ、とスタッフは言った。

そのうちに大きな缶に入ったベドウィン・チーズだというチーズを差し出される。甘い水に浸したほうがよいというチーズ、そのままいただいても、とても塩辛い。

昼は暑かったぺトラも、夜は最近なかったほどに涼しい風が吹いている。

西洋ふうな、ヨルダンの始まり – Aqaba, Jordan

エジプトの港を出てから約5時間、洗面所はすっかりむわりとして水浸しになっている。

いちおう国際フェリーではあるものの、アナウンスはアラビア語だけで、さっぱり分からない。ヨルダンの入国スタンプは船上でもらえるとも聞いたが、どうやらそのチャンスを逸してしまっていた。

そんなものだから、20時半ころにフェリーがアカバ港に停泊した後、係員の引率でイミグレーション・オフィスへと向かう。涼しいオフィスで氏名だけ確認し、カメラで撮影されると、記入書類もなく、スタンプが押される。両替をして、荷物検査を受ける。

隣の男性は徹底的な荷物検査を受けていて、食べものの入った袋を逆さまにして取り出されていた。わたしたちも土産物が鞄の中に入っていないか口頭で確認を受けた後、建物の外に出る。

タクシーに乗ってバスターミナル近くの宿、ぺトラ・ホテルに向かう。この街には、パレスチナ難民キャンプがあり、パレスチナの旗がゆらりゆらりと揺れている。向こう岸にはイスラエルのエイラートという町がたくさんの橙色の灯りを瞬かせている。

海から近いので魚料理も豊富な町ではあるが、魚市場に近い食堂はすでに閉まっていた。

そこで、屋外にテーブルや椅子を出していたAl-sofara’レストランでグリルチキンとフライドポテト、パンにピクルスのセットをオーダーする。近くの商店で買っていたオレンジの炭酸mirindaを合わせて飲む。一人分にボリュームがあり、周りの地元の人々はテーブルに食べ残して去っていく。

ここにはフォークもスプーンもついてくる。
人の肌はより白みを増している。
宿にはエレベーターがついている。

こうしてヨルダン初日は、西洋ふうな始まりになった。

エジプト-ヨルダン国境情報

エジプトのダハブから、ヨルダンのアカバへフェリーで移動するルートです。

1.ダハブからヌエバ行きのバスに乗る。(※所要1時間半。EGP 30.00)
2.ヌエバのフェリー会社(AB MARITIME)の前で停めてもらえるので、窓口でチケットを購入。
 (※EGP 460.00。USドル払いも可能です。毎日14時発。所要5時間。12時までにフェリーに乗場へ行く必要あり。)
 (※高速フェリーと普通フェリーがあるそうですが、その日がどちらになるかはわからないそうなので、来たフェリーに乗るよう、指示されました。)
3.フェリー会社から港まで徒歩。
 (※所要10分。途中の道沿いに軽く食事をする場所があります。)
4.港に入り、荷物をX線に通す。
5.少し歩くと、エジプト側のイミグレーション事務所があるので(※少しわかりづらいです。)、出国カードを記入し、パスポートと一緒に提出。
6.待合室に通されるので、待つ。時間がきたら、フェリーへのバスが来るので乗る。(※所要3分。無料。)
7.フェリーへ乗船。
 
(※フェリーの中の売店で、ヨルダン入国手続きができるらしいのですが、時間が決まっているので、確認してください。私たちはできませんでした。)

8.下船後、入国手続が終わっていない人間は、アカバのフェリーターミナル内の入国審査を受ける。パスポートを提出。
9.タクシーでアカバ市内へ。(※所要15分。JOD 4.00)

◎両替
 ヨルダンの港のターミナルの1階に両替所があります。
 EGP 1.00 = JOD 0.11