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Israel & the Palestinian Territories

国籍のないイブラヒムさんと、ベツレヘムの町 – Jerusalem / Bethlehem, Israel & the Palestinian Territories

朝の4時になるころ、アザーンが爆音で町に鳴り響く。

イブラヒムさんが今日は朝から家にいた。イブラヒムさんの口癖は、WELCOMEとEATとFOODである。大声で腹の底からそう口にする。そして、鍋たっぷりにいつも豪快な料理をしてくれる。

朝食は、パンにコーヒー、それからじゃがいもやにんじん、グリーンピースの煮込みをいただく。

イブラヒムさんのお父さんの時代から始めたピースハウス、受け継いで50年。ホワイトハウスにも呼ばれ、各国に「友だち」がいる人だ。国籍は、ない。パスポートも、ない。それでも各国に呼ばれるから出向いていく。

パレスチナ系イスラム教徒であるイブラヒムさんが、イスラエルの国籍を取得することはない。国籍を取得するということは、抑圧する側の立場にたつことを意味するからだ。

イブラヒムさんは、お金は世界中に十分あるのに、それが正しい場所に使われていない、と言った。

たとえば、ある人が他人のカメラを盗みます。たいていの人は、怒る。でも、その盗んだ人は、自分の赤ん坊にミルクをやる必要がある。だから、そのミルクを与えてやれなかった人々の責任でもある。盗んだ人が、なぜ盗んだのかを考えなくちゃいけない。腹が減った人の口にパンを入れてやらなきゃいけない。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教も仏教も関係ないと強調する。人は宗教などを額に書いていない。わたしたちはみな一つなんです。

70歳だという、背の高くないイブラヒムさんは、それでも体格がよく、太くて柔らかい指を持っている。僕は小さくて髪もない男なんだと、かぶっていたカフィーヤをするりと取る。イブラヒムさんのかぶるカフィーヤは、パレスチナ人を意味する白と黒ではなく、遊牧民族ベドウィンのかぶる赤と白色だ。

脚を痛めて薬をぬりながら、それでも3台の携帯を両手に抱えている。一人と話している間に、もう一人と話す。そう慌ただしくしているうちに、頭をがんがんと壁にぶつけて、こんな携帯、もうあげるよ、と冗談を言う。

イブラヒムさんは、今、岐路に立たされている。ピースハウスを守るために別に建てた家が、高額にすぎる建築許可書を取得せずにいたものだから、法廷に呼び出され、多額の罰金を支払い始めている。そしてこのピースハウスが寄付で賄われていることから課税対象になるというので、それもまた問題になっている。罰金の支払いが滞れば、家は壊され、投獄される。その立ち退き費用も、立ち退く際の見張り軍人の費用も、イブラヒムさんの負担になるという。涙を流すイブラヒムさんの姿もあったと聞く。

それでもイブラヒムさんはI love people、と言った。そして、じゃがいもを大量に鍋にいれて茹ではじめる。そのうちに、取材を受け始める。滞在していたロシア正教の女性は支払うお金が無い、と言う。イブラヒムさんは、お金を工面しようとする。

12時を過ぎて、パレスチナ自治区にあるベツレヘムに向かうことにする。

チェックポイントを通らずにベツレヘムへ入る21番のバスにはトルコ国旗が掲げられ、アラビア文字が書かれている。このバスが、ユダヤ系ではなく、アラブ系のバスであることを意味する。きれいに舗装された道を進んでいく。1時間と少しでベツレヘムの町に着く。パレスチナの車とイスラエルの車で、違うナンバープレートの色がはられて走っている。

食堂に入り、ひよこ豆のペースト、フームスをオーダーする。トマトとピクルスとパン、それにターメイヤがついてくる。

町の中心であるメンジャー広場の片隅には、パレスチナの土地が1946年から段階を経て、ユダヤ、イスラエルの土地に変わっていった様子を地図に示している。そして、チェックポイントや分離壁についてもまとめて語っている。

ベツレヘムには、イエス・キリストが生まれたとされる聖誕教会がある。「謙虚のドア」と呼ばれる小さな入口をくぐると、天井から多くのランプがぶらさがっている会堂に入る。床にはコンスタンティヌス帝のころのモザイクが残されている。聖職者が歌を歌い、鐘をならし、お香を振って歩く。

階段を下りて洞窟の中に入っていくと、キリストが生まれたとされる場所に、銀の星が埋め込まれた祭壇があり、ろうそくに火がともされている。人々が列を作ってその場所に口づけをしていく。

すぐ北には、クリスマスのミサが有名なフランシスコ派修道院聖カテリーナ教会がある。

そして東には、ミルク・グロットがある。淡い乳白色のその教会は、イエスを見守るマリアの母乳が地面にこぼれ、赤かった地がミルク色に変わったという伝説に基づいている。

警察署には、前アラファト議長と現アッバス議長の写真が飾られている。
道には Star & Bucks Cafeがある。緑のロゴのついたマグカップもTシャツも売られている。

聖ヨセフの家であり、現在はシリア・カトリック教会のホスピス付き教会には、女性が集まり、歌を歌っている。丘の上には、ダビデの井戸がある。

商店でチョコとバニラのアイスクリームを買い求めて食べながら歩く。

ベツレヘムにもまた分離壁がある。分離壁は、イスラエル側が自爆テロの防止のためだと説明する、いまだに建設中の壁だ。パレスチナではこの壁は「アパルトヘイト・ウォール」と呼ばれている。高さ8mという高さの無機質なコンクリートの壁が伸びている。

イギリスの画家、バンクシーが描いた絵が色を添える。

らくだに人々が登る絵は、上から白いペンキで消されていた。壁には、「自分の世界をつくるために、他人の世界を殺す」「わたしが大人になったら、レーザービームで壁を吹き飛ばす」「この嘘は長引かない」「パレスチナに自由を」「全世界が見ている」といった言葉が並ぶ。

帰り道は、チェックポイントを通り、帰る必要がある。長い通路を渡り、くねくねとした建物内の道を通る。パスポートがさっと確認される。通勤時など、ここが長蛇の列になることもあるらしく、生活が阻害されている。

建物をでるころには夕暮れが近づいてきていた。バスに乗ってエルサレムに戻る。夕食は、チキンの炭火焼にサラダ、じゃがいもとトマトの煮物にピザ、それにアーモンドジュースをいただく。

イスラエルに入国するということ – Border with Jordan / Jerusalem, Israel & the Palestinian Territories

イスラエルのイミグレーション・オフィスのある新しい建物の前には長蛇の列ができていている。細かな水を吹き付ける装置が置かれ、人々をわずかに濡らしながら、涼ませている。

大きな荷物と小さな荷物に分けて荷物チェックが入る。まず大きな荷物を預ける。すると窓口でパスポートの裏に荷物検査のシールがぺっとりと貼られる。小さな荷物は、別に手で持っていき、X線にかける。

そこから、「外国人」「パレスチナ」「東エルサレム」とに分けられる。イミグレーションの窓口へと進み、幾度も「スタンプは別紙に」と前のめりに伝える。

パスポートには、スタンプを押さないでください。

イスラエルへ入国したことが分かると、これから訪ねるアラブ、イスラム国で入国を拒否されるときがある。だから、イスラエルの入出国スタンプを、パスポートではなく別の紙に押してもらうように強くお願いをする必要があるのだ。

キング・フセイン橋の担当者たちは「スタンプは別紙に」と言われることに慣れている。でも「スタンプは別紙に」とお願いをしても、とくに明確な基準もなく担当者によって旅行者たちの切実なお願いを却下してパスポートにスタンプを押してくる人もいるようで、全く困ったものである。

こうして、それぞれ職員と旅行者の間で心理戦が繰り広げられるのである。

茶目っけのある担当職員は、少しいじわるそうな笑顔を浮かべて、質問をしてくる。氏名、国籍、宿泊先、渡航場所。パレスチナ自治区の町は口にしない。ただ「エルサレムに行きます」と言う。

宿泊先は予約をしているのか、今そのホテルに電話をしたら、あなたの名前はありますか、と尋ねられる。予約はしていません、だから電話をかけても、わたしたちの名前はありません、と答えると、そうですか、分かりました、とあっさり言われる。

スタンプは無事に専用の別紙に押された。ふう。

そこから、さきほど預けておいた大きな荷物を受け取る段になる。空港のようにベルトコンベアにのせられて、ぐるぐると回っている。わたしたちの一方は荷物検査だといって別室に連れて行かれ荷物の所持者であることが確認できると、あっさりと通過できた。

なのに、もう一方の荷物がなかなか出てこない。こうして荷物の出てこない人たちが、ある人は既に3時間以上待たされているといい、職員に向かって怒りの声をあげている。それでも職員は、ただ「待ちなさい」と聞く耳をもたない。なにを言っても、なにを聞いても、「待ちなさい」。

放置されたまま、時間が過ぎてゆく。

ベルトコンベアにのせられていない荷物は、結局荷物検査の別室に積まれていた。1時間ほど待ったところで、3時間以上待った人々とともに別室に連れて行かれる。

すると、荷物に軽く触れられただけで、問題ないから行っていい、と言う。3時間以上待った人々も同様で、ひたすらに待たされた時間は何だったのだとみな首をかしげている。

このわけも分からず放っておいて時間を浪費させるスタイルは、全国にある「チェックポイント」ではよくある話らしい。

とにもかくにも荷物を受け取り、両替をしてエルサレムまでのバスに乗り込む。

エルサレムまでの道の途中に検問が一度ある。銃をもった若い女性がバンに乗り込んでパスポートの確認をする。その他は問題もなく舗装された道を走り続ける。

国境から50分ほどでエルサレムに到着する。近い。暑かったので、ジューススタンドに立ち寄り、ベリーのフローズンジュースをごくりとやる。

ここには、肌を出した洋服を着る女性もいる。
多くの人々が英語を流暢に話す。
路線バスも新しく、寒いほどの冷房がついている。

お世話になるPeace House、イブラヒムさんの家にお邪魔する。ここは、イブラヒムさんというおじいさんが、寄付制でご自宅だった場所を広くみなに提供しているお家である。

今日イブラヒムさんは、イスラム教のスフィーの人々とミーティングをするためにハイファに行っているというので、メキシコ系アメリカ人だというアーネストさんが代わりに迎えてくれ、食事を温めてくれ、コーヒーを淹れてくれた。じゃがいもやにんじん、グリーンピースの煮物に、炊きこみご飯、それにパンにコーヒー、お腹いっぱいだ。

アーネストさんは、アメリカには気持ちの面でいられなくなって、一連のイスラエルで起きている問題を知ろうと思ってやってきた、と言う。

イブラヒムさんの家は、オリーブ山の頂上近くにあり、屋上からは街並みを望むことができる。すっかり日が暮れて灯りのともる街並みを、屋上から眺める。分離壁やモスク、教会の灯りが見え、花火が上がる。

ヨルダン-イスラエル国境情報

ヨルダンのアンマンから、キングフセイン橋を通って、イスラエルのエルサレムへ抜けるルートです。

1.アンマンのムジャンマ・シャマーリー・バスターミナルから、キングフセイン橋行きのセルビスに乗る。
 (※所要1時間。 JOD 6.00)
2.キングフセイン橋に到着後、ヨルダン側で出国手続。出国税JOD 8.00を支払う。
  出国カードを記入。パスポートと一緒に提出。
 (※何も言わなくても、パスポートにスタンプは押されませんでした。)
3.手続後、イスラエル側国境に行くバスに乗車。
 (※荷物代込みで、JOD 5.13)
4.10分程で、イスラエル側国境に到着。
5.大きな荷物を、係員に預ける。
 (※預ける際、パスポートにシールが貼られます。
   このシールの跡がパスポートにあるだけでも、イスラム諸国では入国を拒否する場合   があるそうです。対策として、①パスポートカバーをつけておくと、パスポートカバーに   シールが貼られるので、大丈夫   です。②シールが貼られた後、すぐはがして、も   う一度貼ると、はがれやすくなり、跡が残りにくくな   るようです。)
6.入国審査を受ける。
 (※この際、イスラエルの後に、イスラム諸国へ行く可能性がある人は、パスポートを提出する前に、別紙にスタンプを押してもらうよう、係官に伝えてください。その際、いくつか質問を受けます。かなりがんばらないと別紙に押してくれない係官もいるようです。)
7.荷物を受け取る。
 (※荷物が検査になる場合があります。その際は、別室の検査室に行き、荷物の中身の確認を受けます。私は別室に行きましたが、特に開けられることなく、済みました。が、相方の荷物が中々出て来ず、長時間待たされてしまいました。結局相方の荷物は検査の対象になっていないにも関わらず、荷物検査室に置き去りになっており、誰も気づかなかったのが原因です。)
8.エルサレム(※ダマスカス門)行きのバスに乗る。
 (※所要1時間。NIS 32.00)

◎両替
 イスラエル側に両替所があります。
 JOD 1.00 = NIS 5.12