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U.S.A.

くに。 – Los Angeles / Las Vegas, U.S.A.

今回米国に入国するのに、少し気がかりなことがあった。以前出会った旅人に、パスポートに反米の国のスタンプがいくつも押されていると、米国に入国できないこともあるらしいよと聞いていたからだった。

でも同時に日本人なら問題ないとも聞いていて、なにはともあれ、きちんと説明をすれば問題ないだろうというところで話は収まっていた。

パスポートに貼られたイランのビザには、ほっかむりをかぶった写真が載っていて、他のページにはキューバもイスラム圏のスタンプもぺたぺたと押されている。

こんなわけで、どきどきとしてイミグレーションに進む。指紋をとり、写真を撮る。宿泊するホテル名を復唱される。そこです、と言う。すると、さらりとスタンプが押された。詳しいことは何も聞かれなかった。

次の税関では、大きな荷物を怪しまれてか別途荷物検査にひっかかったが、職員はいたってフレンドリーなようす。

日本とアメリカは、仲の良い友だちなのだ。

道行く人は、スターバックスやバーガーキングの大きなカップを片手に空港を歩いていく。きれいな女性があぐらをかいて床に座り、おしゃべりしている。空港の黒人スタッフは、ふくよかなおしりをふって陽気に歌いながら、乗客を誘導していく。

アメリカだった。

周知のことだが、ここには本当にさまざまな肌の色、顔立ちの人々がいる。そして、そのことを、人々はたいして気にしていないふうに見える。

かつては米国はいつだって米国ナンバーワン主義で、結局白人主義の国なんだと感じていたのに、今回はそのオープンな空気が身にしみた。

アフリカ、中東では、アジア人の顔立ちは目立つものだからちろちろと見られた。だいたいが親日的で親しみ深く声をかけられるのだが、目立つことには変わりない。そして中国や韓国に入ると、その視線が反日へと変わっていく。

それがここでは、肌の色が何色だって目立つことはない。
自由の国なんだと思った。
寛容な国なんだと感じた。

そう思いながらロサンゼルスの空港を出る。
からりとした爽やかな風に向かって、市内へのシャトルバスが走っていく。

陽気で明るい空の下、空港の建てもののそばに小さな墓がひっそりとあった。
まわりには米国とイスラエルの国旗が風にそよいでいる。

近づいてみると、2002年にロサンゼルス空港イスラエル国営エル・アル航空カウンターで、エジプト人が銃を乱射して倒れたイスラエルの女性の名前が彫られていた。婚約者のいる25歳の女性だった。

ロサンゼルスからラスベガスへ向かう荷物検査は、4年前のそれよりもずいぶんと厳しくなっていた。靴を脱いで、円柱の真ん中に立って、両手を上にあげなければいけない。パソコンもカバーから取り出してX線にかける。ペットボトルに入っていた水だって、没収されるだけではなくその場で飲むことすら許されないくらいだ。

空港には様々な肌の色の人が働いていた。
ラスベガスの街には、イスラム教のへジャブをかぶった女性が数人で楽しげに話をしながら歩いていく。

JALと2周目。 – Tokyo / Los Angeles, U.S.A.

成田からロサンゼルスまで、9時間半ほど、それから乗り換えてラスベガスまで1時間ほど。そう聞くと長いフライト時間かと思っていたけれど、この1年ほど、修行のように夜行バスやら列車に乗ってきて、しかもその多くはなかなかの状態にあったものだから、何時間のフライトであれ、とても快適だった。

そして、ロサンゼルスまではJAL便。おもてなしのJAL。客室乗務員の女性は、いつもにこにこと穏やかで、お手洗いの片隅には、本日は、日本航空の翼をお選び頂きありがとうございます、と書かれた紙が置かれている。

機内食は大好き。機内にぷんと良い匂いが漂いはじめて、そのうちにからからとカートが押されてきたものなら、もう気持ちは機内食にくぎ付け。そそくさと荷物をしまってテーブルを出す。他のことは目に入らない。

夜はチキン炒めにごはん、魚のすり身にサラダ、などこまごましたお惣菜、最後にハーゲンダッツのクッキー&クリーム。そこには、機内食にお決まりのぱさぱさとしたコッペパンららしきものも、がっつりとしたケーキもない。JALには、機内食特有のジャンクなかんじを期待してはだめなのだ。

座席にとりつけられたビデオなどを見ながら、本を読んだり、お仕事をしたり、うとうととしたら、もう朝ごはん。

この朝ごはんがまた旨い。東京日本橋三代目のAIRたいめいけん。昭和6年創業の泰明軒の「タンポポオムライス」が食べられるのである。温かく保たれた洒落たパッケージに二段に入れられたオムレツとチキンライス。オムレツはふんわりとろっとろ。どちらも甘くてそれでいて押しつけがましくない。それにコールスローとアプリコットゼリーがついている。

そうこうしていたら、1年ほど前に世界旅を始めたときに最初に訪ねたロサンゼルスの町並みが見えてきた。大きな幹線道路がまっすぐと伸び、車がたくさん駐車され、あるいはびゅんびゅんと飛ばしていく。

世界旅のはじめの一歩の街に、はからずして戻ってきた。懐かしいと思った。このままもう一周同じ道を通ったら、どれもがきっと懐かしい。勢いあまって二周目してしまいそうだ。

軽やか入国と絶妙BGM – Los Angeles to Mexico City

朝は5時に起きてバスに乗り、ターミナルに向かう。
4番ゲートから出発だと書かれたチケットを握りしめ、
ちょうどその前で鞄の準備を整える。

けれど8時の出発予定時刻を20分程過ぎてもバスが来ない。
チケットを確認する男性に尋ねても「まだバスは来ていない。」と答えるばかりだ。
そしてこう付け加える。「メキシコは危ない。絶対に行かないほうが良い。俺は決して行かないよ。」

前日にセブンイレブンで買っておいたカリフォルニアロールをつまみながら、
30分後に再度チケット売り場の女性に尋ねてみて、
ようやく乗る予定であったバスはいつの間にやら
既に出発してしまったことを知ることとなる。
「でも9時にはまたメキシコシティ便が出るから、それに乗りなさい。」

9時頃、規則正しく出発したバスは高速道路に乗り、
「No USA Return」と書かれた看板を通り過ぎると、
13時頃にメキシコとの国境沿いの町、San Ysidroに到着する。

MEXICOと大きく赤い文字で書かれた白いゲートをバスがくぐり、そのうちに
2人の男性がバスにどこからともなく乗り込み、スペイン語を喋りながら、
帽子をかざして、寄付を求めた。

こうして席を立つことなく、軽やかに入国を果たしたバス乗客者一行は、
いつの間にかスペイン語に切り替わった町の看板を眺めながら、
13時半頃にはメキシコの町、ティファナに到着した。

米国からの72時間以内の短期滞在者は審査を必要としないため、
入国は素通りなのだ。
でも、もう米国には戻らないわたしたちにとっては
入国スタンプを押してもらうという重大な任務が待っている。

自ら入国スタンプが欲しいと積極的に求めて尋ね回り、
ようやく小さなイミグレーションのオフィスを見つける。
すべてスペイン語で書かれた申告表にとまどっていると、
入管担当の男性が用紙をぱっととって、残りを記入してくれた。

メキシコシティ行きのバスは17時まで無い、ということだったので、
Carne AsadaのTortasとQuesadillasを食べながら待つ。

バスは17時を30分程遅れてティファナを発つ。
備え付けのテレビからすぐに爆音でラテン風明るい音楽が流れ、
続いてディズニー映画が流れる。

辺りも暗くなり、うとうととしかけた頃にはっと目を覚ますと、
暗闇の中で浮かびだされたテレビが
ハチの飛ぶ様子やアリが食糧を運ぶ様子や弱肉強食ワールドを
爆音のまま流していた。
そこからようやくまた眠りに入る頃にまたはっと目を覚ますと、
今度は軍隊が銃で撃ち合う場面が流れていた。

絶妙な睡眠BGM。

こうしてバスは爆音を放ちながら、
暗闇を前へ前へと進んでいく。

ロサンゼルスの、ある通り – Los Angeles, U.S.A.

ロサンゼルスの入国審査はシカゴのそれと比べるとあくまでフレンドリーで優しいもので、問題なく通ることができた。

わたしたちはhostel.comにて直前に予約をしたDuo Housingに向かうことにする。
空港からはSuper Shuttleや競合のPrime Timeといったバスが走っており、ドライバーに宿の名前と住所を伝えるだけだ。

日本からロサンゼルスに到着するときに見える景色は、まっすぐに続く道路と、粒のような車が見えてくるといった具合だが、町はまさに車ばかりで歩く人が大変に少ない。

宿に到着すると、ペドロという男の子が表に出てくれていて、
ざっと宿の説明をしてくれる。

そもそもロサンゼルスに来た目的は、
メキシコ行きのバスをつかまえるということだった。
ペドロは、メキシコに行くのならgreyhound社かamtrak社を使えば良いと言って、
greyhoundのバスターミナルの場所を
さくさくっとgoogle mapで調べてくれ、ポストイットにその場所を書いてくれた。

教えの通り、最寄りのWilshire-Whittierから720番のバスに乗り込むものの、どうも「短いルートの」720番バスに乗り込んでしまったらしい。

降ろされたダウンタウンから、
わたしたちは治安が悪いとされているバスターミナル付近を
歩かなくてはならなくなった。

どんどんと辺りの空気が荒んでいくのが分かる。
何かをつぶやいている人、寝そべっている人、
右と左のソックスが違う人、道端のゴミの一つ一つに興味をもつ人、
わたしたちに声をかけて最後に「気をつけな」とつぶやく人。

わたしたちは上半身を前のめりにしながら、
ぐんぐん歩く。ぐんぐんぐん。

20分程して、ようやくgreyhoundのターミナルに到着する。
アンジェラという女性が担当をしてくれた。
前客に対する愚痴をわたしたちにぶちまけつつ、
その編みこみをした髪を褒めると、嬉しそうに笑った。

メキシコは最近麻薬戦争により治安が悪くなっていると耳にしていた。
特に国境沿いのフアレス市の状況が著しく悪いという。
だから、フアレス近いエル・パソではなく、
明朝発ティファナ経由でメキシコに入れるチケットを購入した。
本数は十分にある。

帰りにダウンタウンの本屋に立ち寄りたいと思っていた。
場所を尋ねるために入ったスーパーの店員や客に聞いても、本屋の場所はよく分からないと言う。
しかし、その横にいた、人生、本屋とは無縁で生きてきたかと思われるファンキーな男性が、本屋がある場所を教えてくれた。

そこは6か月ほど前にできた古本の本屋というが、ソファに腰をかけて本を読めるスペースがあり、大型犬を連れて来店をしている人もいる。

本屋の男性がわたしたちが日本人であることが分かると、
「ムラカミハルキは知っているか?」と訊ねてきた。
ムラカミハルキは素晴らしい、この店でも1Q84を売っている、と
わたしたちをその本棚へ導いた。
そして今日から世界を旅することを伝えると、
周りの店員や客にそのことを伝え始め、
Jules Verneの「Around The World In Eighty Days」をわたしたちに勧めた。
本屋には日本についてのコーナーもあり、
芸者やポップカルチャー、版画や漫画、「菊と刀」の英訳版も置いてある。

ロサンゼルスは、思いのほか、寒かった。
宿が治安の良い韓国人街の中にあったため、
夜ご飯は温かな餅の入ったSoojebiと麺の入ったKalgooksooをいただくことにした。

英語が片言の韓国の女性が接客をしてくれた。
聞くと、90年代に夫の弟がロサンゼルスにいるために家族で渡米してきて
今は娘が3人いる、とのことだ。
暑かったり、寒かったりする韓国と比べて、
ロサンゼルスは気候が良くて過ごしやすい、と言った。

わたしたちが店を出るときに振り向いてカメラを向けると
彼女は大きく手をあげてピースをした。

一日一善

どこの国でも、子どもはかわいいもので、大人は太っている人が多い。
スーツケースが重すぎて持ち上がらない人がいるのも当たり前で、
今日は、スーツケースを三個、持ち上げてあげた。

この言葉は、何か善い事をやろうと心がけるのではなく、
一日の終わりに、自分が行った善い事を確認して、
少し心を幸せにするための言葉だと、僕は思う。