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2012年10月

今のラスベガスの夜景 – Las Vegas, U.S.A.

マンダレイベイ・ホテルの最上階にあるレストラン、Mixにちょっとお邪魔する。ここからはきらんきらんのラスベガスの街が一望できる。

このきらんきらんで大型ホテルの並ぶ街は、消費者も多様化していてかつエコ志向の今、時代おくれになるんじゃないかと思えなくもないけれど、総工費90億ドル、民間企業のプロジェクトとしては米国史上最大とされるシティー・センターも2009年にできあった。

聞けば、シティー・センターの中心にそびえるメガリゾート、アリア・リゾート&カジノは、LEED(建物の環境効率の評定)でゴールド認定されているらしい。見た目もとっても落ち着いていて、ラスベガスのメイン通りの他にはない雰囲気です。

ラスベガスもこれから変わっていくのかもしれない。

ラスベガスという街。 – Las Vegas, U.S.A.

ラスベガスには、ニューヨークもパリもエジプトもある。自由の女神の後ろに走るジェットコースターからはきゃーきゃーと声があがり、ピラミッドの上からは夜になると光線が放たれ、そびえたつエッフェル塔は遠くからでもよく見える。

そのうえ、どでかいホテルの1階にはたいていどでかいカジノフロアがある。

こう書くと、ラスベガスは、なにやら近寄りがたい街のような気さえする。

でも、一般人のカジノフロアはいたってオープンであちらこちらにあり、そこを通らないとどこにも行けないといった具合で、カジュアルな服でゲームを楽しむ人も、ただ目的地にたどり着くためにカジノを通り抜ける人も、大勢いる。

それにホームレスの人や重い病を患った人、犬の餌さえ買えない人などが通路に立って寄付を乞うている。スパイダーマンやキティちゃんにマリオやセサミストリートのキャラクターは街にあふれ、颯爽と歩いていたりする。

彼らは積極的に道行く人たちに話しかけられる。キャラクターと長い立ち話を始める人だっている。

どーんとしたアトラクションや建物が、ほら、見てみてだけじゃなくて、こんなふうにふつうの人たちが行き交う活きた街をつくりだしているのがラスベガスの魅力なのかもしれない。

トルクメニスタンのアシュガバットは、ほら、見てみて、で終わってる。それはそれでとっても面白いのだけど。

くに。 – Los Angeles / Las Vegas, U.S.A.

今回米国に入国するのに、少し気がかりなことがあった。以前出会った旅人に、パスポートに反米の国のスタンプがいくつも押されていると、米国に入国できないこともあるらしいよと聞いていたからだった。

でも同時に日本人なら問題ないとも聞いていて、なにはともあれ、きちんと説明をすれば問題ないだろうというところで話は収まっていた。

パスポートに貼られたイランのビザには、ほっかむりをかぶった写真が載っていて、他のページにはキューバもイスラム圏のスタンプもぺたぺたと押されている。

こんなわけで、どきどきとしてイミグレーションに進む。指紋をとり、写真を撮る。宿泊するホテル名を復唱される。そこです、と言う。すると、さらりとスタンプが押された。詳しいことは何も聞かれなかった。

次の税関では、大きな荷物を怪しまれてか別途荷物検査にひっかかったが、職員はいたってフレンドリーなようす。

日本とアメリカは、仲の良い友だちなのだ。

道行く人は、スターバックスやバーガーキングの大きなカップを片手に空港を歩いていく。きれいな女性があぐらをかいて床に座り、おしゃべりしている。空港の黒人スタッフは、ふくよかなおしりをふって陽気に歌いながら、乗客を誘導していく。

アメリカだった。

周知のことだが、ここには本当にさまざまな肌の色、顔立ちの人々がいる。そして、そのことを、人々はたいして気にしていないふうに見える。

かつては米国はいつだって米国ナンバーワン主義で、結局白人主義の国なんだと感じていたのに、今回はそのオープンな空気が身にしみた。

アフリカ、中東では、アジア人の顔立ちは目立つものだからちろちろと見られた。だいたいが親日的で親しみ深く声をかけられるのだが、目立つことには変わりない。そして中国や韓国に入ると、その視線が反日へと変わっていく。

それがここでは、肌の色が何色だって目立つことはない。
自由の国なんだと思った。
寛容な国なんだと感じた。

そう思いながらロサンゼルスの空港を出る。
からりとした爽やかな風に向かって、市内へのシャトルバスが走っていく。

陽気で明るい空の下、空港の建てもののそばに小さな墓がひっそりとあった。
まわりには米国とイスラエルの国旗が風にそよいでいる。

近づいてみると、2002年にロサンゼルス空港イスラエル国営エル・アル航空カウンターで、エジプト人が銃を乱射して倒れたイスラエルの女性の名前が彫られていた。婚約者のいる25歳の女性だった。

ロサンゼルスからラスベガスへ向かう荷物検査は、4年前のそれよりもずいぶんと厳しくなっていた。靴を脱いで、円柱の真ん中に立って、両手を上にあげなければいけない。パソコンもカバーから取り出してX線にかける。ペットボトルに入っていた水だって、没収されるだけではなくその場で飲むことすら許されないくらいだ。

空港には様々な肌の色の人が働いていた。
ラスベガスの街には、イスラム教のへジャブをかぶった女性が数人で楽しげに話をしながら歩いていく。

JALと2周目。 – Tokyo / Los Angeles, U.S.A.

成田からロサンゼルスまで、9時間半ほど、それから乗り換えてラスベガスまで1時間ほど。そう聞くと長いフライト時間かと思っていたけれど、この1年ほど、修行のように夜行バスやら列車に乗ってきて、しかもその多くはなかなかの状態にあったものだから、何時間のフライトであれ、とても快適だった。

そして、ロサンゼルスまではJAL便。おもてなしのJAL。客室乗務員の女性は、いつもにこにこと穏やかで、お手洗いの片隅には、本日は、日本航空の翼をお選び頂きありがとうございます、と書かれた紙が置かれている。

機内食は大好き。機内にぷんと良い匂いが漂いはじめて、そのうちにからからとカートが押されてきたものなら、もう気持ちは機内食にくぎ付け。そそくさと荷物をしまってテーブルを出す。他のことは目に入らない。

夜はチキン炒めにごはん、魚のすり身にサラダ、などこまごましたお惣菜、最後にハーゲンダッツのクッキー&クリーム。そこには、機内食にお決まりのぱさぱさとしたコッペパンららしきものも、がっつりとしたケーキもない。JALには、機内食特有のジャンクなかんじを期待してはだめなのだ。

座席にとりつけられたビデオなどを見ながら、本を読んだり、お仕事をしたり、うとうととしたら、もう朝ごはん。

この朝ごはんがまた旨い。東京日本橋三代目のAIRたいめいけん。昭和6年創業の泰明軒の「タンポポオムライス」が食べられるのである。温かく保たれた洒落たパッケージに二段に入れられたオムレツとチキンライス。オムレツはふんわりとろっとろ。どちらも甘くてそれでいて押しつけがましくない。それにコールスローとアプリコットゼリーがついている。

そうこうしていたら、1年ほど前に世界旅を始めたときに最初に訪ねたロサンゼルスの町並みが見えてきた。大きな幹線道路がまっすぐと伸び、車がたくさん駐車され、あるいはびゅんびゅんと飛ばしていく。

世界旅のはじめの一歩の街に、はからずして戻ってきた。懐かしいと思った。このままもう一周同じ道を通ったら、どれもがきっと懐かしい。勢いあまって二周目してしまいそうだ。

ほんの少し、ラスベガスに行ってきます。 – Tokyo, Japan

今日からまた少しお仕事で米国に行ってきます。ほんとうは1年かけて世界をくるりとする予定がちょっと早めに戻ってきたのは、このためでした。

ラスベガスで開かれるマーケティングのイベントに、日本のお客さまをお連れします。ラスベガスは娯楽の街でもあり、そのダウンタウンはこれから急速に変わっていきそう。そこにはちゃんとマーケティングせんりゃく、があるのでした。楽しみです。

帰って来てから、打ち合わせや準備などでなんだかバタバタとしてしまい、会いたい人にもまだ会えてない。でも、日本食を満喫して、きらきらの街にすっかり魅せられてます。ほんと、すごい国だなあ。やりたいこと、もりだくさん。

来週末には帰ってくるので、そうしたら、みんなにゆっくり会いたいですっ。