Top > ブログ

2013年08月

被災地を巡る 2

朝は東京よりもずいぶんと涼しく、
太陽の日差しを楽しめる。

清潔でさっぱりとしたEl Faroの朝食は、
魚のすり身や焼き物、
大根といかの煮物やご飯に味噌汁、
ゆで卵といった具合で、

静かにサーブされる。

他は一人客が2名。

車で朝の港まで出る。

海には朝霧がかかり、
黒いカラスが空を見上げている。

穏やかな海の前に、
女川サプリメントや江島共済会館といった建物が
横倒しになっている。

高台にある病院にあがってもなお、
頭と同じくらいの高さのところに
「津波の記録」と印がつけられている。




















山間の奥まで、建物はなく、
砂利地か、雑草の生えた土地になっている。

少し前までは、ここが瓦礫の山だった。
今は、その瓦礫がようやく撤去されたというときだ。

車に乗って、南三陸へと向かう。

被災した相川小学校の跡地も、既に整地され、
ショベルカーがあり、校歌を記した碑がたてられ、
ヒマワリが咲き、お地蔵様が佇んでいる。












鉄や道路の屑が積まれた場所もある。
陸前戸倉の駅は、BRTのバスの駅が真新しくできつつある。












水門の横の傾いた小屋、
ぽつりと残った防災対策庁舎や高野会館、ガソリンスタンド。

なくなった、 志津川病院。

新しくできた、南三陸さんさん商店街。

多くの人々が訪れ、花を手向け、
手を合わせ、食事をする。












わたしたちも、さんさん商店街で、
かまぼこコロッケをほおばり、

佐良スタジオで、
写真集「南三陸から」を買い求める。

車はそのまま気仙沼へと向かう。

そこには、イオンも、ユニクロも、眼鏡市場も、
セブンイレブンの店舗もあり、
震災があったとは思えないほどの街並みを進んでいくことになる。

ところが、高台にある、
気仙沼中学校のグラウンドに新設された仮設住宅近くの畑からのぞく南側の気仙沼は、何も無かった。

そのまま、その方向へと車を走らせ、
魚市場のほうへ向かい、言葉をなくしつつ、
第18共徳丸のある場所まで行く。

防災対策庁舎も、第18共徳丸も、
直に解体され、なくなる。

車をレンタカー屋へ戻しに、
石巻までいそいそと戻る。

海には、海水浴をする人々もいる。

駅からほど近いお宿とちぎに部屋をとる。

とちぎ出身のおじいさまが始められたお宿。
古くてねえと言いながらお部屋に通される。
ところどころ歪んでいるふうも、居心地が良い。

勧めてもらった、
さかな処三吉で、
夕食をいただく。

ビールに、しめサバ、ほたて、いかげそ、
ほたて、ホヤ、豆腐ステーキにおむすび。

座敷でみんながわいわいと飲んでいる。

復興特需により、
石巻駅前はすっかり大型チェーン居酒屋が陣取っているものの、
一本入れば、こんなお店もある。

夜に東京弁と関西弁で喧嘩があったりするから、
怖いものだよと地元の男性が、言った。

被災地を巡る 1

お盆は、東北に行くことにした。
震災の日は日本にいることができなかったし、その後もまだ一度も東北を訪ねたことがなかった。日本人として、行かなければいけないと思っていた。

訪ねる前は、この旅は、なかなかに辛いものになるのだろうと思っていた。

東京駅から新幹線やまびこで仙台まで向かう。東京駅にはがんばろう東北という提灯に、東北の夏と大きく書かれた看板が掲げられていた。

2時間半ほどで仙台に到着し、その後、石巻まで向かうのに仙石線に乗り換える。仙石線は、途中で電車が途切れ、列車代行バスが走っている。

25分ほど電車で走り、松島海岸で代行バスへ移動。

代行バス乗り場が書かれているすぐそばに、「ここは海岸です!津波警報が出たら直ちに避難してください」と赤い文字で書かれている。



松島を眺め、田んぼの広がるを眺めていると、そのうちに何もない更地と、ブルドーザーが見えてくる。

仙石線復旧工事中と書かれた、
使われなくなった駅のすぐそばをバスが通り、
ところどころ木が斜めに傾き、
工事中のサインがある。
















ご迷惑をおかけします
地震で壊れた橋を
なおしています

50分ほどで矢本駅に到着し、
そこからまた電車に乗り換え、
15分ほどで石巻に到着する。

そのままレンタカーをして、女川へと向かう。
車を走らせてすぐ、信号機と同じほどの高さのところに
東日本大震災で津波がここまで来ていたと印がつけられている。

荒れた土地が広がっているかと思うと、
パチンコ屋や大手スーパーの真新しい大きな建物が並ぶ場所もある。



海沿いの398号線を進み、おさかな市場に立ち寄り、
仮設のきぼうのかね商店街に到着した。

岡八百屋に入り、
女川港水揚げさんまで作ったさんまそぼろやら
女川のわかめかりんとうやらを買い求める。
八百屋のおじさんは、チリ地震のときに続いて、今回の震災で二度家を失ったという。


この旅、事前に計画をたてずにきたものだから、商店街にある観光案内所に出向いてみる。
今日は、できれば、気仙沼まで行ければ良いと思っていた。

でも、観光案内所のお兄さんが、親切なもので、
わたしたちが泊まる場所も決めていないというと、
El Faroというトレーラーハウスの宿泊村がおススメだといい、電話をして予約をとってくれた。「今夜は迎え火もあるから見て行くといい。」

お兄さんは、震災当日、海からすぐ近くの高台にある病院に逃げたのだという。
夜には、海のほうから、助けてくれ、という声が聞こえてきたというが、
朝になると、その声は聞こえなくなっていた。

今は、仮設住宅に住んでいるが、4人家族で4畳半が二間、年頃の男の子と女の子。受験も控えているという。



















車を飛ばし、少し先の大川小学校へ。
辺りは雑草が生えた空き地が広がっている。
破壊された小学校の二階には、当時のままの貼り紙が貼られている。
ここに残った問題は、まだ解決していないんですと地元の人は言う。

泥にまみれた靴も、半分地面に埋まって固まったズボンも、
そのままだ。

夜も更けた「元マリンパル女川跡」には、迎え火をしに、地元の人々が集まってきている。
昨年は、それぞれの家があった場所で火を灯したというが、今年は既に地面を上げる工事も始まり、そうもいかずにこうしてみなが集まって火を灯している。

京都からボランティアで来たという若者に、火を灯してもらう。

テレビ取材も入っている。




夕食をとろうと思っても、
空いている店はほとんどない。

さきほどの観光案内所のお兄さんが迎え火に来ていたので、良いお店があるか尋ねると、まわりのお兄さんたちも寄ってきて、お店の噂話が始まる。

おススメをされたのはきぼうのかね商店街にある、
串焼きたろう。




行ってみると、岡八百屋のおじさんも、呑んでいた。
店に入ると、仮設には思えない、自然な設えで、
これは女将さんが手作りで仕立てたものだという。

かつおのたたきと焼き鳥にビールをいただく。
女将さんは強く、美しい女性だった。
震災当日のことについて、時々笑顔をつくりながら、話をしてくれた。
津波の水が身体を沈め、周りの人たちと支えあった体験。
もともと店舗は港にあったものの、津波にのまれ、
この仮設商店街に引っ越してきた。

ただ、ここはあくまで仮設。

港付近は既に住居として住めなくなっている地区もあり、
戻ることもかなわない。

女将さんは、そのうちに、ふいに涙を流し、キッチンへと入った。
でも、また満面の笑みに戻る。

こうして若い人たちが、ここに来てくれることで救われる、
そうおっしゃった。

やきとりと書かれた紅い提灯をあとにして、
ファミリーマートでアイスクリームを買い求め、
さきほどまで迎え火が行われていた場所でそれをほおばる。

夜の海は真っ暗だ。

El Faroのトレーラーハウスは真新しく、とても清潔で、
ふんわりとした布団は快適だ。

ゆっくりランチと展示会

いつもは自宅での食事がほとんどだけど、
たまにゆっくり外食。

今回はアントニオ南青山本店。
日本で最初に本格的イタリアンを紹介した、60年以上の歴史をもつお店です。

暑い夏の日。

表参道から骨董通りを歩いて、レストランへ。

60年以上の間に東京にはもっとおいしくて洗練されたイタリアンレストランは
数多くできたのだろうけれど、
気取らない料理が良い。

コースの最後にはふっくらサプライズフルーツケーキ。

お店を出るころには、パタパタと雨が降ってきて、傘をさしながら、近くの森美術館のLOVE展へ。

六本木ヒルズ・森美術館10周年記念展
LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで
http://www.mori.art.museum/contents/love/

いろいろな愛のかたちが展示されているけれど、
日本の愛のかたちが面白い!

花火。

大きなビルから東京湾大華火祭。ケータリングもしました。

涼しいところでみんなで花火。
東京タワーも一緒に見えました。

たくさんの人がいるところでの花火も大好きだけれど、
たまにはこういう大人な花火もいいな。